第21話

文字数 3,034文字

 心とは裏腹に、明るい日差しの降りそそぐ午後だった。ぽっかりと丸い大小の雲が、気まぐれに、そして陽気に浮かんでいた。そのことが逆に令を悲しくさせたが、彼の決意は変わらなかった。
 労働場所へ到着するまで、令は颯平を視界に入れず、彼の姿を列に探そうともしなかった。それはもちろん、ふたたび目が合って彼ににらまれるのが怖かったからだし、あるいはもし次にそうされたら、今度は発作的に、自分までもが彼をにらみ返してしまいそうで、その可能性を恐れたからでもあった。
 さらに令には、確信があった。つまり、もしも自分が颯平をにらんでしまったら、彼との関係を修復する見込みは絶対的に薄くなり、それはどこまでも手の届かないもの、実現しがたいものになってしまうということだった。
 北の山裾の一角が、今日の作業場所だった。神社の清掃日に当たっていたので、そのための列が階段を上っていくのが遠目に見えた。
 農耕については、月が替わって作業内容が増えた。監督教官らが言うには、いわゆる繁忙期のひとつに当たるらしい。だから、労働中は忙しい。夏のあいだに植えていた作物の手入れと片づけ、秋冬に向けた新たな野菜の種まき、それに伴う害虫対策や除草や土壌改良……あまり大変な場合は、本格的な農機具が居住区Cのどこかから持ち込まれて、手慣れた教官がそれらを使って一気に作業を進めるときもある。だが、その機会に恵まれるのはほんの時折のことだった。たとえ能率が悪くとも、彼ら大人は少年たちを、是が非でも重労働に課しておきたいらしい。
 持ち場が割り振られる前になって、令は初めて颯平を目で探した。揃いの格好から特定の知り合いを探し出すことにかけては鍛錬が積まれているので、すぐ見つかった。見つけるなり彼は比較的、颯平に近いところまで移動し、彼のやや後方に立った。そうすることで、彼と同じ持ち場にわざと割り振られようとしたのだった。思惑どおり、彼と共通の畑が担当になった。その畑の一面を見て、令は考えた。
 「始め!」と号令がかかり、少年たちは山裾に散らばった。颯平は令に気がついたようだったが、令は彼のほうを見ず、さっさとあぜ道を進んだ。
 最初の小一時間を、令はとても真面目に、よく働いた。彼は汗を流し、わき目もふらず作業に没頭するふりをして、しかし颯平の姿は常に視界の隅に据えるよう努めていた。颯平は畑の手前側からこちらへ向かって、順番に大根の種をまいていた。
 令は畑の奥で、ひとり地道に、新しい畝を作っていた。このごろでは耕具をふるうにも、その扱いぶりが板についたようになってきて、もうだれの助言を請わずとも、うまく畝を立てられるようになっている。
 背後には、下旬ごろの刈り取りを控えた稲田が広がっていた。つい数週間前には青々としていたのが、だいぶ色づいて、稲穂も垂れ始めている。今でも十分、実っているように令は思うが、周りの声を聞く限り収穫にはまだ早いらしい。穂は、もう少し待つと、さらに重たげに垂れてくるのだという。
 その稲田のさらに向こうに、川が流れていた。川の向こうには雑木林のように木々が茂っていて、それより先は山だった。令は、稲田を抜けたところにあるその川が、今、自分と颯平のいる地点では、稲田よりもいくらか低い位置を流れていることを知っていた。だから、小さな土手のようになっているその川のそばであれば、高低差と背の伸びた稲とが障壁になって、ほかの少年たちや監督教官の目からのがれられることを知っていた。
 畝を作りながら、令はタイミングを計っていた。颯平の種まきが進んで、彼が畑の手前から奥へ、自分のいるところまでやってくるのを、自らの作業を調整しながら辛抱強く待った。
 颯平は、自分の進む先に令がいることにはとうに気づいているだろうに、まるで気づいていないふうに働いていた。彼は顔を上げず、黙々と種をまいては、大儀そうに土をかぶせている。
 ようやく、自分とはひと畝を挟んだのみの地点に颯平が来たとき、令は素早く動いた。迷いも、恐れもなかった。彼は持っていた耕具をその場に横たえるなり、力任せに颯平の腕をつかんだ。
 「しゃがんで」
 令は囁き、彼の腕をそのとおり引き、自分も腰を落とした。突然のことに驚いたのか、あるいは令の行動があまり予想外のものだったか、颯平はおとなしく従った。だが、その目には激しい動揺がありありと浮かんでいた。
 顎で稲田のほうを示し、令は言った。
 「川で話そ。いいって言うまで放さない。早くしないと先生に見つかるよ」
 半ば脅しつけるように、彼は腕をつかむ手に力を加えた。颯平はちらと後ろを確認し、だれもこちらを注視していないことを知ると、ぼそりと答えた。
 「分かったよ」
 ふたりは中腰のまま、あたりをうかがいつつ、急いで稲田を通り抜けた。
 無論、彼らの行為は一種の賭けだった。教官や、教官への告げ口が得意な少年に見とがめられる危険性は大いにあった。しかしこうでもしなければ、少なくとも令からすれば、ただ待っているだけでは一対一で真剣な話をする機会はなかなか訪れない。
 斜面と言うよりは段差に近いような短い斜面を下り、柔らかな草と土に覆われた川沿いで、令と颯平は至近距離に向き合って腰を下ろした。立っていては目立つからだった。
 何の整備もなされていない天然の小川で、幅は狭く、それはふたりがほんの少し手を伸ばせば水面に触れられるほど近かった。山と稲田とのあいだにある死角で、ごくわずかな間隙だった。水は澄んでいて、意外と流れがあり、冷たそうだった。
 早速といったふうに、颯平が小声に詰め寄った。
 「なんでこんなことするの? なに考えてるの? 見つかったらどうするの?」
 令は真顔に答えた。
 「だったら、俺が教室で話しかけたら、話してくれたの? くれなかったでしょ? だったら、こうするしかないじゃん。今朝だって俺をにらんだくせに」
 「知らないよ」
 「知らないわけない」
 「ちょっと、放してよ。手、痛い」
 「颯平。最近どうしたの? なんか変だよ、なんで俺たちを……俺を避けるの?」
 「別に避けてない」
 「避けてるよ」
 「避けてない」
 「避けてるよ。嘘つかないで、絶対に避けてる。絶対怒ってる。どうして? なんで怒ってるの?」
 「そんなこと……本気で言ってるの? そんなことも分からないの?」
 「分からないよ。全然分からないから聞いてるんだよ。見つかるのが怖いなら早く答えて。どうして俺に怒ってるの? 納涼祭で何か……」
 そのときだった。「納涼祭」という一語を聞いたとたん、颯平は令の手を邪険にはねのけた。そして、汚いものでも見るかのように令を見た。
 令はうろたえた。彼は、颯平の両眼が鋭い怒りに燃えているのを、確かに見て、口をつぐんだ。
 ふたりは目を逸らし、沈黙した。軽快な川のせせらぎが、すぐ隣に聞こえていた。
 うつむき、どこか分からない一点を凝視していた颯平は、やおら放心したように言った。
 「なんなの、あれ。なんだったの」
 令は困惑し、
 「なにって? なにが?」
 「僕、見たんだけど。あのとき」
 「なにを見たの。いつ?」
 「だから、納涼祭で。なんなの、あれ。なんだったの」
 「颯平、なに? なんのこと言ってるの? 全然分かんない。ちゃんと話して」
 「だから」
 颯平は顔を上げた。そして虚ろな声で言った。
 「12棟のそばで、きみたち四人が隠れてやってたこと。あれ、なんだったの」
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