【Ⅰ】ある大地の片隅にて憩い育つ

文字数 10,832文字

 ここは、一言で表すと、神学校だ。
 この浮島の連なる世界――オセロニアは、天界の神族や、その神に近しい者。あとは神族ではないが神格化され信仰の対象とされているもの。神聖で強大な力を持った種族が存在する。そして、それらを信仰する者も多く存在する。
「あ、やっぱりここにいました!」
 子供を育てる教育機関――学校の中で、神への信仰心を主に学び、将来的にはそれを人々に広めたり、実際に天界の職に就いたりするのが神学校の目的だ。
「ん……?どうしたの、ノエルさん」
 天界といっても、この世界の外にあるわけではない。確かに高い所だが、行けない事も無い。天使が街に遊びに来たり、神が実際に降臨して、黒の大地の悪魔達と戦う様子は普通に見られる。
「どうしたのって……エンデガさん、今日もお祈りをサボっていましたね?」
 僕が今座っている浮島の端の花園は、浮島の中で一番高い場所にあり、見上げれば天使達が見えない事もないくらい天界に近い。時折天界の天使が奏でている楽器の音色や歌声は、一度聞いたらすぐ気に入ってしまった。
「前に言ったと思うけど、僕は信心が無いから祈る気も無いよ。その時間でこうして、別の世界に触れていた方がずっといい」
 僕がそう言うと、ノエルさんはため息をついてから微笑んで、僕の隣に座った。彼女の長い亜麻色の髪が、草花と同じように風に揺れる。
「確かに、ここは綺麗ですよね。周りの自然も美しいですし、天使様の歌も心を癒してくれます。さらになんといっても、あのオセロニア大陸全体が見渡せるのはここだけです」
 二人で大きな大陸を見下ろす。白く大きな塔が目を引く、オセロニア界最大の浮島、オセロニア大陸だ。
「ここもオセロニアの世界なのに、あの大陸の名前がそれなのは納得いかないなぁ。まあ、あの大陸に行けばもっと色んな事や物が知れると思うと、負けを認めたくなる。あっちの普通の学校で学びたい」
「明らかにあの大陸と比べて、ここを含め他の浮島が小さすぎるので、仕方ないですよ。でも、ここは天界に最も近い浮島なので、いつでも天使様の歌声を聞く事が出来ますよ。御加護も奇跡も、多く授けられているとか!私も最近、お祈り中に大天使様の御声を聞きましたよ!」
「だから僕は信心が無いから別に……」
「エンデガさんだって、天使様の歌は気に入ってるじゃないですか」
 何も言い返せなくなって目を逸らす。沈黙から救うように、小さな鐘の音が可愛く鳴った。ノエルさんの持つ長い杖の先端にあるベルだ。普通は魔石を触媒に使って魔術を使ったりするが、ノエルさんの杖は神からの奇跡をベルで受け取って使うっていう、僕にはよく分からない仕組みの物だった。
 ノエルさんが杖を持って立ち上がる。腰の服についた草や土を払って、赤色のシスター頭巾――ウィンプルというらしい――を被り直した。
「のんびりしすぎてしまいました。実は仲の良い同級生として、エンデガさんを探すように言われて来たんです。次の授業があるので、一緒に行きましょう?」
 神関連以外は真剣に受けるつもりなので、小さくため息をつきながらも立ち上がる。校内に話ができる知り合いは少なくない。でもこの場所を僕以外で唯一見つけて、何度かここで話しているノエルさんは、確かに特に仲が良かった。神学校なのに信心が無い僕を完全に否定しては来ないから、僕からしても好印象だった。
「分かった。花に水だけやったら行くから、先に行ってていいよ」
「いいえ、待ちます。一人にすると、またどこに行ってしまうか心配ですから」
 僕は音楽、美術など、美しい芸術には特に関心を持って触れている。最初は祈りの時間から逃げるために来た場所だったけど、次第に自然の美しさも好きになって、ついに自分でも鉢に種を入れてみたのだ。
 今は葉が見え始めたくらいには成長している。水をやると、葉は喜ぶように踊る。思わず笑みが零れた。
 今日はノエルさんがいるので声には出さず、心の中だけで植物達に別れの言葉を言ってから歩き出す。ノエルさんもそれに続いて歩き出し、二人で校舎へ向かう。
「お花の調子はどうですか?」
「僕と違って成長が早いのが少し癪かな」
「ふふっ、素直じゃないですね~。ですが今のエンデガさんは、誤魔化しようのないくらい、とっても良い笑顔ですよ」
 そう言ってノエルさんもにっこり笑った。僕や植物に光を与える太陽の仕事を、彼女は完全に奪ってしまっていた。
 勉強は真面目にやっているけど、僕にとって目標までの過程は長すぎて面倒だ。あと身長もすぐには伸びない。女の子のノエルさんと同じ目線で話す男子生徒は僕含め数人くらいしかいない。大人になりたいわけじゃないけど、早く大きくなりたいとは思っている。
 空を見上げると、歩く方向や速度と、風景の動き方の違いに違和感を感じた。
「うわっ」
 瞬間、突然地面が派手に動き、体制を崩して浮島の揺れに流されるがままになった。
 杖を支えにして耐えていたノエルさんが、今にも転びそうだった僕を抱き留めてくれた。揺れはすぐに収まった。
「ありがとうノエルさん。何だったんだ、今の……?」
「その台詞は、先生やシスター様の話を聞いていない証拠ですよ?ほら、あれを見てください」
 ノエルさんが自分の後ろの方を指さした。近すぎるノエルさんの顔と体が邪魔で見えない。
「……あ。ごめん」
 出来るだけ冷静に離れて後ずさり。ノエルさんは怒ったりせず、ただくすくすと笑った。
 ノエルさんの感覚が残って一人だけ恥ずかしがっているが、首を強く振ってから改めて、指が示す方角を見る。それは浮島の崖っぷちにある施設だった。巨大な風車のようなものが、回転速度をどんどん上げている。
「大陸移動の風……実際に回っているのは初めてみるよ」
「私達は、地動神風の奇跡と呼んでいます。あとこれは、私達が物心ついてない時にも、一度動いていたみたいですよ」
 カッコいいようでダサいネーミングだな……僕はこのままで通そう。
 大陸移動の風。オセロニア大陸と交易したり、移動するだけで災害が起こるエルダークラスドラゴンの移動予測ルートから退避したり、様々な目的で浮島の位置を動かす超巨大プロペラだ。オセロニア大陸は大きすぎて動かないし、動く必要もないそうだが、その周辺に無数に存在する浮島に国がある場合、大抵これが建設されている。
 建設前は神が動かしていたと本には書いてあったので、神風の奇跡もまあ間違っていないだろう。過大評価や妄信、事あるごとに祈ったりなんて僕はしないけど、神が実際に存在して世界を統治しているこの世界で、力の完全否定は流石に出来ない。
「浮島が、さらに天に上がっている……もしかして」
「そう、今回は久々に、天界に直接赴くんだそうです!天界と近すぎて、統治する神が降臨するのではなく、こちらの方法を神々が指示する場合があるのだとか。認められた個人でなくても天界の地に触れ、神から直接お言葉を賜る事が出来るのは、この浮島住民ならではの特権ですね!神が認める聖職者、此度は何人誕生するのでしょう……!」
 いつも笑顔のノエルさんだが、今回は特にはしゃいでいた。
「とりあえず、僕みたいな未熟者はまだ考えなくていい話だね。みんな頑張ってね」
 棒読みで素っ気なく言う。
「未熟なんかじゃないですよ……!例えば天軍に就く天使も、武術や魔法技術はその後本格的に指導されるそうなので、現段階の能力を気にしなくていいですよ。エンデガさんも、潜在的な力はとても高いと診断されているでしょう?」
 他種族が魔力を用いて使う魔法。それはとても強力だったが、人間は新たに開発した魔術という技術で他種族に追いついた。魔力を撃ち込むだけで何か起きてくれる魔法と違い、魔術は術を理解し、正しく組み込む知識と修練が必要だが、その分新たな技も開発しやすかったり、能力の幅が広いといった特徴があった。
 僕は魔術をちゃんと扱えるだけの力はあるようだが、いかんせん仕組みが理解出来ない。要するに勉強が苦手だった。学ぶのは好きだ、だが全く身についてくれなかった。才能が無い――というのは表現が違うだろうから、そんな言葉では逃げられない。いつか他の生徒達を見返してやる……なんて考える。
「まあ、ね。――そういえば、ノエルさんは何になりたいの?成績も信仰心もいいから、何でも出来そうだけど……やっぱりおじさんの後を継ぐ感じ?」
 ノエルさんは俯くように目を閉じてから、首を傾け苦笑した。
「いえいえ、お父様はきっと、ずーっと元気ですから!でも私もお父様のように、沢山の人々に光を届けたい――は、ちょっと曖昧ですかね。得た知識を、与えられた奇跡を、広い範囲で役立てたいという思いはあります。ですが、具体的な活動方針は――」
 ァラン……ガラァン……。
 神学校正門の大きな鐘が鳴り響いた。失敗した。長々と喋りすぎた。
 お互い察して走り出す。
「ごめん僕のせいだ」
「いいえ、私こそっ……はぁっ……」
 身長より少し長く、小さいとはいえベルがついた杖を両手で持って走るノエルさんの足は遅く、体力消費も大きそうだった。
「杖、貸してっ」
「えっ、あのっ」
 半ば奪い取るような形で杖を受け取って走る。想像以上に重たい。今度は僕が遅くなった。いくらなんでも貧弱すぎじゃないか……?

 ノエルさんは捜索を頼まれただけだし、僕が最後まで見つからなかったと嘘をついて自分だけ叱られる事には成功した。しかし、ひたすら申し訳なかった。少し前に戻ってやり直したいと思った。

 〇 Ⅰ 〇 ●

 学校内にある神殿風の大部屋で、僕はここに来たことを半分以上後悔していた。
「また讃美歌……」
「厳密には聖歌です」
「ほとんど同じでしょ……」
 授業なので仕方なく、神を称えるような歌を歌う。僕が音楽の授業に期待しているのはこれではない。世界には他にも色んな種類の歌があるはずだ。
 文化に触れられるはずの授業を、歌うだけで終わらせない。そんな意思が生まれた時、ノエルさんの存在はありがたかった。
「この歌詞、現代の言い回しじゃないよね。なんでか知ってる?」
 他の生徒に話しかけると、自分の信仰する神と違うから気にしないとか、歌う事に意味があるとか言われてしまう。最初の生徒の意見は納得だが、他の生徒は解説が面倒なのか、それとも無意味な修業でもやっていたいんだろうか。
「古の都市ゴルディオンの神として君臨した王、ミダスを称える歌だそうで、訛りがあっても一応現代オセロニア語らしく、言葉に翻訳するのも難しいのでこんな感じだそうです」
「へえ、流石ノエルさん詳しい。言葉の意味とかは分かる?」
「エンデガさん、もしかしてミダスを信仰するつもりなんですか?」
 ノエルさんが目を細めて嫌そうな声を出す。神でなく王を信仰するのを良しとしないのだろうか、それとも他の理由だろうか。やっぱり、気にせず歌うのは間違ってるなぁ。
「そんなつもりは無いんだけど……僕としては、意味の分からない言葉が無意識に王を称えていたり、何か誓いを述べたりしていたらと思うと怖いんだよ」
「なるほど、確かにそうですね。でもこの歌はそういうのはあまり無く、神が如し彼の紹介文や、ゴルディオンの発展がほとんどを占めています。例えば――彼はとても偉大だ。彼は我らの救いだ。彼は何もない我らすら救いの糧としてくれた。我らは彼の手によって救済の黄金となりて――」
 自然と合わせ握られる彼女の両手、僕はそれを手で制した。
「ストップ、やっぱり称えてるじゃん。もっと何か、今の僕らに関係があったり、役立つ文は無いの?」
 僕の疑問を解消してくれたノエルさんに悪いので言わなかったが、歌詞の意味を語る、先ほどの彼女は怖かった。普段僕と話しているときも、彼女の中には常に信仰する神がいる。この学校の生徒に限らず、この世界の人々がそうかもしれない。しかし僕は怖かった。
 ノエルさんは少し考えるように唸ってから、いつもの笑みに戻った。合わせた両手を僕に止められたので、片手を胸の上の方に置く姿勢で落ち着いた。
「……今のところ神を信じていないエンデガさんに役立ちそうな文ですか……奇跡は自分の手で起こすもの、というのがあります」
「え?そんな文が聖歌に?神に祈ってるのに?」
「神々は強い力を持っていますが、基本は私達と同じく生命と寿命を持ち、肉体が一つしかない存在です。加護を授けたりといった手助けはしますが、その与えられた力を使うのは自分自身です。私達も大事な時は、自分で考えて動ける存在になりたいですね」
「う、うん……」
 突然の教訓に感動して怯む。神殿の光で輝くノエルさんは、そこら辺の教師よりも、ちゃんと先生をしていた。
 僕が低身長なせいで、ノエルさんがお姉さんみたいだ。なんだか悔しくて、少し背伸びをした。笑われた。

 〇 ● Ⅰ ●

 休日。いつものように花園でのんびり。僕の鉢の花は今日もすくすくと、花が開き始めそうなほど育っていた。
 世界を見下ろすと、オセロニア大陸が昨日よりさらに遠くなっていた。浮島が上昇し、雲の中に入っている。
 白くなる世界の中、プロペラが目立った。行ってみる事にした。
 本来はこの時間で、人一倍魔術の勉強をすべきなのだが、何かに気になってしまうとそれどころじゃない。
 陸地から落ちないためなのか不明だが、浮島の端には昔から、古い遺跡のような壁が広がっている。僕のよくいる花園や、そのプロペラの周辺地域にはそれが無く、崖でうっかり足を踏み外すと奈落の闇に真っ逆さまなので、気を付けて歩いていく。
 長く急な坂を下り、プロペラの前までたどり着いた。それを回す施設に向かおうとして足元を見る。
「管理者……こんなのでいいの……?」
 人一人しか通れないような幅の、薄い木の板のつり橋があるのみだった。左は動く空と大きすぎるプロペラ。風切り音を重く響かせている。右には岩の絶壁、尖っていて触れる場所によっては怪我をしそうだ。
 恐ろしい光景だったが、僕の好奇心は簡単に恐怖に勝る。数秒悩んだ末につり橋に足をつけ、岩を支えに歩き出す。風よ吹くなと祈りたかったが、大陸を動かす推進力が目の前にあるので、かなりこちらも揺れていた。マントが暴れる。
 つり橋の先は扉の無い、長細い塔のような建物。ようやく中に入れた時には、尖った岩で手袋がボロボロだった。もう行かないぞ、こんな所。
「す、すごい……!」
 あたりを見回すと、魔術で動く巨大な歯車が沢山回っていた。音がうるさいが、初めて見るので興奮する。
「おっ?親父さんよ、客人ですぜ」
 鎧を着てハンマーを持った、低身長の見たことない筋肉おじさんが僕に気付いて上を見た。
 その視線の先には、赤い服を着て手甲を付けた、高身長の見覚えのある筋肉おじさんがいた。
「ほお、それは面白い。デェイッ!」
 赤いおじさんは骨組みから飛び降り、僕の前で着地した。硬そうな地面が揺れたような錯覚を覚える。白く長い髭と髪。このインパクトは忘れられない。
「マロースおじさん、普段こんな所にいるんだ」
「名前を覚えてくれてるのか。嬉しいぜ、エンデガの坊主。んで、お前さんはそのこんな所に何の用だ?」
 歯車の音も邪魔して、低く音量が小さい。しかし耳の奥の脳まで直接響くような声だった。
 ジェド・マロース。ノエルさんの父。各地の子供達と力比べをして遊びつつ、プレゼントを与えて颯爽と去っていく。そんな活動で夢を与える、サンタクロースという職業を一人で立ち上げ、今や一躍有名人となっている偉大な人だ。最初は僕にとってもサンタだったが、ノエルさん繋がりで関わり、何度か話している。
「大陸移動の風が動き出したのを初めて見たんだ。それで、気になって見学しに来た。後、つり橋の改善依頼」
「なるほど。だとよ、ゴヴニュ」
「丸投げですかい親父さん」
 ゴヴニュさんがハンマーを担いで歩いてきた。でかいおじさんとちいさいおじさん、でも二人とも僕より身長の高い筋肉男だ。近いと圧力だけで潰れそうになる。
「確かにつり橋は簡単に作りすぎたなぁ。こっちのプロペラがオセロニアトップクラスの技術使ってるからその反動でやる気がなぁ……」
 ゴヴニュさんがぶつぶつと独り言を言いながら出入り口に近付き、炎を纏ったハンマーを高く振りかぶった。
「え、何してるの、えっ」
 地面叩くだけで壊れそうだよその橋。
 慌てる僕。マロースおじさんが膝を曲げて目線を同じにして、僕の肩に手を回した。安心させるつもりかもだが、手が大きく硬すぎて怖い。
「よーし、よく見てなエンデガの坊主。アレが神に与えられし奥義、鍛冶神ゴヴニュの力、事象顕現だ」
 ドオォンッッ!!
 ゴヴニュさんが地面を叩く。するとそこにあったつり橋が姿を変え、浮島の壁と同じ茶色の石を使った、立派な大橋になった。
 ハンマーの炎が落ち着いてから、ゴヴニュさんは振り返って歯を見せ、ニシシと笑った。
「ネタばらし早すぎるし、ちょっとくらい自分に言わせて欲しいぞ親父さん」
「わりぃわりぃ、久々に見るモンだからつい、サンタのじじいもワクワクしちまったのさ」
 姿勢そのままで笑うマロースおじさん。その高さに合わせて膝を曲げたゴヴニュさんが僕を見た。だからおじさん二人は圧がすごいってば。
「どうだい、エンデガくん。おじさんは神様だからね、司る事象をそのまま顕現する術を持ってるのさ。この歯車達やプロペラもおじさんが作った。どうだ、すごいだろ?」
 もう一度、周りを見渡す。ここ以外に見たことのないカラクリだ。それをあの一発で作れるというのはすごい。神を信じる皆の気持ちが少しわかった。
 でも僕は、やっぱり納得出来ない点がある。
「おじさん、その技で最初に橋作ってよ。僕を殺す気だったの?」
「うぅっ?」
 ゴヴニュさんが目を丸くした。震えてた隣のでかいおじさんが立ち上がった。
「ガァッハッーー!ハッハハハハッ!!違ェねえ!ハァアッッハーーッ!!」
 室内に大きな笑い声が響き渡った。

 壊れたわけではなく、最初からプロペラを見るために開けられていたという壁。そこにおじさん二人と僕が座って、オセロニア大陸の大地、下がる空、回るプロペラを眺めていた。視界のすぐ下は奈落の闇だ。
「どうしてこの空の下は青と白じゃなくて赤と黒の色をしてるの?」
 素朴な疑問をマロースおじさんに投げ込む。
「オセロニア大陸の円い白の大地の底、反対側には黒の大地がある。どういう仕組みか重力が逆転しているおかげで、双方の大地に生命や文明がある。あの赤い奈落は、黒の大地にとっての空なのさ。つまり白の大地から落ちたら黒の大地だ。だがオセロニア大陸以外、例えば俺達のこの浮島の下に、反転した人を受け止める黒の大地は無い」
「なら、落ちたらどうなるの?」
 ゴヴニュさんが顎に手をやる。
「落ちて、黒の大地の赤い空に飛んでいった場合、重力の影響を自分が受けるのか分からない、検証されてないからな。いったい、その体はどこに向かうんだろうなぁ。親父さんはどう思う?」
「重力の変わるタイミングが陸地でしか確認されていないから、永遠に落ち続け、その先の見たことない新世界に到達するか――」
 黙って見られた。考えがバレてるようなので答える。
「境目で留まって浮き続ける」
「この坊主の答えかもしれねぇな」
 マロースおじさんは不敵に笑っているが、ゴヴニュさんは目を引きつらせていた。
「そりゃ、死より恐ろしいねえ」
「死より恐ろしい……つり橋渡ったの、今すごい後悔してるよ……うわあ!!」
 背中をマロースおじさんに押され、そして支えられる。落ちたら死より恐ろしいと言われてからこれである、心臓の鼓動が速すぎて破裂しそうだ。
「何より死が怖えよ、坊主、それにゴヴニュ。例え空中に留まろうとも、飛竜は飛んで来るし、鳥のさえずりは聞こえて来る。スリルもあって癒しもある。死んだらそれは無ェ。自分が、お前達が。その無限の空でどう楽しむか、だ」
「言いたい事は分かったけど押すのはシャレにならないよおじさん!」
 久々に怒鳴られちまった!と笑うマロースおじさん。何かいい事言ってた気がするけど、心臓の鼓動が速すぎてあまり深い意味では聞けなかった。
 僕のコートの胸元が震えたので、その原因の物体を取り出す。ある程度の時間を知らせる小さなベル。最近ノエルさんから貰ったもので、とても便利だ。わざわざ太陽の場所を確認しなくていい。
「えっと、おじさん達。僕そろそろ帰らないと」
 立ち上がり、立派になった橋に足を向ける。二人のおじさんも立ち上がった。
 マロースおじさんが小さな目を見開いてから、真剣な顔になった。
「そのベルもしや、ノエルにたった二つだけ渡した――うちの娘が世話になってるようだな、感謝するぜ」
「むしろ僕が世話になってるよ、おじさん。また」
「くーっ、これは面白くなってきたなぁ!」
 ゴヴニュさんが元気に叫ぶ。僕は笑顔で手を振った。
「ゴヴニュさんも、また会えたら。きっと名前を覚えてるよ」
「おう、ありがとなぁ!あとエンデガくんよ、この大陸移動時期は環境が激しく変化するから、風邪ひいたりしないようになー!」
「はーい」
 軽く流すように返して、新たな橋の最初の利用者になる。手に怪我はなかったけど、手袋がボロボロだ。あのおじさん赦さない。

 〇 ● 〇 Ⅰ

 さらに翌日。ついに天界まで浮島が上がる日。校内の生徒はみんな、普段と違う服を着てそわそわしていた。人によってはこれで職が決まるし、天軍どころか神に直接仕えられるかもしれないのだ。この騒々しさや堅苦しい服装も仕方ないだろう。きっとどこかでノエルさんもはしゃいでいるはず。
 僕は世界をもっと知りたい、様々な芸術に触れ、世界の美しさを知りたいという気持ちはある。でも将来の職なんて何も決めていないし、この機会に決まる人じゃないだろうから気分は普通だ。服装もいつもの緩いコートとマント。
 しかし神々に直接会うのだ、今日ばかりは図書館で本や図鑑を読みふけり、神を一人でも多く覚えておこうと思った。しかし。
「自害……?」
 歴史上の神と司る事象一覧の中に、気になる文を見つければ、授業で習うような大事な所じゃなくても注目して時間を潰してしまう。こういう所も、僕の未熟の理由かもしれない。
 神は寿命が長く、創生から生きているなんていう神もいる(本当かどうかは分からないが)。そしてその長い期間、使命を全うする。しかし一人だけ、自ら命を絶った者がいる。なんて愚かな――なんて思いながら調べていく。
「時空神クロノス」
 時を司る神で、他の神を凌ぐ強力な力、時空操術という事象顕現を用いて活躍した神だ。しかし自身の使う魔法杖を鎖で縛り、時空操術を禁術に指定し、自ら命を絶った。記述が少なく、ただ強い能力者だったという事くらいしか書いていなかったため、この調査は面白くない結果に終わった。
 突如、図書館が大きく揺れ、僕はバランスを崩して正面から床に倒れた。胸元のベルが追い打ちをかける。ベルは硬いため傷は無かった。
「痛い……地震なんてここじゃ起きないでしょ……」
 似たような揺れ、そしてその時感じた、女の子の柔らかい感覚を思い出した。今ノエルさんがいたら、受け止めてくれたかな……変な期待をするなよ、僕。
 大陸移動の風が動き出した時と同じ。今度は止まったという事だろうか。後に流れた校内放送でその予感が当たった事が証明される。数十分後までに天界前まで集合するようにと。

 僕にはそれまでにやる事があった。ついに咲くであろう、鉢の花だ。
 本を収めて駆け出して、花園に到着する。
 膝を折り、腰を地に打ち付けた。
「どうして」
 枯れている。順調に育っていた花がこの一日で。周辺の自然も何本か枯れている。
 足があまり動かなくなっていたので、手で移動する。草花と同じ高さで世界を見て、今の世界が昨日と違う事が分かった。
「ゴヴニュさん……環境変化ってそういう事……」
 鉢にたどり着き、その中で、花を咲かせる寸前で枯れるその姿を見て、涙が漏れ出た。目が熱い。
「うっ……ううっ……く、っ……」
 花を覆うように鉢を抱いて嗚咽の声を吐き出す。他の花のように終わらせられない。初めて植えた花がこんなに順調に育ってしまったのだ。愛着が湧きすぎて、もう動物のペットが急死したような、そんな大きな悲しみを小さな植物に感じさせられてしまっている。
「ごめん……ごめん……!」
 対策はあったはずだ、枯れてない花も沢山あるのだ。悔しい。悔しい。また植えればいいなんて言ってられない。この花は一つだけなんだ。こいつを、こいつをやり直させてくれ――!
「エンデガ、さん……?」
「……!!」
 鉢から体を離して声の方向を見る。きっと時間が経ちすぎたんだ、ノエルさんが僕を探しに来てくれていた。いつもの赤と緑のシスター風ドレス、そしてその手には何やら大きな、黄色いプレゼントボックスがあったが、彼女はそれを地に置き、その後杖だけ持って僕のもとに歩いてきた。
 彼女には、見られたくなかった。一緒に見守ってきた花の今の姿もそうだし、僕がこんなに情けない顔をしているのも。
 鉢を隠したい、いっそ埋めてしまいたいと思ったが、出来なかった。たとえ枯れても、その黒くか弱い植物の姿であっても、愛着が湧いてしまっている。
 鉢をそのままに、僕は集合場所である天界入口へと走り出す。しかしその進行方向にはノエルさんがいる。
「くッ……!!」
「エンデガさん……エンデガさんっ……!?」
 下を向いて目を瞑り、俯いて走った。速度を上げてノエルさんを通り抜ける。足に衝撃。プレゼントボックスを蹴飛ばしたかもしれない。
 酷い有様だ。どうせノエルさんはすぐに全てを知るだろう。事実を共に受け止め、痛みを共有する選択をすればよかったかもしれない。これでは、痛みがお互いに大きく与えられる。
 行動を失敗して、選択を間違えて。何度、何度。やり直せたらと思っただろう。過ぎ去った時間は戻らず、行った行動は確定し、やり直すことなど出来ない。
「うっっ――ぅ、うああああああああっっっ!!!」
 転んだら大怪我しそうなほど全力疾走しながら空を見上げ、泣き叫んだ。
 現実は残酷だった。それこそ、神にすら祈って、助けを乞いたくなるほどに。
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登場人物紹介

エンデガ

物語の主人公。幼くして家族を失っている。芸術を始めとした世界の文化に関心があり、今住んでいる狭い浮島から抜け出したいと思っている。

ノエル

エンデガと同じ神学校に通う、サンタクロースの娘。神々への信心がとても深いが、信心の無いエンデガの意思を尊重出来る心も持っている。

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