【Ⅸ】ある転機の勧誘にて脱却する

文字数 18,218文字

 能力を使いすぎた。
 または、研究に没頭し過ぎたのが原因かもしれない。
 代償の被害はさらに悪化。何もない日々を過ごしていながら、時を変え続けたので、今が昔なのか未来なのか、まず今とは何なのか、時は今動いているのか止まっているのか、分からなくなってきた。彩と灰の視界もバラバラに混じり合って、もう闇だ。
「全てが止まって見えるよ……」
 記憶の順番もバラバラだ。明確に分かるのなんて、時空操術習得前の記憶くらいだ。まあそれも、一部霞がかかっているんだけどね。
 久々にそこまで考える事が出来た事で、ふと降りてきた記憶。口は自然と開いたので、その思い出したものを吹いてみる。
「――」
 歌だ。その声が出ている間は、時が進んでいる事を証明出来た。
 そういえば僕は、かつて世界の芸術文化に興味を持ってたり持ってなかったりしてた。
 しかし変な歌だ、歌詞の意味は分からないけど、けっこう高い音が多い。神学校時代に学んだ聖歌か。
 ――そして唐突に聞こえた音が、僕の闇を一瞬、灰レベルに戻す。
 手を叩く音、手拍子とは違う雑なもの。
「やーやーお見事、綺麗な歌声だね!しかもその歌は、黄金都市の王ミダスを称える狂った歌じゃないの!アタシは商人的にそれ好きだよ、気が合うねぇ!」
 久々に声が聞こえた。襲撃者は最近耳に声が届くことなく消えるから。
 しかしまあ幻覚も未経験ではない。歌を終えると再び俯き、座る姿勢は変えない。
 静寂。
「え、無視、アンタの対応は無視なの!?アタシの声聞こえてなかったかな、おーいそこの少年寝てないでーっ!」
 幻覚にしてはうるさすぎたので、顔を動かさず返答だけしてみる。
「……何」
「顔見て喋るのだよキミキミぃ。ええとね、アタシはアンタに頼みたい事があるんだよ!話だけでも聞いてくれるね、ね?」
 耳障りな高音が僕の声に応えた。幻覚説は完全否定だ。
 立ち上がって声の方角を見ると、僕より背の少し低い竜人の女の子がいた。一瞬男に見えた。それ以上は興味が無いので観察は終了。
「おぉ、しかも顔もいいじゃないの!最高だね!アンタ、名前は?」
 うるさいけど悪い人には見えない。返答はしておく。というか、僕が黙っていると相手がうるさくなって眠るのも難しそうなので、平穏のためにも対応するべきと思った。
「エンデガ」
「よし、エンデガ、良い名前!じゃあ早速なんだけど、アイドルってのをやる気ない?」
「ない」
「だよねー!」
 アイドルってのが何なのか分からないけど、面倒事に付き合わされることだけは確かだ。
 そこの竜人は怯むことは無かった。
「でもさ、知らないでしょ、アイドル!見た感じアンタ、アタシより年下だし人生経験とか大事だと思うんだよね?」
「その身長で言われても」
「これでもアタシは色んな事業展開してる商人!見た目で侮るなかれ、アンタより絶対大人なんだなこれが!お姉さんと呼ぼうねお姉さん!いやムズムズするから気にしないで今のお姉さんは!」
 えっへんと腰に両手を当ててふんぞり返る竜人。その態度がもう子供だ。
 さらに僕は体の年齢はそうかもだけど、魂の年齢が成人を超えようかという所なのだ。相手を年上だなんて思えたりなんて出来なかった。
「仕事してる大人なら、こんな所で話してていいの?」
 聞いてみると、彼女は人差し指を立てて振りながら片目を瞑る。
「これも仕事なのだよ少年、むしろ限られた時間内に沢山のアイドル候補探して勧誘してきたアタシは忙しくしてるレベルだからね。時間が足りない、アタシだけ時間ゆっくりにならないかな!」
 その発言はちょっと、刺さった。僕も最初はそう思う事は何回かあった。けど。
「……限られた時間しかない方が、楽しいよ」
「おっ、良い事言うね!なら尚更、ここでじっとしててもしょうがない、とりあえずアタシと来てよエンデガ!やるやらないの判断はそこで決めてもいいじゃん?」
「悪いけど僕は――」
「用でもあるの?ないでしょ、むしろ凄い暇すぎて困ってるでしょ」
 さっきの発言で、僕が時間を持て余している事がバレてしまったようだ。面倒な。
 竜人の女の子は尻尾を振って僕にトドメを刺す。
「アタシの仕事はね、毎日毎日忙しく楽しい刺激ある日々なんだよね。その退屈、ちょっとくらいなら確実に紛れるよ?」
 戯言、そう思った。
 けど、期待してみたい気持ちもあった。
 そして追い打ちをかける竜人。
「じゃあさじゃあさ、三食おやつに昼寝付き、初期費用はこちらが全部出したり面倒事徹底的に排除するから!最近物騒でしょ、そしてアンタは今食料ないでしょ!」
「……まずは見るだけだよ」
「決まりだぁーーっ!」
 飛び跳ねる竜人。そして揺れる地面。頭の大きな角が特徴的な、二足歩行の竜が二体走ってきた。警戒したが彼女はむしろ奴らを呼ぶように合図していた。
「大丈夫、以前アタシが飼い慣らして商売に使ってる一角竜だよ。さあ乗って乗って!」
 無茶な速度してるよ、僕じゃなかったら乗れないよこんなの。
 代償がそろそろ怖いので控えたかったが、時空操術で安全に一角竜の背中に乗り移る。操縦が効かない。竜人が僕と同じ一角竜の背中に乗った。僕より前方に陣取って、手綱を握って操縦する。もう片方の一角竜はそのまま僕らについてくる。
「しっかり掴まってね!紹介遅れたけどアタシはクロリス、自称スー商会の次くらいに儲けてる有能商人だよ!エンデガ、これからヨロシク!」
「これからヨロシクするかはまだ分からないけどね」
「ここで会った縁がそう簡単に切れるわけないじゃないの!いや、アタシが逃がさない!」
 しばらく感じていなかった風。高速移動の空気抵抗とはいえ、久々にそれを感じ、世界に触れる事が出来た。それだけで実は感謝なのだが、クロリスにはわざわざ言わなかった。


 向かったのは、小さな村。大したものは無さそうだが、人々の活気はあると思う。
 竜人が多そうだが、皆老体。働く若者は主に人間という感じのある、少し異質な雰囲気はあった。本来竜人は人間より働く元気がある。人間に従う気があるかは別として。
 クロリスが一角竜を入口の門に停めようとしたが、そこにいた村の人に、よその竜が入っても問題ないという話を受けて、二体の一角竜と共に村に入った。
「竜への警戒心が無い。小型でも、暴れたら止めるのに苦労するかもしれないのに」
 呟くと、隣のクロリスも何度か頷く。
「見た目の割に竜人メインの村という話は本当かも。人間はよそから来た労働力ってとこかな?」
「労働力って言い方……」
「あっ、ごめん職業柄つい。アンタ実は良い奴でしょ」
「別に、ただ僕も人間だし」
 雑談を滑らかに進めながら街の奥へ。今回の用事は村長との商談だそう。
 少し大きな木の家だが、サイズだけしか他の家と変わらないような場所に村長がいるとか。そこを見つけ、いざ突撃という所でクロリスが止まる。
「ちょっと待って。あの子は捕まえておこう」
 肩を叩かれ指で示された場所に、クロリスと僕の間くらいの身長の、竜人の女の子がいた。クロリスと違い髪が長く、一瞬男と間違えたりはしなかった。
「おじさんおはよう、今日は調子良さそうだけど無理はダメだよ!ミニエラちゃんやっほー、今回はよろしくね!おばちゃん今日も良い天気だね!あっ、そんないっぱい悪いよ~。うーん分かったありがと、後で受け取りに行くね。――あっ、天軍の方。監察官さんは到着していますか?」
 あの女の子、こちら側に歩いてくるのに、周辺の人との関わりで全く進まない。しかしその様子を見るに、村の中では中心人物の一人と言った感じがした。
「あの子は誰?」
「彼女はカナリーちゃん。年は推測だけど、アタシとエンデガの間くらいかな?ここ、エスポワルの村おこしを成功させ、今の活気を生みだした張本人にして、オセロニア界話題沸騰中の新職業、アイドルの始祖!」
 クロリスの目が輝いている。歪なので、金になるとしか思ってない欲望の目だろう。
「最近ネイルアーティストだったり、新職業多いね」
「お、エンデガ、ネイルのイーリスちゃんもご存知か。そう、アークワンによる世界の変化は、何も悪い事だけじゃない。様々な人々の才能が開花しはじめる文明の発展時代なのさ!」
 ここまで来てようやく、僕がネイルアーティストの存在を知っていたことに気付いた。やはり無意識に、芸術分野は嗜んでいたのかもしれない。
 クロリスは興奮して口を止めない。
「いやぁおかげでこちらとしても新事業立ち上げがやりやすいのなんのって大助かりなんだよね。でね、その発展時代の中でアタシが最初に目につけたのがこれ、アイドル!カナリーちゃんの努力の結晶であることは重々承知した上で話すけど、村おこしを見てピーンと来たわけ!」
「アイドルは稼げる?」
「そう!数多の新職業の中でも、話題に上がった時の広まりようがヤバいはず!これでアタシはジャンジャン稼ぐ!」
「ん?スポンサーの方ですか?エスポワル村へようこそ!」
 カナリー到着。金の話に夢中だったクロリスは慌てて自然体に戻る。
「おぉぉカナリーちゃん!えっと確かに商売の話してたけどまず、握手お願い!ファンみたいなものなの!」
 クロリスの自然体が分からなくなってきた。
「あ、うん。ありがとう!」
 クロリスが、自分より年下だと推測していたカナリーの握手に対して、低い背を跳ね飛ばしてはしゃいでいる。この視点だとカナリーの方が年上に見えるが、本当にクロリスは大人なのだろうか?
「ぐふふふ、これが始祖の御手ですよ、パワー貰えばアタシも同じくらい、いや、それ以上に稼げるってものだよ……!あぁ、一から職を生み出す発想力がアタシにもあればなぁ……!」
 クロリスの発言に僕が苦い顔をしていると、カナリーもちょっと苦笑いになっている事に気付いた。僕が止めた方が良さそう。
「クロリス、そろそろ本題に戻ろう」
「ああそうだった。カナリーちゃん、今から村長さんにちょっとした商談をするんだけど、一緒に聞いてもらえないかな?この村の許可って、今は村長だけが認めてもなんか違う気がしてね」
 別にカナリーは予定が今すぐあるわけでもないそうで、難なく了承。村長の家に改めて突入となった。


 商談と言っても、僕でも分かりやすい話だった。
 アイドルには必要な物が多い。その中でひとつ、ミラクルステッキというカナリーが発案した、拳二つ分ほどに短い魔法杖のような音声拡散アイテムは、現状エスポワル村でしか開発されていないのだそう。それで、ステッキをいくつかくださいなと、そういう話だそうだ。あまりに簡単で拍子抜けすると同時に、この話に僕は必要か?と疑問が湧いてきた。小さな机を挟んで、クロリスと僕、村長とカナリーで対面しているので、圧力が分散出来たりはするだろうけど。
「エスポワル村近郊の鉱床から得られる魔石の拡声効果、アレと類似の現象を発生させるのって可能ではあるけど、魔術使ったりでコストが高いんだよね。石を使うだけで複数人が負担なく声を響かせられるのは貴重なの。だからお願い!発展させる気が今のところないなら技術奪ったり似たような鉱石探したりしないから、ミラクルステッキ沢山譲って!いや、貸してくれるだけでも嬉しい!」
 クロリスの交渉は、最後に妥協点や有利な対価みたいなものを提示する。この方法で、二番目、三番目の条件に乗ってくれた相手は多いのだという。
 予想通り老人だった村長が、カナリーに判断を委ねる。
「クロリスさん、マルシャンみたいな悪質さを感じないから、信じてみても良い気がする」
 クロリスはその名に反応して目を細めた。
「あぁ……マルシャンね。複数事業系の商人繋がりで良く話すけど、確かにアイツはちょっと強引なとこあるね。この村に迷惑でもかけてたなら、アタシが代わりに謝るよ。アタシも確かに稼ぐのが目的ではあるけど、信頼やらなんやらも大事にしてるし、このアイドル文化自体の発展を望んでるから安心だよ!」
 安心って自分で言っていいのか……?なんて言ってみた。
 そんなこんなで話は進み、ミラクルステッキ――僕は密かにマイクロフォンと改名している――の提供は無事行われる事になった。今はまだ検討段階だが、いずれミラクルステッキの技術自体の発展もしていく方針にもなり、大成功といったところだ。
 鉱床が原因でマルシャンに目をつけられ、村は一度危機に瀕したようで、鉱床や鉱石の扱いには慎重なのだそう。検討段階に持っていけたのは、カナリーのアイドルへの思いだけでなく、クロリスの力もあるだろうから、侮れなくなってきた。
 そうして商談も終わりかけた時、村長があるものを取り出し、机に置いた。
「せっかくですから、これを試して、その評価を報告していただく仕事も、お願いしてよろしいですかな」
 クロリスがその物体に顔を近付け、椅子から腰を離す。
「初めて見るよ、何、これ?」
 細いが硬い紐、その両端には、不思議な形で埋め込まれた魔石。これもエスポワル鉱床のものだろうか。
 村長が髭をいじりながら答える。
「まだ名前も決まらぬ試作品です。魔術を記録する魔導書などの技術を応用して、音楽をこの魔石に記録してあります。ライブ中、周辺の音などの時間差で自分の歌う場所が分からなくなる人がいたのです。それで、これで音楽を聴く事で、歌う本人も流れを把握できる。そんなアイテムです」
「すごいよすごい、これ応用によっては色々作れるよ!エスポワルは何年先を行く気なのかな!?」
 クロリスが興奮して、机につく手を支えに足を浮かせている。はしたないとやめさせる。
 僕もその話には驚いた。ずっと固まっていた体が、試作品に少し近付いてしまったほどに。
「しかしまあ試作品故、突然誤作動を起こして事故でもあったら困りますからな。ステッキ提供の交換条件としてひとつ」
「了解了解お安い御用だよ!」
 クロリス即答。商談はこれで完了となった。
 そして世間話へと移っていく三人。僕はしばらくしてから割って入った。その世間話を理解するための知識が僕には足りなかった。
「まず、アイドルって何」
 場が一瞬静まる。クロリスが結局説明してくれなかったのが悪いが、始祖もいるこのタイミングが丁度いいだろう。
 この考えはクロリスも察したようで、目線を送り、カナリー本人に説明してもらう事にした。
「アイドルは、みんなの前で歌を歌って、ダンスして、自分の成長をみんなと共有して楽しむ新職業だよ。みんなに勇気や希望を与えて、笑顔をもたらす。そして辛い時は寄り添って、明かりを灯せる存在。解釈は変わっていくと思う。でも今のところ、私が思うアイドルっていうのはこんな感じかな」
「神にでもなりたいの?ろくなものじゃないよ」
「ちょ、エンデガ……」
 クロリスが一瞬狼狽えた事で気付く。失礼な事を言った。
 村長は目を丸くしていたが、カナリーは笑顔を絶やさなかった。
「偶像というか、崇拝されていく感じは似てるかもしれないね。でもアイドルは神様よりも、人柄とかを重視するかな。能力や加護を信頼してるんじゃなくてね。特に絶大な能力の無い、または力があっても使わずに、みんなと同じ立場で頑張ってる。それは、神様とは大きく違う所だし、それでしかもたらせない笑顔もあると思うの」
「……」
 納得だ。彼女、少なくとも僕が関わってきた神々とは違う。オーディンはその力で信仰の対象となっていたが、禁忌の術を誰かに継がせるために活動し、刃向かう者に容赦なく雷を降らせた。アークワンはまだ上の信仰者がいるようだが、現状やっている事は主神と同じだ。
 力で崇拝される神への信仰心が無い僕にこそ、人柄だけでアピールするアイドルの崇拝者(ファン)には向いているのかもしれない。そしてそう考えると同時に、神々の存在が身近なこの世界で、アイドルとして人気になるのは相当難しく、賞賛出来るものだと思った。
 ――だが。僕の疑念は晴れない。
「人に笑顔をもたらす……それで、この退屈と虚しさは紛れるの……?」
 カナリー達にも聞こえただろうが、クロリスに質問したつもりだ。違いは分かったが、僕が信頼できない神と同じ事をして、果たして楽しいのだろうか。返答によっては、ここで縁が切れる。
「アタシはお金の流れみたいなのを感じられればそれで楽しいから、アイドルの事は実際まだ分かってないよ。でもさ、こういうのは触れてみないと肯定も否定も出来ないじゃん!」
 その返答はズルい。とりあえずやらせる気満々である。
 しかし言う事はその通りだ。僕だって時空操術を大して理解しないまま、自分の意思で身につけた。そしてこの力が有能と思うか、禁忌と思うかは僕個人の感想に過ぎず、オーディンは肯定派に立つだろう。
 村長がおもむろに席を立ち、別の机の引き出しから、また別の魔石を取り出した。紐などを見るに、例の試作品だ。
「触れてみるならば、この試作品を早速試してみてはいかがですかな。複製品があるのですが、こちらにはカナリーちゃんの歌が記録されております故」
 ここで断るのもおかしい。もし爆発でもしそうなら、時空操術を使ってなんとかしよう。
 村長のジェスチャーで使用法が伝えられ、耳に試作品を装着する。魔石は外側にあり、耳に当たる部分は柔らかい素材になっていた。
 村長が手を擦り合わせると魔力を感じた。新技術、つまり新魔術。詠唱の簡略化は十分に行われておらず、技名なども決まっていないため発動が遅いようだ。あと村長、並程度の実力の一般人みたいだし。
「――再生!」
 村長の魔術が無事発動。これは今後、自分らで試作品を試す為にも魔術を覚えなくてはならないだろう。
 そして耳元で流れてきた音楽に驚く。目を見開いたりはしなかったが、体は一瞬震えていただろう。
 聖歌しか聞いていなかった僕には不思議なリズム。新時代を感じた。
『いぇい!』
 前奏が終わるかというあたりで、カナリーの声が聞こえ、俯いていた僕は顔を上げてカナリーを見た。この魔術によるものと気付くのが遅れ、突然目の前のカナリーが喋ったと勘違いした。
「あっ、本来はこんな田舎竜っぽいのじゃなくて、専用の可愛い衣装を着るの。なんだか急に恥ずかしくなってきた、今って一方的に私の声聞いてるんだよね……」
 私服のカナリーが頬を染めてはにかむ。そんな事は関係なく、僕はカナリーを眺め続けた。目の前の女の子が、実際は踊りながらこんなに楽しそうに歌うのだ。なかなかに興味深かった。
 曲が終わる。あっという間だった。いつの間に聞き入っていたから、爆発でもしたら対処できなかったかもしれない。
 試作品を外すと、僕の杖や、部屋にある時計の秒針の音が戻ってくる。僕の杖は参考にならないが、部屋の時計は世界の現時刻を示す。
 その長針は、少し前に見た時よりも大きく進んでいた。
 ずっと動かなかった時計、一秒すら永遠に感じた日々。それを簡単に吹っ飛ばした音楽。虚しさなんかはともかく、久々に時を明確に進められた事は、認めざるを得なかった。
 隣のクロリスを見る。ドヤ顔だ。キミの手柄じゃないでしょ。
 もう一度、カナリーを見る。そして意思を籠めて頷いてみた。彼女は満面の笑みを返した。
 試作品の起動には専用の魔術が必要。アイドルはともかく、純粋に魔術への興味があったので、僕がその実験台をする事に決めた。この商談に参加した意味はあったようだ。


 村長と別れ、家を出る。その出入り口の傍で直立待機していた女性の天使。そこにカナリーが飛び込んだ。
「シェリザお帰り~っ!」
「わぷっ!……お元気そうで何よりです、カナリーさん」
 小型とはいえ、角と尻尾で増した竜人の重量に体制を崩しながらも、シェリザと呼ばれた天使はカナリーをしっかり受け止めた。
 ――何、シェリザだって?聞き覚えがある。
 その翼、赤い眼鏡、白の短髪。間違いない、神学校生徒に天界を案内した、ミカエルの部下だ。天界はブラックかもしれない。監察官の仕事以外にやらせすぎじゃないか。
 咄嗟に僕は杖を背中に隠し、そっぽを向く。
「どうしたのエンデガ、身長で杖隠れてないよ?」
 しかしクロリスの余計な発言。シェリザの視線を貰ってしまった。
「おや、そこにいるのは、いつかの彼」
「……」
 誤魔化すのは難しそうだ。もし危なかったら時を戻そうなんて考えながら、目線をシェリザに合わせて臨戦態勢を取る。
「そう構えないで下さい。私に戦闘の意思はありませんし、貴方の禁忌は法で裁く必要も無いので」
 物騒な会話内容に、クロリスとカナリーが狼狽える。カナリーはシェリザに抱きついたままだけど。
「……どういう事、あれだけ総出で僕を殺しに来たのに」
「アスガルド主神の指揮能力はご存知ですか?あれによっていくつかの神は戦闘を行いましたが、ほとんどはそれに便乗した戦闘好きや、指令と勘違いした者、戦闘被害の防止に努めた守護神です。そして天界のミカエル様や私は、操者の危険性を警戒したからです。そしてしばらくの監視の結果、秩序を乱す恐れが無いと判断されたのです」
「術の習得自体は問題ないって事?」
「勿論禁術は習得を推奨されていませんし、習得法も秘匿されています。学校などの組織に属している状態で習得すれば、そこに居場所は無くなりますし、天軍の監視が一定期間付きます。ですがそれを広めたり、悪用しなければ現状の法には引っかかりません。時空操術だけでなく、自らをアンデッド族に変える転化魔法なども同じ部類です。例外として死者蘇生は、習得はともかく、一般人が使用した時点で天軍が捕らえに行きますのでご注意を」
 シェリザはそう締めて眼鏡を上げた。監視に気付けなかった事に戦慄しつつ、少し安心した。禁忌だからって、確実に責められるわけでもないようだ。臨戦態勢を解いて息をつく。
 そして彼女や天軍は気付いているだろうか。時空操術は、他の禁術と違い、悪事を働いても簡単に隠蔽出来る事を。まあ僕はそんなこと(たぶん)してないけど、その辺の管理が甘そうに見えた。
「仲直り……って感じかな?」
 クロリスの発言にカナリーが反応し、シェリザにアイコンタクトを飛ばす。
「えぇ、まあそんなところですね」
 色々因縁はありそうだが、ここで全て忘れた方がいいだろう。
「はい、じゃあ握手!」
 カナリーが拳を握って提案する。はしゃいでるなぁ。
 シェリザもこの流れをさっさと終わらせたい気持ちらしく、お互いしれっと終わらせた。こういう意思が通じてる時点で、戦闘はきっと起こらないと期待したい。
 そして勢いそのままにカナリーとも握手して、エスポワル村の用事は終わった。ミラクルステッキなどの機材を、村長宅の傍で待機していた一角竜の背に乗せ、僕はもう一体の竜に乗った。この後、本題の現場に向かうのだそうだ。魔術の研究はそこで行おう。この村は賑わっていてうるさい。
「ねぇねぇエンデガ、アタシとも握手してよ!」
 何故かまだ一角竜に乗らないクロリスが手を伸ばしてくる。
「え、嫌だよ、商談に乗ったと勘違いされても困るし」
「ここまで来てまだ乗り気じゃないの!?ほら見たでしょカナリーちゃんのキュートな笑顔を!あの鮮やかな輝きを見て目覚めたでしょ、さあ共に行こう!」
 灰色の視界は、僕の世界への無関心が生んだものだと思う。カナリーの笑顔が鮮やかだったというなら、少し見てみたかった気がしなくもない。この視界を生んだ自分自身を恨みかけた。
「僕は新魔術の研究だけ出来ればそれで……」
「いやほんとそこを頼むよエンデガ!実は人員が足りなくて、アタシ自身も数合わせでアイドルしなきゃいけない感じなんだよ、厳しい状態なんだよぉ……」
「……」
 その寂しい目を見ないために、一角竜の背中を叩いた。小さく叫んで走り始める、僕の一角竜と荷物持ちの一角竜。
「わぁぁちょ待って待ってうひゃあぁ!!」
 必死で追いかけるクロリスに杖の先端を差し出すと、見事それを掴まれたので、引っ張り上げて乗せた。手綱を握って貰わないと、僕としても困る。
「危ない危ない助かった!で、どうなのエンデガ、いや質問じゃなくてお願い!一緒にアイドルやろ!!」
 僕が動かしたことで難しくなった操縦に必死になるクロリス。僕は一度ため息をついてから、その小さくもたくましい背中に声をかける。
「……分かった。今回だけ」
「よしありがとサンキュ愛してるエンデガ!」
 超絶早口で喜ぶクロリス。
「ただし!歌うだけね、僕がわざわざ踊る必要は無いよ」
「いや全然構わないよ!アンタの歌唱力はアタシの耳が知ってるからね、ヨロシク!」
「はぁ……ヨロシク」
 渋々とはいえ、結局受けてしまった。改めてヨロシクを言ったのが、ちょっと負けた気がして悔しかった。


 到着。クロリスの集めたアイドルの卵達が、適当に作った部屋や仮設ステージで練習をしているらしい。
「じゃあ僕もその辺の部屋借りて、魔術実験でもするよ」
「待って待って!衣装とか楽器とかそういうのも用意するから、それまで他の人との交流でもしてて!」
「楽器?僕は踊らないよ」
「歌うだけなら尚更楽器は必要でしょ!いずれ超えたいライバルのスー商会からわざわざ仕入れてきたんだから、使ってくれなきゃ困るんだよね!カスタマイズは自由にしていいからさ!」
 渋々承諾すると、クロリスは竜人の身体能力を見せつけるような速度で消えていった。楽器か……多少経験があるとはいえ、そちらの練習も必要そうだ。
 他のアイドルと進んで交流する気はないけど、シェリザのような危険人物がいないとも限らないので、全員一目くらいは見ておくことにした。
 ――いた。一人。別に危険じゃないけど。
「やあ、ここで会えるとは奇遇だね」
「生きてたんだね」
「あの村のその後を知ってるのか。そうだね、痛ましい事故だった。けど、君が思うほど深刻にはなっていないよ。少なくともうちの生徒は、今も俺の生徒として、元気にやってるよ」
「……良かった」
 煌びやかな衣装を身に纏うセスの、癪に障る笑顔を見て今は安心した。何故か記憶の一部が欠落していて、セスやアルドの村の未来があまり分かっていなかったのだ。この再会と情報は、僕を救う手の一つになった。
「で、どうして教師のセスがここに?」
「クロリス君にスカウトされてね。一度は断ったんだけど、神官学校の広報活動の為とか言われたり、生徒達もスカウト陣営に入っちゃったのさ」
「クロリス、もしかしてここにいる全員にしつこい勧誘を……」
「しかし彼女、強引ってわけじゃないだろう?最終的に皆納得している様子があるよ。俺もその一人さ」
「ふーん」
 まあいいや、そういう事にしておこう。
 衣装などが用意出来たようなので、さっさと向かう事にした。今日は久々の喧騒で疲れた。寝たかった。


 衣装も楽器も、全て部屋に置いてあった。衣装のサイズがピッタリだった。どんな能力者がバックにいるのか、後でクロリスに聞かねばと思った。
 周囲を確認。僕しかいない部屋だ。サイズ確認の為に着た衣装をすぐ脱いで、楽な格好で楽器を確認しにかかる。杖はコートと一緒に部屋の隅だ。
「ギター、か」
 オーケー、いける。とりあえず椅子に座り、音を調整しながら、懐中時計同様、時空操術のエンチャントをギターにかけた。魔術の作用か、杖の歯車が一部ギターに移った。カスタマイズ自由と聞いたし、このくらいいいだろう。
 眠気は去った。久々に音楽に触れる感覚に心躍らせている事に、僕はまだ気付いていなかった。
 ギターをいじっていると、自然と目に入った左手首の包帯。
 この火傷が出来てから、時空操術の代償は悪化。世界の時は止まっていた。アークワンは、今頃何をしているだろう。
 しかし今から始めるのは、時空操術を使う永劫の神とは別の、新たな僕の戦いだ。
「今だけは、キミと向き合わなくてもいいのかな」
 衣装と共に置いてあったサポーター。それを巻いて包帯を隠した。
 窓から日が差し込んでくる。その温もりを感じたのは、忘れるほどに久しぶりだった。

● 〇 ● 〇

さて、ギターの練習も魔術の研究も進んできた。僕は一般人のあの不思議な感覚を実際に起こしてしまい、時計を一度見てしまうとそれ以降針が全く動かなくなるので、時間を気にしないようにしてひたすら熱心に続けた。
 終わりの見えない活動が来訪者により破られる時、僕の音楽と魔術の練度は相当なものになっていた。
「やーやー元気にしてたかい?食事も摂らずに部屋からも出てこないからちょっと心配して駆け込んだ次第!あと本番近いから!」
 クロリスが僕の空間に穴を空ける。外の暖かな空気が吹き込んでくる。
 驚いて口を閉じ、息を呑む。防音室なのがこういう時だけ災いした。僕が歌っている途中なのが分からなかったようだ。
 ため息をついて気分をリセットし、口を開く。
「騒がれるのは気分が良くないかな。あと、僕個人で用意してた携帯食料が残ってるから、食事は問題ないよ」
「おっとそれはごめん。で、ミラクルステッキや試作品の方はどうなってる?現状でも動くけど、使用者への負担がすごくてね……」
 その話は是非ともしたかったから、相手から来てくれたのは手間が省けて良い。
「マイクの術式は理解して、多少改造を加えてみた。どうかな」
 マイクロフォン――略してマイクを投げて渡そうと思ったが、貴重品なので仕方なく立ち上がって手渡しする。クロリスはそれを興味深そうに眺める。魔術の心得は無いそうだが、道具の性能向上とかには興味がありそう。
「アンタはマイクって呼んでるんだね。カナリーちゃんのセンスはお恥ずかしいかな?……柄と魔石の接続部あたりにボタンというか、スイッチが増えてるね。押してみても?」
 僕は無言で頷く。そして両耳を手で塞ぐ。
「ポチっとな。え、別に何も変わらな――声大きい!!え、これで魔術起動したの、簡単!あ、そっか、常に起動したまんまだったマイクに切り替え機能が付いて、負担を減らすんだね!」
 予想通りうるさい。睨みつけると、察したクロリスがもう一度スイッチを押して継続魔術を破棄した。
「これでも所持者の魔力を吸うけど、魔術破棄、再構築の工程は全部そのマイクに組み込んでる。エスポワルの村長とかセスとかなら、仕組みが分かると思う」
「お、信頼出来る人ってアンタにもいたんだね、嬉しいよ?」
 茶化された。
「この世界で、実力とかを冷静に見定めるのは大事だから」
 そう、それだけだ――と、思う。
「とにかく、この改良版は村長に報告、相談してから、正式採用させてもらうね!ありがとね!あと、例の試作品はどう?」
 クロリスの商業意識の、真面目で素早い話の進行に合わせる。
「耳の試作品――仮にイヤーモニターとするけど――も、同じ仕組みのスイッチで誰でも使えるようになったはず。暴発の危険性は分からないから、今回は僕だけが使う方針で良いと思う」
「次回の想定までしてくれるエンデガ、頼もしいネ?」
「用は済んだね、じゃ」
 また茶化されたので、この場を離れて会話を終わらせる。
 そして歩きながら、この行為は自分から住処を離れただけだと気付いた。
「エンデガくん、こんにちはーっ」
 外に出ると、目の前にいた二人組、カナリーとシェリザに挨拶された。シェリザは無言の礼だ。
「なんでここに?」
「このイベントに飛び入り参加するつもりなの。けっこう盛り上がるみたいだし、私もそのステージに立ちたい、って!」
「そうなんだ」
「あとエンデガくん、その衣装かっこいいよ!」
「あ、うん」
 カナリーの事情は分かった。しかし、それもそうだけど、なんでこんな小屋の前まで来たのか、それを聞きたくて口を開いた僕としては希望とズレた答えだ。
 察しの良いシェリザが眼鏡を上げる。
「もうすぐイベント本番が始まるので、迎えに来た、といった所です。それに今回のイベントのマネージャーも私が務めるので、ここにいても不思議はありませんよ」
「あ、そう……」
 ならば間違えてこの衣装のまま外に出たのは正解だったようだ。ここまできてやっぱり面倒になるけど、会場に行かなければならない。
「あとエンデガさん、その衣装、とてもお似合いですよ。私も奮発した甲斐があります」
「はいはい……え、シェリザが?そういえばサイズとかはどうやって」
「知りたいですか?」
 口角を上げるシェリザ、その目元は眼鏡のグラスで見えない。能力とかスタッフの詳細を知りたいだけなのに何故勿体ぶるのか。不思議と怖くなってきたので、追及はしない事にした。
 後ろからクロリスが早歩きで登場。
「あ、二人とも!今回はヨロシク!アタシは今から村長に急ぎの相談があるから、その後合流するね!」
 そしてそのまま去っていく。シェリザが、通り過ぎたクロリスに頭だけを向ける。
「案の定人員不足のため、クロリスさんにもアイドルになってもらいます。なるべく早く戻ってきてくださいね。同時に、村の方で不穏な噂があったようなので調査してきてください」
「あーもう、無茶言ってくれるねぇ!分かりました急ぎますー!」
 冷汗を掻きながら、歩く速度を早めたクロリスから意識を外したシェリザが、魔法で各地と連絡を取ってイベントスケジュールを回し始めた。
「では、カナリーさん、エンデガさん。行きましょう」
「うん!」
「……はい」
 原因不明の圧力。ミカエルの部下としての側面と戦闘能力。そしてクロリスの焦る様子を見るに、シェリザに逆らうのは良くないと悟った。


 到着した舞台裏。僕達はちょうど深呼吸を終えたセスと遭遇する。シェリザが手を上げ、セスの視線をこちらに向けさせる。
「次はセスさんの舞台ですね」
「ええ。把握していますよ」
 今回はいくつかの場所で、順番に新アイドル達がパフォーマンスをしていくらしい。
「とても神官学校の教師には見えないね」
 僕はそんな事を言ってみる。するとカナリーが、
「普段の自分じゃ出せない輝きを生み出してくれるのもアイドルだよ!」
 と返す。会話が聞こえたセスは微笑む。
「そうかもしれないけど、実は変わったのは見た目くらいで、目的は神官とさほど変わりは無いと気付いたんだ」
「へぇ」
 あまり興味は無いが、話を聞く姿勢はとってあげる事にする。
「夢と希望を与えるのも、神官の務め。アイドルも、やり方が違うだけで本質は同じだったんだ。それなら俺はこのステージで、自分なりに夢と希望を歌いたい!」
 セスの発言に、カナリーが前かがみで繰り返し頷きながら目を輝かせている。子犬のように揺れる尻尾が当たりそうで危ない。竜人の力を舐めていると怪我をするので数歩退く。
 僕はその曖昧で中身の無さそうな言葉を耳では聞きつつも、脳まで届かせる事はしなかった。
 まあ、似てるっていうなら、学校の広報活動としては良いかもね。なんて感想で済ませ、シェリザに視線を送って案内を促し、先に進んだ。僕もやるからには準備をしようという思考だ。
 始まったセスの歌が廊下に響いてくる。本当に神官とは思えない歌だ。しかし、あの村だけでなく、エルダークラスによる被害がそこらじゅうであるだろう。同じ境遇の美男があれほど楽しそうにしているのだ。真面目な視点で見ると、良い効果はあるのだと思う。
 控室の椅子に一人座り、呟く。
「……僕の歌に、そんな力は……」
 きっと無いだろう。僕が表現出来るものなんてたかが知れているのだ。
 今、手元に時計杖は無い。アレからは呪縛のようなものも感じない。きっと能力習得後、何も起こさず平和に別の物――例えば楽器なんかを手に取っていたならば、僕の人生は別の道を行ったかもしれない。
 まあ、そんな事が出来る人は、最初から禁忌に触れないだろう。僕は実際、悪い子なんだ。
「セスさんが最後に学校の宣伝をしています。そろそろ、準備をお願いします」
「もう出来てる」
 放たれた扉から現れたシェリザを確認し、僕は立ち上がり、歩き出した。
「thank youー!」
 明らかに様子が違うセスが話しているであろう場所から、歓声がここまで届いてくるが、僕はあまり実感が湧かなかったので冷静だった。


 ステージの照明などはアイドルの人が指定できる。僕は登場方法をセスのような走り込み入場ではなく、事前に立っておいて幕を上げる形式に指定。それ以外の要望はしていなかった。
「これは誰が?」
「クロリスさんのサプライズだそうです」
 しかしステージには時計をモチーフにした、骨組みのようなセットが用意されていた。
 軽く魔力を注いでみると、円い骨組みが歯車のように回った。直感操作だったけど、事前にそうなるように設定されていたかのような動きだった。あの商人、本当に侮れない。
 マイク及びそのスタンド、イヤーモニターも着けて完全武装。ギターにも時計杖の能力の一部を付与している。よって、一般人には分からないが、相当な魔術構築と共に行うライブになる。急に戦いになったとしても、詠唱無しで即座に強力な魔法が撃てるかもしれない。疲れるけど。
 シェリザが一礼して去っていく。始まりというわけだ。
 悪い癖だが、思わずため息をついた。勢いに乗せられたまま、結局ここまで来てしまった。さっさと一曲歌って退散しようか。
 面倒だが、しかし信じたかった。あの一度たりとも笑顔を崩さなかったアイドルの始祖、その歌声によって一瞬自分の中で動いた何かを。
 幕が上がり、外の観客が見え始める直前。視界右から手を叩く音が聞こえたので振り向く。無事帰還したクロリスが、服の露出を増やして語りかけてくる。きっとアイドル衣装だろう。
「長話はしなくていいから、せめてアンタをアピールする決め台詞ひとつくらいお願い!」
 小声で叫んできた。僕がさっさと退散する意思がバレバレだったのか、それともアイドルとして台詞は必要なのか。
「急に言われても分からないよー」
 観客が完全に見えてきた中、こちらも小声で叫び返す。複雑な表情と、意味が分からないアクションをし始めるクロリスを無視して正面を向くと、黙って立っていただけの僕の動きを待つ客の姿が視界いっぱいにあった。イベント開始から多少時間が経ってきたとはいえ、突然始まったアイドルイベントにこんなに集まるものなのかと驚く。カナリーの村おこしの伝説は、きっと大きな反響を生み出したのだろう。
 しくじった。歌い出すタイミングを掴めなくなった。仕方がないので、台詞とやらを考えてみる事にする。
 クロリスがせわしなく動き出す足音が聞こえてきた。そういえば、この観客たち全員、有限の時を過ごしているんだ。それをこんな所に費やして、いいのだろうか。カナリーと共に村おこしをしたアイドルでもない限り、この場に立つのは名も知れぬ新人だというのに。少し罪悪感を感じるイベントに思えてきた。
『thank youー!』
 何故か声を思い出してしまった。あぁ、いやむしろ、あの神官教師のように感謝をすべきだ。ちょっとイイのが思いついた。クロリスとかに聞かれて、後でネタにされないといいけど。
 ギターからワールドエンドを展開。骨組みと位置を合わせながら、僕の周囲に、時計魔法陣を生み出した。ギターの魔術性能はかなり弱いとはいえ、このまま発動までもっていくと人が消える事になるので、途中経過で停止する。演出としては見事だ。灰色の観客もきっと驚いている事だろう。
「キミ達の――んんっん」
 失礼、咳払い。集団に言うのではなく、個人に向けてみようか。
「キミの時を貰おう」
 台詞が決まったので歌い始める事にする。僕が歌い終わるまで、この人たちは僕に人生の限られた時間を与えている事になる。それは申し訳ないと同時に、感謝すべきことだ。
「-ー、----」
 夢とか希望とか、それは有る者が語れる事だ。前までのアイドルと違い、盛り上がるわけでもないような旋律で歌っている。少し能力を使って、時の流れを遅らせてみたり。
 アイドルの練習は、歌の製作は、自分と向き合う機会になった。何も無く、何も語る物がないと思っていた自分から生み出された歌詞は、孤独を歌う切ないものだった。僕は孤独を感じていたのだ。
――歌いながら、何かが変わっていくのを感じる。
 家を失ってから、ここまでずっと独りだった。でもこの歳まで生きている。なら大丈夫だと思っていた。
「--」
――これがカナリーの言っていた輝き……いや、そんな単純なものでもないか。
 心の奥底では、寂しかった。仲間が欲しかった。この気持ちをぶつけられる相手が欲しかった。いつかどこかで失っていたのかもしれない、依存先を取り戻したかった。
 そんな気持ちに、気付いたのだ。
 悲痛な叫びを歌に乗せて大衆に届けると、少し気持ちが良かった。情けないな。
 術を解除、時計と魔術エフェクトにより青く幻想的に動いていた景色は終わり、僕は口を閉じ、小さく頭を下げた。
 盛り上がるような内容では無かったが、大歓声が聞こえてきた。だが少し聞き取りづらい。そして気付く。耳に試作品をはめていたんだった。また、夢中になって忘れていた。暴発の危険はないだろう。こちらの仕事は成功だ。
 右耳だけイヤーモニターを外し、歓声と拍手を感じた。色とりどりの服装で、色とりどりのライトを握って騒ぐ観客達。アイドルとしての仕事も、成功なのかな?
 クロリスの足音と声が聞こえてきた。
「いやー良かったよエンデガ!次はアタシの番だけどー、エンデガもこのまま継続してライブに参加して!」
「え、なんで――」
 振り向きながら文句を言おうとして止まる。その小さなアイドルを見下ろす。
 白いターバンは外さずに、しかしリボンの装飾が追加されている。露出は多いとはいえ、褐色肌に似合う衣装。ケチってたり何もないというわけでもなく、腕などにも透明なパーツがあったりする。少なくとも四色以上は使っているカラフルなスカートから伸びる、太くたくましい赤の尻尾の動きは、彼女の活発さを分かりやすく伝えている。
 僕は思わずその短髪に触れ、宝石のような赤い瞳を見つめて言う。
「――クロリス。キミの衣装、似合ってるよ。可愛い」
 凄い速度で僕の手を弾いて、顔を真っ赤にするクロリス。
「はぁっ⁉急に何言ってるのエンデガ!お世辞は結構だよ?」
「いや、お世辞なんて面倒な事しないし、本心だよ」
「どうしたのアンタおかしくなった!?あぁ、まあいいや、別に褒められて悪い気はしないし?」
 頬を両手で数回叩いたクロリスが僕の隣まで近付いてくる。膝を曲げたりして身長差を埋める気が僕に無いので、彼女は目線を上げて聞いてくる。
「……で、どうだった?アイドルやってみた感想は」
 僕は観客を見た。僕の演奏が余程良かったのか、新たな駆け込みアイドルにはしゃいでいるのか。こんな昼間の快晴、太陽照らす青空の下で、よくそこまで動けるね。なんて、感心する。
「盛り上がるわけでもない曲をただ歌っただけなのに、みんな楽しそうだ」
「いやまあそれもそうだけど!周囲じゃなくて、アンタ自身は?」
「僕は……」
 僕としたことが周囲を見すぎて、自分に目を向けるのを忘れていた。
 誤魔化しようが無かった。今の自分に嘘はつけない。
「――そうだね。歌うのは楽しいよ」
「おー、やったね!勧誘受けて正解と認めようね!アタシの勝ちだね、いぇい!」
 ピースサインを見せつけてくるクロリス。ちょっと馬鹿馬鹿しい。
「別に、勝負とかしてなかったでしょ……ふふっ」
「お。ようやく笑ってくれたね。笑えない子かと思って心配したよ」
「いや、僕、普通の人間だよ、笑えないなんて無いと思うよ」
 雑談が長すぎたか、シェリザが合図を送ってきた。
 クロリスは自分の用意した時計の骨組みに座った。
「よし、じゃあ二人で歌ってみよっか!今度は明るめのやつをね!」
「ぶっつけで連携出来るのかな?」
 僕は右だけ外していた青魔石――イヤーモニターを再び着けてクロリスを見た。
「おっ、それは自分じゃなくてアタシに向けて言ってるね?そういうトコ嫌いじゃないよ!」
 色鮮やかな世界。目を閉じ、一度深呼吸をして気持ちをリセット。
 再び目を開く。そこに映るのは、当然、ついさっきと変わらない景色だった。
「演奏を続けようか」
「さあみんな盛り上がっていこーっ!」
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登場人物紹介

エンデガ

物語の主人公。幼くして家族を失っている。芸術を始めとした世界の文化に関心があり、今住んでいる狭い浮島から抜け出したいと思っている。

ノエル

エンデガと同じ神学校に通う、サンタクロースの娘。神々への信心がとても深いが、信心の無いエンデガの意思を尊重出来る心も持っている。

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