第28話

文字数 4,252文字

 労働へ向かうとき、飼育小屋を見ていけたらと令はちらと思った。立ち入り禁止ということなので、いやそうでなくても当番ではない場合、近づいたとしても中へは入れない。それでも、どうなっているのかようすが気になった。紐かテープか、小屋の周りに張り巡らされているのだろうか。見張りの教官が立っているのだろうか。居住区Cから、警備隊か、だれか応援が呼ばれているのだろうか……。
 しかし、そばは通っていけなかった。今日の労働も、令は変わらず農作業で、また担当場所も北のほうだったので小屋までの道のりからは外れていた。気になっているのは自分だけではないだろうし、あとでだれかに訊こう、と彼は思った。
 空には薄雲が広がり始めていた。そこから、幾筋かの鉄色の矢のような光線が差していた。
 風は弱かった。
 開始後、最初の小一時間で、大根や人参、葱など、当てがわれた畑から収穫できるものを各自で一気に収穫した。並行して、時期を過ぎたものはすっきり片づける。それから、そろそろ霜が降りたときに備えた対策をしなくてはならないというので、防寒の準備、加えて葉物の間引きや、肥料の追加、そして植え替えのための土作りを含め、冬へ向けたさまざまな作業を手分けして進めていく。月が替わって以降、今月は何かと取れごろの野菜が多く、令にはそれがうれしかった。もちろん、収穫物の出来は良いに越したことはない。しかし、たとえば引き抜いた大根が少々柔らかくても、人参にヒビが入っていても彼は満足できた。見た目が悪いものも、食べてみればまったく問題ない、味わい深くておいしいと学んだからだった。
 同じ畑に、禄太がいた。令は彼とほかの少年たちと一緒に、撤収作業を終えたあとの畝を耕していた。
 作業とは関係のない話を小声に取り交わす少年が、今日は多く見られた。内容はほとんど例の事件のことだった。センセーショナルな内容ではあった。それで、やはり気になってしまうのか、彼らは手を動かしながらも、監督教官が別の畑へ行ってしまうと、どうしても、目の前のことに身が入らないときがあるようだった。令も禄太もそうだった。
 しばらく経って、畑の隅のほうで、令が身をかがめて土を交ぜていると、背後に声をかけられた。
 「どうも」
 振り返ると、立ってこちらを見下ろしていたのは万李夢だった。隣の一面の担当だったらしい。
 「万李夢。えっと……どうも……」
 万李夢から話しかけてきたのは初めてだったので、令は若干、意外に思った。
 万李夢は人差し指の関節で、眼鏡をくっと押し上げた。
 「え、そんな驚く?」
 「いや、驚いてないよ。けど、いきなりだったから」
 「きみ、今日ここなんだ。担当」
 「うん」
 「今日は、隠れて喧嘩とかしないでよ。せめて、僕と場所がかぶってないときにして」
 「分かってるよ。あのときはほんと、ありがと」
 「あ、ちなみに今日、景明の担当はもっと東だよ」
 「あ、話したの?」
 「少しね。帰ったら言っとこうか? きみとかぶったって」
 「言ってどうするの」
 「さあ、知らないけど」
 「そういえば景明、ショック受けてた? 事件のこと」
 「今朝の話? いや、別に。普通だったよ」
 「そっか」
 「令はショックなわけ?」
 「え? うーん……どうだろ? 分かんない」
 「そこはショックって言っといたほうがいいよ」
 「万李夢は?」
 「僕は全然。ふうんって感じ」
 「なんだ」
 令が苦笑すると、万李夢は真顔に、その場にしゃがんだ。令を見つけて、話そうとして畑をここまでやってきたのか、この地点に用があったついでだったのか、微妙なところだった。だが彼のそばに何かすべきことがあるふうには見えなかったので、令はなんとなく、前者のほうではないかと思った。
 万李夢には、令は颯平との一件があって以来、一度自分から話しかけていた。先月末のことだったが、昼食へ向かう途中の混雑で、令はたまたま景明のクラスの列が、後ろから、自身の列の隣へと押し出されてきたことに気づいた。そのとき、万李夢がすぐそばまで来て止まったので、令は彼の腕をつついて囁きかけ、直接あの件についての感謝を伝えたのだった。万李夢は私語を慎むべきときに話しかけられて、一見、迷惑そうにしていた。だが皮肉を交えながらにもきちんと取り合ってくれたので、令のほうでは、彼とさらに打ち解けたような感覚を、勝手に得ていたわけだった。
 万李夢は、落ちていた黒いビニールシートの欠片をつまみ上げた。今日まで畝に張られていたものだったのだが、収穫の際、だれか爪でも引っかけて破いてしまったらしい。だが本来であればこれを取り払うとき、むやみに破くと教官にひどく怒られる。
 その教官だが、近くに姿は見えなかった。つい先ほどまでこのあたりを監視していたはずなので、今はほかの畑を見回りに行っているのだろう。
 手を止め、令は尋ねた。
 「そっちのクラスでも、みんな、今朝の話ばっかだった?」
 万李夢はシートを指でもてあそびながら、答えた。
 「まあね」
 彼はシートを指に巻きつけ、外し、また巻きつけ、視線をそこへ留めたまま黙った。その目は確かにシートに向けられていたが、まるで別のものを見ているようだった。
 「万李夢……?」
 令がうかがうと、彼は唐突に言った。
 「あのさ。きみはこの島って、なんで存在してるんだと思う?」
 令はあっけにとられて彼を見つめた。しかし万李夢はシートをいじくりながら、いたって真面目な調子でまた尋ねた。
 「どうやってこの島ができたか、とかそういう話じゃないよ。じゃなくて、どうしてここが、ただの島じゃなくて監獄社会島になったのかって話。考えたことない?」
 「え、えっと……うん……ない。ないと思うけど」
 「ふうん。まあ、そうだよね」
 「でも言われてみると、なんでだろう? って思ったよ。なんか当たり前すぎてさ、考えたことなかったけど……万李夢は、なんでだと思うの」
 「さあ、知らないよ。僕だって分かんないから、訊いたわけだし。ていうかそんな根本的なこと、普通だれも考えないでしょ。……けど……」
 彼は無表情になり、継いだ。
 「外地で、破綻した人間を生かしておくのが、馬鹿らしくなったのかもね。そのために政府が金を使うのが、もったいなくなったっていうかさ。破綻した人間は気持ち悪いし、危険だし、近寄りたくない。若いうちに破綻した人間は、将来また破綻するかもしれないし、そもそもが破綻してるんだから、たぶんする。
 そういう奴に、破綻してない正常な人間と同じところにいられたら、いろいろ大変でしょ。厄介だし邪魔だったんだよ。だけど、破綻したから早々に死刑にするってのも、それにはそれで金がかかって、簡単にはできないらしいからね。
 だから、こういう島ができたんじゃないの。破綻者は、破綻者だけで好きにやってください。外地で生きていないでください、ってさ。外地の監獄に入れて高い金使って養うのも、あとから死刑にするのも基本、もったいない。ようは面倒になったんじゃないの?」
 「万李夢。……そんなすごいこと、考えてたの?」
 「いやいや、別にすごくないでしょ。令だって、考えてみれば思いついたよ」
 「ううん、すごいよ。俺、こういう島があるって聞かされて、自分が流されるって決まったときも、ここに来てからも、そんなこと、ずっと考えてもみなかったよ」
 「僕だって、いつもこんなことばっかり考えてるわけじゃないよ。今日はなんか、たまたま……食堂であの話聞いたら、急になんか、考えてみたくなったっていうか」
 「万李夢、やっぱりちょっとはショックだったんじゃない? 殺されて」
 「いや、違うよ。僕はほんと、正直、あの鶏とか兎には全然、興味なかったし。愛着? とか、そういうのもなかったし。どうでもいいよ。僕、思うけどさ、湊先生もたぶんそうだよ」
 「え、湊先生が? なんで……?」
 令は首をかしげた。作業はすっかり中断していたが、彼は今や、万李夢から片時も目を離せずにいた。
 万李夢はあぜ道のほうを見やり、教官がまだ来ていないことを確認すると、さらに令のほうへ近づいた。顔を寄せ、声を低めた。
 「だってあの人、朝、話してたとき、『死んだのがたかだか、鶏や兎だったからといって』……って言ってたでしょ。きみは覚えてないかもしれないけど」
 「そうだっけ」
 「そうだよ。あれさ、『たかだか』って表現、僕すごい共感したんだよね。それであの人ってさ、昔、ここに流される前、外地で動物虐待してたって話でしょ。知ってる? 棒で叩いて殺してたって話」
 ピンと来るものがあり、令はこくこくとうなずいた。
 「うん、それなら知ってる。覚えてる。ここへ来た最初のとき、湊先生、そんなこと言ってた気がする」
 「でしょ。だからさ、あの人、今は教官だし主任だし、大人だから、今朝の話とかも、なんかものすごい大変な事件が起きた、みたいにしゃべってたけど、本音は違ったんじゃないかな。ほんとうは内心、くだらないとか……どうでもいい、たかが動物の命だろって、思ってるんじゃないかな。だからあのとき、『たかだか』って、つい口に出ちゃったんじゃないかな。僕はすごい、そんな気がしたんだよね……うん。かなり高確率で、当たってる気がするけど……」
 万李夢は口を閉じると、令のまなざしを眉間のあたりに浴びながら、指のシートを引っ張った。伸縮性があるのですぐには切れず、黒いビニールは薄く伸びた。
 万李夢は立ち上がろうとしなかった。だから令も黙っていた。彼の話はこれで終わりではない、きっとまだ言いたいことがあるのだと令は予感し、そしてそれを強く期待してもいた。
 万李夢は目を伏せ気味にしていた。令の沈黙をどうとらえたのか、少し経って言った。
 「なんか、分かるんだよね。自分がやってたからさ。動物虐待」
 そのとき、引っ張られていたシートが裂けた。
 万李夢は興のそがれた顔をした。
 「聞きたくないよね、こんな話。聞いたってしょうがない」
 「ううん、そんなことない。聞きたい。俺は聞きたいよ、万李夢……」
 「犬なんだよ。犬。……犬……雌の子犬。母親が飼ってたやつでさ。やたら目がでかいの」
 「うん」
 「僕さ、死ぬほど嫌いだったんだよね。その犬が。だったらどうして僕はあいつを殺さなかったのかって、今でも若干、思ってる」
 万李夢はうっとうしげに、手の甲で眼鏡を押し上げた。
 レンズの端がよごれて、曇ったようになった。
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