第46話 花火の約束

文字数 2,277文字

「病院はどこって言ったっけ? 孝太くんのお見舞い行くんでしょ。一緒に行こうよ」
 授業が終わって、風花はそうミオに尋ねた。
「うちは行かないよ。高校選手権の大会前だから、かるた会に行って練習するから忙しいの。ちょとした疲れだから、どうせ寝とけば治るしね。市民病院だからバスがあるよ。風花、行ってくれば?」
 ミオはさっさと机周りの片付けをして、リュックを片方の肩にかけた。
「あっ、そうだ。早く治して帰ってこないと、プール開きが終わっちゃうぞって言っておいて」
 それだけ言い残して、ミオは教室を出て行った。

 なんか、兄妹みたいなもんって言ってたくせに、冷たいもんだな。風花はバスに揺られながら、そんなことを考えた。

 ミオから言われた市民病院は小高い丘の上にあって、路線バスは病院の目の前に止まった。
 思っていたより大きな病院だった。軽い疲れならこんな大きな病院ではなく、小さな個人病院でもよかったはずだ。風花の心に少し不安がよぎった。

 聞いていた病室を探してそっと病室のドアを開けると、窓際に点滴に繋がれた孝太の姿があり、その脇にミオの母親がいた。
 病室は4人部屋で結構広いが、どうやら今はこの部屋に入院患者は孝太だけのようだ。言うなれば広い個室を借りてるようなもので、何気に贅沢だ。
 
「あら、風花ちゃん」
 先にミオの母親が風花に気づいた。風花は大声を出すのもはばかられてペコリと頭を下げた。
「ここに座り。うちはもう帰るとこだから」ミオの母は立ち上がって風花を手招きする。「じゃあね、孝太。しっかり治してから帰るんよ」
「うん」
 案外と元気そうな声で孝太が返事をした。

「あれ、風花ちゃんは一人? ミオはこなかったの?」
 帰ろうとしたミオの母に聞かれ、風花は小さくかぶりを振った。
「なんか、かるた会の練習で忙しいからって」
「なんだ。じゃあ一人か。そうだ。ここにはどのくらいいる?」
「そんなに長くは——」
「じゃあ、うちはおばあちゃんとこに寄ってくるから、帰りはうちの車に乗せてってあげるわ」
「おばあちゃん?」
「そうよ。うちのおばあちゃんも入院してるのよね。終わったらまたここに来るから、帰らずに待ってて」
 それだけ言うと、ミオの母親は病室を出て行った。

「オス」
 今更かしこまった挨拶をするのもなんだか照れくさい。小さくそれだけ言うと、ベッドの傍らにある丸い椅子に座った。
「わざわざこなくてよかったのに」
 孝太は点滴で元気になったのか、顔色は思いのほかよかった。
「大丈夫なの? こんな大きな病院にいるからびっくりしちゃった」
「日曜日の大会の後に、すごくぐったりしてるように見えたらしくて、顧問の先生が救急車まで呼んじゃったんだよ。日曜だったから救急はここしかなくて」
「なんだ。総合病院に入院って聞いたから、なんか隠れた病気でもあるのかって思って驚いちゃった」
 孝太の腕に繋がれた点滴のビニールチューブを指で摘んでみる。テッテッと落ちる点滴が一瞬止まるのが何気に面白くて摘んだり離したり。
「こら、わしを殺しに来たんか」と孝太が笑った。
 いつも風花にだけは〈僕〉という孝太が初めて言う〈わし〉に、ちょっと萌える。
「退院はいつ?」
「明日には大丈夫と思うよ」
 思っていたよりずっと顔色もいいし、本当に退院できそうな感じだ。
「あっ、そうだ。あさってはプール開きだから、退院しなかったら孝太君抜きでやるってさ」
 風花がまた点滴のチューブをギュッとつまむ。
「水泳部のわしを差し置いて? っていうか、風花ちゃんは絶対わしを退院さす気がないだろ」
 孝太が半身を起こして、チューブをつまんでいる風花の指先の隙間に自分の爪の先を差し込んできて、つまんだ風花の指がツンと解かれた。
「ふふっ、バレた? だって友達の入院のお見舞いなんて滅多にできないからさあ、もうちょっと入院しててよ。今度ここ来た時は病院内を探検したいし」
「それって、もう絶対に見舞いが目的じゃないだろ」
 顔を見合わせて、声を押し殺してクックックと二人で笑った。

「この夏は忙しいよ。入院やらプール開きやらあるし」
 孝太が空中をクロールで泳ぎ始めた。
 ——ガタン
 点滴台がチューブに引っ張られて倒れかけ、あわてて手でつかんだ。
「そういえば尾道は夏に花火大会があるんでしょ?」
「うん。夏休みに入った来月の末か8月に入ってすぐに毎年やるよ。県内で一番大きな花火大会なんだ。今年はいつだったっけ」
「へえ、じゃあ楽しみだな。私、花火大会って初めて」
「港の方で上がるから、毎年ミオと行ってるんだ。今年は風花ちゃんも一緒に3人で行こうよ。それこそすぐ近くで観れるから、すっげえ迫力なんだ」
「じゃあ、夜だけど行っていいか、おばあちゃんに聞いとく」

 やがてミオの母が迎えに来て、風花は小柴呉服店とボディに書かれた車の助手席に乗って病院をあとにした。
 1年で一番昼間が長い季節で、外はまだまだ明るい。車は坂を下って尾道の市街地へ向かった。風花の家は車の入れない山肌にあるので、いつも学校に行くバス停の近くで降ろしてもらうことにした。

「ねえ、風花ちゃん。風花ちゃんのお母さんって、たまには尾道には帰ってきてるの?」
 降り際に、ふっとそう聞かれた。
「えっと、確か私が生まれた年に帰ったっきりだって言ってましたけど。あっ、でも今年はおじいちゃんの——17回忌? それがあるから、帰ってこいっておばあちゃんから言われたって」
「へえ、あっ、そうなんだ」
 ミオの母は、ちょっと何かを言いたいような顔をしたが、結局「じゃ、おやすみ」とだけ言って車を出したのだった。
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