第15話 除夜 - 麋角解(さわしかつのおつる)

文字数 431文字

 囲炉裏でこんがりと炙った葱が、(つゆ)の中へ放たれた。大家の金兵衛、御自慢の晦日(みそか)蕎麦がふるまわれる。 
 一番弟子の銀兵衛が、息を吸い込む。たまらぬ香りにございますな。 
 男たちは笑い、蕎麦を啜り、酒を酌み交わす。 
 金兵衛の幼馴染、久兵衛(きゅうべえ)が、あらたまって頭を下げる。今年も世話になった。礼を言うぞ、金兵衛。 
 こちらこそ、久兵衛、お主のお陰様よ。ともに息災に過ごそうぞ。 

 ごおん。 
 宴の余韻の中、長兵衛は目を閉じる。 
 鐘の音が大小のつぶとなりからだの中へ染み込んで、さまざまなことが思い出される。鮭は川をのぼり、鳥は羽ばたき、谷には渦がうなる。大きな枝が落つる、と聞こえたあれは大鹿の角で。そう、あの角でこしらえた撞木(しゅもく)で、祭りの摺鉦(すりがね)を叩いたのであったな。  
 こんちき、こんちき、 
 ごおん。 
 想い蘇った音どもが幾重にも交わりあう。 
 今宵を走り抜ける風も、遠くの梟も、豊潤な調べに加わって、 
 ごおん。 
 しじまに、長兵衛は身を委ねる。

<了・連作短編続く>
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