第1話 凩 <立冬>

文字数 818文字

 ここのところ、落ち葉がぐっと増えたように長兵衛は思うのである。桜はもみじに変わり、歩を進めると、かさ、かさ、ざわわ。膝の裏から腰へ(せな)へと伝わる小さな震えは、うつろうてゆく時の声か。
 日なたはぬくいが、ひとたび陰に入れば冷んやりとした()に気づく。
 大家の金兵衛の屋敷はもうすぐだ。

 よい岩魚(いわな)が手に入ったそうな。
 勝手口から出てきた銀兵衛が長兵衛を見つけ、挨拶もそこそこに顔をほころばせながら告げる。
 金兵衛は下ごしらえに余念がないらしい。一番弟子の銀兵衛は、その手伝いをしていたものとみえる。
 長兵衛も頬をゆるませ、頼まれて買うてきた酒と一緒に勝手口へ向かう。

 囲炉裏におこった火が心地よい。魚がじり、じり、じゅうと音をたてる。いつものことながら、金兵衛のめしは旨い。腕は確かな、男やもめである。
 これは旅の折に宿場でいただいたところが、大層気に入ったたものだから自分でちょいと試してみたのだよ。そう言って供されたのはとろろ汁で、これはたまらぬ、何杯あっても足らぬ。
 そのさまを、金兵衛は目を細めて見ている。

 日が落ちると風がしみる。
 庭木が揺れてこすれ、くるくると地を舞っていく葉の音が次第に大きくなってくる。
 風が、強うなりましたな。そろそろ、(こがらし)がやってまいりましょう、と銀兵衛。
 凩は、山から降りてきて、いずこへ向かうのでござりましょうな。長兵衛はふと口にして、そのあと黙り込む。
 どこにも、行くところがないのではないか。吹きわたって、そのまま流れて消えていくのか。ならばなぜ、そこから出てきたのだ。なんのために。
 

 今宵は呑み明かそうぞ。泊まっていけ。
 金兵衛の声に、はっと長兵衛は我にかえる。立ち上がって次の酒をとりにゆき、勝手口の戸を開けてみる。
 群青の空に宵の明星。そう、儂は、あそこから出てきたのだ。
 誰にも聞こえぬよう、長兵衛は呟く。いや、金兵衛さんには何もかもお見通しなのやもしれぬけれども。
 
 

<了・連作短編続く>
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