第31話 佐保姫 - 霞始靆(かすみはじめてたなびく)

文字数 411文字

 畑の果てに並ぶ山々は、すぐそこにあるようでいて遠く、丘のようでいて高い。このような薄曇りの日には、黒がかった緑のいでたちでこんもりと固まっている。
 中腹には桜が三本ほどあるが、花が咲かぬことにはどこやら見分けがつかぬ。川べりに並ぶものとはまた趣が異なって、遠くにある幻のようである。
 風がはやい。
 山のてっぺんがあらわれたり、消えたりする。
 ふうわり白い衣が、山々を遊ぶ。ひらりひらりと裾、ゆらりゆらりと袖がひるがえってはあちらで枝に触れ、こちらで土を撫ぜて。眠りから覚めるよう知らせて回っているのであろう。つと、薄い色がよぎる。(とき)が翔んだか、それとも山桜か。
 心を踊らせたも束の間、暗い緑に戻ってゆく。
 山の奥深くまで分けいったなら、衣のきれはしなど見つかるであろうか。いや遠くからこそ、おほかたの姿が感じられるのかもしれぬ。

 春の舞は見飽きることがない。
 かれこれ四半刻(しはんとき)、長兵衛は心奪われておる。

<了・連作短編続く>
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