【Ⅺ】ある因果の運命にて舞い踊る

文字数 14,917文字

 未来の分岐点は、僕が把握しきれないほど無数に存在する。それを毎度意識して先を見据えられるほど、余裕があった事も少ない。
 だが今回は考える余裕があった。分岐点の理解も簡単だ。
「ここで動くか、留まるか」
 正直、僕は今それなりの平和や幸せを感じられる環境に到達している。カナリー達は、エスポワル村を僕の帰る場所として迎えてくれた。ススキターティオーの未来分岐も気になるところだったので、とりあえず仮の住まいとして数日を過ごしたが、あまりにも平和だった。
 負担に対して得るものが少なく、気分の良いものでも無いので最近使っていなかった、相手の未来を少し除く術も使って調べた。そして、ここに居ればずっと安泰と確信した。
 しかし。
「このまま向き合わずにいられないよね」
 左手首の包帯を見る。記憶の欠損部分を、単なる物忘れと考えて放置する事は出来ない。表層意識ではもう関わる事を面倒くさがっている。だって知りもしない記憶だよ、関わり続けるのもだいぶ狂ってるよ。
 でも、心の奥底だろうか、どこかの僕が、これらの件を求めて強く喚き散らすのだ。今の僕の体の支配権を奪ってでも、今すぐに走り出しそうなほどに。
 エスポワル村から少し離れた草原地帯。その辺にあった、それなりに大きな葉をちぎって、冷却魔法をかけた。
「キミの上司はこれを詠唱も無しに一瞬なんだってね」
 秋も後半に入ってくるこの気温なら、それなりに硬く綺麗な葉の氷石を作れた。
 何もない地面にそれを置いて、僕は少し離れた木の陰に座った。村のみんなには半日ほど出かけると伝えているので、今日はここでしばらく待機する日になる。
 しばらくして、昼食の時間。包みを開けば、新鮮な食事が現れる。
「えっと、これは何の肉だ……?いや、まずこれは肉なのか?」
 以前、僕の質素な食事を見たカナリー。あれ以降彼女が外出の際の弁当を用意してくれていたりする。羨ましがるおじさん方の視線もそろそろ慣れてきた。別の地方のファンならさらにすごい目をするかもしれない。
 ただ彼女、挑戦心と諦めない気持ちはすごいが、今のところ料理技術は僕レベルだ。彼女を疑うわけじゃないが、安全のため、せめて目の前の肉がどの動物の出なのかだけは知りたい。
 原材料は不明だし、味もそれを解明するに至らないものだが、目だけで味わえば完璧な見た目と、何より僕のために用意してくれた気持ちだけで満腹になった。
 そしてしばらく。氷が――気温は低いので、実際は僕の維持していた術が――溶け始めた頃、空に一人の天使が現れ、急降下してきた。
 銃器を担いで降り立った天使、エルティナは、おもむろに氷葉石を手に取り、きょろきょろと周囲を見回した。僕は立ちあがり、可能性世界の共闘者のもとへ歩き、口を開く。
「キミを呼んだのは僕、いや、キミ自身かな。どうも、粛清の天使エルティナ」
 僕らは初対面だ。不審に思うような視線を向けられる。だが、期待通り攻撃は行わないでくれた。
 エルティナは歩いて僕の隣を通り過ぎ、木に背を預けて腕を組んだ。
「知っている全てを話してもらおうか」


 僕は、時間遡行後のエルティナの信頼を得るための方法を、遡行前のエルティナから聞いた。あの氷の石、そしてそれが溶け始める際に発生するあまりに微弱な力は、エルティナがかつて上司のガブリエルと出会った時の思い出なのだそう。なので、彼女はその氷の微弱な力を感知出来るという。そういった、エルティナ本人しか知らない事を行えば、それを使って呼び出した人が只者じゃない事くらい分かるとのこと。結果は大成功だ。
 僕のした話は、信じ難いものだろう。だが、定期的にエルティナが吹っ掛ける質問に的確に答え続ける事で、真実の証明になってきた。
「成程。天界の秘術の説明と合致する。君が例の、二代目の時空操者という事ね」
「理解出来た?ならもういいかな、疲れた……」
「ええ、ここまでの経緯は理解した。でも、この話を聞く限り、ここであたしを呼び出す利点が、君には無い気がする」
 疲れたが、ここからが本題だ。
「僕はススキターティオーやサタンの情報が欲しい。キミは戦闘中、オプスクーリタースとか、色々知っている事があったから」
 ススキターティオーが纏っていた攻撃減衰魔法、オプスクーリタース。随分とネーミングセンスが似ている気がするし、一般的な魔法名ではない。それを知っているという事は、エルティナは魔王関連のそれなりの知識を持っていると思ったのだ。
「あとは単純に、キミが僕と関わる事を望んでいるみたいだったから」
 数日も間があったのは、僕の心の整理期間だったり、ススキターの調査だったりといった事で遅くなったから。本来の予定としては、遡行前のエルティナのためにも、すぐにでも会うべきだと思っていたのだ。
「今のあたしは、説明されるまで何も知らなかった。別に放っておいて良かった」
「僕がキミを放っておけないんだよ」
 何となくだけど、今のエルティナの表情から、少し以前の僕と同じような暗さを感じた。なんて、そんな事を言ったら怒られるだろうけど。
 粛清の天使は僕の顔を見ながら、しばらく唖然としたあと小さく吹き出して、二つ名の割に綺麗な微笑を浮かべた。
「分かった。じゃあ、次はあたしの事を話すわ」
 エルティナは、天軍の第四師団に所属し、四大天使ガブリエルの部下として働いていた。だが現在は貴重な光の銃器を持ち去って天軍から独立、師団員から逃げる日々を過ごしているという。
「天軍の指揮を執るのは、四大天使と、最大戦力であるルシファー様。だけど、ルシファーはある日突然堕天して、黒の大地へ行ってしまった。もう白の大地全体が大騒ぎの事件となったわけだけど、知ってる?」
「いや。多分僕が記憶を無くしたあたりの時期に起きた出来事だったんだろうね」
 アークワンの騒ぎも相当なものだった。そちらに目が行っていた竜族や僕なら、ひょっとしたらルシファーの堕天にも気付かなかったかもしれない。
 エルティナは話を続ける。
「あたしは、その堕天の理由の説明を待った。でも上はそれを隠し続けた。天軍や天の協会といった組織は、天界というエリアの下部組織でしかない。唯一、堕天の理由を知っているはずの、天界の最高意思決定機関、天位議会の行動や思惑は何も分からない」
「それでよく天軍は忠誠を誓い続けられるね」
「そう、あたしも不思議でならなかった。あたしは議会や、それらに従い続ける天軍が信じられなくなって、今ここにいる。もし議会が悪だとしたら、粛清の光弾はあたしが所持して、議会に、天軍にこそ銃口を向けるべきだと思う。正義のために」
 そしてエルティナは議会の行ってきた事や、秘匿された真実を調べながら活動しているそう。僕にうっすら残る戦いの記憶、アスガルドエリアのオーディンの指令術が、天界エリアの天使に効いたのも、天位議会が密かにオーディンと関わっていた事が原因だったという。
「そういった調査の中で分かったのが、オプスクーリタース。あれはルシファーが堕天した後に開発した、闇の瘴気(ミアズマ)。それを纏う巨大な虫なんて発見したら、別の時間軸のあたしも、動かないわけにはいかなかったでしょうね」
 ここで一つの疑問。僕は久々に質問をしてみる。
「堕天したルシファーの情報を得られるチャンスだったと思うけど、容赦なく攻撃してくれたよ。僕なら無傷で捕獲して研究するけど、どうしてかな」
「その通り。今のあたしもそう思う。でも実際にその場面に遭遇したら、何よりも目の前の人々を助ける事を優先したってことね。腐っても天軍、か」
 エルティナは目を閉じて苦笑した。
 僕の天軍のイメージは悪かったが、シェリザや、今のエルティナの話を聞くと、徐々にそれは改善されてきていた。天界自体の評価は、悪くなる一方だったが。

 その後も様々な話をして、情報を揃えていった。ルシファーが、サタンと手を組んだ七罪の一人であるという話に確信を持ったり、ススキターティオーは同じく七罪の魔王ベルゼブブの虫を素体に作られている事、そしてそれだけの大規模魔法生命体を、僕一人だけのために用意するほど、魔王達は僕に関心を持っているという事など。
 そして僕達は、今後の行動方針を決定する。
「僕は黒の大地の魔界に行って、ルシファーと関わってみる。僕についてどれほど知っているのか、そして僕の何を求めてススキターを差し向けたのか。それを確かめたい」
「あたしも同行する。ここまで情報が出揃ってるなら、彼に直接堕天の理由を聞いた方が早そうだし。そして虫の魔物を送り込んで平和を脅かし始めているなら、そろそろ出向かないと危険だから」
「天軍から独立した時点で、その行動方針で良かったんじゃないの?」
 怒られそうな質問を投げてみると、エルティナは首を振った。
「その点については、後で説明する。馴れ合いは好きじゃないけど、今回は君の存在は重要なの」
「へぇ、そう。僕は一人で大丈夫だけどね」
「言うじゃない。現状、オプスクーリタースを消滅させられるのはあたしの光弾だけ。そもそも黒の大地の行き方は分かる?」
 返す言葉も無く、お互い不敵な笑みで笑い続けた。


〇 ● 〇 ●


「じゃあ、もう行くよ」
 エスポワル村に背を向け、首だけ回して挨拶。
「うん、いってらっしゃい、みんなで帰りを待ってるね。あっ、他に行きたい場所が見つかったら、そっちでもいいんだけど」
 村の出口で送ってくれたカナリーに頷いて、真っ直ぐ歩き出す。僕も今のところ、色々片付いたらここに帰るつもりだ。ようやく出来た居場所、みたいな感じだから。
 クロリスやシェリザは仕事の都合上、もう村から出ている。定期的に村には遊びに来るそうだ。
「お待たせ」
「ふん」
 先で待っていたエルティナに声をかけると、半分無視するように歩き始めた。シェリザは天軍のお偉いさんだったりするので、彼女がいなかったのはエルティナと、その騒動に付き合わされる僕としては幸いだったかもしれない。
「僕を掴んで飛んだりすれば早かったりしない?」
「上空はあたしの偵察部隊が飛んでる。ススキターの混乱があった時くらいしか、掴んで飛ぶなんて厳しい」
 あれは例外的な挙動だったようだ。少し落胆した。
 僕は道を知らない。お互いに歩幅の差を配慮し合わないので、少しづつ距離が離れていくのを感じながら、僕はエルティナの後ろを歩き続けた。
 この天使、驚くほど歩くのが速い。距離が離れすぎる度に駆け足になっていると、カナリーもクロリスも、僕にそういった配慮をしてくれていたかもしれないと気付いた。
 しかし、長い道のりの中。僕が徐々に本当に追いつけなくなってくると、エルティナは振り向いて、
「はぁ。もう疲れたの?無理してるようならすぐ休憩にするから。いい?」
 なんて言うのだ。
「……てっきり、鞭打って歩き続ける天使かと思った」
「これはあくまで、あたし自身のためよ。近くで歩いてる同行者がそんな顔してたら、おちおち歩けもしないじゃない」
 不機嫌そうな顔をしていた。しかしその翼の細かい揺れ方、シェリザの翼と同じ仕組みだとすれば、これは相当心配している。
 やっぱり、悪い人でもないなと思う。


 そして辿り着いたのは、世界の端、白の大地の崖。柵が無いので近付きたくも無いが、ある一ヶ所だけ、崖から外に出っ張っている何かを包み込むように石の柵が造られている。
「ここが狭間の大階段。天使達は石返し階段、なんて呼んでた」
「柵の中にそれがあって、黒の大地に繋がるってことね」
「そういう事」
 まだ離れていて階段自体は見えないため、歩いて近付いていく。エルティナが歩きながらしれっと話す。
「あたしはここからは初めて。魔界へ向かう方向くらいしか分からない」
「えっ、早い」
「ここまでちゃんとした純天使族が、黒の大地に行くこと自体リスキー。加護や祝福を受けられないし、環境との相性が悪すぎるの。最悪、魔系種族と関わったり、長期間滞在するだけで堕天しかねない」
 そんな簡単な種族転換あってたまるかといった感じだが、話は真剣だ。天使と堕天使はほとんど同じ種族なのだろう。
「以前会ったアズリエルって天使は、死霊族みたいな奴と関わってたけど?」
「あれは放浪する死の天使よ。アスガルドのヴァルキリーもそうだけど、あれらの例外を除けば天使なんてみんな天界エリアでしか住んでない」
 そんなにも限定的な種族だというのは初耳だ。なら、黒の大地に行くリスクも納得かもしれない。
 近付いてみると案外、螺旋階段を囲う柵は大規模だ。奥の柵石を眺めようとすると、うっかり体のバランスを崩しそうになる。
 エルティナが率先して階段下りの第一歩を踏み出す。
「これより、突入を開始する。もしあたしが堕天しそうになったら、単体時間操作でこの時間帯のあたしの身体まで戻して。その安全策のために君が欲しかったの」
「天軍が禁忌に頼るとはね」
「禁忌を定めたのは天位議会だから、天軍でもあたしに限っては信用してない。それに、大事なのはその術で善行を行うか悪行を行うかどうかだから」
 堕天の作用に抗うのは、最終的に黒の大地で成果を上げなければ悪行判定なのでは……なんて言うのはやめておいた。
 螺旋階段なので、大地から遠く離れる時がある。平たい大地の側面に輝く白い壁は、規模が大きすぎてこれまたふらついてしまう。
「道が途切れている。もしやこれが反転の……」
 エルティナが指差した先、僕らが歩くべき道が途中から消えている。元から無いかのようだ。
「僕が調べるよ」
 よしんば事故があってもやり直せるので、危険性のある調査は僕の役目だ。
 急に消えている階段。その直前の最終段に両足を乗せる。
「不可視とか……?」
 もう一歩を慎重に動かし、本来次がありそうな場所まで足を動かす。すると、何やら下に吸い込まれるような力を感じた。風でも魔力でもない、初めての感覚だ。好奇心でその力に身を委ね、浮かせていた足を踏み抜く。
「うっ!?」
 力に呑まれ、僕の身体は全てその引力の先へ。驚きと不快感に目を閉じ、収まったのを確認して目を開く。
「おぇぇっ――ん?」
 視界に広がるのは、登り階段。大地の側面は黒色。後ろを見ると、階段はある場所で急に消えている。
「分かったぞ」
 僕は消えた階段から、下方向に向かって声をかける。
「エルティナ。重力の反転段だ。僕は今、黒の大地側の重力に乗れたんだ」
「なるほどね、助かった。――え、待ってエンデガ、下から見たら粛清する!」
「見てないし、下から見てもただのエルティナでしょ……」
 突然叫ぶ天使の声が聞こえたので、僕だけ異世界に行ったなんて説は否定されて、重力反転説が証明された。
「えいっ」
 エルティナが反転場に飛び込む。
「きゃあっ!?」
 反転せず僕から見て真上に落ちる!
「くっ――!」
 僕はすかさず手を上に伸ばして、エルティナの手を掴む。
 共に真上に落ちそうになる、不思議な感覚に耐える。杖を階段に刺して鎖で足を固定し、エルティナをこちら側へ引っ張る。
「どうにかこっちの重力に乗って!」
「やってみるっ……!」
 翼を動かし、弱い力で浮いて調整。数秒後、エルティナの重力が黒の大地側に移った。
 先ほどまで引っ張っていたため、突然急接近する事になった僕は押し倒された。エルティナは冷静に立ち上がって手を伸ばしてくるので、それを掴んで僕も立ち上がった。鎖を外して息をつく。
「翼が使えたなら、飛べば解決したんじゃないの」
 そもそも何故重力反転が起きなかったのかは謎だが、僕と違って歩かずに飛び降りたから、という仮説で締める事にした。世界の謎を解こうとすると日が暮れてしまう。黒の大地に太陽は無いらしいけど。
「光が届かないから、翼もあまり機能しなかったみたい。天使の翼の推進力の半分は、天の恵みの奇跡や、上位神の事象顕現よ。体の小さい天使なら、翼だけでも飛べるけど」
 乱れた髪を整えて広げたエルティナは、その後少し顔を逸らした。
「だからその……正直、助かった。感謝する」
 それでも最後は真っ直ぐ僕を見ていた。一度リセットしてしまったけど、またこうして彼女との信頼関係は深まったかもしれない。


 太陽も月も、自然の草木一本生えない不毛の大地、黒の大地。充満した魔力が生み出す自然現象の赤色の空が唯一視界を照らし、目の前の景色くらいは見えるようになっている。あと、戦いも頻繁に起こっているので、それによる炎や雷などでも視界は確保できる。
 そのなかでも魔物の個体としての強さが目立つ魔界エリア。しかし遭遇を最大限避けてしまえばどうという事は無く、数時間の調査で場所を突き止め、目的地に到着した。
「塔?」
 魔王の居場所の第一印象はそんな所だった。隣の戦友は首を振り、塔の側面を指さした。
「あのあたり、削れて室内が少し見えてる。元は立派な城だったけど、魔力で少しづつ削れて長細くなってるのよ」
「どうして直さないんだろう。流石にそんな早く削れないだろうし、補強をすればまず削れる速度も抑えられるはず」
「あたしに言われても知る筈無いじゃない」
 門の前まで正面から歩いていくと、黒い馬に乗った鎧の悪魔と、赤い炎の魔獣が、問答無用で突進してきた。
「さあ、俺を楽しませろ!アル・コインカース!」
「グゥオオオッッ!」
 エルティナが銃器を片手で構え、悪魔達に突き付けた。
「随分と穢れた魂だ。だが、貴様等の罪はあたしが赦そう。――ペナルティ・フォース!」
 拡散する光が暗い世界を照らし、回避する術もなかった、悪魔と魔物二体は地を転がって悶え始めた。体に傷などは一つも無いが、なんとも無様だ。
「あなた達は魔王達との関わりが薄いみたいね。せっかく浄化されたんだし、これからは善良に生きてみなさい」
 発言から察するに、奴らはもう攻撃はしてこない――と、期待したい存在になったのだろう。罪を赦し魂を浄化する光弾は、黒の大地の悪魔には特効みたいだ。
 後にソロモンのヴィヌと判明する悪魔が浄化された事を察知したのか、対象の虫が城内から門を越えて飛び出してきた。それらは緑に発光していて、ハエを主戦力とし、クワガタなども少し混ざっていた。
「ッ……!」
 僕は歯ぎしりしながら奴らを睨みつける。エルティナが肩を叩いてくれた事で本題を思い出した。
「もう後に引けない。スピード重視でいく」
 エルティナが指さした先に、少し削れた門の穴があった。
「……その防御力の無さそうな武器で正面に走る気なの?」
「人の事言えないじゃない、杖持ちの術師くん。あたしは昔から最前衛担当よ」
 心配しながらも僕が頷く。
 光弾が穴の方向に撃ち込まれ、虫の陣形が崩れる。先制攻撃成功だ。
「突破だ!回避支援は任せる!」
 走り出した粛清の天使。突進する虫の中でも、危険なルートを辿るものだけを伝え、僕も続いて地を蹴った。
「了解!」
 浄化の光弾と通常攻撃の光弾を使い分けながら、正確な射撃で虫を落としていく。射撃武器を持った前衛の突破なんて行為はやはり、防御面があまりにも欠点だった。ただ、時間や速度の面を完全掌握している僕が伝える被弾予測との相性は抜群だった。
 勢いそのままに飛んで穴を潜り抜け、塔となった城に駆け込む。魔物が大量に警備している予想をしていたが、各階層数匹くらいしか見かけず、拍子抜けで突破作戦は成功。
 最上階は空っぽの王座。虫が戻ってこないうちに室内を駆け抜け、一階の壁を破壊した先に地下への入り口を発見した。
 地下は魔物が一体もいない一直線の岩窟。足を休めて歩きに変更。魔王不在説を考えて不安になったが、その最奥に大きな気配が。
「見つけた……!」
 エルティナがもう一度走り出そうとした瞬間。
「光は闇に。オプスクーリタース」
 低い声。最奥に立つ男から放たれた闇が岩窟全体を包み、視界を暗くした。
 体の力が失われ、呼吸が苦しくなる。
「エルティナ……浄化を……」
 必死で頼むと、エルティナの腕と銃器がゆっくりと天井に向けられる。
「墜ちよ。プロフォンドゥム」
 再び男の魔法が発動すると、世界の重力が何倍にも強くなったように体に負担をかけ、僕らは冷たい石の床に押し付けられた。
 そして天井の岩が音を立て、少しづつ下がり、僕らを潰すために迫ってきた。それで絶望は終わってくれない。
「ぁ、ぁがっ、ぅぁあああ!!」
 突如エルティナが目を見開き、銃器すら手から取り落として苦しみ始めた。その瞳の輝きが緑から紫に向かって変色し、髪の桃色は薄くなり、翼が先端から黒く染まり始めるのを見つけた。
「それだけは、させない……!」
 もうこれは敗北だ、一旦全てやり直すしかない。僕は頭痛を代償に闇の圧力を押しのけ、時空操術を発動する。本当は、一度も失敗したくなかった。何かが起こる前に止められる力を切実に欲した。
 その直前、最奥の男が呟くように語りかけたのが聞こえた。
「そうか、お前が因果の力を宿すものだったか。今は去る選択をしても構わん。だが、その後再び、お前は私を訪ねると良い。そして次は一番最初に、その術を私に見せてくれ」


● 〇 ● 〇


 前回と同じように虫の群れを突破し、塔を登らずに直行で地下に向かった。恐らく堕天効果があると思われるプロフォンドゥムに最大の警戒をしながら、先行初手で時空操作による微弱な観測を行った。すると最奥の男――ルシファーは攻撃を行わず、戦闘は発生しなかった。
「ルシファー様っ――いえ、堕天使ルシファー。何故我らを裏切った、堕天に至った理由は一体何だ⁉」
 穏やかな会話が始まる筈も無く、エルティナが開口一番に叫んで追及した。
 浄化の銃口すら向けられているルシファーだが、顎に手を当て、冷静に微笑みながら天軍の使者を眺めた。
「お前は確か……第四師団の猪として目立っていた奴だったか。この光弾銃は厳重な管理がされていたはずだが?」
「質問に答えろ!」
「やれやれ、こちらの少年に用があったというのに、随分と騒がしい同伴者だ。話すと長いぞ。――ラデルはいるか?」
『ええ……ちょうど』
 どこからともなく、落ち着いた声が聞こえてくる。
「ちょっとした長話だ。紅茶でもあれば、客人も落ち着けるだろう」
 あまりにも警戒されない態度で接されたため、エルティナはこの時点で銃を降ろしていた。


「他の魔王達はどこに?」
 僕が尋ねる。主にサタンやベルゼブブが目的だ。相手は首を振る。
「一度や二度集めたとはいえ、基本的に奴らは指図されるのを好まない孤高の存在だ。私でもあれらを完全支配など出来ないし、今頃どこぞで自由気ままに遊んでいるだろう。ベルゼならば呼べない事も無いが、必要か?」
 黙って首を振って返した。警備などが甘いと思いたくもなる話だが、一度圧倒的な迎撃を見せられた僕が思うに、魔王というのは単騎であらゆる脅威を退けられる自信と、実際にそう出来るだけの力を持つのだろう。
 エルティナも先ほどの返答で一応納得したようで、話を聞く姿勢に入った。
 そして、ティーカップを置いたルシファーが改まって口にした言葉で、僕は話に引き込まれざるを得なかった。
「――疑った事はあるか?存在の意味を、誕生の理由を」
 即座に返答が出来ないまま、静寂が訪れる。ルシファーは微笑みを絶やさない。
「天軍の天使からなら、それなりの答えが出てくると思ったのだが。お前は他とは違うようだ」
 自分が戦ってきた世界が疑わしくなっているエルティナは、きっと答えを持っていないだろう。それでも思考を巡らせ、口を開く。
「無い……んじゃないの?生まれながらにして何かを背負う存在も、真の意味ではいないでしょうし、神々だって何かを望んだりは――ごめん、上手く言葉に出来ない」
 十分だ、と、ルシファーは頷く。
「本来そこに答えは無い。考える者によって答えは違うし、その真の答えを教える者も存在しない。お前は深く客観的に考えたようだが、ミカエルなどはきっと自分なりの生き方を答えたかもしれない。きっとそれで良いのだろう」
 ルシファーは話を続ける。
「だが、もしあるとしたら。私の、お前達の、全ての存在の意味を。誰かが知っているとしたら――お前達は、知りたいと思わないか?それを問わないまま、今を生きていられるか?」
 奴らの――竜蹟碑の判読者や始原竜の言葉がちらつく。僕は左腕を一瞥し、呟く。
「例えば、アークワンの話が本当だとしたら……?」
 ルシファーが浮かせた足を少し動かした。エルティナはアークワンについての知識は人並みにしか持っていないようで、少々困惑していた。
「そうだな。仮にそう思ってみると、実に興味深いだろう。私はあれ以外にも、天位議会が秘匿する様々な情報を知った。簡単に言うとな……臆病な私は、それらを知った事で、もうあの場に留まってなどいられなくなったのだ。私は世界に問わねばならない。白の為にも、黒の為にも。そのためにすべてを捨て、サタンと手を組み、魔王を集め、七罪を結成したのだ」
 ルシファーはエルティナの方を見た。
「――猪は、この説明で納得してくれないか?議会の秘匿事項は、そうされるだけの力を持つ。これ以上を知ると、ここで新たな堕天使を生み出しかねない。……なに、冗談だ」
「猪なんて心外な名は初耳よ。あたしはエルティナ。とりあえず、これ以上は聞かない事にする。でも、目的や理由がどうあれ、天軍や白の大地にとって、貴方が敵である事は変わらないから」
「フッ……それでいい。――では、次は少年と本題に入らせてもらおうか」
 ルシファーが席を立ち、僕を見下ろした。頷いて立ち上がる。
 エルティナはソファーに深く沈みこんだ。その独り言が、小さく聞こえてしまった。
「天位議会も明確に悪と言ってくださらない……ルシファー様も完全な悪に墜ちたようにも見えなくて……あたしは今後、何と戦っていけばいいの……?」


 岩窟にも部屋は隠されていて、そのうちの一つに案内された。
「あの女が大人しく留まるとはな。後ほどラデルやベルゼが相手をするだろうが」
「エルティナはルシファーや天位議会の情報をずっと求めてたんだ。ある程度の結論を出されて、整理する時間は欲しかったのかもね」
 今回の部屋は少し不気味さが増していて、椅子なども無いため立ち話の流れみたいだった。ルシファーが微笑みながら僕の目を眺めた。いや、目の奥を覗き込んで引き寄せているようで、怖い。しかし――いや、だからこそ視線は逸らせなかった。
「さて、お前が因果の力を持ち、異なる時を生きる者だな?――なるほど、不思議な目をしている。何者も通さない虚無、しかしその奥に燻る炎は、何を求めているのか……実に興味深い」
「……まずは僕の質問に答えて欲しい」
 そう言うと、ルシファーは大人しく距離をとった。
「おっとすまない、自分の興味に夢中になってしまう性質(タチ)でね。お前には知る限りを答え、教えよう」
 ようやく、ずっと聞きたかった事を聞ける。絶望の光景を思い出しながら、元凶の堕天使を睨む。
「ススキターティオーは何のために作った。そして奴は今どこにいる?」
 相手は期待した反応とは真逆の、珍しく呆けた顔をしながら上の空。
「はて……そのような存在は知らないな」
「とぼける気?知る限りを教えるんじゃなかったの?」
 ルシファーは目を閉じ、ゆっくり首を振る。
「悪いが本当に知らない、または覚えていないようだ。しかし、ススキターティオーとは……随分と面白い名をつけられたものだ。それについて、教えてはくれないか?」
「……分かった」
 僕はかつてエルティナにしたように、ある一つの時間軸の出来事を全て話した。サタンの説明、起こした被害、討伐とその後の消滅を。
 するとルシファーは話の途中から笑い始めたのだ。流石に腹が立ってくる。
「ススキターの話はこんなところ。一体何がおかしかったの、この世界では起きてないけど、実際に起きた出来事なんだよ」
「いや、すまない。全てが理解出来ただけだ。確かにススキターティオーは私が企画して作り、お前のもとに飛ばした。そして、今はどこにもいない。お前が殺――いや、消したのだからな」
「分かったなら、ちゃんと説明して欲しい」
 よかろう、と、長い説明が開始された。
「その左腕にある包帯から発生する炎、それはお前もある程度察しているだろう、始原竜アークワンが操る始原の炎だ。どういうわけか、お前を消滅させない力が働いて、その腕で燃え続けているようだ。これも、お前が異なる時を生き、複数の因果を持つが故かもしれないな」
 始原の炎。それは、因果律を滅却する力。
「自由自在ではないし、リスクも伴っているようだが……お前はそれと同じ力を持っている。私によってススキターティオーと名付けられた魔虫は、消滅させた本人であるお前の記憶を除いた、全ての因果律を焼却され、それ以降どの時間軸にも現れなくなった。それも当然、最初から生まれていなかった事になったのだからな」
 覚えている限り残り続ける。僕のこの仮説はこの観点からはあっているかもしれない。ススキターは、僕が忘れた瞬間完全に消滅するのだ。つまり……
「僕は、何度時を戻しても帰ってこない、完全な殺害をしてしまった……?」
 手が、足が震える。例え相手が作られた虫でも、そんなものを僕は背負えるのだろうか……?
「気に病む事は無い。複数の時間軸を認識しない者にとっては、ただの殺生と変わりはしないのだから」
「ただの、って……!」
 強く首を振る。これについて向き合うのは後だ。まずは現状の話題を進めないと。
「――で、ルシファー。キミはどんな目的で、僕にススキターを使ったか分かる?」
 ルシファーは両腕を広げた。不気味な空間に魔力が少しづつ満ち始める。
「ああ。それは、今日この日、お前をここに連れてくるためだ。目的を達したにもかかわらず、私自身がそれに気付けなかったというのは誤算だった。しかしここまでの流れすら、消失した時間軸の私は見越していたのかもしれないな。よく来てくれた、期待通りの行動だ、時空操者。聞きそびれたが、名は何という?」
 今更だなぁとため息。
「僕はエンデガ。名前に大した意味は無いよ」
「そうか。ならばエンデガ。私と共に、世界に問いを投げないか?」
 規模が大きく、おかげで簡単に理解できない提案だ。簡潔に問うてみる。
「どうして、僕が欲しいの」
「私はこれより、この世界の全てを連れて、世界に問いかけに行く。だが、きっとそれでは足りない。一つの時間軸の今現在の全てなどという、小規模なものを巻き込んだところで、足りない可能性がある。だが、お前と私が共にあれば、きっと世界も応えるはずだ。私は密かに危惧しているのだ。時空操者エンデガというピースが揃わないまま事を進め、何も知れず、何も得られず、何も救えない可能性の私が未来に存在するかもしれない事を」
 部屋の魔力が高まっていくのを全身に感じた。緊張感が高まる。
 詳しく聞いても、真意が読めない。何をしたいのかが分からない。だが、完全な説明があったとしても、僕に理解が出来ないが故にルシファーによって配慮された言葉かもしれない。あくまで推測だが。
 なので、別の切り口の質問をする。
「協力する事による、僕の利点は」
 そう聞くと、常に薄く開いていたルシファーの目が一瞬大きめに開き、僕はその空間に呑まれそうになった。
「失われた記憶の世界を、取り戻したくはないか?」
「……何だって?」
 思い当たる節がありすぎる。それについて言っているのか。
「これは勘に近い推測だが……お前はアークワンと関わった時より、以前の記憶を失っているのではないか?または、失っている事すら思い出せないか」
「正解。どうしてそう思った?」
 ルシファーはまた、僕の目の奥を覗き込んだ。
「第一に、お前が炎を受けながら例外的な生存をしているというのと。第二に、その目だ。なんと言うべきかな……その虚無は、欠落でもないと生まれないと思った。それだけだ」
「始原の炎で、何かを焼かれたとか?」
「そうだ。そしてそれは完全消滅であるが故に、思い出す事も無いと思っていた。だが――ススキターのように、消滅させた者の記憶に残っているならば、きっかけ次第でその時間軸の情報に触れられるようだ。あとは分かるか?」
 僕の何かを欠落させた張本人――アークワンは、その消した対象を覚えてくれているのかもしれない。それは僕が、能力を一部奪って使っている現状によるものかもしれない。
「じゃあ、僕が今思い出そうとしているのは現状、世界に存在しないはずのものって事……?」
「この仮説なら、そういう事になるな」
 この時点で酷すぎる絶望の真実だが、救いがないわけではない。
「アークワンともう一度関わって、僕がその記憶を聞き出せば……?でも……」
 あまりに難しい。奴がそんな事を喋るか確証の無い中で、ルシファーに協力するのはリスクに見合わない。
「聞き出さずとも、お前はこちら側から強引に記憶世界を垣間見る力が眠っている。共に来てくれるのなら、私がその力を解放する手助けをしよう。無論、選択は任せる」
 普通、この流れは断るべきだ。だが、落ち着いた時間を与えられた事で思い出した。
 僕は炎と向き合い、忘れてしまったそれらを知る為に、覚悟してここまで来たんだった。
「乗ろう。僕はキミと一緒に謎を解き明かす」
 ルシファーは黙って頷き、徐々に強くなっていた魔力を集め始めた。
「では、その腕を差し出せ。包帯による炎の封印を破り、そこに私の闇を与えよう。その闇が炎に喰われる前に、お前の時の力を合成するのだ。時空操術は神属性の天界の秘術。魔界の闇と、始原の炎を素材として合成した時、果たしてどのような力が生まれるのか……」
「……分かった、やってみる」
 オーディンに託された、時空操術の研究。まさかその成果が、こんな所でまた活かされるとは思わなかった。
 左手を突き出し、包帯を外し、炎が溢れ出す。岩窟の天井を焼き尽くし、塔の中央を削って赤い空が見えた。
 オプスクーリタースが炎と重なる。何より暗き闇はそれでも炎に消えていく。
「さあ、因果滅却の力を取り込み、お前自身の力として制御してみせろ!」
「ぐっ、うぉあぁあ……!」
 回れ、ワールドクロック!時空操術の神髄を、僕に見せてくれ!
 杖が、力に耐えきれずに砕けていく。それでも構わない。これが成功すれば術は、杖無しでも使えると信じている。
 僕の肉体や精神、杖などの魔力が尽き果てる前に、この闇と炎の解析を行わなければならない。
 炎が強まる。コートが燃える。
 砕けた杖の破片が飛び散って体を傷つけるが、気にしていられない。
 そうだ、僕自身の力として制御するなら、滅却の力をそのまま使わなくてもいいんだ。
 状況と魔術に理解が追いついてきた。始原の炎をひとつの魔術として考え、その仕組みを暴く。これなら、いける。
 左目で目まぐるしく回る時計と、左手の炎が共鳴する。
 全てを受け入れて、それでいてなお消えずに立ち向かい続けた左手で闇の炎を掴み、握り締めた。
 瞬間、暴走する闇の炎と、耳を破壊するような轟音が収まった。遠くで聞こえる足音。騒ぎを聞きつけたエルティナやベルゼブブ、ラデルなどのものだろう。
 僕は周囲の確認をして、時計の存在を確認した。バラバラになった部品ごとに細かく動いていて、左手の動きに合わせて制御できるようだ。とりあえず全てのパーツをひとつに畳む。闇によるものか、炎によるものか。全体的に暗くなった服を整える。
 ルシファーは、今にも砕けそうな岩の壁にもたれかかり、やりきった微笑で聞いた。
「ふっ……終わったか。予想より長かったな。して、得られた力はどんなものだ?」
 僕は新たな感覚を、以前とは違う変化を確認した。
 紫に燃える手首、その先からずっと黒く染まる左手を見て、僕は乾いた笑いを上げた。
「もうただの人には戻れないな……」
 なるほど。これが、時空神クロノスすら予測できなかった、恐らく天位議会が禁忌に定めた理由でもない、新たなる禁忌術。名前をつけるなら、そう――
「時空操術のその先――因果律操作」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

エンデガ

物語の主人公。幼くして家族を失っている。芸術を始めとした世界の文化に関心があり、今住んでいる狭い浮島から抜け出したいと思っている。

ノエル

エンデガと同じ神学校に通う、サンタクロースの娘。神々への信心がとても深いが、信心の無いエンデガの意思を尊重出来る心も持っている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み