【Ⅵ】ある焼却の世界にて繰り返す

文字数 12,064文字

 街から出てすぐの坂道、その長い階段を登るとコロシアムがあり、さらにそこからずっと進むと白の塔がある。
 コロシアムと白の塔の間くらいの場所の空間が歪み、巨大な炎が空に発生。それは徐々に集まり形を変え、巨大な竜を具現化させた。
 その光景を、僕とノエルさんは街から出る門の外から見ていた。入った方向とは逆、つまり街道を真っ直ぐ進んだ先の出入り口だ。街が大きすぎてここに来るまでで一苦労だったが、まだ目的地は遠い。
「アークワン……」
 ここからでもよく分かる圧倒的な存在を見上げて呟く。翼を大して羽ばたかせずに空に止まっている二足歩行型の竜は、別の力で浮いているようにも見える。
「あれがまだ真なる神の下にいる存在とは、恐ろしいですね。シェンメイさんもそこにいるはずです、急ぎましょう。なんだか嫌な予感がするんです」
 ノエルさんが少し息を荒くしながら返答する。疲れているのだろうか。
「僕はもう大丈夫だから運んでいくよ。回復魔術が使えるようになったらお願い」
「えっ、そんな悪いですって、あの……うぅ……」
 時計杖を背中の片翼に刺して、空いた両手でノエルさんを抱えて坂道を登る事にした。回復が使えるようになるのが早まるとしたら、多分こっちの方が速い。突然の方針に戸惑うノエルさんだったけど、本当に疲れてたのか、抱えられたら黙って反抗しないでくれた。

 休んで回復魔術が使えるようになったようなので、もう少し登ってから使うよう指示する。
 坂道を登り終えると、コロシアムと、それに続く大階段が目の前に広がる。奥には、前足――いや、腕を組んで佇む、コロシアムの二倍ほどの大きさの始原竜。こちらを、街を、世界を見下ろしている。
「間近で見ると大きいですね……コロシアムも、あの竜も……」
「そうだね……よし、僕もへとへとだから、一度降ろすよ。回復お願――」
 ここまで来ると階段以外は平地。その石床にノエルさんを降ろそうとしたが、やめた。
 見える。大階段の先、コロシアムの門から現れた竜人の大ジャンプが。
「――翼よ!」
 背中の片翼が羽ばたく。疲れて動けなかった僕を、突風で左側に飛ばす。操作は出来ず、ノエルさんを抱えたまま床に倒れる。
 直前まで僕が立っていた場所の床の石が崩れて凹む。
「何故、認められたわけでも、呼ばれたわけでもない脆弱な者がここに。コロシアムは今緊急閉鎖だ、去れ」
 飛び蹴りを外したシェンメイが首だけこちらを向いて言う。
 僕はノエルさんを置いて、杖を取り出す。片翼は萎れ、落ちた。――キミはよくやったよ。
「呼ばれたなんて判断はどうやって決めるのさ。声とかは聞こえてないけど、僕だってこの騒動近辺のタイミングで、脳に変な感覚くらいは味わってるんだ」
 ベルが鳴り、やせ我慢で立っていた棒の足が回復する。復活したノエルさんの魔術だ。
「私は石碑の神や、その信仰者たる貴女の行いに疑問を抱いたのです。悪神や破壊神――いえ、それよりも残酷で過激な教え。世に広まっていいものではありません!」
 杖を握り一歩踏み出すノエルさんの発言に、シェンメイの表情が歪む。
「貴様、なんと不敬な!あのお方の、竜蹟碑の教えを愚弄するか!」
 シェンメイが構える。瓢箪の中から竜が飛び出す。
「ならばこれより、身を以て伝えよう。存在が許されるのは強き者のみである事を!」
 瓢箪竜が突進してくるのを横に転がって回避する。その隙狙って飛びこんでくるシェンメイの蹴りは空中で弾かれる。ノエルさんのシールドだ。
「何言ってるんだ、本気で戦ったら勝った方が立ってるのは当たり前じゃないか、やめろ!」
「そう思っているなら、既にあのお方の教えを否定しきる事は出来ない!」
 僕の言葉も届かず、次はノエルさんを狙ってきたシェンメイ。
「ホーリーシールド!」
「あまりに薄い!」
 今回のシェンメイの蹴りは光の盾を容易く破壊。勢いは緩くなったとはいえ、そのまま伸びる足がノエルさんの頭の側面に打ち込まれる。
「きゃぁっ!」
「ノエルさん!」
 僕は杖を打撃武器にしてシェンメイに飛び込む。奴の狙いは僕に移された。
「遅い!」
 振り向いて突き出される拳に時空操術をかけ、挙動を鈍くして回避する。
「こっちの台詞」
「何だこれは!?」
 拳だけ流れが遅くなり困惑するシェンメイだが、それでももう片方の腕を突き出してくる対応力があった。
 拳が当たる瞬間時を止めて瞬間移動。背後上空に回って杖の下にある突起を向ける。
「力が無くても生き残れる」
 落下の勢いと共に背中を突いたが、体を貫く不快感は無く、岩を突いたような硬さを感じて弾かれる。竜人でもこんなのおかしい。
「――!」
 背中にうっすらと見えた。瓢箪竜が盾になっていた。
 瓢箪竜は時計杖に噛みつき、僕の動きを封じた。シェンメイの首がこちらに回る。
「力ある者に刃向かうべく鍛えた知略、仲間を助ける思い。それもまた貴様らの否定した力そのものだ」
 超速の回し蹴り。時空操術は何かが起きてからでないと使えず、反応した時には遅かった。
「ぐぅぁあっ!」
 凄まじい力によって、高く高く飛ばされる。空で一瞬高度が止まり、落下。
「いっつ……」
 落下の衝撃はもっと痛いかと思いきや、そこまで落ちなかったので問題は無かった。蹴られた腹は痛いけど。
 頭と足は地についておらず、だらんと下がっている。小さな地形にいるのだろうか。
 目を開けると、逆さまの視界。正面に見える黒い竜。所々見える赤い線は炎のように揺らめいている。始原竜、アークワンだ。
「どうした、お前の力はその程度か?」
 腕を組みながら語りかけてくるアークワン。よく響く声だ。
 石の砕ける音。見ると、シェンメイが僕を追って飛んできたようだ。ここは、どうやらコロシアムの円形の壁の上のようだ。どうりで細い。片方は大階段、片方はコロシアム内部の舞台。どっちに落ちても大怪我だ。
「始原竜様の手を煩わせるまでもない者です、私がここで――」
 シェンメイの手刀が振り下ろされる。時を止めて冷静に立ち上がり、地形を把握しながら回避する。
 さらに来る前進連続攻撃。時の流れを遅くして、冷静に後ろの足場を確認しながら下がっていく。
「そこだっ」
 一瞬ふらついた相手の隙を逃さず、杖で殴りかかる。
「ちっ」
 体を傾けて回避したシェンメイが大階段側に落ちたが、駆け付けた瓢箪竜の背を踏み台にして跳んでから、垂直の壁を斜めに走って、僕から離れた場所の足場に戻ってきた。
「なんて身体能力……」
「貴様こそ、その並外れた反応力と瞬間移動。各地で様々な者と戦ったが、このような芸当は初めて見るぞ」
 瞬間、感じた熱。謎の危機感を感じて事前に世界の時を遅らせる。
「ギル・エクスプロードオルス」
 世界を遅くしても反応がギリギリなほどの速度で、コロシアム全体が爆風に包まれた。僕に出来る回避というと、攻撃を受けそうになる度に何度も数秒前に戻って、場所を把握した爆破地点から無理やりにでも逃れる事くらい。爆風が終わった時には、僕はコロシアム内部側の壁に杖を刺してぶら下がっていた。
 シェンメイも僕と同じく落ちたようで、コロシアムの瓦礫の山の中で倒れていた。
「わざわざ無駄に能力名を明かしての行動をしたが、お前は避けないようだな」
 アークワンがシェンメイを見下ろして呟く。体を震わせて立ち上がろうとして、結局上半身すら起こせずにいるシェンメイ。
「……っ!」
 コロシアム入り口付近の瓦礫の山が盛り上がり、ノエルさんが現れた。しかし下半身に乗った大岩からは抜けられず、這いつくばる姿勢で止まった。
 リトライを繰り返す時に発見したが、実はノエルさんはコロシアムに駆けつけていて、瓦礫に真っ先に埋もれた事で結果的に爆風を防げていた。
 すぐにでも駆け付けたい所だが、今ぶら下がっている高所から安全に降りる方法がすぐに浮かんでくれない。時間の流れを遅くするだけで落下の勢いは一切無くならないため、時空操術で普通に飛び降りればいいというものでもない。
 ノエルさんが腕を支えにしてアークワンを見上げる。その顔に宿る感情は怒りだ。
「どうして……信心深いシェンメイさんにこんな……!」
「我の一撃にも耐えられぬようでは足りん。無価値な民草を上回る程度で、到達したと思われるのは不本意だ」
「どうして攻撃したと聞いているんです!!」
 ノエルさんは前進しようとして瓦礫に邪魔される。
 僕は仕方なく、今は壁を崖感覚で冷静に降りていく方法を選択した。幸いコロシアムは古い施設なのか、凹凸が多い。しかしすぐ崩れるから注意だ。
 二人の会話は続く。
「試すため、見定めるためだ。あの方の望みに到達出来る存在か。見込みはあれど今は無価値。こやつには今しばし、力を育てる時間を与えるべきだ」
「無価値、無価値って……価値ならあります、力だけが全てじゃありません!」
「その唱えた異は、世界の理を否定する。お前は世界の異物、別世界より来たる癌細胞としてその身を持つ者であると宣うつもりか」
「シェンメイさんは、その言葉で、信念で、街の皆さんの心を良かれ悪かれ動かしました。私達にとって、シェンメイさんは意味のある存在になっていたんです!」
「お前達はあの方のために存在する。望みに繋がらない、力無き弱者の行いに意味は無い」
 狂った思考だ、なんて事を一瞬思えなかった。アークワンの堂々たる姿と魂に響く声で、本当にあの方が神なんじゃないかと思いかけた。
「戦いの力以外にも価値のある行いはあります!私は街の皆さんと関わり、優しさに、心の温かさに触れ、美しい平和の景色を見ました。力であの美しい世界は創れない。この世界には力以外の価値あるものがたくさんあります、それを否定するのは、私が――私達が許しません!私は、力なんて求めない!」
 しかしノエルさんは怯まなかった。揺らいでしまった僕は、大した意思も無くのうのうと毎日を生きていたのだろうか。
 僕がようやく地に降り立った時、アークワンの体に流れる炎の色が強まった。
「お前の愚かな話でようやく我は理解した。成程。道理で、世界に再び力が漲るまでにこれほどまでの時を要した。この世界には、あの方の望む物ではない概念が増えすぎたようだ」
 組んでいた腕を解き、手を広げたアークワン。それだけでコロシアムが覆われ、太陽が見えなくなる。
 しかし新たな炎が現れた。アークワンの背中あたりに巡り始めた、巨大な赤い炎の魔法陣、いや、紋章。奴の体が大きいため紋章全体は見渡せず、見える部分から感じる力だけでも、オーディンのものとは比べ物にならない。
「力を求めぬ者に、存在する価値は無い。我の最たる能力、始原の炎にて、存在そのものを焼き尽くしてやろう」
「っ……!」
「ノエルさ――!?」
 そして気付いた。ノエルさんの瓦礫を撤去すべく走り出していたはずの僕の体は、その神々しい存在を――無数の紋章魔法陣から放たれ、一点に集まっていく炎を見て固まってしまった。恐怖で足でも竦んだか、はたまた別の理由か。
「エンデガさん……っ!」
 声に反応して僕に気付いたノエルさんだが、僕は今きっとノエルさんと同じ絶望の顔で、情けない事に一歩も動かない。
「因果律を滅却する炎、誰一人として乗り越えられた者はいない。しかし、この力に臆するな。己の全存在で挑み、最期の一時まで足掻け。我は、いずれこの世界の者が超えねばならない存在だ」
 ――駄目だ、無理だアークワン。僕はそれに成り得ない。
 因果律の滅却、きっとそれが原因だろうか。炎が発生した時点で、僕の行動選択肢が、能力によって指し示される未来の可能性が消え去っている。全ての可能性を焼かれ、残ったのは、ただここで裁きの瞬間をただ突っ立って見る現在くらいだ。
「エンデガさん……どうしたんですか……?やっぱり力には、抗えないんですか……?」
 僕を見上げ、涙目になっているノエルさん。僕は壁際、遠くでそれをただ見下ろしている。足が踏み出せない。踏み出さない。脳にその選択肢が根本から無い。
 彼女の発言にはきっと、いつか想った平和の夢の意味も含まれているのだろう。力が無くても生きていける、平和はそうして創れる。力が無くても助け合いだけで問題は解決する。
 それはきっと別の世界なら可能かもしれない。もう僕は奴を信じそうになっている。ここが戦いの世界だなんて教えは、実はずっと前から言われてきたじゃないか。
 ノエルさんに炎が近付き、視界が赤く燃える。炎の音が聞こえ、一瞬聴力が歪んで静寂になる。
 カチッ――
 耳が死んでも、脳に響く時計。
――それが、貴様の望んだ結末か?
 戻る場所すら分からないけれど。
 カチッ――
 今僕がここにいるなら、可能性世界は、今視界に広がる一つだけなら残存している……?
 カチッ――
 なら例え一本道の世界でも。
「結局、僕が出来るのは後退だけかっ」
 時空操術発動。
 正直、使わない方が良かったかもしれない。
 禁忌を破り魔術を使う。その一番の代償は当然、その魔術の禁忌たる所以を思い知る事だ。

〇 ● 〇 ●

 アルドやセスの村を抜けてしばらく。街と村の中間くらいの道。
「エンデガさん、今日が何の日か覚えていますか?」
 ノエルさんが僕を見て首を傾ける。当然だが、瓦礫に埋もれたような砂ぼこりが顔についていたりはしない。
 しばらく考え、首を振る。分かっていても相手に言わせよう。
「いや、分からないよ。何の日?」
「エンデガさん、貴方の16歳の誕生日です。また私と同い年になりましたね!」
「あぁ……ありがとう」
 同い年だったのか。あぁ、そうだ、同い年だった。


 街のベンチに座り、二人で朝食。僕は今後について考える。
 アークワンに立ち向かうためには何が必要だろう。新たな知識。戦略。能力。
 また空いた時間を見つけて、研究に没頭するかな。
 でもどんな力を習得すればいいのか――
「エンデガさん、どうしました?もしかして、口に合いませんでしたか?」
 呼ばれて思考が中断されたので、下がっていた首を上げる。手にはまだパンが握られている。中に何も入ってないし味もない生地の塊だ。口に合わないとかは特に無い。
「いや……おいしいよ」
 以前なら普通などといった感想を言ったかもしれない。僕もお世辞を言うようになったか。
「じゃあ考え事とかですか。次の方針はどうします?何か予定を考えていたなら、それに従いますよ?」
 今後の予定は決まっている。
「なら、とりあえず中央広場に行こうか」
 これから炎が見えてくると知らないノエルさんが無邪気に笑う。
「何か考えがあるんですね!それでは、まずそのパンを食べてから、行きましょう!」
「あっ……」
 また食事を忘れていた。先ばかり見ている。


「神の言葉を伝えよう!」
 シェンメイの集会。さて、現在時刻の確認。胸元の懐中時計は能力とは関係ないので正確に時を伝えてくれる。多少僕の行動にズレがあっても、起こるイベントの時刻は同じだった。
「同じ時計の役割をするベルが同じ場所にあっても邪魔だな……」
 懐中時計を触ろうとするとベルが前に出てくる。せっかく気付いたのでベルに紐を着け、左腕の手首近くに巻き付けた。そこら辺の通行人から学んだ、時計の装備位置だ。
 ノエルさんが腕のベルを見て反応する。
「あ。そのベル、まだ使ってくれてるんですね。天界で針時計を入手してからは不要だと思ってました」
「時計は見なくちゃ分からないけど、こっちは一定周期で揺れるし音も鳴るからどっちもメリットがあってね。助かってるよ」
 小規模な時空操術を使う時、時間を戻している最中にベルが揺れた回数とかで時間を把握したりする。正直、懐中時計の方にも揺れたり音が鳴る機能が欲しい。杖も秒針がうるさいだけだ。
「えへへ……嬉しいです。――なんだか、お供え物が喜ばれたみたいで」
 途中俯いて呟かれた小声は聞き取れなかった。聞き返そうとすると、立ち眩みが襲ってきた。
 視界が炎の赤に染まり、戻る。シェンメイが黒鱗と呼んでいたものが発生し、数体の竜族が倒れた。
「な、なにが起きているんですか!?」
 ノエルさんと会話を弾ませる事でシェンメイの話を耳に入れなくしたが、成功したようだ。
 シェンメイが、前回と同じように暴れてからコロシアムに向かう。
「僕らもいこう」
「えっ?ちょっと、え、エンデガさん!?こんな街中で、は、恥ずかしいですからっ……!」
 ノエルさんは振動で足をやられていたので、事前に対処していた僕がまたお姫様抱っこで運んだ。


 階段を登ってコロシアム前。ノエルさんを降ろそうとしたが――
「愚鈍!」
 こちらに向かって飛び蹴りを行うシェンメイ。もう分かっている。
「翼、ぁ!」
 しくじった。今回僕は魔術の研究に没頭していて、翼を貰っていなかった。
「ぐぅっ!」
「きゃあっ!」
 回避出来ずまともに喰らって、上がってきた階段を二人で転がり落ちる。踊り場で止まって倒れる。
「人助けは大事だな――っと」
 もう一度、数秒前へ戻ろう。時計杖の針を回す。

 事前にノエルさんを降ろして回復を指示。数歩僕が先行して階段を登りきる。
「愚鈍!」
「クロックアップ、加速」
 自身の流れる時間を早めてステップ回避。相手の隙を逃さずに、杖を突き出して鎖を飛ばす。
「何っ!?」
 鎖で縛られたシェンメイは、突然すぎる反撃に反抗が出来ていない。
「ボルト」
 雷魔術を鎖に流す。シェンメイは気を失って倒れたが、瓢箪竜が飛び出してくる。
「ちっ」
 鎖がまだシェンメイに繋がっているので移動可能範囲が狭い。手を離しても良さそうだが、それは杖を手放し、時空操術が使えなくなる事を意味する。万一死にかけて戻れずに終わりになるのは厳しい。
 右足を限界まで上げて蹴りを入れるが、竜は怯まない。本当に幻影体だからか、足がすり抜けるような感覚だった。
 その足を噛まれて空高く持ち上げられる。まずい――
「響け、聖なるベルよ!」
 ノエルさんの声。放たれた闇属性の矢が竜を貫き、戦闘は終了した。僕はそのまま落下したが、小さな神弓使いの男と悪魔の女に支えられた。
「大丈夫ですか、エンデガさん!?」
 駆けつけてくるノエルさん。小さな二人は雪となって降り注いだ。ミカエル戦の時もそうだったが、彼女の召喚魔術はなかなか高性能だ。
「うん、助かったよ。ありがとう」
 雪の上で寝転がったままお礼を言って、立ち上がる。コートについた雪を軽く払って、コロシアムの階段を登るための第一歩を踏み出す。
「あの、シェンメイさんはどうしますか?」
「ほっといていいよ」
「うーん……」
 僕は真っ直ぐ歩いたが、後ろからベルの音が聞こえてきた。きっと回復させたんだろう、良い子だなぁ。

 コロシアムに入り、メインとなる闘技場へ向かう。
 アークワンが発した第一声。
「何故お前は、このような時間を繰り返した」
 その言葉に、僕は絶句した。
「ど……どうして……どうしてそれを……」
 湧きだした冷汗が止まらない。孤独からの解放も感じたが、それも一瞬。後は混乱と恐怖で満たされた。
「我とお前達では、根本が違うのだ。お前の目で見てきただけの矮小な世界の常識が、我らにも適用されるなどとは考えるべきではない」
 何も言えなかった、何も出来なかった。
「エンデガさん……?」
 困惑するノエルさんも、僕の名を呼んで心配するのが今やれる行動の限界だろう。
 腕を組み、僕らが何も言わないのを確認したアークワンは言葉を続ける。
「疑問に思わなかった事を疑問に思うのだ。普段のお前なら、我に遭遇する可能性をまず回避したはずだ。しかし今、多少の差異はあれど、辿ってきた軌跡は同一のもの。この後我が成す裁きも、お前は本当に回避できるとは思っていない」
「そんな事は……っ!」
 否定出来なかった。僕はこのままノエルさんが消えるまでの流れを続けようとしていた。僕に行動方針を選ぶ猶予はあったのに、これしか選択肢になかった。
「始原の炎は対象の因果律の抹消を行う。そこに立つ愚かな娘に関連する事象は、既に焼き払われている」
 そして残ったのは、何もない、何もしないで滅びを待つだけの虚無なる世界――
「どういう事ですか、エンデガさん……私はこれからどうなるんですか……」
「……本当、酷いな。やり直す力は苦しいだけじゃないか」
 今更禁忌を破ってすみませんでしたなんて、普通の人間に戻してくださいなんて言えないけどさ。
「理解出来たなら、これを教訓に。糧にして。力を求め続けよ。お前の力は可能性に満ちている」
 アークワンの炎が迫る。話は理解したけど、せめて僕の動きを封じるなりして欲しかった。
「エンデガさん!」
 だってこんなの、黙って見てられないじゃないか。


「エンデガさん、今日が何の日か覚えていますか?」
 ノエルさんが僕を見て首を傾ける。
 しばらく考え、俯く。
「いや……何の日?」
「エンデガさん、貴方の16歳の誕生日です。また私と同い年になりましたね!」
 誕生?今から誕生する僕は一体どんな存在なんだろう。
 おもむろにノエルさんに近付く。相手は一歩引いた。――怖い顔とかしてたかな。
 抱きしめて笑った。久々に涙が止まらなかった。

● 〇 ● 〇

 時空操術と共に貰い、今や僕の手で記述が増え、魔導書となった本と今日も向き合う。
「これを工夫すれば新しい攻撃手段になるかも。いや、それだけじゃなく生活にも役立つ……」
「エンデガさーん」
 呼ばれていたので、記入に使う羽を別の紙で包み、栞にして本を閉じる。
 振り向いて見上げると、ノエルさんが大きな袋を持ってふらついていた。
「あぁ危ない、手伝うよ」
「ありがとうございます」
 今日は聖夜の予行練習みたいな感じで、サンタの真似事をしていた。もうこれで両手の指で数えられないくらいやっていたので、合間合間に魔術研究に意識が向いていた。
「あと数軒で配り終わります、疲れましたか?」
「僕は大したことしてないし、ノエルさんが疲れてないなら僕も大丈夫」
 なんてことない会話をしながら、午前の活動を終える。
「本番もこのくらいスムーズにやりたいですけど、聖夜はさらに人々が集まるので、移動が大変かもしれませんね」
 僕はこれを本番と思って欲しいけどね。
「お父さんみたいにトナカイを派遣出来ないの?」
「あれは資格みたいなもので、能力も信心もない私はまだ使えませんね」
「――そういえば、ノエルさんは今どの神を信じてるの?確か今はアスガルドじゃないって言ってたけど、本気で何も信じてないなら、あそこまで教会と話せるかな」
 ノエルさんは少し悩むように目を逸らしてから、小さな声で言う。
「エンデガさん、って言ったら、信じますか?」
「……僕は神じゃないよ。多分」
 クロノスは人間でありながら、神として崇められた。その力を継いだ僕が神として信仰される。即完全否定は出来なかった。
「感じる力といいますか……能力を試し打ちしてる時のエンデガさんからあふれ出るオーラみたいなものが、天界の神々と似ているんです」
 ノエルさんの発言はきっと正しい。時空操術は天界の秘術。普通の魔術と同じ方法で使えるものではないのだろう。
 考え事に没頭しそうになって黙ってしまう僕。ノエルさんは話し続ける。
「駄目ですかね、信仰。何も信じられなくなりそうな今、そばにいる方が天界の力を使っていて、縋りたくなってしまったといいますか……」
 僕は神を信じない。故に、僕も神であろうとは思わない。けど。
「仕方ない。別に神じゃないけど、ノエルさんだけの神サマにはなってみようかな」
 ノエルさんが顔を赤くして口元を両手で覆う。
「エンデガさん……だいぶ恥ずかしい事言ってますよ……?」
「どうだかね」
 顔を見ないように空を見上げる。彼女との関係ってどうだっけ。
 変な信仰も追加されて、普通の友達か怪しくなってきた。

「つまらないなぁ。何度でもやり直せるのはありがたいけどさ……」
 本当にやり直したい事はいつも、いっつもやり直せない。
 午後は必ずシェンメイの集まりに参加する。これは必然。
 さて、講演もそろそろ飽きてきた。
 というか、最近の出来事はもう全部飽きてきた。何周もしすぎた。
 僕が何もしなかった場合、同じ人が同じことを言うから、みんなが生きた生物なのか怪しくなった時もよくある。
 しかし、今回で新たな変化が起こる。
 黒鱗発生。慣れてきた感覚だが、追加で左腕が少し熱くなる。ベルだ。
 隣のノエルさんを見ると、彼女は荒い呼吸をしながらうずくまっていた。
「ノエルさん!?」
 しゃがんで様子を見る。明らかに辛そうだったので人通りの少ない日陰に運ぶ。その身体は妙に熱かった。
「黒鱗の対象に選ばれる……なんてことはないはず……」
 降ろして僕も傍でしゃがむ。石の床はひんやり冷たい。
「はぁっ……はあぁ……」
 沈み込むように地に座るノエルさんが汗を掻き始める。魔術で調べてみたが病気とかでもない。
「ノエルさん、ノエルさん、何か言って欲しい、どんな症状?変な事があったら教えて欲しい」
 ノエルさんが目を薄く開く。どこも見ていないような狂いかけた目が、僕の姿を発見する。
「エンデガ……さん……おかしいです……貴方の姿は、分かりましたが……他の景色が、何だが薄く――」
「ノエルさんっ!」
 彼女の体にさらなる異変が発生した。服を纏っていない顔などの部分が透け、後ろの赤フードが少し見えている。両肩を持ったが、肉体は存在している。いや、まだ存在している、か。
「熱い、熱いっ……はぁっ……!」
 僕はとりあえず、この事態を一度落ち着けるために過去に戻ろうとした。しかし。
「最初の時と同じ……!?」
 動かない。いや、頑張れば動くかもしれないが、もう少ししか見えない可能性の時計が、完全に消えているのだ。
 きっと今戻ったら、ノエルさんはいなくなっている。過去にノエルさんはいない扱いになっている。
「エンデガさん……始原竜アークワンのもとへ行きましょう……」
「わ、分かった」
 言われるがまま、燃えるように熱いノエルさんを運んでコロシアムへ走った。始原竜の名を知っている事を疑問に思う暇も無かった。

 シェンメイとの戦いを冷静に切り抜ける。もう何十回もやっているので、全ての行動が筒抜けだ。
 コロシアムに到達。ノエルさんも杖を支えに自分で歩いている。
「アークワン、これはどういう事だ!?」
 奴は目を閉じて答える。
「お前が逃げ、戻り続け、生きる世界は過去だ。現在はこれより先にある。時が経つにつれ、本来無かったものが過去に存在しているという異変は、自然に修正される」
 長い事同じ時を繰り返して考え続け、僕でも話の理解は出来た。
「このまま残り続けたら、ノエルさんが存在するという別世界に僕は移動する事になる。だけど……」
「そうだ。その別世界は既に全て抹消されている。この世界に留まる事が確定している。なら、この娘は何故ここに存在しているのか」
 もう会話はやめる事にした。ノエルさんに振り向いて事情を話そう。
「ごめんノエルさん。僕は守れなかったんだ」
 これらの会話だけで、ありがたい事にある程度察してくれたみたいだ。
「いえ、いいんです。私の中では十数時間ですけど、エンデガさんは私と、ずっと一緒に居てくれたんですから。それこそ人生、最後の一瞬まで」
 僕にとっては何日――いや、何か月だろうか。僕は考えるのをやめた。
「エンデガさんは先に進んでください。これ、本当の意味で過去に囚われてる、って感じですから」
――なんでこんな時まで笑顔でいられるんだ、この人は。
「不安だよノエルさん。不安だよ。家族がいなくて。故郷が崩れて。キミくらいしかいなくて。僕はこの先、生きる意味があるのか分からないんだ……!」
 拳を握って涙を流す。ノエルさんも少し涙目になってきたが、笑顔を絶やしてくれない。
「そんなに想われていたんですね、私……それを知れて良かったです。私も、私がエンデガさんの傍に居たら迷惑じゃないかって、さっき、思っちゃったから」
 発生時間は決まっている。もう炎は無慈悲に出現する。そして僕はこれを防げない。
「きっと、他の生きる目的を見つけてくださいね」
 無理だ、なんて首を振りそうになった。けどその無理して泣かないでいてくれる笑顔に、それは良くない答えだ。
「分かった。努力する。ありがとう。ごめん。ごめんなさい」
「私がここに行きたいって言ったんですから、謝らないでください」
 アークワンの手で炎が完成する。迫る。ノエルさんは体をそれに向ける。
「消えよ。霞のように、影も残さず」
 アークワンの裁きの一声。首だけこちらに向けたノエルさん。
「ありがとうございました。そして、さようなら……」
 さらに何か一言、口は動いていた。しかし、それを聞く事は叶わなかった。
 初めて時空操術を得た際、沢山の未来を見た。その中に、今と似たような景色があった気がした。
 そう思い、気付く。これも最初から、時空操術が見せてくれた可能性の一つであった事を。
 もっと早くそれに気付き、実力を備えて準備していれば、回避出来た可能性であった事を。
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登場人物紹介

エンデガ

物語の主人公。幼くして家族を失っている。芸術を始めとした世界の文化に関心があり、今住んでいる狭い浮島から抜け出したいと思っている。

ノエル

エンデガと同じ神学校に通う、サンタクロースの娘。神々への信心がとても深いが、信心の無いエンデガの意思を尊重出来る心も持っている。

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