第16話

文字数 6,363文字

 僕とツグミは、“特異体質”との検査結果が出た後も、一か月に一回程度、定期的に中央病院で検査を受けていました。体質に変化がないか、データをとるためなのでしょう。
 その日は、ハクガンがいなくなってもう、一週間が過ぎていました。僕はまだ、心に重くのしかかっているハクガンの赤く染まった姿を抱えながらツグミと一緒に中央病院に向かいました。
 その間、ツグミはあまりしゃべりませんでした。二人してほぼ黙って病院に向かいました。ハクガンの一件があって以来、ツグミは静かです。彼女も身近な人があんな状態になったのでショックを受けているのでしょう。
 病院に到着すると僕とツグミは別々の部屋に向かいます。僕はクマゲラ先生かセキレイ先生が担当です。ツグミは女医のマヒワ先生が担当していました。
 その日は、クマゲラ先生が僕の担当でした。
「いろいろと大変だったみたいだね」
 会ってすぐにクマゲラ先生が口を開きました。それがハクガンのことだとすぐに察しました。その日は、僕の方からハクガンの容態を訊くつもりだったので好都合でした。
「先生、ハクガンの容態はどうなんですか?回復しているんですか?助かるんですか?誰も何も知らない、教えてくれないんです。教えてください、お願いします」
 クマゲラ先生はヒゲの中で少し笑いました。
「どうせ、君はそれを訊いてくると思ったよ。彼のことに関しては箝口令が布かれているけど、君には話しておこう。もちろん口外はしないでくれよ」
 僕はうなずいて固唾を呑んで先生の言葉を待ちました。
「彼は亡くなったよ。現場の状況は聞いているが、死因に君はまったく関係ない。身体の組織が分解してしまったんだ」
「分解?」
「ああ、身体の部位と部位をつなぐ繋ぎが弱まっていたんだ。それが細胞レベルで生じていた。その原因は分からないが、ここに連れてこられた時には彼の内臓はバラバラになって形をなしていなかった。もう手の施しようがなかった」
「それは・・・、何かの病気なのでしょうか」
「分からない。正直言って、君たちの身体については分からないことの方が多い。君たちは奇跡の産物なんだ。君たちも知っての通り、君たちは生物の常識から外れた人工の生命だ。だから現在の医学だけでは君たちのことは分からないことの方が多い。もどかしく思うだろうけど、それは私たちも同じだ。ただ一つ言えるのは、彼は君と会おうが会うまいが遠からずそうなっていたんだ。君は彼の死因とはまったく関係ない。彼は、彼の身体の問題で死んだんだ」
 僕は長く息を吐いた後、しばらく目を閉じていました。ハクガンの死を、自分の中に受け入れるために。
“死、死ぬ、死んだ、死んでしまった・・・死?死ってなんだ?”
 死ぬってどんな感覚なんだろう?
 今、こうして生きていろんなことを感じ、考え、動いている。いろんな感情を抱え、悩み、喜び、怒り、悲しんでいる。そういったことがすべて、その瞬間、なくなってしまう、そう思うと、とたんに身を悶えさせるほどの怖さを感じました。
 今、こうして自覚している僕という人間が消えてしまう。僕はもう嘆くことも、笑うこともできなくなってしまう。眠っている時以外、すべての時間、自分という存在を自覚している僕がいなくなってしまう。
 他の人もこんな恐ろしさを感じているのでしょうか。死ぬということにこんなに恐ろしさを感じているのでしょうか?それとも僕だけ?特別に僕だけが臆病だから、ただ単に死ぬことの覚悟ができていないから、感じていることなのでしょうか。
 そう考えていると、ツグミや仲間たちに会えなくなることも、もちろん苦痛なのですが、今まで不快に思っていた事柄、人からのさげすみやねたみなどさえ、感じられなくなると思うと、寂しくも思えました。
 僕は今、生きている。だから自分という存在が消滅してしまう、という現象を受け入れられない。実感が湧かない。だから想像すると恐ろしさしか感じられない。
 それから検査を受けている間に、僕はクマゲラ先生にあることを訊きました。
 それは、それまでとても不思議に思っていたことでした。この都市内で死んだ人はどこに行くのでしょうか。魂とか精神の話ではありません。その遺体のことです。
 治安部隊に入隊し、僕たちの行動範囲は格段に広がりました。E地区以外のすべての地区に出入りをしました。でもどこにも遺体を処理する場所はありませんでした。それならE地区にあるのだろうか?とも思いましたが、いったいどうやって処理するのでしょう?もちろんそのまま放置するわけにはいかないと思います。埋める?そんな広大な場所が?焼却する?この地下空間で?可能性があるとすれば、何かの薬品を使って溶かしてしまう、ことかと思ったのですが、そんな強力な薬品などあるのでしょうか?とにかく物事をあまり知らない僕がいくら考えてもこれだと思える答えは見つかりそうにありませんでした。だからクマゲラ先生に訊いてみたのです。
「先生、ハクガンの遺体はどうやって処分されたのですか?」
 クマゲラ先生の手が止まりました。
「え?・・・それはだね・・・」
 先生にしてはとても歯切れの悪い返答でした。

「何か質問はあるかしら」
 いつもの診察が済んで、いつも通りにマヒワ先生が訊きました。いつもならあたしはそのまま黙っています。そうするとマヒワ先生が、それじゃ今日はこれでおしまい。お疲れ様、とい言って、それを合図にあたしは診察室を出ます。でもその日は、ふと質問が口から洩れてしまいました。この先生とは何度も会っていたので少し慣れてきたせいもあるかもしれません。
「誰かに・・・死んで、ほしいと、思ったことが・・・ある?」
 初めてあたしから質問したせいか、内容が突拍子もなかったせいか、マヒワ先生は、えっ?と少しの間、驚いた表情をしていました。
「あ、うん、ええ、そうね。そんなことはしょっちゅうよ。死んでほしいというより、この世から消えてほしいって感じかしら。あたしの視界から消えてちょうだいってくらいなら、ほんと毎日思うわよ」
「死んで・・・ほしいと、思っている、人が、死んだら・・嬉しい?」
「うーん、どうだろう。状況によりけりかもしれないけど、相手が誰であれ、死ぬことを喜ぶことはできないと思うわ」
「なんで?それを、望んで、いたのに」
「そうね。あたしは、普通の人より人の死に立ち会う機会が多いわ。それこそ毎日、人の死を見ているわ。でも、一つとして喜ばしい死っていうのはなかったわ。死は、とても悲しいこと。とても恐ろしいこと。一番、忌み嫌うべきこと。だから、どれだけ自分がそれを望んでいたとしても、どれだけ相手が悪い人間だとしても、それを喜ぶことはできないわね」
「ふーん」それきりあたしは黙り込んでしまいました。せっかく答えてくれたのに悪いとは思いましたが、それ以上、話をつづける気持ちが萎えてしまってのでしょうがありません。
「まあ、人は社会的生き物だからどうしても他の人と関わって生きないといけないわ。だからその中で気に入らない人もいれば、どうしても関わり合いたくない人だっている。でもそういう人とも一緒にいないといけない、関わらないといけない時もあると思うわ。それは仕方のないこと。そしてそういう人たちがいなくなってほしい、と思うことも自然なことだし、仕方のないことよね。誰もが思うことなんじゃないかな。そんなに気にすることじゃないわよ」
 あたしはいつも、退室する時は黙ったままでしたが、その日だけは、ありがとう、ございました、と一言お礼を述べました。

「私たちの身体も、君たちの身体も、死んだらE地区で土に還るんだ」
 すこしの間、言葉を選んだ後にクマゲラ先生は答えました。
「そのまま埋めるんですか?」
「いや、分解させて土にするようだ」
「分解って、どうやって」
「俺も実際に見たことがないから詳しいことは分からないよ。それより、申し訳ないんだけど、急ぎでお使いをお願いしたいんだけど、いいかな?」
「ええ、構いませんけど」
「助かるよ。保育棟から依頼されていた薬剤なんだけど、すっかり持っていくのを忘れていてね。うちの職員に持って行かせるのが筋なんだけど、今、誰も手が空いてなくて。ちょっと重いし、壊れ物だけどお願いしていいかな。第一保育棟の受付に持って行ってくれれば分かるようにしておくから」
 クマゲラ先生は誰にでも気軽に頼み事をします。逆に人からの頼み事に対してはけっして断ることをしません。そんなところも、この先生をみんなが親しむ理由なのかもしれません。
「分かりました」
 そのまま僕は預かった箱を持って病院を出ました。どうやらツグミより僕の方が先に終わったようです。保育棟は病院からそれほど離れてはいません。ツグミの診察が終わるのを待つより、先に頼まれたことを済ませようを思いました。たぶん戻ってきた時にはツグミが待っていてくれていると思います。

 目の前に三棟の保育棟が並び建っています。その真ん中の棟、僕たちが二年間過ごした馴染みのある棟の一階受付にいる委員の人の手に、抱えた薬剤を渡せばいいだけでした。僕はエスカレーターを降り、そのまま目的の棟に向かって歩いていきました。
 僕はよく、人に近づく時、気づいてもらえず、すぐそばに達して驚かれる時があります。たぶんそれは僕があまり足音を立てずに歩くせいだと思います。別に意識してそうしているわけではないのですが、自然と僕は静かに歩いているようです。
 だから、その時も僕は気づかれずにいたようです。棟と棟の間に数人の人が立っていました。
 棟の影に隠れた場所、人目を避けるためでしょうか、そこに三人の委員の人たちが僕に背を向けて立っていました。そしてその肩の間から、一人の女の子のうつむいた顔が見えました。
 セリンでした。彼女は、成績優秀者特例で委員になっていたのでしょう。ただのいじめっことしか見ていませんでしたが、意外と優秀だったのだと、その時は思いました。
 僕は、行くべき棟の入り口扉前に達しました。僕と委員たち以外に周囲に人はいませんでした。とても静かな昼下がりでした。だから、委員たちが話している声が聞こえてきました。
「ねえ、あなたいいかげんにしてくれない。仕事も満足にできないくせに、子どもたちに変なことを言うのはやめてよね。あなたはただ、言われたことをしてればいいのよ」
「ほんと、これだから私、地底生まれを委員にするのは反対だったのよ。やっぱりちょっとズレてるっていうか、なんか変じゃない?」
「そうそう。私もそう思ってた。見た目だけじゃ分かんないけど、やっぱり変なのよね。あなたもそのことを自覚して、あんまり出しゃばったことをするのはやめなさいよ」
 あと一歩、足を踏み出せば扉上部についたセンサーが僕を感知して扉が開く、その場所から動けなくなってしまいました。扉が開くかすかな音で人の存在を委員の人たちに気づかれるのをはばかったせいもありましたが、話の内容が気になってしまったせいでもありました。
 盗み聞きはよくない、とは保育棟にいた頃、委員の人に教えてもらいました。でも、つい、そのまま聞いていました。
「あなた、何か言ったらどう?男たちには嬉しそうに話すくせに、何で私たちの前だと黙り込むわけ?そんなに私たちのことが嫌いなの?私たちが何かした?」
 僕は、そこにいる目的を果たすために、足を一歩踏み出す、その代わりに、一歩後ろに下がりました。なぜ、そんなことをしたのか、と訊かれれば、ただ気になったから、そう答えるしかありません。ただ、特に何を考えるわけでもなく、僕はそうしていました。そして、委員たちの方へ視線を向けました。
 委員たちの背中の間から、セリンのうつむいた顔が見えます。今にも泣き出しそうな表情をしていました。いえ、もしかしたら少し涙ぐんでいたのかもしれません。
 セリンが、ちらりと僕の方へ視線を向けました。
 それは、ほんの一瞬のことでした。でも確かに僕たちの視線は重なりました。
 セリンはまた足元に視線を戻しました。一瞬だけ、ひどく悔しそうな表情をして。その両目からは涙が筋となって流れ出ました。
「あれ、地底生まれでも泣けるんだ。初めて知ったわ」
「本当ね。人間みたいだわ」
「でも、なんでそんないらない機能つけたのかしら。仕事をちゃんとする機能つけてくれればいいのにね。本当に機械の方が良かったわ。こんな邪魔でしかないコより」
 そうね、本当ね、と言いつつ委員たちは笑っていました。僕は、なぜでしょうか、そんな委員たちの背後に近づいていきました。
「すみません」
 委員たちは本当に僕の存在に気づいてなかったみたいで、三人ともとても驚いて振り返りました。
「これ、クマゲラ先生から預かってきました」
 僕は更に委員たちに近づき手に持った箱を差し出しました。
「重いですし、壊れ物です。気を付けてください」
 手を出そうとしない委員たちの中で一番気が強そうな委員の目の前に立ち、箱を押し付け、僕は有無を言わさず手を離しました。押し付けられた委員はあわてて箱を受け取りました。
 僕は、そのまま踵を返して病院に戻っていきました。極力セリンの方を見ないようにして。
 帰り道、僕は今日見たことをツグミに話してやろうかと思いました。でも、やめました。そんな話をして、つらい記憶を思い出させる必要もないだろうと思ったのです。それに、治安部隊の訓練も日ごとに厳しさ、激しさを増していっています。たぶん、彼女にとってそんな過去のことにかかずらっている余裕はないのではないかと思います。

 診察が終わって、エレベーター乗降口でいつものようにイカルが来るのを待っている間、あたしはずっと考えていました。
 あたしが、ハクガンに対して、死んでほしい、消えていなくなってほしい、と思ったのと同じように、他の人たちもあたしに対して、そう思っているのでしょうか?
 いいえ、それはないと思います。あたしは、それほど人に認められていない、そこまで気にされていない、そこまで意味のある存在ではない、そう思います。
 それはたぶん、あたしが望んだこと。人と関わることを恐れて、人に認められることを拒んだ結果です。
 ふと、昔、アトリが言った言葉を思い出しました。
“人は誰かと悲しみを共有できれば悲しさを減らすことができる。だからこいつは君の悲しさを少しでも和らげようと自分も悲しもうとしている。君と同じ悲しさを、苦しさを味わおうとしている。だからって君にどうしろって言う訳じゃない。そんな余裕は君にはないかもしれない。でもそんな風に自分のことを思ってくれる人がそばにいるってことだけは、けっして忘れないでくれ”
 今、思えば、とても優しい言葉です。きっとイカルのことを思って言った言葉だと思います。そしてほんの少しだけ、あたしのことも。
 もう、アトリに長いこと会っていません。あたしが見る時、いつもアトリは笑っていました。その笑顔が思い出されました。アトリは今も、あの笑顔のままなのでしょうか。
 イカルは少し待っているうちにやってきました。あたしはその姿を見ながら、自分が変わらなければならないと思いました。せめて自分で自分を嫌いにならない程度に。ただ、いつものことですが、その方法が分かりません。どうしたら自分を変えることができるのか。きっともっと考えないといけないのでしょう。しっかりと深く、とても深くまで。
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