【Ⅴ】ある強者の渇望にて呼応する

文字数 9,805文字

 ふと、感じた違和感。
 杖や自分の中の時計が一瞬狂わされたような錯覚を覚える。
「どうしました?お腹でもすきましたか?それとも、目の前に広がる大きな街に驚いているんですか?」
 歩幅を合わせていた事で僕の減速に気付いたノエルさんが、少し上半身を倒して見上げて来る。
「どうだろ、そうかも。これも人の手で作られてるんだよね、かかった時間とかを想像すると……暇なのかな」
 ――違和感は、気のせいと思う事にした。
「天使様や獣人さんとかも手伝ってくれた可能性も無くはないですよ。あと、暇ってわけでは無いと思います……多分……」
 そんな他愛もない話をしながら、並んで街に入る。
 ここより高い浮島からこの地を見下ろした時、一番大きく見えた街だ。赤い屋根の家が建ち並び、少し離れて遠くに行くと白の塔だったり、コロシアムだったりがある。それらの古代建築物と共に大きく発展したのだろう。
 街道には商店や出店が並び、小規模な祭りでもしているかのようだ。街の出入り口は特に出入りが激しく、人込みに呑まれてしまいそうになる。
「わっ、んっ、え、エンデガさんっ」
 呼ばれて振り向くと、現にノエルさんが呑まれていた。しまった、辺りを観察するのに夢中だった。
「ノエルさんっ」
 呼び返して手を差し伸べ、ノエルさんがそれに応える。小さな手が簡単に僕の手の中に収まるのを感じたら、力を出し過ぎないように引っ張って救出。手を繋いで歩き、まずは人通りが落ち着く所まで進んだ。
「よし、ここまで来れば大丈夫かな」
 途中からがっちり繋がってたので放しづらかった手を、声をかける事でお互い力を緩めて放す。
 平和な状況で手を繋いだ事は多分なかったので、今更ながらノエルさんの手のサイズや柔らかさを思い出して恥ずかしくなる。
 ノエルさんも、さっき繋いだ自身の右手を見ていた。手汗とか無かったかなと心配事が渦巻いた。――ん?焦って思考が賢くなかった、僕は手袋をしているじゃないか。

「エンデガさん、まずは何をしたいですか?時間はたっぷりあるので、焦らなくても何でも出来ると思いますよ」
 落ち着いた――お互い焦りを悟られまいとしていたが――ノエルさんが行動提案を聞いて来る。言われてみると、大してやりたい事は無かった。以前は芸術に触れたいとか文化に触れたいとか思っていたが、そのために具体的に何をしたいか分からない。まず最近は時空操術の影響か、そんな興味も薄れてきてしまっている。
「ノエルさんがしたい事をしよう。僕の目的も、多分それで達成しそうな気もするし」
 そう言って託すと、ノエルさんは少しだけ驚いたようにきょとんとした。
「そうですか……なら、遠慮なく。行きましょう!」
 ノエルさんの杖のベルが可愛く鳴った。
 行った事は、各地の挨拶回りだったり慈善活動だった。似たような神の信仰者がいたら、教えを説くよう依頼されたり、地域ごとの情報交換を行ったりした。
 やってる事は多少規模が大きいとはいえ、僕視点の感覚としては観光だった。文化に触れる事がちゃんと出来て、やはり目的は達成できていた。
「天軍から与えられた職、この様子なら成し遂げられそうです!」
「あぁ、そう言えば聞いてなかったけど、ノエルさんはどんな職を貰ったの?」
「ずばり、『聖夜の乙女』です!」
「……は?ごめん、天軍ってそこまでよく分からない組織だとは思わなかった」
 シェリザさん、こんな事上層から命令されてたのか?
 ノエルさんが目を閉じて両手を振って否定する。
「いえいえ違いますっ!これは私が望んだ事を全て反映してくれた結果生まれた立派な新職業なんです!」
「へぇ、それで?」
「その目はなんですか、どういう目ですか!?」
 話が盛り上がってきて人の目を集めそうだったので、傍にあったベンチに並んで座る。
「聖なる夜、つまりお父様などが活躍するクリスマス。その日に私も各地を巡り、街から街へと光を届ける。お父様が届けられなかった場所には私が赴いてプレゼントを届け、世界中に聖夜を楽しんでもらう。そんな職業です。神の教えを説く事で人々はその神の御加護を授けられる機会を得られ、結果的に皆が救われます。まあ、私は信仰心が無い人にも等しく光を届けたいと思っていますけどね」
 確かに、間接的に天軍に利益のありそうな仕事だ。しかし気になる事が少々。
 肌寒くはなってきたが、街にはまだ冬の魔女は到着していない。つまるところ、雪が降らない。
「クリスマスはもう少し先だよね、それまで何をしてるの?あと、それで生活は出来るの……?」
 ノエルさんは良い質問ですと目を輝かせると、シスタードレスのそこかしこからパンなどの食べ物を取り出した。一体どこにそんな収納スペースが。
「聖夜がメインですが、活動はいつでも自由です。そしてこの大地の方々は良い方々ばかりなのです!教えを説いたり、仕事を手伝ったりすると、こうして食べ物やアイテムをくださるんですよ。では、今日はここで朝食にしましょう!」
 なるほど。僕が一仕事終えてから次の目的地を探したり、壁画などを眺めたり、勝手に寄ってくる猫と戯れている時間で、彼女は人々からそんなお礼を受け取っていたようだ。
 人間の善意や優しさだけで生きるなんで夢物語のようだ。しかし食べるもの一つ一つに詰まった人々との思い出を語るノエルさんの笑顔を見ると、この人なら成せるんじゃないかと、本気で思った。
「じゃあ、僕も頂くよ」
「ええ、どうぞっ」
「ちなみにこれをくれた人は?」
「エンデガさんも手伝ってくれたでしょう、これは八百屋さんの次に出会った、長耳族のご家庭の――」
 疲れるくらいに関わった人が多すぎて、僕は正直忘れかけていたエピソードを、ノエルさんは思い出させてくれた。些細な出来事にも温もりや感動があった。それらを感じながら感謝して食べる朝食は、とても美味しかった。

 朝食を食べ終えた僕達。次は小さな子供達が作りたがっていた装飾装備アイテムの製作方法を教え、素材を受け取って実際にお手本を作ったりしていた。十字架、指輪、髪飾りなどは何故か神学校で習っていたので、僕も手伝いが出来た。正直最初は乗り気で無かったこの活動も、慣れると楽しくなってくる。
「あ、ちょっと待って、どいてあげて」
 子供の一人が街道の何かに気付いて僕らを端に寄せる。同じように道を開けた人々の空間を、白い騎士達が歩いていく。
「なんだあれ、ずいぶん重武装だ。白の塔調査隊とか?」
 僕が呟くと、男の子が首を大きく振った。
「違うよお兄ちゃん、あれは正義の戦いをする軍」
「黒の大地から悪魔が攻めてきたって事ですか?」
 ノエルさんの質問にも首を振る。保護者のような女性が近付いてきて、説明をしてくれる。
「攻めてきたのは同じ大地の、別の国の人間ですよ。ここは豊かな土地ですが、それ故に覇権争いが絶えないのです」
「え……そんな、同じ種族が、安定した所属同士で争うなんて……!」
 ノエルさんが嘆くが、僕は去っていく軍の隊列の最後尾を目で追いながら、客観的な感想を呟く。
「オセロニアは戦いの世界。こうして戦う軍がいてこそ、街の平和が守られる……」
「エンデガさんっ!」
「シスターさま、残酷かもしれませんが、術師さまの言う通りです」
 保護者さんに言われて歯を食いしばり、すぐそれをやめて悲しく俯いたノエルさん。その肩を男の子が軽く叩いた。
「大丈夫、いつかぼくも大人になって強くなって、みんなを守るよ」
「強くなくていいです、争わなくていいです……!」
 ノエルさんは男の子の手を両手で握って言うが、彼はむしろ困惑するばかりだ。
「どうしてそんな事言うのお姉ちゃん、強くなくちゃ、ここで生きられないよ」
「こうして争いの連鎖が生まれます。真の平和を築ければ、強い存在など、世に居なくていいんです。私は、そう思います」
 弱き者が強き者によって守られる街の仕組みの中で生きてきた住民には、すぐに理解出来ない話かもしれないし、実現には遠すぎる話かもしれないだろう。僕自身も、ノエルさん以外が言ったのなら信じなかった。
「僕もノエルさんに賛成かな。僕らが巻き込まれた天軍の戦力増強騒ぎだって、平和だったら元から発生しなかっただろうし」
「……はい、そうですよね……!」
 僕を見て、目を輝かせるノエルさん。保護者さんが首を傾げる。
「シスターさまは天軍や四大天使の信仰者だと思っていたのですが、違うのですか?」
 天軍から授かった仕事だ、そう思うのも当然だろう。
 ノエルさんはさっきまでの感情の乱れを落ち着けるよう呼吸してから、首を振る。
「いえ、私は元はアスガルド主神の信仰者でした。今はとある、無所属流浪の神を信仰してますけどね」
 アスガルド主神、オーディンには大変な目に遭わされた。信仰心の行き先が分からなくなるのも仕方ない。ノエルさんの発言は見事な言い訳というか、設定紹介だった。
「という事は、お付きの術師さまもオーディン様の信仰ですか?」
 質問が僕にも飛んで来た。シスターの護衛みたいに思われてるようだし、ここで信心は無いと答えるのも良くないだろう。
「僕の力は、オーディンから貰ったみたいなものだし、まあ……その力とかは認めるよ」
 ノエルさんを含めたみんなから苦笑される。我ながら不敬発言だ。しかし信仰してるとか言いたくないし、時空操術自体も全面的な感謝は出来ない能力だ。
「お兄ちゃん、変な杖持ってるけど、強いの?」
 男の子から新たな質問。禁忌魔術の杖である事はバレてないようだが、これも詳細は話せない。
「まあ、強いね。でもなるべく使いたくはないから、ここでは見せないよ」
 伝える情報を最低限にする代わりに、嘘はつかなかった。
 やむを得ず使う時が多いだけで、時空操術を他の魔術感覚で使う気は最初から無かった。世界に干渉する力は良くない物だと思うし、使い続け、時空を戻り続けていくと、精神年齢が実際の歳より高くなる。それを抑えたかった。ノエルさんとは同い年のはずだが、もう年下の女の子として見ている。これ以上使い続けて、いずれノエルさんが幼い子供に見えてしまうのは避けたかった。本人は知らないままだろうけど、僕には罪悪感が伴う事に――
「じゃあさじゃあさ、これあげる!」
 突然差し出された大きな白い羽に思考を途切れさせる。僕らがいくつか作ったアイテムのひとつだ。
「……どうして?」
 後から思えば、ここは「いいの?」とか言うべきだったと後悔している。
「その杖使う気無いんでしょ?なら他にも出来る事増えた方がいいじゃん」
 結局よく分からず、ノエルさんに視線を送った。目が合うと彼女は微笑んだ。
「それは、装備する事で数秒ほど空が飛べる羽、というか翼です。人間にかすかに残る天使の血を活性化させるとか、そんな感じの技術により開発されたものです。本当に数秒なので、人間が空を飛ぶ夢には遠いですが」
「そういう事ね。なら受け取るよ。ありがとう」
 ノエルさんのように、僕にも見返りが来た。朝と違い、見返りを求めずに活動した結果かもしれない。
 少し硬い素材で出来た片翼だ。とりあえず頭、耳の上あたりに着けてみる。
「ぷっくぅっ……!いいねお兄ちゃん、ぼくそれ好きだよ!」
 笑われた。やはり僕には似合わないだろうか。保護者さんも震えてるじゃないか。
「エンデガさん……それっ……普通背中に着ける物だと……思いますよっ……」
 同じように震えて笑うノエルさんに言われて気付く。そりゃそうだ、翼なんだから当然だった。
 気にしてない風を装うように真顔を意識しながら、翼を背中に移す。なかなかに恥ずかしかったが、この複数人で騒ぐ雰囲気は家族と過ごした時以来で、少し楽しかった。

 〇 ● Ⅰ ●

 そんな活動を続けながら街の中央まで。その大広間は噴水などがあり、待ち合わせ場所にも最適に見える。
 しかしそこは今、異様な雰囲気の人だかりが出来ていた。人間もいるが、竜人の比率が高く、珍しい事に竜族も混じっている。
「神の言葉を伝えよう!私はシェンメイ。あのお方の大いなる遺物、竜蹟碑の判読者として、レガリアヴェヒター様に認められし者なり!」
 その中に一人、シェンメイと名乗る、大きな瓢箪を持った竜人の女の子が勇ましく叫んでいる。規模は大きいが、またよく見る信仰関連の類のようだ。
 聞き流して通り過ぎようとするが、盛り上がりがあまりに凄くて気になってしまう。
「ノエルさん、ちょっといいかな」
「はい、私も気になっていました。行ってみましょう」
 アイコンタクトだけで通じたようなので、早速足の向きを変える。
 僕はその集まりの後ろの列の中で目についた、竜人の腰に下げられた緑色の木の杖をつつく。振り向いたのは、足元までありそうな金髪と、青い角と尻尾をした女の子。後ろからだと分からなかったが、正面だとやけに露出が多い恰好をしていた。尋ねる人選が悪かったのかノエルさんに睨まれたが、別にこの竜人が変な人だとは思わなかったので、気にせず本題の質問だ。
「どうも。この集まりはどういう神の信仰なの?」
 竜人の方は快く笑顔で返事してくれた。
「どもども~。これは竜蹟碑、及びそれに関連する竜神様達への信仰者の集まりだよ。竜蹟碑は流石に知ってるよね?」
「知らない」
「学校で習いましたよエンデガさん……!」
 ノエルさんが慌てるように言うのを竜人さんは愉快に笑った。
「いいのいいの、むしろそのエンデガ君の方がこの話を聞きやすいまであるからね」
「どういうことですか?あっ、私はノエルと申します」
 今更ぺこりとお辞儀するノエルさん。
「わざわざどうも、アタシはクロエッサ、よろしく。どういう事かって言うと、学校なんかで習うような竜蹟碑の知識は全部考察段階で、真実は誰も知らなかったのよね。書かれている文字も数体の伝説竜しか知らなくて、しかも今世界に存在してるのはそのうちの一体、レガリアヴェヒター様だけという有様。だけどバリバリ感じる力は本物だったから、文字とか言葉とか気にせずとも、僅かな知識と考察だけで信仰の対象に成りえたんだよね。感じる力だけで全てを悟ったって噂されてる凄い竜も何体かいたらしいけど、彼らはアタシ達にそれを伝える事無く、単独で何かを成そうとして滅んでばっか。本当に悟れたか不明なのよね」
「へぇ。それはなかなか、面白いね」
 神が確実に実在し、運が良ければ実際に会えるし、伝説も確証が取れた真実だからこそ信仰する現代。その中で実際の神も知らず、伝わる言葉すら分からないのに続いた信仰。僕としても、かなり興味をそそられた。
 クロエッサは何度も頷きながら、自分が褒められているかのように得意顔をして話を続ける。
「うんうん、んでだよ?最近ついに、その記された言葉を伝説竜以外で初めて読み解いて、人々に伝えるべく旅をする竜人様が現れたってわけなのよ!過去の考察だけの知識なんてむしろ否定されるかもだし、極論、何も知らなかった方が良かったまであるよね。で、その旅の判読者様が――」
「今日ついにこの街に到着し、真の教えを説く最中、と?」
「そういう事なのだよノエル君!じゃ、アタシも気になるからそろそろ前向くね~」
「あっ、はい、ありがとうございました……!」
「どうも。勉強になったよ」
 二人でお礼を言って、再びシェンメイを見る。多少話は進んでしまっているが、信仰者でも無いので一部聞ければそれでいい。
「安心して欲しい!皆が掲げ、鍛えてきた力。それが世界が求めるものという考察に間違いは無かった!今後も活動する基本方針は変わらず、ただ力を求める事!強者であれという事!」
 ノエルさんは今どう思っているだろうか。自分と真逆の思想が力強く語られている。信仰は自由だ、神もそれぞれ実在する。しかし複雑なのは確かだろう。
「命を捧げた哀れな竜も、過去にいただろう。残念ながらその意味は薄い、ほぼ無い。神は血を、命を、魂を求めているわけでは無いのだ。死すれば弱者だ、既に存在価値は無い。我らは生き、戦い続け、限界を超えて強くなるという目的を再認識するのだ!」
「価値が、無い……?」
 ノエルさんが呟く。僕もこれは少し納得がいかなかった。なんとも残酷な事を言う神じゃないか。
「私は神を信じ、戦い続けよう!いずれこの信念があのお方に届くと信じて!戦いこそがこの世界の根幹。戦いによる力が、あのお方の求める力だ!その他さまざまな解釈で強さを求めたものもいるだろうが、そんな皆も、これより力による戦いを以てして強くなるのだ!」
「負けて立ち上がる事は強さに入るか?負けたらその時点で弱者か?」
 ふと、僕は強く呟く。ノエルさんが心配するような目で見てくる。
「エンデガさん?」
「あっ……ごめん」
 僕はあの教えの解釈が分からなかった。直接シェンメイに質問したかったし、聞き逃した最初の部分を聞いて確かめたいと思ったりしていた。僕に信心などなくても、彼女の熱弁自体には心を打たれていたのだろう。
「――!?」
 再び、あの違和感。
 いや、今回は皆が動揺していた。音も無い、地震とかでもない。しかし、確実に何かを感じたのだ。
「――皆!!」
 シェンメイが今までで一番大きな声で叫ぶ。その声音は喜びに弾んでいるようにも聞こえた。
「私には分かるぞ、分かったぞ!なんという事だ!これはあの方の眷属たる伝説の竜の一体が、再び世界に具現化された証だ!記された力の特徴と一致する。これは始原竜と見て間違いないはずだ!」
 場がどよめく。しかし半分ほど理解していない者も。始原竜という名は石碑に記されただけの名なのかもしれない。
 シェンメイの話の続きを待った皆の前に広がる世界が一瞬、赤く染まり、青く染まる。いくつかの色を終えて元に戻る。体が妙に熱い。
「ぐぅっ――!!」
 時間差で、シェンメイ含む数人の竜や竜人がうめき声をあげて膝を折った。もう何が何だか分からない。
 ノエルさんが左腕にしがみついてきた。何故だか少し熱い。僕も怖かったが、踏ん張って右手の杖に力をこめ、真っ直ぐ立って周囲を観察し続けた。
 シェンメイが震えながらも立ち上がる。その体はどす黒い赤の炎で燃えていたが、服などは燃えておらず、シェンメイという竜人本人だけを燃やしているようだった。持っていた瓢箪の蓋は外れ、中から蛇型の幻影竜が暴れ始める。
「間違いない……これは始原竜の黒鱗――!私はその期待に応えて御覧に入れましょう!」
 そう言って彼女は足を地に踏みしめる。その足の力は強く、触れた地の石は軽く崩れた。同じように倒れていた竜の半数以上はそのまま動くことなく倒れ、目を開いたまま動かなくなった。シェンメイはそれに耐えた者の一人なのだろう。僕から見て右方向を向いているため、体の形はよく見えるが、その型は整っていて、耐える事しか出来ない他の竜との差を感じた。
「揺るがぬ信念をここに!奥義・竜牙神仰拳!!」
 幻影の竜と息を合わせて突き出された正拳突き。マロースおじさんの拳よりよっぽど小さい娘の拳だが、それによって揺るがされた大気、発生した風圧はそれを大きく上回り、集まっていた屈強な竜族たちを風だけで吹き飛ばし、視界右、数十メートル先に建っていた三階建ての建物を三軒ほど木っ端微塵に砕いた。少し遅れて災害音が轟く。
「はぁっ……はぁっ……ぐっ――」
 荒い呼吸をしながら疲れ果てたように片膝をついたシェンメイは、力を放った際に暗い炎を消し去っていた。あの炎が力を増幅させたのだろうか。
 僕もノエルさんも、その他別の方向だったおかげで助かった竜人たちも驚きで声が出せなかった。
 街としては明らかに迷惑極まりない行為だ。しかし、高貴なる蒼角(ノーブルホーン)でもない一般竜人が放った正拳突きの風圧だけでこれなのだ。その迫力、本来あり得ないレベルの力に皆言葉を失っていた。
 騒がしい静寂が緊張感を保ち続けた。崩れた建物のレンガが転がり落ちる音だけがしばらく続いた。
 シェンメイが再び立ち上がった。両手を天に掲げ、小声でぼそぼそと呟く。そして腕を降ろし、再び皆に向き直る。
「皆!世界は新たな時代を迎える!今こそ、我らが信念が試される時!立ち上がり、戦い、力を示そう!古の時代より生き続ける原初の始原竜、その通称――アークワン様に!!」
 もう今更、語り継がれたその名に驚く者などいなかった。震える体をやけになったように動かし始める竜族や竜人族。
「「「うおおおおおおおおおお!!!」」」
 信者たちの咆哮。恐ろしい光景だ。本気で叫べた者もいれば、恐怖に震えながらなんとか同調した者もいる。
 さらに、全員が全員叫べたわけではない。生半可な信仰か、それとも力不足か。腰を抜かしてへたり込む者も大勢いる。近くにいたクロエッサも、その叫びの中で絶望するような顔をして、腰を落として放心していた。
 こんな状況だ。完全に忘れていたが、ノエルさんはいつの間にか、僕に全身密着状態になっていた。とはいえ僕も、そのおかげで今こうして立てていたのかもしれない。恐怖からか、ノエルさんが体に触れている感覚は一切無い。
 咆哮が収まっても、喧騒が続く集会。シェンメイは再び叫ぶ。
「急遽予定変更、私はあのお方に最も近い存在、始原竜アークワン様のもとへ向かう。それでは皆、此度はここに集ってくれた事を感謝する。さらばだ!」
 シェンメイは理解し難い脚力で街を一度に飛び越え、塔の方向へ行ってしまった。
「エンデガ、さん……」
「ノエルさん……!?」
 クロエッサは放心状態で喋れそうにないのに、ノエルさんは僕と額がぶつかりそうな近距離で、強い意思の目を輝かせていた。
「私、あの人――シェンメイさんを追いかけたいです……!信仰は人それぞれと思って黙ってましたけど、やっぱりこんな事、広めちゃいけません……!」
 僕に抱きついているのは、不安からというより、振動で足が棒になってしまったが故の身体の支えであって、心は真っ直ぐ立っていたようだ。あの暴走気味な化け物を止めようと言うのだ。神々からの逃避行は経験したが、その程度でこの意志は芽生えない。ノエルさんは、実際は恐ろしく強い子なのだ。
「連れて行って、くれますか?」
「……危険だ」
「知ってます。でも、今のエンデガさんは、どんな手を使ってでも、私を守ってくれる人で。そして、それが出来るだけの力を身につけた人ですよね?」
「…………」
 僕が何度やり直してここにいるのかは、彼女は知らないだろう。けど、僕が身につけた時空操術の詳細と、それによって彼女を守り続けてきた事実は、きっと把握されているのだろう。そしてそれを行えるだけの覚悟も知られているだろう。
 ――ほのかに抱き始めていた好意や、家族の存在と重ねていた意識は、流石に知られていないと願いたい。
「――分かった。行こう、ノエルさん」
「はい。よろしくお願いします!」
 そうして、阿鼻叫喚の竜族の中を潜り抜けるため、まずは一歩。
「ぅわあっ」
「きゃっ」
 体制を崩して転び、僕に体を託していたノエルさんが追い打ちで潰してくる。想像以上に足が弱っていた。
「ごめん、僕も相当、やられたっぽい」
「私こそごめんなさい。次は一緒に、支え合って歩きましょう」
「目的地までには回復させたいね」
「私が回復魔術さえ使えるくらい落ち着けば簡単なので、安心してください」
「それは助かる。じゃあ行くよ――」
「「せーのっ!」」
 息を合わせて立ち上がる。成功。
 僕は右手、ノエルさんは左手の杖を地について支えにする。もう片方の腕でお互いを支え、再度一歩を踏み出す。
 とてもゆっくり、しかし確実な速度で。僕とノエルさんは大いなる存在のもとへ進み始めた。
 異質な揺らめきを受けながらも、真上で輝く太陽の光が、新たに始まる世界を強く包み込んでいた。
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登場人物紹介

エンデガ

物語の主人公。幼くして家族を失っている。芸術を始めとした世界の文化に関心があり、今住んでいる狭い浮島から抜け出したいと思っている。

ノエル

エンデガと同じ神学校に通う、サンタクロースの娘。神々への信心がとても深いが、信心の無いエンデガの意思を尊重出来る心も持っている。

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