第17話 冬木の桜 <小寒> 

文字数 670文字

 夕べのうちに水に浸しておいた餅を取り出し、炙る。ぷうと膨らんで、ぷす、とへこむ。おもてには、ちと固いところが残るけれども、よう伸びる。
 うちにある分を食らいつくしそうだ。金兵衛はふっと笑うて、餅を頬張る二人の男を見遣る。そう、(わし)もこのくらいの時分には、胃の腑にはきりがなかったのう。金兵衛の腹はとうにくちく、茶を啜るにとどめている。
 銀兵衛と長兵衛は金兵衛の弟子にして店子であり、なんやかやと用事を言いつけたり、仮借なく鍛えてやったりは日常茶飯事である。その傍ら、ささやかな食道楽に付き合わせるもまた、度々と。共に飲んだり食うたりする顔のあることは、大層ありがたいものだ。

 
 腹ごしらえを終えた三人は屋敷を出立して、川に沿って歩く。一つ目の橋を越え、二つ目の橋まで来ると、そのたもとから舟にのって、ずっとずっとくだってゆく。
 土手に並ぶ桜の木にはもう一枚とて葉がない。とりどりの色をみせたさくらもみじはどこへ行ってしもうたのか。けれどもその立ち姿からは、内にしまわれている花のいのちが、ありありと感じられる。
 

 初仕事を終えた頃にはもう、十五夜の月が出ている。
 それに負けぬ光を放つ青星がある。
 幸先が良いのう。そうよ金兵衛、枯れたりと言えど儂の中にはまだ、眠っておるものがある。これをもうひとはな、ぱあっと咲かせたさまを銀兵衛と長兵衛に見せてやらねばならぬ。あのふたりは若木のように滋養を吸うて、いずれ大木として根をはることであろう。
 どこからか遠吠えが空へ抜けてゆく。
 天狼(てんろう)にございましょうや、と長兵衛の声がした。

<了・連作短篇続く>
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