3-3 一回目③キクレー因子
文字数 3,416文字
「特に関心があるのは、ツチノコとキクレー因子、かな。兄さんにもたまに聞くみたいなんだけど、うまくはぐらかされるって」
「キクレー因子、ね」
永 がその言葉を繰り返すとともに指で机をトントンと叩いた。何かひっかかるものがあるらしいが、蕾生 にはさっぱりわからないので素直に質問してみる。
「なんだよ、それ?」
「銀騎 詮充郎 がだいぶ前に、空想の生物だと思われてたツチノコを発見して、生体を研究し、新種の生物として登録したって話はしたよね」
「その話なら耳タコだ」
「そのツチノコだけが持ってる遺伝子の特殊な配列がある。それを銀騎詮充郎はキクレー因子と名付けた」
「へえ」
まるで初めて聞くみたいな態度の蕾生に、永は肩を落としながら言った。
「ちょっと!この前の見学会で銀騎 皓矢 が説明したでしょ?」
「そうだったか?──まあ、なんか聞いたことあるなとは思ったけど」
蕾生の反応に少し呆れつつ、それでも永は丁寧に説明した。
「うんうん、ライくんはそんなもんだろうねえ。でね、キクレー因子がツチノコの体にどんな影響を与えてるのか、他にもこれを持つ新生物がいるかも、っていうのが今の銀騎詮充郎の研究なわけ」
「その研究は進んでるのか?」
「それが進捗とかは一切公表されてないんだよねえ。ツチノコの時もそれまで何を研究してたか謎の博士がいきなり発表したから世界がビックリしたらしいよ。「銀騎詮充郎?誰?」って!」
少し大袈裟な言い方だったが、星弥 もそれに概ね賛成して話を続ける。
「そう、すずちゃんも研究がどこまで進んでるのかを知りたがってた。だからお祖父様のファンだっていう周防 くんなら何か噂とか知らないかなと思ったの」
「孫も知らないことを期待されてもねえ」
「じゃあ、周防くん自身はどう考えてるの?」
星弥が聞くと、永は少し面倒くさそうに答える。
「僕?そうだなあ、銀騎詮充郎ファンのネットワークの中では、ツチノコが何故一般公開されないのかっていう考察があるにはあるけど……」
「そういや、リアルタイムでは見たことねえな。見つかったのって三十年も前だろ?」
蕾生も記憶を探ってみる。永に見せられた当時のニュース番組などでしか覚えがないし、普段のテレビ番組でもツチノコなど見かけたことがなかった。
「うん。発見当初は標本として見せてたし、その姿はテレビでもかなり映ってたみたいだけど、それ以降はさっぱり銀騎詮充郎共々メディアから隠れてしまってるんだ」
「お祖父様ならそうなると思うな。もともとテレビとかは好きじゃないから自分が満足に発表できた後はオファーがあっても断ると思う。そういうのに出演してると研究する時間もなくなるし」
星弥の言葉に同意する形で永はさらに情報を付け足す。
「僕もその意見に賛成。銀騎詮充郎を知ってる人ならそう考えるけど、ただのファンはそうじゃない」
「と言うと?」
蕾生が続きを促すので、永は興が乗り朗々と語って見せた。
「銀騎詮充郎は元々はオカルトマニアしか知らないような研究者だったんだ。胡散臭いUMA研究者ってね。
でもツチノコの件があって、「あの人まともな博士だったんだ」っていうのが最初のオカルト界隈の感想。
オカルトファンは同時に陰謀論も大好きだからね。急にメディアに出なくなった銀騎詮充郎に対してはオカルト的、あるいは陰謀論的憶測が飛び交ってる」
「どんな?」
蕾生が興味を示しているのが嬉しいのか、永はさらにニヤリと笑いながら続けた。
「例えば、ツチノコは毒を持ってるから生物兵器に転用しようとして、さらに毒性を高めたものを繁殖させてるとか。
それには政府も絡んでいて、発表されている総個体数からすれば絶滅危惧種に指定されるべきなのに、そうせずに銀騎研究所が独占してるとか。
酷いのになると、本当はツチノコ以外にも新生物が発見されていて、銀騎研究所はUMA動物園を作ってるとか!」
「──まさか」
さすがに蕾生も一笑に付した。永もクスクス笑って答える。
「最後のはただの妄想だと思う。でもツチノコの繁殖についてはそういう論文を出したこともあるから、根も葉もない噂ってわけじゃない。
ただ、僕はそのツチノコの繁殖が上手くいってないからメディアに出ないだけだと思うね。仮に成功してたら大威張りで会見とか派手にやると思うもん、あのジジイなら。
虚栄心の塊だからさ、自分の功績は殊更大袈裟に発表したがるタチだから!」
「そうだね、否定できないのが孫としては辛いけど」
星弥も苦笑しながら永の論舌を聞いていた。祖父の悪口をこれでもかと聞いた割に、星弥は怒ってはいなかった。
「なんにしろ、胡散臭いってことだな?」
とどめに蕾生が身も蓋もない一言でまとめた。
「まあ、学術的に認められてはいるけど、非公開な部分が多過ぎるからねえ。そういう黒い噂が絶えないんだよ、銀騎研究所ってのはさ」
「でも兄さんが副所長になってから、ちょっとは世間に歩み寄ってるんだよ?企業とコラボしてドレッシング作ったり、この前の見学会だって怪しい研究所ではありませんって言う宣伝だし……」
「そういうのって逆に後ろ暗いことを隠蔽したいからに見えるけどね」
「むー」
星弥が入れたフォローを永が一蹴すると、今度は少し不機嫌になって永を睨んだ。
「おっとごめん。君はジイさんの悪口は聞き逃すのに、アニキの悪口は我慢できないんだね?」
永が揶揄い口調でそう言うと、星弥は不貞腐れながらブツブツと言う。
「う……、だってわたしお祖父様には可愛がられてないから」
「ふーん、なんとなく君を通しただけでも銀騎一族の関係性がわかるね。今日はそれだけでも収穫があったかも」
「それはようございました!」
星弥がプイとそっぽを向くと同時に、永は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろおいとましよっか、ライくん」
「いいのか?鈴心 は結局来なかったけど」
「もう夕方だし、女の子の家に長居は禁物。来週も来てもいいでしょ?」
永は有無を言わさない雰囲気で星弥に確認をとる。
「もちろん」
「じゃあ、今日はいろいろアリガト」
そうして今日は鈴心の顔を見ることもできないまま、屋敷を去ることになった。蕾生は肝心の鈴心と接触できなかったので少し消化不良な思いだった。
来週は会うことができるのだろうか。来週がだめならその次は?そんな想像をしていると、だんだんと鈴心に対して腹が立ってくる。
玄関を出たところで、永が空を仰ぎ後ろを向いて何かを見ていた。
「──」
「あっ、すず──」
つられて蕾生も同じ方向を見ると、二階の出窓、そのカーテンの奥からこちらを覗く鈴心の姿が見えた。蕾生は思わず大きな声で呼びかけようとしたが、永に無言で制された。
そうしてにっこり笑って鈴心に永は手を振る。
鈴心は慌ててカーテンを閉めてしまった。
「──帰ろ」
「いいのか?」
「うん、顔が見れたから」
満足気に薄く笑って永は屋敷を後にする。その健気な態度に蕾生は胸が締めつけられる思いだった。
「……」
永が遠ざかった後、鈴心は暗い部屋の中で大きく息を吐く。
「来なくて良かったの?」
「──星弥!ノックぐらいしてください!」
あまり隙を見せない鈴心だが、星弥の存在に心底驚いたようで珍しく声を張った。
「ごめんね、ちょうど二人が帰ったから窓からでも見送ったらどうかと思って急いできたから」
「……」
「でもそれには及ばなかったね」
星弥が笑いかけると、鈴心は罰が悪そうに両手を後ろで組んでボソリと言った。
「今日は何の話をしたんですか」
「えへへー、内緒!」
「…………」
鈴心は得意の猛禽類睨みをきかせるが、何度もやっているので星弥にはあまり効き目がない。
「知りたかったら降りておいでよ、来週も来るから」
「まだ来ると?」
「すずちゃんが降りてくるまで諦めないと思うよ。あ、来週はお部屋の前で三人で踊ろうか?」
言いながらコミカルな動きで星弥は鈴心を挑発する。だが鈴心も頑なな態度を崩さなかった。
「そんなことしたら絶対開けませんから」
拒絶しているように見えて鈴心の言葉には微な希望が読み取れる。きっと意識してのことではないのだろう。その小さな小さな穴を穿つことができるか、彼らのお手並みを拝見しようと星弥はまた来週を心待ちにするのだった。
「キクレー因子、ね」
「なんだよ、それ?」
「
「その話なら耳タコだ」
「そのツチノコだけが持ってる遺伝子の特殊な配列がある。それを銀騎詮充郎はキクレー因子と名付けた」
「へえ」
まるで初めて聞くみたいな態度の蕾生に、永は肩を落としながら言った。
「ちょっと!この前の見学会で
「そうだったか?──まあ、なんか聞いたことあるなとは思ったけど」
蕾生の反応に少し呆れつつ、それでも永は丁寧に説明した。
「うんうん、ライくんはそんなもんだろうねえ。でね、キクレー因子がツチノコの体にどんな影響を与えてるのか、他にもこれを持つ新生物がいるかも、っていうのが今の銀騎詮充郎の研究なわけ」
「その研究は進んでるのか?」
「それが進捗とかは一切公表されてないんだよねえ。ツチノコの時もそれまで何を研究してたか謎の博士がいきなり発表したから世界がビックリしたらしいよ。「銀騎詮充郎?誰?」って!」
少し大袈裟な言い方だったが、
「そう、すずちゃんも研究がどこまで進んでるのかを知りたがってた。だからお祖父様のファンだっていう
「孫も知らないことを期待されてもねえ」
「じゃあ、周防くん自身はどう考えてるの?」
星弥が聞くと、永は少し面倒くさそうに答える。
「僕?そうだなあ、銀騎詮充郎ファンのネットワークの中では、ツチノコが何故一般公開されないのかっていう考察があるにはあるけど……」
「そういや、リアルタイムでは見たことねえな。見つかったのって三十年も前だろ?」
蕾生も記憶を探ってみる。永に見せられた当時のニュース番組などでしか覚えがないし、普段のテレビ番組でもツチノコなど見かけたことがなかった。
「うん。発見当初は標本として見せてたし、その姿はテレビでもかなり映ってたみたいだけど、それ以降はさっぱり銀騎詮充郎共々メディアから隠れてしまってるんだ」
「お祖父様ならそうなると思うな。もともとテレビとかは好きじゃないから自分が満足に発表できた後はオファーがあっても断ると思う。そういうのに出演してると研究する時間もなくなるし」
星弥の言葉に同意する形で永はさらに情報を付け足す。
「僕もその意見に賛成。銀騎詮充郎を知ってる人ならそう考えるけど、ただのファンはそうじゃない」
「と言うと?」
蕾生が続きを促すので、永は興が乗り朗々と語って見せた。
「銀騎詮充郎は元々はオカルトマニアしか知らないような研究者だったんだ。胡散臭いUMA研究者ってね。
でもツチノコの件があって、「あの人まともな博士だったんだ」っていうのが最初のオカルト界隈の感想。
オカルトファンは同時に陰謀論も大好きだからね。急にメディアに出なくなった銀騎詮充郎に対してはオカルト的、あるいは陰謀論的憶測が飛び交ってる」
「どんな?」
蕾生が興味を示しているのが嬉しいのか、永はさらにニヤリと笑いながら続けた。
「例えば、ツチノコは毒を持ってるから生物兵器に転用しようとして、さらに毒性を高めたものを繁殖させてるとか。
それには政府も絡んでいて、発表されている総個体数からすれば絶滅危惧種に指定されるべきなのに、そうせずに銀騎研究所が独占してるとか。
酷いのになると、本当はツチノコ以外にも新生物が発見されていて、銀騎研究所はUMA動物園を作ってるとか!」
「──まさか」
さすがに蕾生も一笑に付した。永もクスクス笑って答える。
「最後のはただの妄想だと思う。でもツチノコの繁殖についてはそういう論文を出したこともあるから、根も葉もない噂ってわけじゃない。
ただ、僕はそのツチノコの繁殖が上手くいってないからメディアに出ないだけだと思うね。仮に成功してたら大威張りで会見とか派手にやると思うもん、あのジジイなら。
虚栄心の塊だからさ、自分の功績は殊更大袈裟に発表したがるタチだから!」
「そうだね、否定できないのが孫としては辛いけど」
星弥も苦笑しながら永の論舌を聞いていた。祖父の悪口をこれでもかと聞いた割に、星弥は怒ってはいなかった。
「なんにしろ、胡散臭いってことだな?」
とどめに蕾生が身も蓋もない一言でまとめた。
「まあ、学術的に認められてはいるけど、非公開な部分が多過ぎるからねえ。そういう黒い噂が絶えないんだよ、銀騎研究所ってのはさ」
「でも兄さんが副所長になってから、ちょっとは世間に歩み寄ってるんだよ?企業とコラボしてドレッシング作ったり、この前の見学会だって怪しい研究所ではありませんって言う宣伝だし……」
「そういうのって逆に後ろ暗いことを隠蔽したいからに見えるけどね」
「むー」
星弥が入れたフォローを永が一蹴すると、今度は少し不機嫌になって永を睨んだ。
「おっとごめん。君はジイさんの悪口は聞き逃すのに、アニキの悪口は我慢できないんだね?」
永が揶揄い口調でそう言うと、星弥は不貞腐れながらブツブツと言う。
「う……、だってわたしお祖父様には可愛がられてないから」
「ふーん、なんとなく君を通しただけでも銀騎一族の関係性がわかるね。今日はそれだけでも収穫があったかも」
「それはようございました!」
星弥がプイとそっぽを向くと同時に、永は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろおいとましよっか、ライくん」
「いいのか?
「もう夕方だし、女の子の家に長居は禁物。来週も来てもいいでしょ?」
永は有無を言わさない雰囲気で星弥に確認をとる。
「もちろん」
「じゃあ、今日はいろいろアリガト」
そうして今日は鈴心の顔を見ることもできないまま、屋敷を去ることになった。蕾生は肝心の鈴心と接触できなかったので少し消化不良な思いだった。
来週は会うことができるのだろうか。来週がだめならその次は?そんな想像をしていると、だんだんと鈴心に対して腹が立ってくる。
玄関を出たところで、永が空を仰ぎ後ろを向いて何かを見ていた。
「──」
「あっ、すず──」
つられて蕾生も同じ方向を見ると、二階の出窓、そのカーテンの奥からこちらを覗く鈴心の姿が見えた。蕾生は思わず大きな声で呼びかけようとしたが、永に無言で制された。
そうしてにっこり笑って鈴心に永は手を振る。
鈴心は慌ててカーテンを閉めてしまった。
「──帰ろ」
「いいのか?」
「うん、顔が見れたから」
満足気に薄く笑って永は屋敷を後にする。その健気な態度に蕾生は胸が締めつけられる思いだった。
「……」
永が遠ざかった後、鈴心は暗い部屋の中で大きく息を吐く。
「来なくて良かったの?」
「──星弥!ノックぐらいしてください!」
あまり隙を見せない鈴心だが、星弥の存在に心底驚いたようで珍しく声を張った。
「ごめんね、ちょうど二人が帰ったから窓からでも見送ったらどうかと思って急いできたから」
「……」
「でもそれには及ばなかったね」
星弥が笑いかけると、鈴心は罰が悪そうに両手を後ろで組んでボソリと言った。
「今日は何の話をしたんですか」
「えへへー、内緒!」
「…………」
鈴心は得意の猛禽類睨みをきかせるが、何度もやっているので星弥にはあまり効き目がない。
「知りたかったら降りておいでよ、来週も来るから」
「まだ来ると?」
「すずちゃんが降りてくるまで諦めないと思うよ。あ、来週はお部屋の前で三人で踊ろうか?」
言いながらコミカルな動きで星弥は鈴心を挑発する。だが鈴心も頑なな態度を崩さなかった。
「そんなことしたら絶対開けませんから」
拒絶しているように見えて鈴心の言葉には微な希望が読み取れる。きっと意識してのことではないのだろう。その小さな小さな穴を穿つことができるか、彼らのお手並みを拝見しようと星弥はまた来週を心待ちにするのだった。