6-7 鵺が啼く空は虚ろ

文字数 5,086文字

 詮充郎(せんじゅうろう)は一つ息を吐いた後、怒りを湛えたまま静かに口を開く。他の者はただそのしわがれたか細い声に意識を向けていた。
 
「私は偉大なる陰陽師、銀騎(しらき)朝詮(ちょうぜん)の血を引く一族の嫡男として生まれたが、呪力をほとんど持っていなかった。私の父はそれに失望し、私には見向きもせずに(ぬえ)ばかりを追っていた」
 
 それはまるで自らを省みる独白のように淡々と続けられた。
 
「銀騎家では呪力を持たない人間がどうなるか──例外なく放逐される。故に私の母も、呪力を持たない子を産んだ罪で追放された。
 だが、私はただ一人の嫡子であったため、辛うじて追放は免れた。それでも銀騎の家に居場所などない。
 自室に籠って鵺に関する文献を読み漁り、呪力がないなら科学的なアプローチはできないかと勉強を続ける日々だった」
 
 だから科学にこだわってここまでの施設を持つまでになったのか。(はるか)は詮充郎の病的なまでの鵺への科学的執着の根拠がわかった気がした。
 
「年頃になって、一族の中から優秀な娘が選ばれ婚姻させられた。──そこからが真の地獄の始まりだった」
 
 一瞬だけ声音が柔らかくなったが、詮充郎はさらに憎しみをこめて語る。
 
「妻は、心の優しい女だった。こんな私にも甲斐甲斐しく尽くしてくれた。だが一族の長老達は人を人とも思わない命令を私達夫婦に下した」
 
 そう語ってからようやく周りの人間に気づいたように、視線を永達に向けて詮充郎は言う。
 
「まだ子どものお前達にはわからないだろう。妻に一族から優秀な男を与えるから、その子どもを次期当主として養育しろと言われた私の屈辱が!!」
 
「──!」
 
 地獄、と言われたその意味を噛み締めて星弥は思わず口元を覆う。皓矢(こうや)も顔をいっそう曇らせて聞いていた。
 
「私はそれを断固拒否し続けた。そんなことになれば、その子どもが当主になる頃には、私は銀騎から追い出される。
 偉大なる陰陽師・銀騎朝詮の血を最も濃く受け継いでいるのは私なのだ!たとえ呪力が表に出なくとも、血は、血は嘘をつかない!
 私は遂に妻と実子をもうけることに成功した。その子がなんの力も持っていなかったら、親子三人死ぬ覚悟でな」
 
 椅子に座ることもせずに、一人芝居を演じるように語る詮充郎は次第に目を血走らせ息を荒げて叫ぶ。
 
「──私は賭けに勝った!息子の紘太郎(ひろたろう)は生まれてすぐに類稀なる能力を一族に示し、開祖以来の天才と謳われた!
 紘太郎を次期当主として育てることで、私は中継ぎながらも銀騎の当主になった!だが、妻は長く生きられなかった……」
 
 語尾を弱めた後、詮充郎はまた穏やかな顔を取り戻す。
 
「あの子は──紘太郎は妻によく似た優しい子でな。私のことも慕ってくれ、科学者としての私の仕事も覚えると言ってくれた。
 そこから私達親子は二人三脚、私は科学方面から、息子は陰陽術方面から鵺の研究を進めていった。ツチノコというキクレー因子を持つ新しい生命体を発見し、私達親子はまた鵺に一歩近づいた」
 
 穏やかな様子も束の間で、また思い出したように詮充郎は憎しみを吐露する。
 
「だが、その矢先に分家の分際で御堂(みどう)が裏切った。その裏にはお前達がいたな」
 
「前回の転生のことだな」
 
 視線を向けられた永が答えると、永に向けて指差しながら詮充郎は言う。
 
「私達親子は鵺に肉薄しながらも勝てなかった。紘太郎は重傷を負った。鵺と相打ちになったお前たちの亡骸を見て思ったよ。せめてこいつらの遺体は絶対に保存して隈なく研究し尽くしてやると!
 だが、それも半分は叶わなかった。死んだと思っていたリンが息を吹き返したことでな」
 
「──!」
 
 もたらされた事実に永が衝撃を受ける。その様を気にも止めず詮充郎は続けた。
 
「あの娘は私に取引きを持ちかけた。ハルとライはこのまま転生させろ、その代わり自分の身体を差し出すと」
 
「な──」
 
「私としてはとても美味しい話だったよ。生きた因子持ちのサンプルが手に入るのだから。だが、よく見ればリンも一時的に生き返っただけで、瀕死の状態だった」
 
 ここまで語った後、永に向けられていた視線をふと鈴心に移して、詮充郎は呟くように言う。
 
「心配するな、私は約束は守る」
 
「え?」
 
 永がつられて鈴心(すずね)を見れば、とても青白い顔で自らを抱き締めるような格好で何かに耐えているように見えた。
 だが、詮充郎が間髪入れずにまた話し始めたのでそちらに意識を集中させるしかなかった。
 
「そこで構想中だった試験管ベビーの研究を思い出した。死にゆくリンの魂を保存しておいて、実験用の卵子に憑依させリンの生まれ変わりを我が手中に収めることにした」
 
「そんなことが本当に可能だったのか?」
 
 事前に説明はされていたが、永はまだ半信半疑だった。リンの魂を受精卵に憑依させるなど、そんな冒涜的なことができてたまるかと思ってもいた。だが、詮充郎は得意げに両手を広げて大仰に言う。
 
「我が息子紘太郎にかかれば可能なのだよ!紘太郎はすぐにリンの魂を抜き、一先ず家宝の幽爪珠(ゆうそうじゅ)に格納した。それから幽爪珠から魂を卵子に移す術式を私に託して、力尽きて死んだ」
 
「お父様は、その時に亡くなっていた──」
 
 銀騎紘太郎の死の真実を知り、星弥(せいや)は絶句する。詮充郎は明確な年代を言わないが、少なくとも十六年以上は前だろう。ならば自分はどうやって生まれたのかを考えた。
 皓矢にその答えを求めたが、兄は何も言わずに星弥の手を優しく握る。詮充郎の嘆きの言葉はその間も続いていた。
 
「可哀想な紘太郎よ。お前達の争いに巻き込まれて、志半ばで逝ってしまった。よいか?ウラノス計画は紘太郎の研究なのだ!私はそれを何としても完成させなければならん!」
 
「ふざけるなよ、黙って聞いてれば図々しい!そんなのは逆恨みじゃないか!おれ達の運命にお前らが横槍をいれなければ、お前の息子は死ななかった!」
 
 永の怒りにも詮充郎はそれを上回る剣幕で叫ぶ。
 
「黙れ!全ては鵺を手に入れる、開祖以来の目的のためだ!私達親子だけじゃない、先代も先々代も、そのまた先祖──銀騎家の悲願なのだ!」
 
「勝手に人の運命を横から掻っ攫おうとするからこんなことになるんだ!絶対に許さない!」
 
 ずっと、銀騎からの横槍が邪魔だった。彼らがいなければもっと早く鵺の呪いを解明できたかもしれない。
 
 詮充郎にいたっては、その若き頃から何度も苦しめられた。永が怒りそのままをぶつけると、詮充郎は開き直るように胸を張って言った。
 
「もちろんだとも。許しを請おうとは思わない。だが、紘太郎には謝れ!お前達に翻弄された挙句に死んでいったのだから!」
 
 盲目なまでの息子への偏愛。
 それに支配されている不様な老体に、蕾生(らいお)が静かに怒りを押し殺して言う。
 
「爺さん、息子の命を弄んだのはあんたの方だろ」
 
「──何?」
 
「あんたが味わった屈辱は確かに酷いと思う。でも、生まれた子どもが力を持ってなかったら死ぬつもりだった?──息子の命をあんたは何だと思ってるんだ!」
 
「私はそれで今の地位にいる。あの時の選択を後悔などしておらん!」
 
 譲るはずもない詮充郎の物言いに、蕾生もとうとう怒りのままに怒鳴った。
 
「だからあんたはまた繰り返すんだ!孫の命をまた弄んだ!銀騎に言った言葉を俺は許さない!」
 
「蕾生くん……」
 
 星弥は蕾生を尊敬した。彼は自分が受けたことで怒っているのではない。常に誰かの為に怒り、誰かの為に戦っている。だからこそ彼は鵺の依代として選ばれたし、遂にはそれを乗り越えるに至ったのかもしれないと思った。
 
「私は息子の命を弄んでなどいない。あの子は私を救ってくれたのだ。あの子がいたから今の私がある。感謝こそすれ、弄ぶなど──」
 
 他人のために怒った蕾生の言葉に初めて動揺を見せた詮充郎は頭を抱えながらその場をうろつき出した。
 
「お祖父様……」
 
 皓矢の言葉は届かない。詮充郎のそれまで理路整然としていた言葉は乱れ始め、奥底に眠っていた己の醜い嫉妬心を曝け出す。
 
「そ、そもそも、リンの魂を抜く術も、私が紘太郎に教わった術式と呪具で出来るはずだったのだ。だが、あの子は私が止めるのも聞かずに瀕死の体をおして自ら実行した。
 結局、紘太郎は私にはできないと思っていたのだ!無力な私を見下していたのだ!だから御堂の裏切りに加担した!力のない私など邪魔だったのだ!」
 
 愛していたはずの息子に対する憎しみをも白日の下に晒す。
 
「私は紘太郎がいなければ何も為せなかった。ああ、屈辱だとも、我が子に教えを乞うて陰陽術のいろはを習うのは!幼子が習う術も私は出来なかったのだから!」
 
「それは違います、お祖父様!」
 
「こ、うや?」
 
 漸く孫の声が届いた。
 
「リンに使ったのは、父が密かに研究していた反魂の術です」
 
「な、んだと?」
 
 皓矢はその事実を出来れば語りたくなかった。それを知ってしまえば祖父は自我を保てないような気がして。
 
 けれど、知らなければ祖父はもう前に進めないかもしれない。皓矢は亡き父との禁を破る決意を固めた。
 
「その術は元々お祖父様が亡くなられた時、父の身体を使ってお祖父様が黄泉返る為に開発されました」
 
「な──」
 
「父は、お祖父様こそ銀騎になくてはならない方だと思っていたんです。だから自らの全てをお祖父様に差し出すつもりだった」
 
「何故、そんなことを……」
 
 詮充郎は空虚たる眼を剥き出しにする。心底わからないと言った顔に向かって皓矢は懇願するように叫んだ。
 
「わかりませんか?家族だからです、親だからです!父はただ貴方の役に立ちたかっただけなんです。──そう、僕にだけ残してくれた日記に(したため)めてありました」
 
「紘太郎が──まさか、そんな……」
 
「だからお祖父様、事の是非はともかく、父の真心だけは疑わないでください!」
 
 孫を通して語られた息子の心。亡き息子の姿を探すように詮充郎は宙を虚ろな目で見つめる。

 
「紘太郎……、紘太郎……ひろ──たろおォォォ」

 
 乾いた瞳から、とうに枯れたはずの涙が滴る。皺だらけの掌にはたはたと落ちる雫。詮充郎は息子を悼んで泣いた。
 
 
 慟哭だった。愛しい者はもういない。哭いても哭いても目の前にあるのは虚ろな空ばかり。
 
 何が欲しかったのだろう。哭くほどに何が欲しかったのだろう。それを示してくれる者はもう、いない。
 
 広い部屋に愛を泣き叫ぶ声だけが響いて、あまりの凄まじさに誰も動けなかった。はずだった。

  
「──もういらないわ、あなた」

  
 突然その場の誰でもない声が響いた。
 それが誰かを認識できぬまま、詮充郎の体を細く長い針が貫いた。
 
「うっ──」
 涙に濡れたまま、詮充郎はその動きを止め倒れた。
 
「お祖父様!?」
 
 星弥が詮充郎に駆け寄ると同時に、皓矢がいち早く青い鳥をその声の主へと飛ばす。
 
「佐藤!!」
 
 それをひらりと交わした後、佐藤は白衣を翻して眼鏡を外した。
 
「残念、仕留めそこねたかしら。老人の泣く姿なんて見ていられないわよ。もう結構」
 
「貴様──ッ!」
 
 怒りのままに佐藤に攻撃しようとした皓矢だったが、泣き叫ぶ星弥の声で意識を改め、詮充郎に刺さったままの針を先に破壊する。
 
「お祖父様!お祖父様!」
 
「星弥、机の電話で本家から救護を呼びなさい!」
 
「う、うん!」
 
 佐藤は詮充郎の命を第一に考える兄妹の行動を嘲笑い、纏めていた髪を振り解いて愉快そうに言う。
 
「金色の鵺、思った以上の収穫よ。これは楽しみになったわね」
 
「貴様、何者だ!」
 
 皓矢の怒鳴るような問いにも余裕を見せながら佐藤はまた笑う。
 
「さあ、どうかしら?まだ知らない方がいいんじゃない?」
 
「ふざけるな!」
 
 皓矢は凄まじいエネルギーを佐藤に飛ばした。電撃だと見てわかるような攻撃だったが、軽々と片手で弾かれた。
 
「副所長、わたくし佐藤斗羽理(とばり)は一身上の都合により本日を持って退職いたしますわ。つきましては──」
 
 言いながら佐藤はおもむろに白衣のポケットから、詮充郎が持っていた石飾りを取り出して見せた。
 
「それは──」
 
「退職金代わりに頂戴いたしますわね、ウフフ!」
 
 高らかな笑いを残して、佐藤はその場から陽炎のように消えた。
 
「待て──、くそっ!」
 
 皓矢は悔しがって床を拳で叩いた後、詮充郎の手当のために体を翻す。
 
 その場で皓矢による延命治療が始められた。
 数分の後、禰宜のような和服を着た集団が忽然と現れて詮充郎を取り囲んだ。
 
 その様子を永も蕾生も鈴心も呆然と見ていることしかできなかった。
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登場人物紹介

唯 蕾生 (ただ らいお)


15歳。高校一年生

人よりも強い力と大きな身体がコンプレックス

幼馴染の永に頼りきって生活している


英治親の郎党・雷郷(らいごう)が転生した姿


周防 永 (すおう はるか)


15歳。高校一年生

蕾生の幼馴染。UMAや都市伝説が好きなオカルトマニア


900年前の武将・英治親(はなぶさ はるちか)の転生した姿


御堂 鈴心 (みどう すずね)


13歳。高校一年生(飛び級)

銀騎研究所で蕾生達が出会った正体不明の少女

銀騎星弥の家に住んでいる。銀騎家の分家出身


英治親の郎党・リンの転生した姿


銀騎 星弥 (しらき せいや)


16歳。高校一年生

銀騎研究所所長・銀騎詮充郎の孫娘

同学年の中では目立つ存在で生徒からも教師からも信頼が厚い


銀騎 皓矢 (しらき こうや)


28歳。銀騎研究所副所長

銀騎詮充郎の孫で、陰陽師一族・銀騎家の次期当主

表向きは銀騎研究所にてバイオテクノロジーの研究を行う科学者


銀騎 詮充郎 (しらき せんじゅうろう)


74歳。銀騎研究所所長

高明な陰陽師一族の銀騎家の現当主。ただ本人に陰陽師としての能力はない

表向きは生物学博士(特にツチノコ研究)

約30年前に長らくUMAだと思われていたツチノコを発見し、その生態を研究した後、新種の生物として登録することに成功した


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