【Ⅹ】ある絶望の世界にて燃し消す

文字数 14,115文字

 こうしてイベントを終え、物資移動や、村長への様々な報告のために僕らはエスポワル村へ戻る。そんな帰り道。
 カナリーも一角竜に乗りたいというので二体目を貸したクロリス。一緒に乗ろうと誘われたシェリザだが、自分で空を飛んでいた。二体目は荷物もあるので一人しか乗れない判断だろうか。
 カナリーも始めは落ちそうになっていて、背後でシェリザが受け止める構えをしていた。しかし次第に慣れてきたようで、今は一角竜に揺られながら歌を歌い、危険な割に退屈だった移動時間を盛り上げてくれた。
 僕と共に竜に乗るクロリスは、目が合うと何故か目を逸らすようになったかもしれない、偶然かもしれない。逸らされた顔から見えた小さな傷。大した事無さそうだけど、妙に気になった。
「そういえば、村の不穏な噂っていうのはどうだったの」
「集団で行動する虫の魔物がいたってだけ。今は平和だと思うよ」
「なるほど、その傷はその時。もしかして、クロリスが退治したり?」
「あれれ、バレた。アタシが割と戦えるって知らなかったと思うんだけどなー?」
 それは知らなかったけど、傷の種類にそんなものを感じたのだ。
「勘だよ。経済を回すだけならそこまでしなくて良かったのに」
 危ない事はしなくていい。そう思いながら言ってみると、クロリスは指を振りながら、先ほどライブでやったようなウインクを決めた。
「虫の巡回ポイント、その場に偶然アタシがいたんだ。誰も功績を見てなくても、やらないわけにいかないでしょ。人ってけっこう、みんなのために見返り無しで動けるものだよ。今回はアンタにバレちゃったけどね」
 僕はそんな良い人になれるだろうか。そんな事を考える時間は、村到着で竜が急停止した事で失われた。


 村長宅での報告。僕の新魔術のアイドルアイテム達は、そのまま採用されるとのこと。それだけ分かれば良かったので、残りの報告は任せ、僕は早々に席を立って、外の空気を吸いに行った。
 そして外に出た理由はもう一つ。謎の大きな音が聞こえ、嫌な予感がしたから確認だ。シェリザも同じく確認に外へ出た。
 数体の天使が高速で村の上空を通り過ぎていく。その統率のとれた動き、恐らく天軍の天使だろう。
「あれは、確か第四師団の捜索隊……という事は!?」
 シェリザが天使達の向かった方向へ数歩駆け出し、助走がかかるとすぐに飛んで行った。詳しくは分からないが、やはり天軍関連だったようだ。
 彼女に任せて問題ないと思われるので、僕は昼寝の場所でも探しに歩き始めた。ライブを行ったばかりで、ずいぶんと疲れている。
「まずは普段着に戻りたいな……」
 アイドル衣装に慣れてきてしまったが、やはりいつものコートで眠りたい。杖も服と一緒に置いてきているし、まずはそれらの回収をしよう。
 そんな風に行動方針は決まり、エスポワル村の門近くまで。その外に、強大な魔力を放つ存在を見た。
「事前調査に出した虫がここで狩られたっていうから来てみたけど、竜人の村ってだけあって、他の子が倒しちゃってたみたいね。おかげで情報も得られないで退屈だったわ」
 黒い体と肌、薄い赤の短髪、そこまではいい。問題は背中の沢山の翼に、頭にも沢山の角。黒い体に所々燃える炎がその姿を赤く染める。しかし尻尾は無いので竜人ではないだろう。あと、竜人は純粋な力が強い種族。こんな魔力を秘められようはずもない。
 その赤い目に見つめられ、僕は完全に怯んで足が止まった。綺麗に塗られたピンクの爪も僕に向く。
「あーらやだ、想像よりカワイイじゃないの。ようやく見つけたわ。ルシファーが言っていたのはアナタね。因果の力を宿した、異なる時を生きる者」
 口調は女だが、その声音は男のものだ。姿が男に見えるので、僕は彼を男と結論付けた。
「僕に用?」
「ええ、そうよ。アタシはちょっとした仕事を頼まれちゃった暇人。アナタのために作ったっていう、超強化モンスターをプレゼントするっていうお仕事」
 そう言うと、彼から広がった炎から、ハサミだけで僕の身長分のサイズはありそうに巨大な、緑色に光るクワガタムシが現れた。どうにも友好的とは思えない視線を向けられている気がする。そのクワガタも暗いオーラを放っていて、感じる魔力は底知れない。巨大とはいえ、虫如きに扱いきれる魔力じゃない。彼も虫も、何もかも規格外の存在だった。
「ルシファーはこの子をススキターティオーって呼んでたけど、長い気もするから好きに呼んでいいわよ。アタシはティオちゃんって呼ぶわ」
「お前は……一体何者なんだ」
 クワガタ――ススキターの頭を撫でていた彼が向き直り、微笑む。
「おっと。アタシ自身の紹介が遅れたわね。アタシはサタン。黒の大地、魔界の魔王。七罪の一人と言えば流石のアナタでも分かってくれるかしら」
 足を一歩引いてしまう。知らないはずがない。白の大地の誰もが知る、最大の恐怖対象だ。ならこの立っているだけで噴き出すように溢れる魔力も、それにより歪んだように見える空気も納得だが、そんな存在が何故僕に……。
 とにかく警戒姿勢。杖のつもりで突き出したが、僕のそれはギターだった。
「あっ」
「ちょっとぉ。そんな物で戦えると思われちゃってるのは心外ね……まあいいわ。その気持ちから始めてくれた方が、観察する身としては楽しそうだし、ネ」
 やはり、ススキターは戦うために用意したようだ。
「キミは戦わないんだね」
「期待してたならごめんなさいね、アタシは見守るだけよ。あと、ここでアタシが暴れたりしたら、すぐ上空の天軍に見つかったり、さっき塗って貰ったばかりのネイルアートが剥がれちゃうからねぇ」
 正直、助かった。これ以上の詮索は、今すぐにでも飛び出して来そうなススキターを排除してからにした方がいいだろう。
 サタンが数歩離れ、そして宙に浮いた。
「じゃ、アタシは向こうで見守ってるわ。アナタ気に入ったから、出来れば死んだりしないで欲しいわね――ティオちゃん、頑張ってらっしゃ~い」
 言い終わると、即座にその姿が消えた。風圧が後ほどあったので、超高速で飛行したようだ。
「ギィッ、ビィィイイーーー!!」
 虫だが、この迫力は咆哮と言ってよかった。その鳴き声で村人達もススキターに気付き悲鳴を上げ、一帯は狂気に包まれた。
「コイツは僕がどうにかする!みんなは今すぐ避難して!!」
 出来るだけ多くの人に聞こえるよう、声を張り上げる。普段使わない声の器官をライブで疲弊させ、もうこんな声を出すと一瞬で枯れそうだ。
 でもこの村の人達は、僕は関係ないなんて言ってられない。放っとくなんて出来ない。しかも今回はどうやら間接的に僕が発生させた魔物のようなので、本心から彼らを守りたいと思う。
 腰が抜けて立てない人も、他の人が支援しながら避難させていく。それを確認し、僕はススキターに向き直る。この格好でも、戦えない事は無い。
「ボルトブレイブ」
 初級魔術。雷を真っ直ぐ飛ばす。虫に触れる。弾かれる。
「ビィィイイ!」
 初級魔術じゃ駄目だ。――じゃあ何だ、僕に何が出来る?辛うじてアル系の中級魔術なら使えるが、果たしてそんなものに意味があるのか?
 本当に不安になってきた所で、背後から悲鳴以外の声。
「みんなあっちへ!村長さんやクロリスちゃんが障壁を張ってくれるから、急いで!」
 駆け足でこちらに移動しながら避難誘導をするカナリーだ。カナリーより強そうな男達まで逃げていて、一見情けないが、それがススキターとの力量差的に正しい状態だ。カナリーも真っ先に避難すべきだろうに。
「ギィイ!」
 ススキターがカナリーの方を向いた。やはり僕以外も邪魔なら攻撃するようだ、避難指示は正しかった。――いや、そんな事考えてる場合じゃない!
「お前は僕だけ狙ってればいいんだ。アル・フレアブレイブ!」
 エンチャントギターの小規模な時空操術で魔術詠唱をカット、即座に炎を放つ。
「届かないっ」
 しかし奴の飛行は速すぎた。炎が当たる事もなくクワガタのハサミはカナリーに迫る。
「こ、来ないでー!」
 咄嗟に握ったマイクで叫ぶカナリー。その音の振動を一点に集めて衝撃波を発生させている。
「ビイイイ!」
 しかしその程度効かない。少しばかり動きが鈍くなったススキターだが、そのまま巨大ハサミでカナリーを掴んだ。
「ぐっ……離してっ、ああー、あああーっ!!」
「カナリーさん!」
 僕は全ての魔術を放棄して駆け出す。彼女は痛みの叫びを攻撃に転じているが、それもやはり効かないようだ。そのハサミの内側にはトゲが数本あったはずだ、痛いじゃ済まない。
 腕は拘束されていなかったようで、竜人の筋力でハサミを何度か叩くと、ススキターは彼女を掴むのを止めて放り投げた。その飛ばされる体を僕はどうにか受け止め、地面の衝撃を請け負った。
「ごほっ、えほっ」
 吐き出された血。久々に見た、見たくも無かったその鮮やかな赤。
 ぼやかされていた記憶だ、その光景は分からないが、その時抱いた感情は回想できた。
 僕はもう、知り合いのこんな姿を見たくないと心で叫んだ記憶が戻ってくる。
「カナリーさんっ!」
「エンデガくん、キャッチありがとう。ちゃんと名前で呼んでくれたのって、実は初めてだったりして」
「そんな事はいいから。どうして一人で飛び出してきたの。いや、まずは傷見せて」
 ハサミのトゲが横腹を貫いている。その他にも様々な部位が肌を裂き、血を流している。傷口には何やら、微かに暗い光が蠢いている。竜人じゃなければ即死だったくらいの大怪我だ。僕の軽い治癒術じゃ治せそうもない。出来れば知り合いに向けて使いたくなかった、時空操術による退行蘇生術も、こんな楽器じゃ選択肢にも入らない。
「ごめん……多分僕のせいなんだ、この虫が現れたのって……僕がキミを、こんな……」
 結界の施された村長宅から飛び出してくるクロリス。僕らを見て表情を変え、服からゴールドを取り出した。
「この魔物め、赦さない!変換魔術、全開放!」
「来るなクロリス!いくらキミでも!」
 叫ぶ僕の肩に、カナリーの弱弱しい手が乗る。
「最後まで諦めちゃだめだよ。みんなで頑張れば、きっと――うっ」
 肩を使って立ち上がりふらふらと数歩歩き、また倒れるカナリーを受け止める。心の強さは賞賛ものだけど、勇気と無茶は違うでしょ。
 クロリスの魔術も通じない。村全体を照らす光を見るに、威力は高そうだった。が、虫の身体を覆う暗いオーラが、効果の大半を吸収しているように見えた。
「えー、これ効かないとなると、万策尽きてるよー?ははっ……」
 ハサミが迫る。もうやめろ、見たくない。目は離れない。
「やめろーーーっ!」
 僕の叫びで狙いが変わるなんて事もなく、クロリスは振り下ろされる大きなハサミを回避出来ずに僕の視界から消えた。その後、空に掲げられたハサミには、虚ろな目をして項垂れるクロリスの姿があった。刺された場所を見るに、何か大事な臓器をやられていそうだ。
 カナリーがゆっくりこちらを見る。
「エンデガくん……あなた、確かすごい術みたいなの、持ってるんだったよね……?」
「あ、うん……いつもの杖さえ回収できれば、この状況も何とかなる」
 このギターで使える術は戦闘支援や、ちょっとした速度管理くらいだ。だが、杖を持てば、世界全ての時を戻し、この戦いをやり直す事が出来る。そうなれば、いくらでも対策はある。悲惨な光景を覚えているのは僕だけでいいのだ。
「自信満々だね……うっ、げほっっ!――具体的にどうするかは分からないけど、信じるよ。普段着のコートと一緒に、あなたが練習してた小屋に入ってる。辿りつけるまで、私がどうにか時間を稼ぐから」
 自分の状態分かってないでしょなんて、言ってる暇はない。これは今、本当に僕一人しか逆転出来ない場面。涙を堪え、黙って頷き、僕は村から出るために走り出す。
 すぐ、背中に何かがぶつかる。僕は手をついて耐えたが、そこにあったもの――動かないクロリスの身体を見て立ち上がるのが遅れる。
 クロリスを投げつけたススキターが僕に迫り、そのハサミを近付けてくる。
「っ!」
 速度を上げて緊急回避。しかし二度目の攻撃は避けきれない――
「ホーリーウォール!」
 透明な光の壁がススキターと僕の間に出現した。闇のオーラで徐々に壁が解け落ちるが、ハサミ自体は壁で完全に防げている。
「ここは私が時間を稼ぎます。悔しいですが、貴方の禁忌術の使用を推奨せざるを得ませんから!」
「シェリザ……」
 光の壁をさらに生成し、何重にも重ねる。見ると、満身創痍で震えるカナリーの周辺にも、光の治癒術がかけられていた。僕には出来ない事を複数同時に行う、優秀な天使だ。クロリスに治癒術がかけられていないのは――きっと、もう、そういうことなんだろう。
「さあ急いで!後に天軍第四軍の方も応援に入ります。諸事情あって、そのまま協力するのは不本意なのですが、今回は仕方ありません」
「分かった……ごめん」
 ここはありがとうと言うべきだったが、謝罪の方が出やすいのは人の難しい所だ。
 諸事情を詮索する暇は無いので、さっさと立ち上がって走った。一角竜を見つけ、無理な体制で飛び込みながらも乗り込む。
「行け、走れ、今すぐ!」
 全速力の一角竜を、時空操術で制御しながら突進する。虫の咆哮は、多少離れたここにも聞こえてきた。
 そして、果てしなく長い約一分間を走り続けると、一度途切れた咆哮が近付いてきた。
「シェリザでも駄目なのか……!」
 常に最高速度の一角竜に限界突破を指令するが、そんなものあるはずもない。むしろ体力が尽き、速度は落ちる一方だ。
「ギィ……!ビィイイイン!!」
 速すぎて、徐々に大きくなったりはせず、一瞬で迫る叫び声。そんな突進は回避できない。
「うわぁ!」
 一撃で吹き飛んで動かなくなる一角竜。宙に放り出された僕。突進から止まれずに通り過ぎていたススキターが、上昇追撃を試みる。僕は落下速度を速めて即座に墜落、結果追撃を回避した。地面に当たる痛みは増したが、止まってはいられない。
「ビィイ!」
 急降下突進するススキター。多少怯ませないと逃げられそうにないので、僕は何とか立ち向かう術を探す事にした。
 まずはバックステップで突進を回避。ここまではいい。
 頭を振り回してハサミで打撃を行うススキター。時空操術の応用で思考速度を実質的に高速化して対処だ。世界がゆっくりに見える。
 僕から見て左上からの斜め斬り、頭を下げ左に避ける。その右下に移動したハサミが今度は真横に薙ぎ払われる。丁度体制が低くなっていたので、勢いよくジャンプ。そこを打ち上げるように追撃するハサミ。落下を早めたとしても、真下からの追撃は回避できない。相手の速度を微弱ながらも落とし、威力を下げるが精々だ。
「セイクリッド・ホーリーレイ!」
 突如降ってきた光の弾が、打ち上げるハサミを叩き落とした。どうにか助かった。
「グロリアス・ブースト!」
 さらに上空から放たれた光の柱のような滝が、クワガタを覆うオーラを消し去った。ついにダメージに悶え始めるススキター。
「よし、予想通りあたしの光弾なら、オプスクーリタースを浄化出来た!」
 奴に隙が出来たが、まず僕は上空を確認する。
 桃色の長髪、大きな天使の翼。身の丈ほどもある大きな白の銃器から、光の放出された余韻を感じる。
「キミが第四師団の……?」
 声に気付いた女性が僕を見る。
「ええ、でもその所属はもう捨てた。私はただのエルティナよ。それより、こっちじゃなくて今は敵性存在を確認して!オプスクーリタースさえ消えれば、君の攻撃も届くようになるはず!」
 エルティナが発したその指令の声は、僕の上がった首を即座に下に折り曲げる凄みがあった。了解、と心で返答し、復帰したススキターに対し再度構える。
 あの魔術吸収の闇は、オプスクーリタースという名のようだ。それが消えた今、疲れがとれたような感覚を感じる。魔術だけでなく、あの闇は運動能力なども低下させていたようだ。
 緑に輝くススキターは、羽の中から小型のハエを十数匹生み出した。小さくて見にくいが、あれらも緑に光っているので、光を回避する感覚で逃げる。
「よそ見しない!」
 言われて振り向くと、背後のすぐ間近にハサミがあった。しかしその攻撃は、正確に命中した天の光弾が狙いを逸らした。
 後ろを見ながら逃げるのは難しい。よって逃げを中止し、迎撃手段を考える。
「ラーー」
 ギターをかき鳴らし、同時に魔術を発動。カナリーの見様見真似で、振動を増幅。さらに時空操術で時間と空間両方の感覚を失わせ、ハエを全て堕とした。技名をつけるなら、クロック・ソング、なんてね。
 その振動はススキターにも通じ、一瞬の隙を見せる。
「ふっ!」
 僕はすかさず相手の右ハサミをギターの底の突起で刺し、さらに鎖で拘束した。魔術の方が当然火力が出るが、こうも接近され続けると、術師としては不利すぎた。
「良い作戦ね、乗るわ!――ペナルティ・フォース!」
 光が右ハサミに集中し、ついにそれは折れ、ちぎれ落ちた。チャンス。
「重っ……!」
 落ちたハサミを拾って武器にしようと思ったが、想像以上の重量。杖にしては重すぎる時計を持ち歩いている僕だが、それでも筋力は剣士や竜人に及ばないようだ。
 ミスで生まれてしまった僕の隙。それを逃さないススキターが、左のハサミで突き刺してきた。どうにか腹には当たらないよう体を逸らしたが、肩の付け根に近い右腕を地面に押さえつけられ、僕自身もそれに引っ張られて倒れた。
「ギィ、キィィィィ!」
「ぐっ、ううっ……!」
 高い鳴き声で耳が潰れそうだ。強く押し込まれる右腕の根本。やり返してやるとばかりに、僕の腕を切断するつもりだろう。そうなったらきっと、ただの人間である僕は痛みだけで動けなくなる。
「何よこの虫!何度光弾を受けても消滅しないなんて、魔王クラスでもないとあり得ない!」
 その通りだよエルティナ、魔王は魔王でも、最強のやつだよ。
 定期的に直撃する光弾でも拘束が解けない。詰んだかな、なんて諦めかけた。しかし、カナリーやクロリス達の姿を思い返せば、腕程度で諦めちゃいけないと思えた。いや、何がどうなろうとも、諦めてはいけなかった。
 痛みで動きにくい体と脳で周囲を見回す。何かないか?何でもいい、禁忌だって犯してる僕が手段を選ぶことは新たな罪だ。ここまで来たら、何もしてでも皆を守らなければならない。僕を救ってくれた彼女たちを、僕が救えなくてどうするというのだ。
「炎……!」
 近くにあった。左腕のサポーターを見て、僕はこれに賭ける事にした。もしこれで僕の何かが壊れても、彼女たちさえ守れれば上出来だ。少し怖いけど。
 ちぎれそうな右腕だが、肩の近くにハサミがあるのが幸いした。そう、この位置を抑えられているだけなら、動かせない事もないのだ。なんとか動かしてサポーターを外し、その奥の包帯を全て引っぺがす。
「ぅ、あああああああ!!」
 動いたことでついに胴体から外れた右腕、そしてアズリエルの時とは比べ物にならない勢いの左腕の炎。それらを同時に受け、意識を失いそうになる。
「終われない……僕の……色の戻った僕の世界は、始まったばかりなんだ……!」
「ギィィイイイイーーー!!」
 執念で意識を取り戻す僕に、新たな攻撃を構えるススキター。その体の正面に向けて左手を伸ばす。
「消えろ!」
 僕の意志通りに真っ直ぐ、天に向けて放出された炎。それはススキターの巨体を全て包み、焼き尽くし、ついにはその姿や、内部の魔力すら完全に消し去った。消し炭すら残らず、炎の焦げ跡も無い。そこに奴がいたという事実すら、分からなくなりそうだ。
「きゃあ!」
 上空にいたエルティナが、意外な女の子の声を上げながら炎を回避する。
「ぐぅ、う、う……!!」
 腕の炎が燃える。未だに燃え続ける。地上に降りてきたエルティナが光弾を撃ったが、炎に光が触れた瞬間、その輝きは余韻すら残さず消滅した。
 触れたらアウトのようだ。僕は火事場の本気たる潜在能力で、杖無しで時空操術を行使する無茶をしてみた。僕もずいぶんとあの禁忌術に慣れたようで、奇跡的に成功。炎は発射される以前まで戻り、僕はその瞬間を逃さず、口にくわえた包帯を腕にかけた。
 すると、突然腕から何か大きな圧力を感じた。視界が真っ赤な炎に染まる。引っ張られている。どこか別の世界へ引き込もうとしている。
 この世界で、まだやる事がある。時空を細かく調整して、腕の奔流から自分の存在をズラし、今の世界に留まる事に成功した。一体何だったんだ。
 視界も正常に戻る。いつの間に駆けつけたエルティナが、僕の包帯を素早く巻いてくれた。
 静寂。
 まさかの、時を戻さずに二人で討伐成功。だが、同じ炎をもう一度使える自信も無い。時を戻したら、別の撃破方法を考えなければならないだろう。
「お疲れ様。右腕は大丈夫?ごめんなさい、未熟な私の責任だった」
 空から指示をしていた時からは考えられないような優しい顔を歪ませて謝るエルティナ。
「そんな事ない。僕の腕は後で復活出来るから、出来れば謝罪より応急処置が欲しいかな」
「そう、優秀なのね。ならしばらく痛覚を軽減する」
 微笑んで治癒術を使うエルティナの姿で安心してしまい、僕はしばらく、意識を失った。


 目を開く。閉じる、また開く。周囲を見回す。正面、つまり上空方向、ここは涼しい木陰。木の下。左を見ると、エルティナがその木に背を預け、片膝を曲げて眠っている。右には何もないが、僕の腕が無い事に驚いた。
「そうだ。時を戻して、もう一度全員を守らないと」
 上半身を起こし、進むべき方角を確かめる。
 金属音。エルティナが目を覚まし、木に立て掛けていた光の銃器を手に取り、立ち上がった。
「君、あたしが寝てたら放置して進む気だったでしょ」
「まあ、起こすのも悪いし。……木陰まで運んでくれてありがとう」
 頷いたエルティナは銃器を肩にかけながら悠々と歩き、座る僕の正面に立ち、見下ろした。その表情は、戦闘時と同じ顔だ。
「戦闘中使っていた、移動や思考の調整。あたしの記憶が正しければ、それは禁忌とされた時空操術」
 片手で銃口を向けられる。引き金には手は触れていない。
「今回の使用目的は、被害を受けた大衆から見たら正しそうね。でも、今まで様々な改変をしてきたんでしょう?そこに悪意が無かったとしても、その改変や新たな行動によって、沢山の人々の未来を――いいえ、現在を――良くも悪くも変えてきた自覚はある?」
 禁忌だから、駄目だから。そんな曖昧な理由で否定されてきた禁術。しかしこのように明確な説明をされると、その所以が分かってくる。
 この能力は未来予知と似ているが、大きく違う部分がある。それは、一度確実に発生した現象であるという点だ。事前に回避したならまだいいかもしれないが、過去を変えて再び現在に戻るというのは、遠回しとはいえ結果を捻じ曲げ、そこに生きた彼らの努力を否定するものだ。
 今回は相手が造られた虫の魔物だったが、相手が人なら、その相手の努力や思いを否定する技となる。戦闘に限らず、繁栄したものが僕の否定で滅んだかもしれないものはきっと、沢山あるだろう。
「粛清の天使たるあたしの弾は、罪を赦し、魂を浄化する光。天軍からは色々あって独立したけど、その正義の活動は続けているの。生きても地獄死んでも地獄って今から抜け出すなら、この光で極楽に行くのも考えてみてはどう?」
 全く、天軍との面倒な関わりはこうして続いていくのか。
 彼女――質問だったり、選択を委ねたというよりは、撃つ前に僕を試しているといった感じがする。正直な言葉を述べよう。
「確かに、これは禁忌と呼べる。その性質上、その行使する魔術師本人しか罪を知らず、公に捕まえにくい場合が多い所も含めて、忌むべき力だ。僕だってそれは自覚しているし、罪の意識に苛まれながら過ごしてるよ」
 足も回復しているので、立ち上がる。それでもエルティナは背が高いので見上げる形になるが、真っ直ぐ見据える。
「撃ちたいなら、撃ってもいいよ。僕はそれだけの禁忌を犯してる。でも、一度身につけた力を、禁忌だからって理由で使わずに、僕が良くないと思った事を黙って放置する事も罪だと思う。だから、僕はこの行いをやめるつもりは無い。それによって重ねた罪は、常に向き合い、考え続けていくつもり」
 地面に置いてあったギターも拾って、歩き出す。まだ僕の戦いは終わっていない。この世界線で死んだ彼女達から、受け継いだ思いがある。
「村はきっと散々だね、それが現実だ。僕はそれを好き勝手に否定して世界を捻じ曲げる。悪い事だよね。でも、僕はやめないよ。じゃあね」
 寝てたとはいえ、走るだけの体力が戻ったわけでも無かったから、少し長めの徒歩だ。一角竜も残念ながら息をしていないようなので、頑張っていこう。
 しばらく、撃たれると思って覚悟してた。けど幸い、粛清の天使はその任を全うしなかった。
「負けたわ。この世界の何が正しいのか分からなくなってる、そんな不安定な今のあたしに、君を消す事は出来なかった」
 銃器を肩に戻し、隣を歩いてくるエルティナ。定期的に僕を追い越し、僕の歩幅が遅い事に気付いた様子。
「ねえ、良かったらあたしが飛んで運ぶから。……だから少し、君の話を聞かせて」
 僕は黙って頷いた。


 話しているうちに、この世界線との別れが惜しくなり、ススキターティオーもいなくなった事をいいことに、エスポワル村を再度訪れた。不安要素であるサタンだが、アレは強すぎて魔力感知が簡単なので、もうこの大地にいない事が分かっていた。
 廃村にはなっていなかったし、村長やシェリザなどは無事だったが、何人かは死んで、重症もいたようだった。
 シェリザによると、カナリー含む、一部の被害者の傷口で蠢いていた光は呪術効果の類だそう。今後は呪い弾き作用のある竜鱗を常に携帯しつつ、高位の治癒術を一定周期で掛け続けなければ、平常な状態を保てない状態になったという。
 その話を聞き、僕らはカナリーに会いにいった。治癒術のおかげで普段と変わらぬ元気な姿を見せてくれたので、その後を心配して悲しくなった。強力な治癒術が使えるシェリザにも、天軍の本職はある。ずっとここにいられるかと聞いても、どう答えるか分からない。
「時を戻したら、この世界は消えるの?」
 エルティナの問いは難しかったが、僕は首を振った。
「僕が忘れるまで、ずっと残り続ける。残酷な事にいくつか忘れてしまったけど、こういう悲惨な光景は、ほとんど覚えてるつもり。だからこのカナリーも、村も、クロリスが居なくなった後の経済も、それにより生活が潤ったり貧しくなったりする人達は、パラレルワールドとして未来へ進み続ける」
 エルティナは言葉を返さなかった。
「だから……ごめん」
 カナリーに向けて頭を下げる。僕のせいでこうなってしまったが、それを放り出して理想の世界に一人で逃げるのだ。この現象について自覚はしていたが、エルティナという話し相手が出来てしまったので、その認識を今日さらに強める事になった。
「頭、上げて」
 言われた通りにすると、カナリーの手が僕の頭に乗った。その表情は変わらぬ笑顔だ。
「術が必要でも、ここにいる私はまだまだ元気だもん。アイドルだって続けられるし!ほらっ――おっとっと」
 その場で華麗なステップをしてみせたカナリー。しかし服に着けていた竜鱗アイテムを落としそうになり、難なくキャッチ。
 僕がその竜鱗を見ている事に気付いたカナリーが、竜鱗の説明をしないで誤魔化して笑った。竜鱗を再び服に着けて、体をふわりと斜めに傾けて口を開く。
「それに、エンデガくんがそんな私達の事を覚えて、考え続けてくれる。それだけで、すごく幸せだよ」
「っ……!」
 僕は衝動的にカナリーを抱き締めた。溢れ出した涙が止まらない。右腕が無かったせいで少し空いてしまった距離は、カナリーも腕を回してくれることで縮まった。
 今言ってくれたカナリーの思いを、僕が過去に変えてきた人みんなが思ってくれたらいいなんて、思ってはいけないだろう。きっと僕を憎む人だっている。そこは忘れてはならない。
 でも今はこの言葉に縋る。
「ありがとう……キミ達の事は、忘れるまで忘れない……」
 アークワンとの戦闘後、一部記憶が欠落した。その記憶の中には、どうしても守りたかった人がいた事が、最近のフラッシュバックで分かってきた。その人の姿は思い出せない。
 そんな事があったから、この世界線の彼女達にも『絶対』なんて言えず、『忘れるまで』なんて保険をかけてしまう。そんな自分が好きになれない。
「うん、忘れるまででいいよ。あなたの仮説なら、忘れた時には消えちゃうんでしょ?なら、消えるまでずっと幸せだよね」
 しばらく、こうして泣き続けた。泣くべきなのは相手の方なのに、カナリーは僕よりずっと強かった。
 そして別れ際。カナリーが僕を呼び止めた。
「最後に、お願いをしてもいい?」
「もちろん」
「新しい世界に行って、そこで暮らす私と話す時ね。ここにいる私のために、罪悪感とか、そういうのを感じないで。当たり前だけど、そっちの私は、世界は。何も起きていないんだから」
「……ッ!!」
 気付かれた。時間遡行の後、僕がそうなってしまうのは自分で分かっていた。ここでそれを頼まれるのは、正直、苦しい。
 左手で自分の胸を掴む。頭が自然に下がる。脳内から僕が僕に語りかけてくる。
――愚かだ。また傷付いて、苦しんで。
――時間遡行で何度も同じような悲劇を経験し、その度に泣き、悲しみ、嘆き。
――何度も同じように笑い、喜んで。
――何度でもやり直して無かった事にしてるのに、一々そうやって感情を出して。
――それが馬鹿馬鹿しくなって、心を閉ざしたんじゃなかったの?孤独に生きようとしたんじゃないの?
――気持ちを伝えられる相手も何処かで喪って。もう感情なんて不要だったはずなのに。
――喜びに再び心を開いたから、そうして再び悲しんで。
――繰り返してるよ。どうしてまた心なんて開いたのさ。
「……」
 選択肢。喜び悲しむか、悲しみをこれ以上感じないために灰の世界へ帰るか。
 首を強く振って、思考を掻き消す。
 何を迷っているんだ。罪と向き合うって言ったばかりじゃないか。腕の炎に立ち向かうだけの勇気と覚悟が僕にはあったじゃないか。
 そして何より、目の前の女の子を裏切れるはずないじゃないか。
 顔を上げ、崩れかけた表情を引き締めて声を出す。
「……うん、分かった……誓うよ」
 そうして見せてくれたカナリーの笑み。彼女は最後まで笑顔を絶やす事をしなかった。僕も、この残酷な世界で笑い続けねばならないと思った。


 クロリスが最後に居た場所に声をかけ、少し話した。エルティナは僕を待つ長い間、口を挟むことは無かった。
 そして杖を回収するために、エルティナの翼で飛んで運ばれる。もうこれ以上泣かないよう、空を見上げ続けた。
 そんな僕を見て、元天軍の将は口を開いた。
「君の事、天軍では愛想がないとか、冷酷とかもたまに噂で聞いたけど、全然違うじゃないの。やっぱり自分で確認しない事は信用できないか。――新世界のあたしにも、そういうトコを見せて欲しいかな」

〇 ● 〇 ●

 杖を回収。戻ったらどのようにして再び杖を回収し、虫の被害を防ぐかの作戦を入念に立て、時間遡行を行った。
 そして僕は、拍子抜けすると共に、不安になった。
 シェリザに外出する旨を伝え、杖を回収し、コートにも着替え、再びエスポワル村に戻ってくる。そして見える平和な村と、門近くで迎えてくれたクロリス。
「いない……どこにも……」
 サタンも、虫も。ライブ終了直後の村まで遡って、特に歴史改変をする動きをする以前から、例の敵性存在は魔力を何も感じなかった。不安な気持ちで村に戻ってきたが、僕が目を離した隙に暴れたなんて事も無さそうだし、何よりサタンの発言を信じるなら、虫の発生地点は僕とサタンが遭遇する座標になるはずなのだ。
 気を張り詰めてもひたすら平和が続き、精神が疲れた。
「おかえりエンデガ!さあ聞いて聞いて、アンタの魔術が今後どう運用されていくかの大手柄の話を!」
 彼女らを見ると、悲劇の可能性の姿を思い出してしまう事はある。そうなったら、僕は逃げるように放浪の旅を続けていた。でも今回からは、今の彼女らと接し続ける新たな道となる。
「ああ。それは気になってた。聞かせて」
 表情を変え、不審がるクロリス。
「なんでそんなに怖い顔してるのさ。えいっ」
「あっ」
 ツボを押され、僕は力が抜けて倒れた。頭を地面に打ち付けそうになるのを、クロリスがその小さな膝で受け止めた。
「相当疲れてたり、気を張り詰めてないと効かないよ、そんなツボ。どうしたのよ、年長者として聞いてやらん事もないよ?んん?」
 何度も間違えそうになる。僕は魂の年齢なら圧倒的に彼女より年上だが、身体年齢なら確かにクロリスは年上である。
 目を逸らしたが、膝枕されている状態では大した回避にはならない。
「これは、僕だけが考えてればいい事だから」
「ふーん?」
 しつこく聞かれても、キミ達の為にも答えないよ。と脳内で呟き、徹底抗戦の構えをした、が。
「なるほど、分かったよ」
「……聞かないの?」
 クロリスは以前話した時――実際には数分前――と同じようにウインクした。
「アタシが虫退治した時と同じでしょ?誰も見てなくても、見返りが無くても戦った。そうじゃない?」
「で、今度は僕が気付かれた、と。商人の観察眼には勝てないな」
「お、見直したね?そう、アタシは優秀な商人なんだよ!」
 そうして二人で笑った。ツボの脱力効果が終わるまで、クロリスは膝を――値段交渉をさせられたが――貸してくれると言ったので、それに甘えた。しかし長い戦いによる疲れで、もう睡魔に対抗が出来なくなっていた。
 目を閉じる直前、見えた空は快晴。色々と意識して暗くなりそうな気持ちを受け止め、向き合い、それでも僕は、空と同じような晴れの心で眠りについた。
 その後もサタンとススキターティオーが、この村に現れる事は無かった。
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登場人物紹介

エンデガ

物語の主人公。幼くして家族を失っている。芸術を始めとした世界の文化に関心があり、今住んでいる狭い浮島から抜け出したいと思っている。

ノエル

エンデガと同じ神学校に通う、サンタクロースの娘。神々への信心がとても深いが、信心の無いエンデガの意思を尊重出来る心も持っている。

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