第26話

文字数 4,786文字

11:【殺生と万李夢】

 北の山が秋らしくまばらに色づいてくると、区域内の季節の移ろいは、体感だけでなく視覚で十分、分かるようになってきた。日ごと夜が長く、深くなっていくようでもあった。労働を終えたころ、三度の鐘が鳴り響いたあとではあたりはすでに夕闇に包まれ、足もとが不便だったりする。すると最後の授業が始まるころには、外はもう暗い宵の口だった。
 時折、野外にいるあいだ、突風が吹きつけてくると、それは涼しくていい匂いがして、乾いた樹々の葉をざわざわと揺らした。11月になると、そういえばと思い出したかのごとく気温が下がり始めて、朝晩など、ぐっと冷え込むようにもなった。
 秋といえば、追伸島では栗と柿だという。何度か夕食に栗ご飯が出されて、多くの少年たちは喜んだ。栗きんとんが出てきたときも話題になったが、令は外地では食わず嫌いをしていたのに、島では残せないので食べてみたところ、あまりにおいしかったので驚いた。それは栗なのに梨の皮みたいな色をしていて、菓子のように甘く、ねっとりとしていた。
 寛二は柿が好きだから、夏のときより、ほくほくしていた。彼は柿の味が好きというだけなく、柿そのものが好きで、それらが木になっているようす、つるされて干されているようす、色、つや、等々、とにかく柿はよろしいと自身の語彙力を総動員して力説するが、共感者は多くない。
 どうしてそんなに好きなのかと令が尋ねると、寛二は笑って答えた。なんでも、ずっと前に死んだ彼の母親が、柿を好んだのだという。
 長袖の上衣が、ちょうど心地よく感じられる気候だった。夏はあれほど暑く、邪魔な袖口だったのに、このごろになると、それをまくる必要がなくなった。快晴の日にも、そうでない日にも、空気が冷たく乾燥しているので過ごしやすい。労働のあいだ、照りつける日差しにやられて、倒れる心配もなくなった。
 月のなかごろに、二日続けて雨が降った。それがやむと、澄み渡った青空が広がって、また少し、涼しさが増したようだった。
 気持ちまで晴れやかになる好天で、その日は何事もなく過ぎた。しかしあくる日の朝になって、常にない騒ぎが持ち上がった。
 朝食が終わるころだった。湊が足早に食堂へ入ってきたかと思うと、マイクを近づけ全員の前で言った。
 「えー、皆さん……おはようございます。食事の途中ですが少々よろしいですか……耳を貸してください……」
 令は残っていたコップの水を流し込み、何の連絡だろうと思って、前方を注視した。寝ぼけまなこに、なかなか食べ終わらず、まだ口を動かしている少年も少なくなかった。
 事前の連絡もなく食堂へ湊が現れるからには、それなりの理由があることを意味していた。
 湊は、卓についていた全員の目が自身へ向けられたのを確認すると、ひとつ咳払いをして、言った。
 「臨時の連絡事項があります。本日早朝、本区域内の飼育小屋にて、皆さんの世話によって飼われていた鶏および兎の大半が、死んでいるのが発見されました」
 かすかなどよめきが室内に広がった。
 「静かに、皆さん」
 湊は注目をうながし、続けた。
 「発見したのは本棟の調理人の方のひとりです。皆さんの朝食の準備のため、早くから出勤してくださっていたところ、小屋のあたりで異臭を感じたとのことです。
 報告を受け、私はまだ現場を確認していませんが、ほぼすべての鶏、兎が死んでいるとのことでした。死骸を見る限り、自然死ではありません。何者かによって、故意に惨殺されたものとみられます。まるで食い散らかされたあとのような状態だったそうですので……事態の詳細な把握のため、現在、小屋内は立ち入り禁止としてあります。今週の飼育小屋の清掃は、本棟の担当ではありませんが、それとは関係なく、しばらくのあいだ小屋の清掃は全棟一致で行わないことが決定されました。その旨取り急ぎ、皆さんにもお伝えしておきます。授業は通常どおり行います。騒ぎは無用です。本件につきましては、変更または進展があり次第、追って連絡しますので、よろしくお願いします……」
 少年たちは各々の席から、近くへ座っている者同士、不安げに顔を見合わせた。明らかに動揺している少年もいれば、興味がないのか特別、表情の変わらない少年もいたが、大半は当惑の色をその目に宿していた。令は隣にいた広和に囁いた。
 「こういうこと、初めて?」
 広和は小さくうなずき、令の耳もとで言った。
 「たぶんな。俺の知る限りでは」
 「結構いたよね、あそこ。鶏も兎も」
 「いた。ほぼ皆殺しって、どういう……」
 湊がマイク越しに咳払いをしたので、広和は言葉を切った。
 区域内の飼育小屋には、鶏と兎が、壁をへだてて別々の部屋に放されていた。飼育小屋があるのは居住区Aのみで、居住区Bになるとこれが家畜小屋に替わる。そちらでは鶏舎のほか、豚や牛といった家畜類が、独立した建物の中に飼われているという。
 小屋と言いつつ、飼育小屋はそれなりの広さがあった。鶏と兎、合わせて数十羽はいたはずで、そのため毎日の管理にも気を遣うよう、各棟の教官は常に少年たちへ指導していた。管理は棟群ごとの交代制で、餌やりに水やり、糞の片づけ、小屋内の清掃、健康状態のチェック等、少年たちはこれらの作業を通じて「命の大切さ」、あるいは「自分よりも力のない生き物を育てること」について学んでいく仕組みだった。
 その非力な、小さな生命たちが、何者かの手によって傷つけられたということになる。
 湊は少年たちへ静粛を求め、そこかしこで始まりかけていた囁き合いを制した。
 「死骸は処分されていますが、発見当時の現場の状況と、それに伴う我々の現時点での見解について、簡単に触れておきましょう。朝からあまり気持ちのよい話題ではありませんが、やむをえません、事実とは異なる憶測が飛び交うと厄介ですので……」
 と前置きをして、彼は淡々と説明した。
 発見者の調理人、また彼の知らせによって駆けつけた教官数名によると、小屋内には至るところ血しぶきがあり、あたりに転がる死骸のほか、切られたり、むしられたりした羽毛が散乱していたという。
 小屋へ入るための扉は、鶏がいる部屋と兎がいる部屋、それぞれに付いているが、そのうち鶏舎側の出入り口の扉が壊れていた。鍵穴への細工があったとか、扉の一部が切り取られていたとか、そういう手の込んだ工作の跡はみられず、力業による単純な破壊と思われる。
 また、空間をふたつに区切っていた壁だが、これは天井まで届くものではなく衝立のようなもので、鶏舎側から大きくひしゃげ、踏み倒されていた。衝立が壊されたことにより、中にいた兎の何羽かは鶏舎側へ逃げ、そちらのほうで殺され、息絶えたとみられる。出入り口の扉は木戸であり、また仕切りの衝立は金網で、どちらも経年劣化による耐久性の低下は否めない代物であったため、破壊しようと思えば十分、可能であっただろう。
 少なくとも小屋の周囲に、目立った足跡はなかった。これはそのあたりの地面が細かい砂利を含んだ硬い土だったのと、二日のあいだ降り続いていた雨が昨日未明には上がり、その日は一日中、風があり、空気も乾燥気味であったために、足跡が多く残らなかったものとみられる。また残っていたとしても、昨日の朝から夜にかけて少年たちが行き来していた跡に重なるか、紛れるかして、見えなくなっている場合も考えられる。
 侵入者の数は不明。人間であるか動物であるかも不明。ただし死骸はどれも、何か鋭利なもので切り裂かれたり、刺されたり引っ掻かれたり、喉笛を食い破られたりしていた。今後、小屋の内部とその周辺を始め、破壊された木戸や金網をよく調べれば、さらに詳しい手がかりが得られると思われる。しかし何分、発見されてさほど時が経っていないのと、教官一同、本件に関する対応や、本日行う予定である授業の準備等々、種々の仕事に追われており、実行には至っていない。
 「なぜこのような事案が起きたのか、目的は不明です。侵入者の正体についても、本居住区の内部の者か、居住区BあるいはCからやってきた外部の者か……単独なのか複数なのか……侵入の詳細な時刻……と、その手段……目撃者の有無……当時、何か物音を聞きつけていた者がいたのか、いなかったのか……先ほども申し上げましたとおり、まだほとんど何も分かっていません。ですから、そういった状況でやみくもに物事を疑い始めますと、終わりがありません……たとえば実行者が内部の者であった場合、どうなりますか、皆さん?」
 少年たちの表情がこわばった。湊は泰然として継いだ。
 「当然、疑わしきは本居住区に日々暮らしている皆さん、あなた方と、そして我々教官一同、または本居住区へ日常、出入りをなさっている特定のCの方々、ということになります。あるいは北の山にも、猪や熊といった野生動物は生息していますから、それらが深夜になって山から下りてきた、という可能性も一概には否定できません。そう、たとえば熊など、今は冬眠前の時期ですからね……ですから、分からないのです。皆さんか、我々か、我々ではない大人の方か、動物のたぐいか……あるいは人間と動物の共同作業であったのか……断定はできません。そのため皆さんには、事実を事実として冷静に受け入れ、このような状況が発生したからといって動じることなく、日課に励んでいただきたいと思います、よろしいですね……」
 ここで湊は時計をちらと見、ほかの教官たちへ目配せをしたあと、ふたたびマイクを近づけた。
 「えー、そろそろ朝食の終了時刻ですから、長くはお話しません。最後に二点、お伝えします。
 まず一点目。こういった次第ですから、皆さん、しばらくは警戒を十分にしてください。我々も最大の配慮をしますが、全員に目が行き届かない瞬間はどうしてもあります。今回は飼育小屋のみで済みましたが、不明点が多い以上、また別の場所が……あるいは『人間が』狙われる可能性も、無きにしもあらずです……。
 よろしいでしょうか。私は、いたずらに皆さんの不安を煽るつもりはありません。私が言いたいのは、死んだのがたかだか、鶏や兎だったからといって、安心したりせず、さまざまな事態を常に念頭に置いたうえで行動してください、ということです……。
 二点目。こちらは補足のようなものですが、念のため。
 えー、皆さん……私を始め、本棟……第1棟から第5棟までを任されている担当教官一同、このたびの事案について、まさか我々の監督下にある皆さんが関与しているなどとは、まったく、露ほども思っていません。これは全棟において、同様の状況なのですが……そもそも皆さんは、夜間……こと深夜に至っては居住部屋から出ることを許されておらず、また各室の施錠も徹底されているはずですから……ええ、皆さんには……ですが念のため、お聞きしておこうと思います。
 では皆さん。皆さんの中に、どなたか、本件に関して何らかの心当たりがある……あるいは何かを知っているという方……いらっしゃいますか? いるのであれば挙手をお願いします」
 湊はマイクを離し、少年たちを見つめた。水を打ったような静けさが室内を満たした。
 手を上げる少年はいなかった。だが多くの視線は方々をさまよって、互いをうかがい見ていた。
 動物の殺生は、規則違反だった。許可を得た特例のほかは、絶対禁止とされている。それが皆で管理する飼育小屋の生き物の惨殺ともなれば、非常に重大な、考えるだけで恐ろしい違反に当たることは、この場に座る少年たちのだれもが理解していた。
 しばしの沈黙を経て、湊は言った。
 「分かりました。私からは以上です」
 慌ただしく、場は解散となった。少年たちは急かされて席を立ち、食堂をあとにした。
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