【Ⅱ】ある天空の意思にて解き放つ

文字数 13,426文字

 天界の浮島との接岸点に集まる生徒達。ワクワクの雰囲気に包まれるのがむず痒い。
「まるで遠足だ」
「確かにそういう見方でも構わないね」
 興味なさげに軽口。普段ならノエルさんが適切な言い換えと指摘をしてくれたかもだが、隣の竜人――ルインという友人はこんな風に返すらしい。
「ルインは神に何の用?」
 ルインの短い角を横目で見て聞いてみる。
「自分はこの浮島の遺跡を調べるため、地を掘り起こしたり、遺物などを見つけたら個人の意思で復元したりする許可を貰いに」
「それは専門の方から普通に貰える許可じゃないの?」
「神に認可されれば、その専門の大人達すら畏れ多くて入れない遺跡も調査出来るって事さ。そしてその遺物から力を得られれば、僕はきっと誰も到達出来なかった魔術を生み出せるかもしれない」
 なるほど。と返して、再び黙る。ここには天軍や、聖職以外にも色んな目的を持った人が集っているようだ。オセロニアは戦いの世界。別の目的が明確に無ければ、誰もが力を求める。僕もそうだ。しかし成績はお察しだ。
「はあっ、はあっ……す、すみませんー!」
 遠くから、杖を持ったノエルさんが走ってきた。視線が合いそうになり、僕は目を逸らした。
「いえ、時間通りです。これで、全員揃いましたね?」
 スーツを着た女性が赤い眼鏡を指先で上げる。背中から二枚の羽が開き、その美しさに天使族以外の生徒が息をのむ。クラスメイトに天使はいたが、やはり立派なものは何か違う。
「私はシェリザ。普段は監察官をしています。此度は、どうぞよろしくお願いします」
 頭を綺麗に下げるシェリザさん。続いて生徒全員も頭を下げた。
 天界の大きな門がゆっくり開く。その先の光景がしばらく理解出来ず、何度も目を疑った。
「浮いてる……?」
 扉のある場所は僕らの住む場所と同じような浮島の陸だった。しかし門が開かれた先に陸地は無く、建物も、水も、空に浮いていたのだ。
 空に浮かぶ水の塊は、湧き出る場所から全方位に流れ、そしてそこに浮く力が無いという風に途中で滝のように流れる。その下にはそれを受け止める別の施設が浮いていたり、そのまま見えない所まで落ちて行ったりと様々だ。
 建物と建物の間を繋ぐものはなく、それらは孤立して存在している。空を舞う天使達は、道など要らないようだ。
 そう、天使だ、天界の天使をついに見た。雲は硬いのだろうか、柔らかいのだろうか、そこに座って談笑する天使も何人か見かける。空に浮く花なんかにも座っていたりする。男も女もいるが、美しいという感想がひたすら脳を巡った。地を駆ける僕たちは、制限された不自由な場所にいたのだろうかと錯覚させられてしまう。
「ルミナス!」
 シェリザさんが短く叫ぶと、その神聖な世界から光が集まった。それを片手で操作し、大きな円盤を作り出した。
「では、行きましょう」
 円盤に足をかけ、その上に乗ったシェリザさん。いつの間に光は実体を持っていたのだ。唖然として動けない僕や生徒を見て、彼女は微笑んで手招きしてくる。
「行くよ、自分が」
 ルインが集団から外れて、一人で円盤に足をかけた。乗った。彼は振り返って皆に笑いかけてみせた。尻尾を揺らしている。
「なんだよ、かっこいいじゃん」
 僕はそう呟かずにはいられなかった。そうして続々と他の生徒も歩き出し、円盤に乗る。全員が乗ったことを確認したシェリザさんが手を動かすと、円盤はその指示通りに動き、ある建物目指して一直線に進み始めた。
 青い空、白い雲。小さな天使、大きな天使。人の見た目やそうじゃないもの、武器を持つ者持たぬ者。様々な天使が空を飛び回る光景を、ゆっくり動く円盤から眺めた。円盤は半透明になっており、ほとんど空の中にいるような感覚だ。下を見ると奈落――かと思いきや、そこにも建物がいくつか浮いていたり、見たこともない美しい自然などがあった。
 生徒の半数以上はこの光景を見るとすぐ膝を曲げ、両手を合わせ目を閉じ、祈りを始めていた。ノエルさんもそのうちの一人だった。その姿はよく見るものであったが、今回は普段より見えない力を感じた。集団の祈りの時間は花園に逃げていたため、このような圧力は不慣れだった。
「綺麗だけど、みんなは、畏怖とかもあるのかな……」
「エンデガ君は感じないのかい?知り合いの女の子が跪いているのを眺める、褒められたものじゃない行為の方に気が向いてる?」
「うわ、ルイン。いたんだ……別に、ノエルさんを見てたわけじゃないよ」
「ふうん。あの中に知り合いはけっこういると思うから分からなかったけど、ノエルさんを見てたのか」
 こいつめ。
 僕が睨むと、彼は飄々とした笑顔を見せた。この竜人は遺跡の石板判読とかに人生の情熱を注いでるからなのか、祈りの集団には属していないようだ。
「僕は綺麗だと思った。美しいと思った。畏怖は無いね」
 僕はあたりを見回しながら言う。ルインは不思議な笑顔を変えないまま口を開く。
「自分は怖いね。正直。この世のものと違いすぎる。未知に怯えている。いや、普段の世界をこの世のもの、と捉えているから、天界を夢か何かだと思っているんだろうね」
 オセロニア大陸をあまり見なかったんだろう。あの場所にいた僕は知っている。
「ルインの世界は狭すぎるよ。僕はこれだけじゃないと思っている。天界の天使や、冥界の悪魔にとっての常識の世界は、まだまだ広いよ。僕はその全てを、この目で見たい」
 ここは天界。オセロニア大陸は遥か遠くだが、あの大きさはここからでも見下ろせた。
「そろそろ到着します。座っていた人は起立するようお願いします」
 シェリザさんが呼びかけ、祈っていた生徒たちが立ち上がる。円盤が白い宮殿の隙間から、中に入っていく。天の世界は一度落ち着き、いつもの世界の明るさになった。しかしこういうのは差を感じるもので、照明があっても、室内は暗く感じた。
「エンデガ君、君は以前、将来やりたい事は特にないと言っていたけど、ちゃんとあるじゃないか。この天界の授業は良い機会かもね」
「えっ?」
 ルインの言葉の続きを待つ。本当に分からなかったのだ。
「この狭い場所から抜け出し、世界の全てを見る事さ」

 ● 〇 Ⅰ 〇

 円盤は徐々に縮まり、やがて消滅した。宮殿に降り立ち、廊下を歩いていく。僕は前の列の方にいたのだが、興味津々で歩く人に越されて最後列になっていた。
 広がる世界。やがて見えてきた大広間。天井はあまりにも高く、見上げようとするとふらついてしまいそうだ。
「到着です」
 シェリザさんが止まると僕らも止まる。そしてシェリザさんはこちらに振り向き数歩下がった。その下がる前の場所に、再び光が集まり、柱となった。
「っ……」
 強くなる光の眩しさに思わず目を閉じ、落ち着いてから開く。
 そこには、今日読んだ図鑑の中でも、特に大きく載っていた大天使がいた。
 何枚あるかも分からないような大翼。燃える夕日のように輝く長髪に、炎のような赤い剣と服、そして目。
「ご苦労だった。我が名はミカエル。君達は、この声に聞き覚えがあるだろうか」
 天使だけで構成された、白の大地及び浮島群の正義と秩序の軍、天軍。その統制をする四大天使、さらにその総司令。つまり全天使族の頂点だ。
 生徒全員が息をのむ。そしてどよめき始める。膝を折りそうになる生徒をたしなめるシェリザさん。仕方ない。この僕でも、あれは立ち姿だけで圧倒され、足を引いてしまいそうになる。
「ああ……聞こえた。あれは偶然でも奇跡でもなく、意図的なものだったのか」
 ルインが小さく呟くように驚く。僕以外の全員がそのような様子だった。そういえばノエルさんもそんな事言ってたっけ……。
「普段、君達の浮島の管理はウリエル、及び傍付きのアラーチェに任せているのだが、彼女らは今別件に追われていてな。このような形の召命方法を取らせてもらった」
「天の声が聞こえた天使は、ミカエル様のもとへ。その後、声が聞こえた別種族は私のもとへ来てください。各自、願いを聞き入れます」
 シェリザさんが誘導する。天使の学生が動き出す。
「どうしようルイン、僕は声を聞いてない」
 流石に不安になったので、その旨を伝えてみる。
「そんな事があり得るんだろうか……まあ実際そうなってるのか、エンデガ君は。叶えたい願い、欲しい力とかは無いのかい?それを考えれば、きっと声が無くても目的は作れるよ」
 欲しい力、か。
 僕は少し考えた後に呟く。
「なんでも出来る力、万能。行動や選択に後悔をしないくらいなんでも成功する力」
「子供みたいでいいね。確かにそれなら、どんな世界だって見られそうだ」
 笑われた。こっちは真剣なんだけど。
 天使達がミカエルに集う。何やら綺麗に揃って声を上げている。事前に決まっている動きでもあったのか。
 ミカエルが剣を掲げると、天使達全員の服が白い鎧に変化した。
 ミカエルの表情が一瞬曇ったのが見えた。一体何を思ったのか。
「ではシェリザ、後は任せたぞ」
「はい、ミカエル様」
 シェリザさんがお辞儀すると、ミカエルは天使生徒と共に光を放って消えた。もうあの生徒たちは、天軍として戦うさだめ、なんだろうか。
 シェリザさんはこちらに振り返り、何やら左手に紙を取り出した。
「ミカエル様の声を届けた生徒全員の名前が載っています。皆さんは全員、それぞれの願いを叶えるために適任の神に会ってもらいます」
 生徒が騒ぎ出す。どういう事?といった風に僕はルインを見る。
「ほぼ全員じゃないか!過去にそんな例は無いぞ……!」
 笑顔の彼の発言から察するに、本来神に会えるのは滅多にない事のようだ。
 シェリザさんが紙を持たない右手を軽く上げ、生徒を黙らせる。
「願いを聞き入れ、そして天軍の戦力として活躍してもらいます。まずそこの竜人さんからどうぞ」
 しれっととんでもない事を言って場がざわつきそうになるが、即座にルインが指され皆黙る。ルインはシェリザさんのもとへ行って片膝を着く。
「遺跡調査、発掘、石板判読の完全自由の権を願います。そして天軍の戦力とは、一体どのような……?」
 みんなの疑問を代弁する出来た男だ。天軍は天使しか入れない組織のはず。
「正確には天軍の補助要員として、いざという時に力になってもらいます。ルインさんの場合は、いずれ黒の大地の敵国に突入した際にその権利を行使し、遺跡調査をしてもらいます」
 敵国の調査。僕が最初に思ったのは、死の危険がある、という感想だった。
「石板復元が認められるならお安い御用です!」
 何言ってるんだルイン、場合によっては派遣によって自由が奪われ、自分のしたい事も出来ないかもしれないのに……それとも僕の考えすぎ?
 そんなこんなで順番に願いを聞き入れていくシェリザさん。天の声を事前に聞いていない僕は、とりあえず集団から静かに抜け出し、広間の外の廊下あたりに隠れて覗き見る姿勢に入った。声は聞こえてないから対象外だろうけど、神に会って話をするのも嫌だし、天軍なんてもってのほかだ。
 ――我ながら困った生徒だ。祈りの時間から抜け出してきた癖がここでも出るか。
 でも、同じ考えの人はいたようだ。生徒数人が僕に気付き、僕を追いかけるように続いていく。そうだよね、強制的に天軍なんて変だよね。
「ルミナス」
 シェリザさんの魔法が発動。広間の周辺に半透明の光の壁が出現、僕についていこうとした生徒は広間に閉じ込められた。僕は孤立した。
「これはミカエル様の命令です。従いなさい」
「な……!?」
 思わず声が漏れた。
 どういう事だ、流石にこれはおかしい。
 ノエルさん含め皆、この発言に怯えるようにシェリザさんの前に両膝をつき、両手を握る。何を願ったのだろう、遠くて聞こえない。
 悪い別れ方をした。早いうちにノエルさんと真剣に話をしたいと思ったが、この様子だとこれ以降彼女ら生徒には会えないかもしれない。どうしてこんな見境なく天軍に入れるのか。ウリエルとミカエルのやり方が違うとか、そんなレベルじゃない。
 紙にチェックをしたシェリザさんは、みんなを連れて広間の奥へ。やっぱり僕は対象外か。
 その移動中に、ノエルさんが周囲を見回した。僕の不在にようやく気付いたのかもしれない。気まずかったからお互い見ないようにしたのが災いした。
 広間の奥、壁が無く空が見える不思議な小部屋に、光の柱が立っている。その中に入ったみんなは、光の柱と共に消えてしまった。魔法の転送装置、のようなものだろうか。
 広間の光の壁が徐々に縮まり、消滅する。知らない場所に一人になってしまった。
「せめてノエルさんと話したい」
 転送装置に駆け込む。光の柱は今は無い。ボタンやカラクリも無かった。魔力を込めて発動する類だろうか。今はただの綺麗な休憩所だった。階段や昇降機でもないので、行先は上下階層とは限らず、どこに行ったかのかすら見当がつかない。この宮殿の外の可能性すら大いにあり得る。
「めんどくさっ」
 悪態はつくが、諦めない。ここで立ち止まる方が怖い。尻尾を巻いて帰る手段すらないから、進むしかない。
 この宮殿に入る時に使った、シェリザさんの円盤が通った場所は壁が無かった。そこからとりあえず脱出しようと駆け込む。
 ――まあ、地面なんて何処にも無い、見事な空が広がっていた。こうなったらなんでも試そう。
「おーーーーい!!そこにいる二人の天使さん!!」
 最近泣き叫んだばかりだが、自分の意思でちゃんと大声を出したのは久々。一言だけで喉が疲れた。
 なんとか聞こえたようだ。そしてさらにここまで来てくれた。最高だ。
 細剣装備の緑ショートヘアの妖精と、弓装備の金ロングヘアの妖精だった。身長は二人とも、僕の半分くらいという低さ。流石妖精族。
 細剣妖精がフレンドリーに飛び込む。
「なになに、どしたのそこの白髪マフラーくん」
「僕はエンデガ」
 一応マントだよ。
 弓妖精が後を追うようにふらふらと。
「はわわ……人間の男の人に見られるなんて恥ずかしいです……」
「ごめん僕も恥ずかしい」
 二人ともまともな服持ってないの?僕の常識だとそれは露出が過ぎる。
「で、どしたの?困りごとの様子だね」
 細剣妖精、話が早くて助かる。
「僕は飛べないんだけど、色々あって飛べる人と離れ離れになっちゃったんだ。なんとかならないかな」
 弓妖精が体ごと下を指さす。飛んでるとそんなアクションも出来るんだ。
「ここではぐれちゃったなら、下の階層の可能性が高いですね。フェンサーちゃん、私達でこの人を運んだり……出来るかな?」
 確かに宮殿の壁を見下ろすと、同じような円盤入り口があった。
 控えめな子かと思ったけど、第一印象では分からない。すごい提案を細剣妖精に投げかけた。
「いいねそれ!エンデガくん、私達の手を取って!」
「いいの?」
 一応確認する。弓妖精が下がった。
「ええっ、手ですか……!?恥ずかしいです……」
 キミはどうやって僕を運ぶつもりだったのさ。
「まあまあいいじゃん、よし、行くよ!」
 細剣妖精、流れ無視の強制で僕の右手を取った!
 弓妖精も勢いに弱いのか左手を取り、僕の身体はしっかり浮いた。
「おぉ、すごい!――でも、落とさないようにだけ、頼むよ?」
「うん!」
「は、はいっ!」
 下の階層の円盤入り口まで、ひとっ飛び。
 花園で歌声を聞いていた時は、天界の天使は文字通り雲の上の存在かと思った。しかし、種族に差なんて無かった。そう思うと、とても嬉しかった。
 妖精達に癒されて気が楽になる。楽になって初めて、僕はさっきまで緊張していた事に気付いた。

 ● 〇 ● Ⅰ

 下の階層に到着し、妖精二人にお礼を言って別れる。
 廊下を抜ければこちらも広間――なんてことはなく、迷路のように道が分かれた広い廊下が続いていた。当然道は分からないので、直感を頼りに進む。
「なんで僕はこんな面倒な道を歩いてるんだ」
 僕の悪い癖、すぐ後悔を始める。祈りをしていれば皆と共にいけた、ノエルさんと気まずくならなければ転送装置に僕がいない事を把握して駆けつけてくれたはずだ。まず僕がもっと強ければ学校や狭い大地に居座らなくて良かった。ため息が出る。
 とても明るい世界の中、妙に暗い道を見つけた。ノエルさん達の行先とはまず違うだろうが、気にならないわけがない。僕はそのルートを選択した。さらに分かれ道。暗いままここまで来ると怖くなり、引き返す選択も無くはなかったが、しかし。
「何だ……?」
 音が聞こえる。一定の感覚で、小さな音が聞こえる。その音を目指し、僕はさらに奥へ進んだ。
 床や壁の石が変わった。苔の生えた灰色の石だ。暗すぎて前も見えなかったが、壁に手をついて確認する限り、そこからは一方通行。もし音が聞こえなかったら、自分の心臓の音が気になってしまうくらい静かな道だ。
「ここで終わりかな……?」
 触れていた壁が直角に曲がり、そこが広間である事を証明する。音の発生源にたどり着いた。天井が一部崩れ、空の光が差し込んでいる。ここは下の階層のはずだが、この場所は、宮殿から出っ張っている所にでもあるのだろうか。
 光の落ちる先にあったのは金の時計。その秒針が音の発生源だ。
 最新技術で作られ、量産もされていない時計というアイテムは貴重な物で、あまり見られないものだ。もっと近づいてみる。
 自分の身長と同じくらいの高さの棒の先端、そこに大きく円い時計、そしてその時計の中にも複数の時計がついている。全体の形としては魔法杖のようなものだ。床に刺さる根本を確認すると、棒の途中から出ている二つの鎖が時計杖を地に縛り、固定していた。
 鎖が固まる床の傍に何か物が置いてある。
「本だ」
 周りの雰囲気に比べ綺麗なそれを手に取る。
 カランッと何かが落ちる音。
「うわぁあ」
 静かな場所だとこの程度で慌てる。本の上にいくつか他の物も置いてあって、それを落としたようだ。小さな円い、懐中時計。後はよく分からない、赤く長い紐。とりあえずそれらも手に取り、本を開く。
「クロノス――時空神クロノスの手記だ。という事は、この時計はやっぱり杖なんだ」
 厚い本だったが、最初の十数ページしか書かれていない。しかも狂ったような殴り書きだ。
 なんとか読める部分だけ読む。時空操術はあらゆる時間を意のままに動かし、思い通りに出来る力。
「世界の時間を戻し、失敗したことをやり直せる。応用で、物事の未来、結末を知る事が可能」
 クロノスは時空操術を禁忌とし、法で禁術に指定した後にこの遺跡にて自害。そしてこの杖の鎖は封印だという事が書いてあった。彼は実は人間で、強すぎる魔術を開発し使用した際に神と崇められていたようだ。
 書いてある文は少なかった。殴り書きはページを進めるごとに徐々に荒くなっていき、最後にはフッと消えている。自害の直前に書いた、とか、そんな感じだろうか。
 ふと、ある思考が脳をよぎった。
「事象顕現じゃなくて、魔術……」
 なら、僕も封印を解けば使えるんじゃないか?時空操術とやら。
 そうだ、むしろ神しか使えないなら、わざわざ禁止しなくてもいいのだ。
 杖は僕を見て針を回し続けている。
「やり直せる……?あの時の事や、あの時の事も全て……?」
 カチッ……カチッ……
 わずかな光しか無い世界の中、針の音だけが響く。
 恐怖より好奇心が勝る。
 何故これを禁じたか、記述は荒かったが読めた。全てが無意味になる――そう書いてあった。
 何を言うか、そんな事はない。
「成績が悪いままで、家族やノエルさんに迷惑かけて、その失敗の道の方がいいって?」
 僕にはクロノスがこれを禁じた意味が分からなかった。
 いや、もし分かったとしても、能力が得られるなら代償はとうに覚悟している。あの日あの時に戻れるなら安い。
 みんなは神に頼りに行った。しかし僕は神を信じない。僕を助けてはくれないからだ。
「奇跡は自分の手で起こすもの」
 ノエルさんの――聖歌の言葉を思い出す。
 杖を握る。両手で握る。力を入れる。
 絡まる鎖がぶつかり合って部屋全体に何度も音を響かせる。
「僕に万能を、全能を……!力を、くれぇっ!!」
 ガキィンンッッ……!
 地に埋まっていた鎖が切れ、杖に繋がったままジャラジャラと鳴り続ける。
 簡単だった。クロノスの手記の様子を見る限り、そこまで強固に封印を作れていないようだった。
 やった、やってしまった。禁忌を破り万能を手にした。呼吸が荒くなる。
 杖を掲げ、笑む。
「は、ははっ……もう、苦しみは、悲しみは起こさせない……!」
 後悔なんて二度としない。これからは平和な世界を見ていこう。
 カチ、カチカチカチカチカチ――!
 突如時計が回る、目に見えない速度で回る。驚いて数歩下がる、背後にも大きな時計の幻影が回り始める、足元にも回り始める。
「何だ、何なんだこれは……!?」
 カチカチカチカチカカチカチカチカチ
「うるさいうるさいうるさい!!」
 違和感を感じて左目を抑える。左目が見えない、いや、見えるが別のものが、左目の視界に沢山の時計が回りだし、前が見にくくなる。その時計の針は全て違う時刻を指していた。
 怖くなり頭を抱えてうずくまる。音だけじゃない。声が聞こえる。混ざりすぎて何も聞きとれない。
『悪しきを討『牲にし『の地を『上の真『を乗り越『闇を払『からヨォ『して揺るが『命をだ『ウィァァ『皆を『届いて『と断定『流れの中『瘴のぉぉ『の盾と成『らば私『と来たよ『な力を『の望みし『を委ね『で覆う『ガサンゾォ『抑え
『なら……愛しています……』
「うわあああぁっ!」
 声から逃げるように杖を投げ捨てた。音は消えた。時計も消えた。
「はぁ……はあっ……なんなんだ。時空操術って、なんなんだ……!?」
「ついに誕生したか。新たなるクロノスよ」
「誰だっ!?」
 背後から聞こえた男の声。僕は重くなった頭を殴るように運んで振り向いた。
 暗い世界から、空の光の届く所まで歩いてくる声の主。
 赤と白の髪。金色の隻眼。僕と似たような緑色をした服。金の大槍を持ったその神は、図鑑を見る前から知っている。
 神々を統べる最高神――オーディン。
 オーディンはその左眼で僕と時計杖を交互に見て、笑みを浮かべた。

、全知全能の神なり。今一度杖を取るがいい。声から意識を切り離せ」
 その目の凄みを信じ、言われた通りに杖を握る。時計が現れる。声が聞こえる。
「う、うあああああ」
「狼狽えるな!私を見よ!」
 訪れた雷の轟音で一瞬声が掻き消される。その瞬間になるべく落ち着いて、オーディンを見た。他の声は消えたが、オーディンの声が沢山聞こえる。
「そして自身に意識を向け、そして切り離せ」
 従う。――やっと収まった。時計も消え、杖の時計の回転も正常に戻っていく。
「それはこの後、貴様が関わるかもしれないあらゆる者の時間を、あらゆる可能性を見るものだ。とても人間の脳が一度に処理できるものではなかろう」
 何故そんな事を知っている、そして教えてくれる?
 オーディンは話を続けた。
「この天界で自由に動き回る人間など居らん。貴様はここを初めて訪れた人間なのだ。そして時空操杖――ワールド・クロックを再び解放した初めての人間でもある」
「……で、僕に何の用事?禁忌を破ったから叱りに来たの?」
 ようやく落ち着いてきたので、最高神にも怯えず喋る。位がどうあれ僕には関係ない。神は神だ、それだけだ。
「否。私は貴様のような者を待ち望んでいた故に、ここまでの道程に封をせず、鎖の封も強化していない。感謝するぞ、新たなるクロノスよ」
 どうやら友好的なようだ。僕は杖を地について、話を聞く姿勢になった。
「僕はエンデガ。クロノスじゃない。待ち望んだって、どうして?」
 右手の槍を一回転し、立てたオーディン。僕と同じ構えになる事で、緊張を解れさせようという配慮だろう。
「私は全知全能に至り、しかしそれでもなお、さらに高みを、至高の頂を目指している。かつてクロノスは、私の唯一の、人間の友だった。彼は私に成しえなかった開発を成し遂げた、しかし――」
 オーディンが左手を上げると、部屋が全て多少明るくなり、部屋全体が見えるようになった。
 僕が周りを見渡すと、ひとつ、倒れているそれを見つけた。思わず体を引く。
「ひっ……!」
 人間の男の、骸骨だ。
「――自ら果てた。戻っては来なかった。人の身に余る力、彼はそう言っていた」
「本題を……言ってよ。僕に何をして欲しいの」
 これ以上昔話をされても困る。オーディンはその僕の態度を鼻で笑うような顔をしたが、本題には入ってくれた。
「高みまで昇る前に止められた時空操術の研究をし、その本に記録して貰おう。そして願わくば、貴様はアスガルドの、天界の最大戦力として君臨するのだ。天軍が誰一人容赦なく望みを聞き、戦力としようとしたのは、今戦力が圧倒的に足りない故の行動なのだ。統治者たる神と天位議会、四大天使にしか共有されていない情報だが、最近天軍の最大戦力、ルシファーが墜天し、黒の大地で魔王となった。それ故の、だ」
 なるほど。ならウリエルは忙しかったのではなく、ミカエルが率先してあの場に出たのだろう。天使達と消える前に一瞬見せた表情の曇りは、自分が強引なやり方をしている事を自覚していたからか。
 なかなか面白い話は聞けたけど、僕も目的なしで禁忌を破ったわけじゃない。
「研究は自分でする。でも、悪いけど天界には就かない。僕は全てをやり直して、もっと広い世界を見るんだ」
 本をコートの大きなポケットにしまって、懐中時計をノエルさんのベルと共に服の胸元に入れ、紐は――とりあえず首のマントに巻いた。
 杖を握る。一歩踏み出す。鎖が鳴る。時計が回る。
「さよなら」
 オーディンを通り過ぎ、遺跡の外へ歩き出す。
「その選択をしたのなら、貴様が光の世界に戻る事は叶わぬ」
 背後からオーディンの声。不穏な内容だが、視線の先には光が見える。そのまま歩き続ける。室内は声がよく届く。歩きながら後ろに向けて会話する。
「何?禁忌を破った事を今更責めるの?」
「貴様、私と逢い、話したのはこれで一度目か?この台詞を聞いたのは初めてだな?」
 何を言っているんだ、コイツは。
「そうだよ、当たり前でしょ」
「そうか、そうだな。あのような、術を制御できていない姿が二度目などあり得んからな――戦塵、グング・ニール!!」
 雷の轟音。痺れる体。強い闘気を感じて振り向く。僕の方に振り向いた奴の金槍がさらに金に光り、背中に青く巨大な魔法陣が展開された。翻り暴れ狂うマントがその力の勢いを感じさせる。
「私は高みに昇り続ける。何を犠牲にしようとも、高く、高く!誰も届かぬ至高の頂を目指して!」
「くっ……!」
 僕は咄嗟に杖を構える。
「貴様の技、教え、鍛えてやろう。そして私がクロノスと出来ずに終わった、頂の決戦をいつか行おうではないか!」
「お断り。僕はキミと関わる未来を望まない!」
 逃走を選択。光の世界に駆け抜ける。オーディンの足音の速度からして、奴は悠々と歩いて追ってきている。
 広い廊下に出る。左右、迷う暇はない。
 時計の音。
 直感、右へ駆ける。
「私は現時点でも全知全能、最強の最高神。あらゆる事象顕現を習得した。そして右眼を代償にし、さらなる力も得ている」
 多少離れても声の聞こえ方が変わらない。大天使が地上に声を降ろせるのだ、最高神ならこのくらい当然だろう。
 曲がり角に人影。あれは――
 確認する間もなくぶつかり合って倒れる。ずっと見てきた亜麻色の髪。
「ノエルさん!?」
「エンデガさん!探しましたよ!」
 倒れたまま僕を見上げるノエルさん。目的の人物だがそんな事考えてる場合じゃない。
「私の槍、グングニルは、投げた際エレメントの力で事前にマーキングした対象に必ず命中する能力を持つ」
 声が聞こえる、いや、もう見える。金からさらに蒼に色を変えた巨大な槍が。
 即座に立ち上がり、ノエルさんに手を伸ばす。
「立って!奴から逃げる!」
「あれはオーディン様……は、はい!」
 引っ張って立てたのを確認して走り出す。
「貴様は自身の力をもっと知らねばならぬ。私が教えよう。さあ、存分に奮うがいい――」
「っ!!」
 小さな声。視界端のノエルさんが消えた。遅れたか、転んだか!?
 振り向く。オーディンの姿が見えない。目の前で両腕を広げたノエルさんが視界を塞いでいる。
 ノエルさんは僕を見て笑った。
「ノエ――」
「撃槍、グングニル!!」
 雷鳴。
「――ぁ――!!」
 槍がノエルさんを刺し貫き、爆発のように放出された蒼い閃光が、僕の視界を真っ白に奪った。
 同時に、全身が押しつぶされるような衝撃。胴体の感覚が無くなる。そして徐々に戻る視界。
 ノエルさんの腹から伸びる槍が僕に刺さっていた。一瞬、気を失った。

 胴体の感覚は無いが、足は分かる。しかしそれは地についていない。僕は浮いていた。
 槍が僕とノエルさんを刺したまま後ろの壁まで進んで刺さり、ようやく止まったのだ。まるで放たれた矢のように。
 槍の色が蒼から金に、そして輝きを失ってうっすらと消えていった。完全に見えなくなった瞬間、僕は落下。曲がった膝で着地し、背中を壁に倒した。
 目の前にいる彼女――同じように膝を曲げたまま落ちたノエルさんは、そのまま背中を地に倒し、天を仰いだまま動かなかった。
 肩の後ろが痛い。壁の大理石は崩れ、棘となって僕を痛めつけている。
「そこな娘は何故貴様の前に立ったのか。庇ったところで命中は確実。軌道の途中にある存在は容赦なく貫通することなど、容易に想像がつこうものを……」
 忌々しい声が聞こえる。あまり動かない首を、なんとか少しづつ上げていく。
 悠々と歩き続けるオーディンの右手には、先ほど投げた金の槍グングニルが輝いていた。
「そう、死の間際。窮地に立つ時。その状態で貴様が行う思考、行動は何だ。体の機動性だけ回復しよう」
 オーディンが左手を僕にかざすと、壁に頼るしかなかった体が前に動いた。動くようになった。
「っ……くっ……!」
 勢いで上半身を倒し、這いつくばって移動する。
「がはあっ!」
 吐血。腹は回復していないようだ。それでも進む。すぐそばにあったオーディンの足は無視して、ノエルさんのもとへ到着する。彼女の腹から流れる血が僕の血と混ざり、床に広がり、僕の体を汚していく。
 目の前の女の子はとても酷い顔をしていた。雷を受け脳にもダメージがあったのだろう、狂った方向を見る目、そして大きく開いた口をそのままに動かない。
「娘はもう死んでいるぞ」
 うるさい。見れば分かる。
「この世界の時間においては、な」
「何を……どういう……?」
 血の海の中で懸命に空を向き、オーディンを見た。
 言葉を待つように睨み続ける。言えよ、続きを。何か知ってるんだろう、教えるんだろう……!?
 オーディンは槍を大理石に刺し固定。そして腕を組んで笑みを浮かべた。
「どうやら貴様がこの状態でとる行動は、他人を助けるよう尽力する事のようだな。ならば都合がいい、貴様の技が全て解決する」
 僕は、いつの間に手放していた杖を見た。時計は相変わらず、冷酷に時の流れを示す。
「やり直す力……」
 呟く。そして血で染まった手袋で杖を握る。
「そうだ。習得の時点で、クロノスの使える技は受け継がれている。この思考が難儀な極限の状態で、冷静にそれを使う技術。それが無いと、貴様の望みも、私の望みも叶わんのだ」
「分かったよ……だからってやりすぎだオーディン……こんな関係ない子まで巻き込んで……この子は、神を、オーディン達を崇め、一途に慕っていたんだぞ……!」
 神はこんな奴らしかいないのかもしれない。もう関わってなんかいられない。
 確かにやり方は脳に刻まれていた。なら、オーディンの望みなんて関係ない。僕の最初の目的、一番最初の目的地。様々な失敗を犯す前の、ノエルさんや、もういない家族に迷惑をかける前。そこまで戻って、順風満帆な人生を歩んでやる。
 ノエルさんの手を握る。僕のせいでこんな姿になってしまった。全てやり直して、ノエルさんがここまでの事を知らなかったとしても。僕はキミに謝りたい。謝るために、帰ろう。唯一充実したと言えた、最初の最初に。
「さよならオーディン。キミの事は忘れないよ。大嫌いだ」
 そう吐き捨てて魔力を杖に込める。時計の針が逆方向に回り始める。
 一番嫌いなのは、こうなるまで失敗し続けた、自分自身だ。
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登場人物紹介

エンデガ

物語の主人公。幼くして家族を失っている。芸術を始めとした世界の文化に関心があり、今住んでいる狭い浮島から抜け出したいと思っている。

ノエル

エンデガと同じ神学校に通う、サンタクロースの娘。神々への信心がとても深いが、信心の無いエンデガの意思を尊重出来る心も持っている。

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