2-5 オコサマ
文字数 3,513文字
少し曇り空の日曜日。待ち合わせ時間通りに家から出てきた蕾生 に、永 は落ち込んで息を吐いた。
「えええー……」
蕾生は、一週間ずっと同じ調子の永に辟易している。さらに今日は不憫な目で見られたので自然と文句がでた。
「お前なあ、ここんとこ毎朝同じ顔してるぞ。そんな顔で迎えられる俺の身にもなってみろ」
「大丈夫?寝た?」
それでも永は不安そうな表情をやめない。
「寝たよ、大丈夫だよ」
蕾生にとっては言い飽きた台詞だ。ここ一週間は夢も見ることがなく、自分でも驚くくらいに朝起きた時の頭はすっきりしている。けれど永は疑いの眼差しで首を傾げた。
「ほんとかなあ」
「ていうか、昨日は土曜だから、いつもより寝てるからな。それに今日だって早朝ってほどじゃないだろ」
「えええっ、そんな自己管理ができる子じゃなかったのに!」
永は大袈裟に後ずさって衝撃を受けたような顔を見せたが、声が明るいのでふざけはじめたな、と蕾生は面倒くさくなった。
「もういい、行くぞ」
プイとそっぽを向いて先に歩き出す蕾生に、永は慌ててついて行った。研究所は学校と公園を越えた先にあるので、歩く景色はいつもとほぼ変わらない。ただの休日なので若干歩いている人が少なかった。
「あー、めんどくさいなー」
道中の半分を過ぎた頃、永がかったるそうにぼやく。
「え?」
正気かこいつ、と蕾生は怪訝な顔で聞き返してしまった。
「リンのことを探らなくちゃいけないのに、親戚のクソガキの話し相手させられるんでしょー」
「そのクソガキがいたから家に行けるんだろが」
「そうなんだけどさぁ……」
永は口をへの字に曲げたままため息を吐いた。
「まあ、ただ部屋で話すだけじゃ、リンのことなんか探れねえけど、どうするんだ?」
「うん……、例えばその親戚のお子様に取り入って、話を盛り上げて、研究施設見たーいって言ったら見せてくれるかなあ?」
「どうだろうな。銀騎 の雰囲気なら頼めば少しは見せてくれるか?」
蕾生は学校での銀騎 星弥 を思い返す。少し意識を向けるだけで、校内のどこでも彼女の姿を確認することができた。
休み時間は教師の手伝いをしているし、放課後になれば校内清掃をしていたり、蕾生が永に無理矢理押し付けられた監査委員会という死ぬほどつまらない会議にも出席し、一年生の議長までやっていた。
とにかく忙しなく誰かのために動いている。しかも嫌な顔もせず、常に笑顔のままで。彼女なら何を頼んでも快く受けてくれると学校の誰もが思っているようだった。
「だからさ、僕はそのクソガキじゃなくてお子様頑張って洗脳するから、ライくんは銀騎さんを頼むよ」
「ええ!?どうやって?」
永が使った物騒な言葉に蕾生は戸惑った。女子と話すこと自体がほぼ無理なのに、洗脳だなんて月まで飛べと言われる方ができそうだ。
「基本的にはいつも通りのライくんでいいよ。なんか彼女、ライくんのこと気に入ってるみたいだし」
「そんなことねえだろ」
銀騎星弥は誰にでも優しくにこやかに接する。自分だって例外ではないと蕾生自身も疑ってはいなかった。
「んもう、朴念仁はこれだからしょうがない!口下手なりに一生懸命会話してみ?多分それで結構いいセンいくと思うな」
人の観察眼にかけて、永より優れた人物に出会ったことはない。永の分析がそう言うならそうなのかもしれない、と蕾生は思い直して自分に向けられた彼女の笑顔を思い出す。
「会話、会話か……」
「頼むよー、自然でいいからね!」
「お、おう……」
ほんとかよ、ついでに揶揄ってんじゃねえだろうなと蕾生は半信半疑だった。だが自分が銀騎星弥と話すしかないのはその通りなので、蕾生はにわかに緊張が増した。
なんだかんだと話していると前回来た研究所の物々しい鉄の通用門が見えてきた。しかし、今回はあらかじめ私用邸への通路を教えられている。
通用口にいる無表情の守衛と接触することなく、少し横にそれてみると鬱蒼と繁った藪の中にレンガ敷きの細い通路があった。これは知らないと認識できないだろう。
蕾生は前回来た時、この辺りは隣の森林公園の敷地だと思っていたのでいささか驚いた。芝生もあまり手入れがされておらず、レンガの通路にまで覆い被さって生えている。歩けばサクサクと音がした。
そうして少し歩いた先に西洋風の大きな門構えが現れる。その中にはこじんまりとした石造りの洋館が建っていた。銀騎研究所がここにできてからまだ十年ほどであるのを鑑みると、この建物はわざと古い技術で建てられたようだ。
研究所の近未来を思わせる造りと、一時代遡ったようなこの邸宅にも同様の異質な雰囲気を感じて蕾生は少し身震いした。永を見ると苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、門柱に設置されたチャイムをすぐに鳴らし、その後はいつもの涼しい顔になっていた。
「いらっしゃい、唯 くん、周防 くん」
普通ならインターホンが設置してあってこの場で応答するものだが、この建物にはそれがなく、すぐに星弥が玄関から出てきて門を開けた。
「こんにちはー」
「……ウス」
永と蕾生は難なく玄関に招き入れられた。そこは少しひんやりとしていて薄暗い。靴入れや調度品、出されたスリッパに至るまで高価なものだと、一介の高校生にもわかるほどだった。
「いやあ、ほんとに研究所の敷地内にお屋敷があるんだね!この前来た時は全然わからなかったよ」
永はわざとらしく明るい声で話す。そうしてくれたことで蕾生は息がつまりそうな感覚をやっと堪えることができた。
「うん、プライベートな場所は施設内の地図に載せてないから」
「へえ、なるほど……」
「お祖父様は全然こっちには帰って来ないの。兄さんも夜遅くに寝に帰ってくるだけで。母とわたしとすずちゃんだけだと外に住むよりこっちの方が安全だろうって」
少し困ったように話す星弥は、建物の雰囲気とは逆のラフなカットソーに布製のパンツといった恰好だった。そのおかげで二人の緊張感も少し緩む。
「すずちゃん?」
めざとい永は会話の中の知らない単語をすぐに拾った。
「うん、うちで預かってる子。今連れてくるから、座って待ってて」
「女の子なんだ?」
「うん」
短く返事をした後、星弥は奥の部屋に消えていった。
入れ替わりに黒いワンピースにエプロンをつけた中年の女性が二人を応接室に案内してくれた。
「うそ、これってメイドさん?」
「だろうな」
「生メイド、初めて見た……」
小声であっても聞こえていないはずはないが、家政婦風の女性は何も言わずに二人を案内した後、お茶のポットやお菓子が乗せられたカートをその場に置くと、一礼して部屋から出ていった。
部屋の中が静まりかえる。欧風のソファに暖炉まであり、床には毛の長い絨毯が敷かれている。骨董品と美術品で整えられたその部屋は、応接室のお手本のような完璧さだった。
「ねえ、ライくん。気づいた?門に付いてるのチャイムだけで、外からの訪問者が名乗ることができなかった」
「うん?」
永の言わんとしてることがわからなくて、蕾生は首を傾げる。
「きっとわからない所に監視カメラがついてて、家人が知ってる人しか入れないんだろうね」
「ああ……?」
「なんか、隠れて住んでるみたい」
その言葉にはたっぷりの侮蔑がこめられていた。表面上はおどけて見せていても、永は敵地に来ているという緊張感を忘れていない。その様子を見て、蕾生も気を引き締めた。
「なあ、永、ここんちの親父さんって──」
「だいぶ前に亡くなってる」
「そっか……」
星弥との会話の中に一度も父親の話が出なかったので、蕾生が一応確認すると永はやはり知っていた。だがそれ以上は今の永には聞ける雰囲気ではなかった。
ふと戸棚の中に小さな写真立てがあるのが見える。銀騎 皓矢 に似た男性が少し儚げに微笑んでいた。
コンコンと応接室の扉を叩く音がして、蕾生は思考と視線を現実に戻す。星弥が遠慮がちに扉を開けて部屋に入ってきた。
「お待たせ」
そしてその後ろにもう一人分の人影が続く。小柄な少女だった。長い黒髪を左右にレースのリボンで結い、控えめにレースがあしらわれた白いブラウスにピンク色のフレアースカートを纏っている。俯きながら星弥に続いて部屋に入ってきた。
「さ、鈴心 ちゃん、ご挨拶して?」
「み、御堂 鈴心 です。きょ、今日はようこそお越しくださいまし──」
一礼の後顔を上げた少女を見て、永も蕾生も絶句した。
「──」
二人の目の前にいるのは、今最大の目的である人物。リンだった。
「えええー……」
蕾生は、一週間ずっと同じ調子の永に辟易している。さらに今日は不憫な目で見られたので自然と文句がでた。
「お前なあ、ここんとこ毎朝同じ顔してるぞ。そんな顔で迎えられる俺の身にもなってみろ」
「大丈夫?寝た?」
それでも永は不安そうな表情をやめない。
「寝たよ、大丈夫だよ」
蕾生にとっては言い飽きた台詞だ。ここ一週間は夢も見ることがなく、自分でも驚くくらいに朝起きた時の頭はすっきりしている。けれど永は疑いの眼差しで首を傾げた。
「ほんとかなあ」
「ていうか、昨日は土曜だから、いつもより寝てるからな。それに今日だって早朝ってほどじゃないだろ」
「えええっ、そんな自己管理ができる子じゃなかったのに!」
永は大袈裟に後ずさって衝撃を受けたような顔を見せたが、声が明るいのでふざけはじめたな、と蕾生は面倒くさくなった。
「もういい、行くぞ」
プイとそっぽを向いて先に歩き出す蕾生に、永は慌ててついて行った。研究所は学校と公園を越えた先にあるので、歩く景色はいつもとほぼ変わらない。ただの休日なので若干歩いている人が少なかった。
「あー、めんどくさいなー」
道中の半分を過ぎた頃、永がかったるそうにぼやく。
「え?」
正気かこいつ、と蕾生は怪訝な顔で聞き返してしまった。
「リンのことを探らなくちゃいけないのに、親戚のクソガキの話し相手させられるんでしょー」
「そのクソガキがいたから家に行けるんだろが」
「そうなんだけどさぁ……」
永は口をへの字に曲げたままため息を吐いた。
「まあ、ただ部屋で話すだけじゃ、リンのことなんか探れねえけど、どうするんだ?」
「うん……、例えばその親戚のお子様に取り入って、話を盛り上げて、研究施設見たーいって言ったら見せてくれるかなあ?」
「どうだろうな。
蕾生は学校での
休み時間は教師の手伝いをしているし、放課後になれば校内清掃をしていたり、蕾生が永に無理矢理押し付けられた監査委員会という死ぬほどつまらない会議にも出席し、一年生の議長までやっていた。
とにかく忙しなく誰かのために動いている。しかも嫌な顔もせず、常に笑顔のままで。彼女なら何を頼んでも快く受けてくれると学校の誰もが思っているようだった。
「だからさ、僕はそのクソガキじゃなくてお子様頑張って洗脳するから、ライくんは銀騎さんを頼むよ」
「ええ!?どうやって?」
永が使った物騒な言葉に蕾生は戸惑った。女子と話すこと自体がほぼ無理なのに、洗脳だなんて月まで飛べと言われる方ができそうだ。
「基本的にはいつも通りのライくんでいいよ。なんか彼女、ライくんのこと気に入ってるみたいだし」
「そんなことねえだろ」
銀騎星弥は誰にでも優しくにこやかに接する。自分だって例外ではないと蕾生自身も疑ってはいなかった。
「んもう、朴念仁はこれだからしょうがない!口下手なりに一生懸命会話してみ?多分それで結構いいセンいくと思うな」
人の観察眼にかけて、永より優れた人物に出会ったことはない。永の分析がそう言うならそうなのかもしれない、と蕾生は思い直して自分に向けられた彼女の笑顔を思い出す。
「会話、会話か……」
「頼むよー、自然でいいからね!」
「お、おう……」
ほんとかよ、ついでに揶揄ってんじゃねえだろうなと蕾生は半信半疑だった。だが自分が銀騎星弥と話すしかないのはその通りなので、蕾生はにわかに緊張が増した。
なんだかんだと話していると前回来た研究所の物々しい鉄の通用門が見えてきた。しかし、今回はあらかじめ私用邸への通路を教えられている。
通用口にいる無表情の守衛と接触することなく、少し横にそれてみると鬱蒼と繁った藪の中にレンガ敷きの細い通路があった。これは知らないと認識できないだろう。
蕾生は前回来た時、この辺りは隣の森林公園の敷地だと思っていたのでいささか驚いた。芝生もあまり手入れがされておらず、レンガの通路にまで覆い被さって生えている。歩けばサクサクと音がした。
そうして少し歩いた先に西洋風の大きな門構えが現れる。その中にはこじんまりとした石造りの洋館が建っていた。銀騎研究所がここにできてからまだ十年ほどであるのを鑑みると、この建物はわざと古い技術で建てられたようだ。
研究所の近未来を思わせる造りと、一時代遡ったようなこの邸宅にも同様の異質な雰囲気を感じて蕾生は少し身震いした。永を見ると苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、門柱に設置されたチャイムをすぐに鳴らし、その後はいつもの涼しい顔になっていた。
「いらっしゃい、
普通ならインターホンが設置してあってこの場で応答するものだが、この建物にはそれがなく、すぐに星弥が玄関から出てきて門を開けた。
「こんにちはー」
「……ウス」
永と蕾生は難なく玄関に招き入れられた。そこは少しひんやりとしていて薄暗い。靴入れや調度品、出されたスリッパに至るまで高価なものだと、一介の高校生にもわかるほどだった。
「いやあ、ほんとに研究所の敷地内にお屋敷があるんだね!この前来た時は全然わからなかったよ」
永はわざとらしく明るい声で話す。そうしてくれたことで蕾生は息がつまりそうな感覚をやっと堪えることができた。
「うん、プライベートな場所は施設内の地図に載せてないから」
「へえ、なるほど……」
「お祖父様は全然こっちには帰って来ないの。兄さんも夜遅くに寝に帰ってくるだけで。母とわたしとすずちゃんだけだと外に住むよりこっちの方が安全だろうって」
少し困ったように話す星弥は、建物の雰囲気とは逆のラフなカットソーに布製のパンツといった恰好だった。そのおかげで二人の緊張感も少し緩む。
「すずちゃん?」
めざとい永は会話の中の知らない単語をすぐに拾った。
「うん、うちで預かってる子。今連れてくるから、座って待ってて」
「女の子なんだ?」
「うん」
短く返事をした後、星弥は奥の部屋に消えていった。
入れ替わりに黒いワンピースにエプロンをつけた中年の女性が二人を応接室に案内してくれた。
「うそ、これってメイドさん?」
「だろうな」
「生メイド、初めて見た……」
小声であっても聞こえていないはずはないが、家政婦風の女性は何も言わずに二人を案内した後、お茶のポットやお菓子が乗せられたカートをその場に置くと、一礼して部屋から出ていった。
部屋の中が静まりかえる。欧風のソファに暖炉まであり、床には毛の長い絨毯が敷かれている。骨董品と美術品で整えられたその部屋は、応接室のお手本のような完璧さだった。
「ねえ、ライくん。気づいた?門に付いてるのチャイムだけで、外からの訪問者が名乗ることができなかった」
「うん?」
永の言わんとしてることがわからなくて、蕾生は首を傾げる。
「きっとわからない所に監視カメラがついてて、家人が知ってる人しか入れないんだろうね」
「ああ……?」
「なんか、隠れて住んでるみたい」
その言葉にはたっぷりの侮蔑がこめられていた。表面上はおどけて見せていても、永は敵地に来ているという緊張感を忘れていない。その様子を見て、蕾生も気を引き締めた。
「なあ、永、ここんちの親父さんって──」
「だいぶ前に亡くなってる」
「そっか……」
星弥との会話の中に一度も父親の話が出なかったので、蕾生が一応確認すると永はやはり知っていた。だがそれ以上は今の永には聞ける雰囲気ではなかった。
ふと戸棚の中に小さな写真立てがあるのが見える。
コンコンと応接室の扉を叩く音がして、蕾生は思考と視線を現実に戻す。星弥が遠慮がちに扉を開けて部屋に入ってきた。
「お待たせ」
そしてその後ろにもう一人分の人影が続く。小柄な少女だった。長い黒髪を左右にレースのリボンで結い、控えめにレースがあしらわれた白いブラウスにピンク色のフレアースカートを纏っている。俯きながら星弥に続いて部屋に入ってきた。
「さ、
「み、
一礼の後顔を上げた少女を見て、永も蕾生も絶句した。
「──」
二人の目の前にいるのは、今最大の目的である人物。リンだった。