第42話 フェードアウト

文字数 2,195文字

 ベッドで体をようやく起こして、孝太は風花がお見舞いに持ってきたアイスモナカを美味しそうに食べた。たぶん熱のせいだろう、耳は真っ赤だ。
「うめえ」
 よっぽど美味しかったのか、孝太はアイスをすごい勢いで食べて、最後は指まで舐めている。
 立っているのも居場所がないので、風花はベッドから少し離れて座った。
「熱、まだ下がりそうにない?」
 そう聞くと孝太は小さく頷いた。

 お見舞いにきたのはいいが、何を話せばいいんだろう。風花は今まで孝太とはこうやってプライベートで話をしたことがないのだ。
「なんで」
 ずっと黙ってるのも気まずい。思い切って朝からずっと思っていることを聞いて見ることにした。
「何?」
 アイスを食べ終わって、いったん横になった孝太がまた体を起こした。
「あっ、起きなくていいよ。無理しないでそのまま寝てて」
 風花は素早く腰を浮かして孝太に近寄り、孝太の片方の肩に手を添え、そっと寝かしてまた元の場所に戻って座った。
「なんで——なんであんな無茶したの? 大雨だったじゃん」
 孝太は何か喋ろうとして口を動かしたが、よく聞こえない。
「ごめん、今は喋れないよね。私が一方的に喋るから、孝太君は黙って聞いてて。いい?」
 うん。そう頷いた。
「私、孝太君のおかげでちゃんと朝のトレーニングができてるから、鈍ってた体をまた作り直せたって、ずっとそう思ってて。かるたをがんばれたのもそう。……だから、孝太君にはいつか恩返しがしたいってずっと思ってる」
 どう話せばいいのか、迷っている。でも、伝えたい。
「なんで。なんであのとき、私にはプール掃除を手伝ってって言ってくれなかったの? ミオちゃんには言ったのに、私には——私には言ってくれなかった。しかも別の日にすればいいのに、あんな雨の中で、一人で無茶して熱出して……」話しているうちに思ってたことが込み上げてきて、涙が落ちそうなのをグッと堪えた。「私たち、友達じゃないの?」
 残った体力を全て使い切ったような勢いで、孝太がガバッと上半身を起こした。
「……」
 孝太の声がかすれて聞こえない。
 風花はすぐに立ち上がった。
「だから、起きなくていいってば! 喋んなくていいってば! 私が一人で腹立てて、一人で喋ってるだけなんだから、孝太君はちゃんと寝てて! ちゃんと治して!」言いたいことを言いたいだけ言いながら、風花は孝太の両肩に手を添えてベッドに押さえ込んだ。「バカ——」
 そのまま顔を上げずに孝太の右胸におでこを押し当てた。感情が昂って、涙がこぼれそうで顔を見られたくなかったのだ。

 そのときガタガタっと窓が開く音がすると同時に「孝太、アイス買っ……て……き——」とミオの声が聞こえた。
 風花が反射的に顔を上げると、窓枠に左足をかけたまま、目を見開き口をポカンと開けて固まっていたミオと視線が合った。
「あっ、ごめん。おじゃま虫……」
 ミオはささやくように小声でそう言うと、いま開けたばかりの窓を閉めながら窓の向こうへ静かに消えていった。

 そのときになって、孝太の顔がすぐ目の前にあることにハッと気がついて、風花は弾けるように孝太から離れた。
「あっ、ご、ごめん」
 顔がカッと火照るようだった。孝太が半身を起こして驚いた顔で風花を見つめていた。
 ——やばい。ミオにきっと誤解されてる。私たちが抱き合ってるように見られたかもしれない。
 大慌てであちこちに脛をぶつけながら立ち上がり、いまミオが消えた窓に手をかけてもう一度開けると、さらにその向こうにあるミオの部屋の窓もすでに閉まっていた。風花はその窓に手をかけて開こうとしたが、すでに鍵をかけてしまったらしい。窓はピクリとも動かなかった。
「ミオ、違うから! 今のは違うから! 誤解だから開けて! ちゃんと説明するからお願い、開けて!」
 風花は右手で何度も窓を叩きながら叫んだ。だが、さっきまでいたはずのミオの部屋からは、それっきり何も返事は返ってこなかった。

「孝太君、は、早くよくなってね。じゃあ」
 唖然としている孝太にそれだけ言うと、風花は部屋を飛び出して階段を一気に下り、挨拶もそこそこに大河内写真館から隣の小柴呉服店のドアを開けた。
「あら、風花ちゃん。慌ててどしたん」
「おばさん、ミオは」
「今からかるた会に行ってくるって、なんか急いで出てったけど?」
「わかりました!」
 言うが早いか風花は店を後に全力でミオを追いかけた。

 ミオの通うかるた会は、尾道駅の向こうにある。だから、たぶんバス停だ。
 小降りになった雨の中を、風花は濡れることも気にしないでミオが通ったはずの道を追いかけた。
 少し先を子犬のワンポイントの入った赤い傘が歩いている。
「ミオ!」
 きっと、ミオは怒っている。だって孝太君はミオの大事な——
 ミオが振り向いた。
「ミオ、あれは違うの。誤解だから……」
 風花は必死に説明を試みた。その言葉を遮るようにミオが言う。
「いやあ、さすがに友達のラブシーンを目の前で見たら、やっぱ照れるわ。ああいうことをするときはさ、ちゃんと窓とドアには鍵をかけた方がいいよ」
 ミオはそれだけ言うと、「ほれ」と手にした「かるさわ」の袋からアイスモナカを取り出して渡した。
「溶け始めてるから、早く食べて。それとさ」
 ミオは顔を寄せ、小声で「まだ顔が赤いよ」とささやく。そしてフフフと笑いながら、もう一個のアイスをミオは頬張った。
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