第37話

文字数 3,805文字

14:【教会】

 一週間が過ぎた。平九郎が惨殺に関わっていたという疑惑が晴れ、また真犯人も明らかになり――人ではなく犬だったわけだが――区域内には新たな日常が戻りつつあった。飼育小屋の工事が完了し、大きさは変わらないがこれまでに比べずいぶん立派になったそこへ、近日中には追加の鶏と兎が入れられる予定だった。それらは居住区Bと、Cの両区域から運ばれてくるという。
 喪章はまだ少年たちの胸にあった。しかし平九郎についての噂は、ほぼなくなっていた。問題児であった彼を見かけることのない棟内での生活に、多くの少年が慣れていくようだった。
 島に訪れる本格的な冬の寒さまでには、まだ間があるというが、朝夕、あるいは太陽が出てきてくれない日はかなり冷え込んだ。霜が降りて、路の土が固くなった。葉を落とし、裸になった樹々は見るからに寒そうだったが、風に吹かれても雨に打たれても、梢をしならせ、赤茶けた山肌に、動じることなくいつまでも根を下ろしていた。
 寒さが増すにつれて、しかし青空はより綺麗に広がった。夜空はより鮮明に観察できるようになった。
 晴れた日中、霜が溶けて土が柔らかくなるとき、背中が温かくなるとき、令は陽光のありがたみと偉大さを実感する。
 その日、昼食を終え、労働のため少年たちが外へ出ると、早朝からの雲は頭上にかかったままだった。風は弱いが、単純に気温が低く、寒い。何もせず立っていると、囚人服の隙間を通して冷気が入ってくる。
 だがそんなことより、令は久しぶりの偶然に寒さも忘れて身体の芯を熱くさせ、列に自分を紛れ込ませていた。そして前方の視線の先から、片時も目を離せずにいた。
 そこに景明が並んでいたのだった。令は、自分の作業は昨日から引き続いて農作業だったが、担当場所が今日から変わって、その新しい列に加わった少年たちの中に景明がいた。
 景明と令は、近ごろでも、互いを見つければ視線を絡め、無言のメッセージを送り合う秘密の行為を、これまでどおり繰り返していた。そのたび、話したい、そばに行きたいという思いは令の内に募った。しかし労働場所はなかなかかぶらず、入浴日が重なることもなく、2ヵ月前の浴場掃除から、面と向かって話ができていない。
 どうしよう……と令は、期待と興奮と緊張と不安、すべてを一緒くたにした生唾をごくりと飲み、早くも波打ち始めていた心臓の音を意識した。いっそ列が動き出す前の今のうちに、ここから出て、景明の真後ろへ割り込もうかという大胆なアイディアが彼の中をよぎったが、目立つし、教官に気づかれたら叱られるだけなので、冷静に考え直して諦めた。
 歩き始めてから、彼は次に、このあと監督教官から指示があるだろうと彼の予想するところの、本日の作業内容を考えた。今月は主には肥料作りや土作りが中心で、だから作業する畑が同じなら、そばで働きながら会話をしていても教官の監視の目には留まらないだろう。現地へ着いたら大抵、列が乱れるから、そのときを狙ってなるべくすぐに景明の近くへ移動して、最低でも彼の姿がこちらの視界に入るくらいの作業位置に、初めから自分が割り振られるようにしておこう……。
 そんなことを思い連ねながら歩くうち、道沿いに教会が見えてきた。いつもだと、つい関心を投げかけてしまう鐘楼(しょうろう)の鐘が、このときもつり下がっていたが、令は今日、そちらを一瞥しただけで視線を足もとへ戻し、また考え始めた。だが教会がいよいよ近づいて、その鐘楼を、ぐっと見上げなくては鐘に目が届かないあたりまで来たとき、急に列が進まなくなった。令は気づかず前の少年にぶつかりそうになり、びっくりして足を止め、顔を上げた。
 前方をうかがうと、列の先頭にいた教官が立ち止まり、だれかと話していた。そのだれかというのが、ほかならぬ神父の月小路であると分かり、会話の相手が欲しくなったのか、ちょうど振り返った自分の前の少年と、令は顔を見合わせた。月小路は以前に見た際と同じ形の黒服で、両手を後ろで組み、時折、少年たちの列を指したり教会のほうを示したりしながら、表情は笑顔だった。
 何だろう……? 少年たちが小声に言い交わしていると、月小路は教官とともに、道をこちらへ向かって歩いてきたので令はまた驚いた。ふたりはどんどん近づいてくるのだが、教官のほうが、列の少年たちを、歩きながらひとりひとり指で数えるような仕草をしている。
 ふたりはついに令のところまで来ると、なんとそこでぴたりと歩を止めた。月小路は令を見て、にこりと笑った。そして腕を伸ばすと、
 「では、この子までで」
 と言いながら、令の肩をぽんぽん叩いた。間近に見る神父は想像より大柄で、ぬうっと背が高く、おまけにその長身の体躯を首から下まですっかり覆い隠している黒装束も妙なので、令は驚きを超えてほとんど怯えてしまい、叩かれた肩をすくませた。だが神父は令の反応を敏感に察知したようで、愛想よく言った。
 「よしよし、怖がらなくていい、きみ。少し、きみたちの力を借りたいだけなんだ」
 と令の肩をひと撫でした。大きな手だった。
 するとそばにいた教官が、胸もとから細い筒状のマイクを取り出した。そして電源が入るか確認をして、口もとへ持ってゆくなり、
 「全員、注目……全員、注目……」
 と、列に向かってしゃべり始めた。
 「月小路様からのご依頼により、きみたちの半分には、予定していた農作業に代わり、これより本日、教会堂の清掃を担当してもらうことになった。本日は教会の清掃日に当たっていないが、月小路様たってのご希望だ、心してかかるよう。なお担当するその半分だが、現在、私が立っている地点より、向かって右側にいる者とする……。左側の者は、このまま俺のあとについてこい。残りは月小路様のお話に従え……いいな。以上だ」
 マイクのスイッチが切れたとき、神父が令へ言った。
 「つまり、きみが半分の境目というわけだ。それで、きみには教会のほうをやってもらおうと思うんだが、どうかな」
 「はい……」
 「よろしい」
 令は、まさか断れるはずがないので、反射的に了承のうなずきを返したわけだが、そうしておいて正解だったと、列が半分に分かれてからたちまち胸をなで下ろした。つまり、列の先頭から令までの少年が教会の担当となり、彼よりあとの少年たちが、予定どおり農作業をすることになったのだった。そうなると、彼が最後に教会の組に滑り込めたのは、景明もそちらの組に入っているのだから、これは令にとって間一髪のところであり、また非常な幸運だったとも言える。
 教会の扉はあけ放たれていた。月小路は半分の人数になった少年たちの先頭に立ち、彼らを従え、扉へ向け歩き始めた。
 区域内において、日ごろ清掃のときを除いては少年たちは足を運ばない教会で、特別な目的用途もなく、その点では北の山の神社と同じだった。しかし神社と違い、その来歴はある程度、少年たちに知らされている。というのはかつて、ずっと昔に島流しになり、居住区A、Bと過ごし、Cへ出たとある高名な人物が、Cで築き上げた多額の資産の一部を投入し、未来の後輩のため、建てさせたというのがこの教会であるらしい。
 無機質にそびえ立つ居住棟群と、その周囲に広がるノスタルジアをはらんだ自然の風景に交じり、まるでそれは見知らぬ森に迷い込み棲みついてしまった巨大な飾り物のように、ある種、異様な存在感を放っていた。令には、教会と初めから聞いていたから教会だと認識できるものの、そうでなかったら、遠い外地のどこかの金持ちの居城に見えた。洋風の煉瓦造りで、クラシックなアーチ形の窓は大小さまざまに並び、窓枠は太く、色を変えて主張をし、しかし浴場の雰囲気とはまた違う。それより荘厳で、背筋のきゅっと引き締まる静謐な感じがした。頂点へ向かうほど細長くなっていく尖塔が、灯りのともされたいくつもの蝋燭のように建っている。正面中央のてっぺんに、小さな十字架が付いている。
 ここは神に祈るための場所だという。祈り、赦しを請い、そして心に安寧と平穏を得るための場所だという。しかし同じ区域内に神社があって、そちらには名前は知らないがとにかく神様が祀られていて、にもかかわらずこちらでも神に祈りを捧げられるというのは神と祈りの重複にならないかと、令は不思議に思うことがある。
 月小路の倍はあるだろうかという高い扉をくぐり、中へ入れば、そこは区域内とは隔絶された別世界の様相だった。清掃という現実的な目的を理由に幾度来ても、少年たちの挙動を緊張させる畏敬の涼しさが、壁から天井から、あらゆる角度から漂い流れていた。
 月小路は、彼から指導を受けた経験を持たずに戸惑う少年たちばかり率いて、奥行きのある聖堂を、祭壇へ向かって悠々と進んでいった。令は列の最後尾だったので、入ったとき、扉を閉めるかどうか、そこをくぐった数歩のあいだに悩みあぐね、閉めなかったので、扉はあいたままだった。
 月小路は祭壇の前まで行かず、通路の中心ほどで止まると、振り返り、左右に並ぶ木製の長椅子を示し、隣を詰めて着席するよう少年たちへ言った。ただちに清掃を開始するわけでは、どうもないらしい。全員が椅子に収まったのを見届けると、神父は満足げにひとつ大きく首肯し、
 「きみたち、本日はどうもありがとう……」
 とまず声を反響させた。
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