第36話 彼岸西風 - 菜虫化蝶(なむしちょうとなる)

文字数 428文字

 橋の真ん中で、婆さまがじっと川を見つめておられる。どうなされたのであろうか。
 長兵衛は足を早め向かおうとするが、腰にくくりつけていた手拭いがふらり、落ちてしもうた。身をかがめ、拾おうとすると思いがけぬ風に(さら)われ。
 おっと、焦ってはならぬ、ここいらを踏み荒らさぬように。
 二度ほどつかまえ損ね、三度目にようやっと追い付く。手拭いを軽くはたいてくくりなおし、婆さまのところへ辿り着く。
 長兵衛さん、蝶々のようでしたわ。穏やかに澄んだ目で、婆さまはふっふっ、と笑われる。
 土筆が出ておりましたもので。長兵衛は頭を掻く。

 婆さまは川へと目を戻される。彼岸西風(ひがんにし)が渡ったら、ぼたもちをこさえようと思っちょります。
 音もなく川面に波が立つ。歩いているものがあるかのように。
 遅れて、長兵衛の手拭いと、婆さまのほつれ毛が泳ぐ。

 また寄ってごしなさい。早やに来んと、仏壇の爺さまに食べられてしまいますで。
 橋を下る婆さまの頭上を、雲が千切れ流れてゆく。

<了・連作短編続く>
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