第8話 常世草 - 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)

文字数 414文字

 一滴の水も出ぬほど雑巾を絞ると、目に沿って畳を拭く。
 支度がはかどって、助かるぞ。久兵衛(きゅうべえ)に礼を言われ、滅相もございませんと長兵衛は手をとめることなくこたえる。お相伴にあずかり、かたじけのうございます。
 長兵衛の大家である金兵衛と、久兵衛は幼馴染。住まいも近く、男やもめ同士、度々酌み交わしておる。小宴の準備に駆り出されるは、むしろ愉しみである。

 終いに庭へ回り、落ち葉などを掃いて整える。
 (だいだい)色の夕陽に、鴉が数羽吸い込まれるように戻ってゆく。
 みゃあ、と声がする。久兵衛が、かつぶしを混ぜた猫まんまを持ってあらわれた。
 かかあは、これが好きであったのよ。
 え、と聞き返す間もなく、おおい、参ったぞ、と金兵衛のこえが響く。あがられよ、待ちかねたぞ。

 お内儀が好まれたものとは、と、長兵衛は思う。
 夕暮れの色であったろうか。
 通うてくる猫のほうか。
 いや、あそこに実る橘の、少し色づきはじめたあたりやもしれぬ。

<了・連作短編続く>
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