【Ⅲ】ある連鎖の修羅にて駆け巡る

文字数 17,544文字

 浮遊感が消えて目を開く。真っ直ぐ立っている自分。呼吸の感覚が変わる。傷が治って――戻っている。
「あっ……すぅぅっ、はぁぁっげほっ、ごほっ」
 淀んだ空気だ。
 右手が重い。時計の杖、時空操杖が手元にあった。懐中時計も胸にある。
 時計杖の指す時刻や脳内の時計の時刻は、世界が戻る前の時刻だったり、能力を使った対象の時間の変化を示している。ごく普通の懐中時計は、僕が今立っている世界のごく普通の時刻を示す。クロノスはこうやって普通の時計を持ち歩く事で、混乱を防いでいたのだ。適当に置いてくれた事に感謝した。
 首にかけてみた紐は、何故か勝手に浮いてくねくね動いていた。
「うわ、止まれよ気持ち悪い」
 手で捕まえ、握り締めて抑える。しばらくすると萎んだように力を失った。よく見ると、紐は時計の針のような形をしていた。時空操術を使う際、これも針の一つになるのだろうか。
 周囲を見回す。浮島にこんな洞窟あったかな。
「ここは……さっきの遺跡じゃないか」
「おお、ついに誕生したか。新たなるクロノスよ」
 オーディンが遺跡に入ってきた。もう関わる気はない。
 僕はさらに前の、人生の最初くらいに戻るつもりでいた。力が足りなかったかもしれない。
「もう一度……戻れ」
 沢山の時計が回る。昔の光景をイメージする。

 目を開く。
 遺跡だ。
「どうして、戻れない!?」
 杖の時計を顔に近付け、構造を確認してみる。動作に問題は無さそうだし、僕は魔力なら普通にあるから力不足も無いだろう。
 聞こえる足音。奴だ。
「ついに誕生したか。新たなるクロノスよ」
「うるさい、何度も言わなくていい、クロノスって言うな!」
「ふむ、なるほど。貴様は既に私と話した事があるようだな」
 槍を地に立て、憎い微笑で見下してくる。そうだ、コイツは時空操術について知ってるんだ。
「もう試した。遥か昔の理想の世界に戻ろうとした。でも、帰れないんだ」
「そのような志で習得に至ったのか。なら、残念だったなと言わせてもらおう」
「何……?」
 オーディンは表情を変えない。淡々と言葉を放つ。
「貴様自身がその時代に戻るのが不可能なのは、冷静に思考すれば辿り着ける結論だ。今の貴様は時空を操り、過去に戻り現在を、未来を変える事が出来るが、昔の貴様はどうだ?」
 何も出来ず、なにも守れなかった無力な少年だ。
 オーディンに言われずとも辿り着いてしまった。気付いてしまった。
「時空操術は習得前の時間には戻れない……もし戻れたとしても、それは昔の僕とは別の、今の僕が第二の僕として過去世界に同時存在する事になる」
 自分の口で確認する。間違いない。そういう仕組みだろう。
 呟いてから時間差で、自身の状況を理解してくる。数歩後退し、俯く。僕は何のために禁忌を破ったんだ?
「ハハ……」
 体が勝手に笑った。
 考えにふけりすぎて、もう戻れない世界に思いをはせて、ここに一人でいる気がした。しかしオーディンの声が僕を今の世界に戻す。
「これは私としては、いや、貴様としても都合が良い。私は貴様をアスガルドの戦力として加えたいと思っていたのだ。目的の無い今、それは良い人生の選択ではないか?クロノスよ」
 目的。思い出した。家族にはもう会えないだろう。けど今、分かった。あの人が、いつの間にか僕の心の拠り所となっていた。だから家族に会えずともやっていけたのかもしれない。
「お断り。僕はまだ、この世界でやる事があるんだ」
 もうコイツの顔は見たくない。
 オーディンを通りすぎ、廊下を走る。きっとノエルさんは近くにいるはずだ。今すぐ会いたい。
 ただの学校の友達だと思ってたけど、今は家族みたいな認識になっていた。勝手にそんな認識を持って、家族の温もりを他人に求めるのは、彼女に悪いだろうけど。
 走る体がピリピリと痺れる。この後どうなるかを忘れていた。
 後ろから奴の声が聞こえる。
「戦塵グング・ニール。その雷撃は効果範囲の対象全てににエレメント効果を付与する。貴様はもう分かるだろうか、そのエレメントの真の力は」
「エレメントをロックオンする、必中の槍……!」
 連携魔法だ。つまりこの痺れを受けた時点で、あの槍は防げない。
「くそっ!」
 それでも走るしかない。和解なんてしたら僕は天界戦力になる。
 いや待て、走る先は――!
「ノエルさん……!」
「エンデガさん!?」
 僕は立ち止まってオーディンに振り向く。このまま進んだら同じ道を歩む。
「逃げぬのか。確かにその方が生存率が高いか。ならば受けてみよ、撃槍グングニル!」
 杖で防御。槍とぶつかった部分から、爆発のように激しい雷が放たれる。
 その雷に体が反応するより早く、非実体化して杖を貫通した槍が僕の腹を貫いた。
「ああああぁっっ!!」
 貫かれた腹から雷撃爆発が体全体に広がった。
 一瞬意識を失い、戻った時には、膝を地につけて祈るノエルさんの顔が目の前にあった。
「――うかこの者に天の――」
 僕は空を見上げている。つまり仰向けで倒れているようだ。
「エンデガさん!良かった、目が覚めました!」
「ノエルさ……ごはっ!」
「ああっ、まだ血は流れてますから動かないでっ……!」
 人の顔をそんなに眺めた事なかったけど、この人は、けっこう可愛いと思った。
 しかし世界は残酷。良い景色を壊すように、別の男が視界に現れるわけで。
「それが、貴様の望んだ結末か?」
「オーディン……」
 悠々と見下してくるその男を、ノエルさんは両手を祈りの形から変えないまま、悲しい目で見上げた。
「何故……このようなことをなさったのですか……信心無き者をも救ってくださる最高神様だと思っておりましたが……」
「この者の杖を見て分からぬか。私は別の理由だが、他の神や天使も、この杖を見れば彼を罪人として罰せようとするだろう」
「これは、かの時空操術の……そんな、エンデガさん……」
 視線が集まる。オーディンが腕を組む。
「もう一度聞こう。それが、貴様の望んだ結末か?」
 その質問を受け、僕はノエルさんを見る。彼女を守れればそれで解決、というわけではないみたいだ。その顔は、今にも泣きそうだったから。
「いや……違うよオーディン、ただのミスだ。僕は生きて、広い世界を見るんだ。ノエルさんと一緒に」
 杖を持ち上げる。血がまた口から吐き出されるが我慢だ。
 戦い抜いてやる。望んだ未来へ到達してみせる。
 時計の針が、再び逆方向に回った。

 目を開く。金の槍が歩いてくる。
「誕生したか。新たなるクロノスよ」
「僕はクロノスじゃない」
「ほう、ならば名を申せ」
「僕はエンデガ。こんな名前、別に忘れて貰っても構わないよ」
 どうせまた次会う時には、キミは僕をクロノスって呼ぶんでしょ?

 〇 ● 〇 ●

 時を戻す、目を開く。さあ走れ!
「もう負けない……!」
「既に状況を理解しているようだな。ならば、私の魔術を受けるがいい」
 体が痺れる。手を地に触れて一部の静電気を除去。大廊下に出てノエルさんに呼びかける。手を掴んで走る。
「逃げるよノエルさん!」
「えっ、えぇっ!?」
 ノエルさんの来た方向を戻れば、もっと大きな広間に出られる。
 しかしその前に槍は飛んでくる。ノエルさんから手を離して距離を取り、オーディンを見る。時空操杖の針を魔力で操作する。
「撃槍グングニル!」
「止まれ!!」
 世界が止まった。正確には時間の流れが僕を除いて急激に遅くなった。しかし他の存在にとって、これは僕が超高速――瞬間移動しているようにしか見えないだろう。
 槍は瞬速。時間を止めても少しづつ動いているのが分かる。
 その槍に杖で少し触れると、静電気が発生する。これは一秒足らずで大爆発になる雷だ。
 僕はオーディンの背中まで移動する。僕の先にはオーディン、槍、ノエルさんの順で並んでいる。
 止めた世界の流れを再開する。
「分かるかオーディン!」
 槍の雷撃爆発は何もない場所で発生。方向転換をするグングニル。
「なんだと!?くっ……!」
 オーディンは背中に張っていた魔法陣を前方に移動。グングニルを防いだ。
 エレメント魔術、戦塵グング・ニールを発生させていた魔法陣は防御に使われ、エレメントロックは解除された。
 もう何回やり直しただろうか。やっと必中を乗り越えた。
「じゃあね」
 防御に集中して動けないオーディンに軽く手を振り、もう一度瞬間移動でノエルさんのもとへ。再び手を握って走り出す。
 杖は最初は重いと思っていたが、ノエルさんの速度に合わせる目的としては丁度良かった。
 廊下を真っ直ぐ抜ければ綺麗な青が広がっていたが、その前にノエルさんから声。
「ちょっと、待ってくださいエンデガさんっ……!どういうことか説明を……!」
 それもそうだ。脇道に逸れるとちょうど開いている部屋があったので突入し、扉を閉める。
 多少物が散らかっているが、特に何も無さそうな部屋だ。とりあえず壁に寄りかかると、体はすとんと腰を落とした。体は一度しか戦闘をしていないが、脳や魂は動きすぎて疲れているようだ。
 ノエルさんも腰を下ろして膝を抱えた。
「僕は禁忌を破って時空操術を身につけた。そのせいで、オーディンや、法を大事にする神々から狙われてるらしい……なんとかノエルさんを巻き添えにしないようにしたけど、もうここからは僕だけで進んだ方がいいかもしれない。同罪になるかもだから」
「そんな……でもきっと、どこかの神はきっと、あなたを、私を守ってくださいます。きっと……!」
 ノエルさんはいつもの調子で祈りの構えをしていた。呆気にとられた。
「……禁忌を破った事は責めないの?人の身で神になろうとする大罪だと思うんだけど……」
「エンデガさんが自分の意思で決めた事ですよね?禁忌だと分かった上で、それでも」
「うん、まあ……」
「なら責めません。責める役目を神々が行ってくださる、ならば私は全て赦しましょう。そうしてまで叶えたかった願い、果たしたかった望みを果たしてください。エンデガさんは神を信じてないんですから、奇跡は自分の手で起こさなきゃ、ですからねっ!」
 そう言って輝く笑顔。ノエルさんは優しすぎた。
 叶えたかった願い――それは時空操術には否定されてしまった。遥か過去の失敗はやり直せない。しかし、ノエルさんはここにいてくれるので、現在からでもやり直してみよう。心残りを晴らそう。
 一呼吸置いて体ごとノエルさんを向き、頭を下げる。座っている状態なので、頭を下げれば床に着きそうだ。
「ノエルさん、ごめん。天界に行く前、花園まで来てくれた君に酷い別れ方をした。そしてこうして謝らずに、僕は禁忌の力でそれを無かったことにして、見て見ぬふりをするためにやり直そうとした。本当にごめん」
 ノエルさんの膝が視界上に映る。正座になったノエルさんがこちらを向いたという事だ。聞こえる声は静かで、柔らかかった。
「いいですよ。やり直そうとしながらも、最終的にはこうして謝ってくれたじゃないですか。エンデガさんはとっても良い人です。ありがとうございます」
 何でも許してくれるし、赦してくれる。その優しさは、罪悪感に染まった僕を癒してはくれなかった。むしろ強く締め付けた。
「ノエルさん、僕に与えてくれ、罰を!こっちの問題は神が罰してくれない!」
 手を床に叩きつけ叫ぶ。罰してくれないと体に、心に残り続ける。赦しを与えるだけが優しさではないと知った。
「……じゃあ、私をオセロニア大陸に連れて行ってください」
「……え?」
 理解が及ばず、確認するように見上げる。その姿はもう聖女だった。
「ここから私を置いて一人で逃げたりなんて、そんな卑怯な事させません。私はエンデガさんと広い世界を見るため、シェリザさん達から抜け出して来ました。目的が一致してるんです。だから罰として、私を守りながら、ここを抜けてください」
 それだと、結局赦しだ。僕は自分に罰を与えるために、ノエルさんへの執着を絶って一人で逃げようとしたのだ。
 逃げるのを諦める時に、安心して一人で死ねる。そんな考えもあったけれど。
「分かった。一緒に行こう。でもどうやって?」
「あてもなく逃げてたんですか……さっき私やシェリザさんが使った転送装置、あれはオセロニア大陸の白の大地にもアクセス出来るみたいです、統治区域ですからね。そこまで到達出来れば、私が見よう見まねで装置を操作して、転送を行います」
 完璧だ。もう罰なんて与えられないようだ。
 いや、背負うのが目的なのかもしれない。天罰であるオーディンの攻撃も回避してここに来た。きっと今後もそうだ。僕は罪を罰せず、罪として背負い、考え続けなければいけないのかもしれない。罰は逃げなのかもしれない。
「よし、なら、行こうか……!」
 立ち上がり、扉へ向かおうとするその時。
「勝手に上がりこんで来て、そのまま帰るんですか……寂しいですね」
 別の女性の声が聞こえた。元気なノエルさんの声と比べ、さらさらと耳を流れる静かな声だ。
「すみません、人がいるとは知らずに……どなたですか?」
 同じく立ち上がっていたノエルさんも声の方向を見る。
 恐らく高身長、僕たちより年齢は上だ。灰色の、しかし輝かしい長髪。纏う黒の布はとても薄く、衣服として最低限の役割しか果たしていない。
 だらしなく座る青い瞳はこちらを眠そうに見つめるが、その放つ力は只者では無かった。神々の居住区だ、この女性もきっと神なのだろう。
「私はフレイヤといいます。殿方は、何故私を睨みつけているんですか……よく分かりませんけど、忙しかったりしますか」
 禁忌を犯した僕をどう見るかと不安で警戒したけど、どうやら襲ってくる気はないみたいだ。
「うん、忙しい。アスガルドの最高神とかいうやつに絡まれててね」
「エンデガさん、敬語使いましょう敬語……!」
 ノエルさんが慌てて注意する。でも、それは相手を敬う時に使う言葉だ。
 フレイヤは眠そうな目を少し開いた。
「あぁ……オーディンですか。私を連れてアスガルドからこっちに遊びに来たと思えば、見知らぬ殿方達と絡んでたんですか。何のために来たんですかね、私達」
 答えは確信しているが、多分僕の杖に用があるんじゃないの、なんて言ったらあまりに面倒だ。ここは利用させてもらおう。
「用は僕にあったけど、もう済んだよ。だからキミからもアイツに帰るように言って欲しいな。じゃあ僕は行くよ」
「ええ……っ?」
 ノエルさんが困惑しながらもついてくる。このくらい自然に会話が終わった方がいい。不法侵入とか言われても困るし。
「嘘はバレますよ、罪人さん。つい先ほど、オーディンがここ全域の神々に戦闘を命じました。彼、一応最高神なのでどんな神でも緊急時なら従いますし、そういった従える能力を彼は習得しています。私は無視しますが」
 フレイヤの声が聞こえたが、その内容を理解する前に、僕は扉に手をかけていた。
 扉を開け、広い世界へ向かう――
「あー、見つけたぞ!罪人くん!あたしの久々の仕事!出番!」
 廊下の奥から赤い髪の少女が指を指してきた。言動的にまずい。
 杖を構えた時には、少女の背後から水が流れてきていた。廊下を埋め尽くす激流だ。
「避けてみろ!」
「無茶だね!?」
 時を止めて部屋に避難する。ノエルさんはまだ部屋にいたので、扉も引っ張る。時間を戻すと、扉が力を受け、すごい速度で閉まった。
「これで安心かな……?」
 フレイヤのそばにいた二匹の浮遊猫が騒ぎ出した。フレイヤは立ち上がると、猫と同じようにふわりと浮いた。
「カプとフラが警告してます。私は何処かに逃げようと思います」
 しばらくして、扉の向こうから声。
「油断大敵だよ!」
 扉が吹き飛び、水が流れ込んできた。
「きゃあぁ!」
「ノエルさん!」
 溺れながら手を伸ばすが届かない。また助けられなかった。
 仕方ない。フレイヤと別れて扉を開く、その少し前まで、戻れ。

 〇 ● 〇 Ⅰ

 そうして、何度、何度やり直しただろう。力の使い方も分かってきたし、重い杖を持つコツも習得した。さらに悔しい事に、オーディンの言っていた、死の間際でも冷静に時を戻す技術が染みついた。

 真剣に話すと、フレイヤは僕らに協力してくれる助っ人になり、お土産に飴玉を貰った。そしてフレイヤの召喚する獣、ヒルディスヴィーニはオーディンをぶっ飛ばせるらしいのでそれを依頼して、今後再び槍を投げてくる、オーディンの再来を防いだ。もうアイツとは会わないぞ。
「見つけたぞ!ついにあたしの出番だ!面倒な仕事はお母さんに任せて、あたしは戦いだぁ!」
 扉を開け、赤い髪の軍神――ネイトの水流が来る前に。
「はい、キミにあげるよ。――ノエルさん、いくよ」
 手に持っていたお土産を投げつける。
「え!?飴くれるの!?わーいやったぁー!って、逃げたな罪人くん!物で釣るのは卑怯だぞー!」
 最適解がこれである。なんとあっけない勝利だ。――ただの逃走成功だけど。
 廊下を抜けると広い世界。吹き抜けになっていて、空や流れる水の青が視界を染める、美しい空間だ。
「なんか面白そうな事してるニャア?逃走劇は守護の神としてほっとけないニャ、あたしも混ぜるニャー!」
 この猫神の攻撃は誘う。早く来い。
「ここから先は進ませないニャ、シストラムクロウ!」
「クロック・オーバー」
 飛んでくる小さな丸い猫たち。その速度を極端に上昇させると、自身の力に振り回されてあらぬ方向に飛んで行く。
「あっち行けニャーン!」
 どんどん飛んでくる猫。最後の一匹は時間停止で掴み取る。
「貴方に恨みはありません。ですが!」
 猫と同時に迎撃してくる白髪の狩猟女神の弓は、何度か試したが百発百中。しかもグングニルのような能力ではなく技術的な必中なので、一発防いだところで何度も来る。事前に止めた方が賢明だった。
「それっ」
 猫を投げる。その程度で本人の集中はは揺るがないのだが、隣にいる鹿は暴れ出す。
「見ていてくれ――アルテミス。ついに来た共同任務の機会、今こそここで君にどわちゃああっ!?」
 暴れた鹿は隣にいる別の弓使いに当たる、理由は知らないけど確実に当たる。
「ケリュネイア、今度はどうしたの!?オリオン、また貴方が邪魔を……?」
「いや俺は何もしてないっ、見れば分かっってやめろケリュネイア!弓を壊されたらほんと困るから!!」
 ここまで来てようやく狩猟神アルテミスの集中が乱れるので、この隙に進む。
「よし、行こうノエルさん」
「はい。ふふっ……危ない場所なはずなのに私、なんだか楽しくなってきました。おかしいですね」
 猫を飛ばしてきた守護の神バステトはこの後、唯一の協力者陣営の神、フレイヤの護衛猫であるカプとフラに絡まれ、あっさり戦闘を放棄する。

 Ⅰ ● 〇 ●

 転送装置までには様々なルートがあり、その選択によって相手をする守護神が変わる。
「砕けぬ盾を見るがいい!」
 何度も遭遇してやり直しを繰り返した。まず神々は強力で、基本勝てないので逃げる方法を探るのみで、さらにその逃げ方すら分からない。命がけの手探りはとても辛かった。
「戦場に響け、双盾の聖音よ!」
 もちろん最後まで足掻いた。その瞬間まで結果が分からないからだ。あとは、最後にやっと分かる情報なんかがある。それを元に次に活かす。相手は全員初見だけど、僕からしたら分かりきった相手なのだ。
「聞け!我が命が奏でる輪舞曲を!」
 でもまあ、何度も死にかけた。またはノエルさんが死んだ。僕らは竜族のような屈強な肉体や、騎士のような鎧を着ていないため、例えかすり傷でも致命傷となり、痛みで走るのもままならない貧弱な一般人だ。神々からここまで逃げてこられるだけで奇跡だった。
「よし!最後は必ずニケが勝つんだぞ!まず普通の人間がこの大群から逃げるの難しいと思うし、殺すつもりのないニケに掴まった方がいいと思う……」
「いや、僕は負けない。逃げるくらい簡単だよ」
 痛む体を動かし、時計を回す。再びスタートラインへ。
 素晴らしい。失敗しても、何度でもやり直せる。
「本当に素晴らしい……むしろ楽しくなってくるよ、この力」
 次第に時空操術に魅入られていった。これらを理解した状態であの時封印を見たら、きっと禁忌だろうと一切迷う事は無かっただろう。

 〇 Ⅰ 〇 ●

 外に出て、以前助けてもらったフェアリー二人組に上層へ運んで貰う。転送装置は直進した先、すぐ間近に迫る。このルートが適切だ。
「あのお二人は親切でしたね」
「そこら辺の天使に、禁忌だのなんだのは関係ないんだろうね」
 床に砂が撒かれている。これに近付いてはいけない。
「ここに来るのは想定出来たけど、まさか砂の仕組みすら知られていたとはね……ならもう召喚だ。おいで。アクルアーラ」
 男が分厚い本をパラパラめくる。砂が盛り上がって像になる。その像は砂をまき散らしながら地を滑るように動く。
 どのルートを選ぼうともこの砂の神トトは現れた。きっと僕が防ぎようがないくらい知恵が回るのだろう。移動ルートからその先の目的地を全て割り出される。
「なら利用できるルートを選ぶだけ」
 周囲の状況を確認。よし、前回と同じ隊列だ。
「精霊たち、出番だよ~」
 虹色の石が飛んでくる。時間が経つと守護精霊としてここを守る。そうなると厄介だ。僕らは逃走するつもりなので守りの神の相手をしたくない。
「ストップ」
 発声はイメージの工程をスキップする。わざわざ時計を見て力を込めなくてもいいし、小規模な技なら即座に発動できる。
 時間停止で虹石の挙動を止める。ノエルさんを一旦置いて、僕だけ先に進んで時の流れを再開。
「我が極光、打ち破れぬと知れ!」
 転送広間の前に陣取る、極光の女神アウロラが光の盾を張る。誘導すべきはそれではなく攻撃技だ。しくじった。
「オーーッホッホッホ!やはりニケさんの待機場所は間違っていましたわ!仕方が無いので私自らここまで参上ですわ!!」
 ナイス。
 槍を装着した馬車、グアトリガ。当たれば即死だが、それは神々にとっても同じという危ない神器だ。
「ノエルさん、風の魔術を頼める!?」
「はいっ、ウィンド・ブレイブ!」
「よし、もう一度、もう一度」
 時間停止。そして風魔術を放ったノエルさんの杖の時間だけ干渉して、逆流、時間再開。何度も魔術発動の工程をやり直させる。
「うわぁ、なんでかいっぱい風が出ました!」
 驚くノエルさん。風魔術の謎増殖には、他の神々も驚いていた。
「なんですのこれはぁ!?」
 グアトリガの馬が大量の風を受けてよろめく。
「クロック・オーバー」
 止めていた虹石の速度を最大に。自身の力を制御できず、破裂しながら飛んでいく虹の精霊。グアトリガは走る向きを変える。その馬車の槍は、僕を狙って動いていた、砂の像アクルアーラを破壊し、その砂で滑る事で完全に制御を失い、極光の盾にぶつかる。
「何をしているヴィクトリア!」
「アウロラさん!違いますの、これは何かの間違いですわ!」
 簡単に仲間割れだ。ここまではいいとして、忘れずに煽っていく。
「もう終わり?もう僕は行くよ?」
「まだだ少年、ルミナスレーザー!」
 焦りを与え、アウロラのレーザーを雑に使わせる事に成功する。瞬間移動で回避する。雑に放たれたレーザーは、僕に回避された後の軌道を考慮されておらず、知恵の神トトや虹の使役者エルピスに向かって飛んでいく。
「おっとぉ。お姉さんそれは危ないってー」
「プリス、私とトトを守って」
 光の精霊が守護し、被害は抑えられた。しかし僕がノエルさんを連れて先に進むには十分な隙だった。
 ついに見えた転送装置、時空操術習得前に見た広間の景色。そこに立つ一人の大天使の姿があった。剣を地に突き立て、真っ直ぐ立ち、転送装置の方角の空を見ていた。
「ミカエル様!」
「ミカエル……最後の壁か」
 炎の大天使は声に反応し、首だけ振り返る。
「転送装置の前ならば、逃げる事も叶わんだろう?そして一人なら、先ほどの神々のようにお互いの力による事故は発生しない」
 ミカエルは神じゃない、天使だ。しかしその静かな覇気は、他の神々をも圧倒するものがあった。
 ミカエルの剣が炎を纏って赤く光る。転送装置のある大広間を囲うように、炎の円が広がり、僕とノエルさんを闘技場に閉じ込めた。周辺の神々の力を借りない気だ。しかし、これが僕を止める最善の手段だろう。天使を率いるだけあって、よく相手の攻略法を分かっている。
 今回ばかりは、戦うしかないか。
「神よ、照覧あれ。これが私の戦いだ。ルシファーが居なくとも、天軍は私と共に進み続ける事が出来る!――グラディウスの炎威!」
 ミカエルが地に突き刺していた剣を抜き、体を半回転し空いた左手を僕に向ける。その方向転換だけで、右手の剣の炎の揺らぎが気温を上げ、体を熱くする。
「ノエルさん、離れてて。天使と戦うのは僕だけでいい」
 僕は数歩前進してノエルさんと離れたが、彼女は杖を両手にしっかりと構えた。
「いいえ、私も戦います!相手がミカエル様でも、エンデガさんと共闘する事をやめるほど愚かではないです」
「そう……そうだね」
 ミカエルの剣の炎がより熱くなり、その色は赤から黄昏色に変わった。
「話は済んだか?ならば行くぞ――覚悟ッ!」
 相手の踏み込み。その一歩目が見えた時には炎の剣が目の前にあった。
「くっ……!」
 上半身を咄嗟に引いて、横払い攻撃を回避する。ミカエル本人は遠い。炎のリーチが長すぎるのだ。
 次は上からの振り下ろしを、左にサイドステップして回避。視界の右側が炎に染まる。
 僕は正面突破で突進。ミカエルは目の前に炎の壁を作り出したが、瞬間移動で背後に回れば関係ない。
「見えているぞ」
 ミカエルが後ろに剣を振るが、再び瞬間移動でミカエルの正面へ。
「ごめん」
 隙を狙い、杖を使って殴りかかる。鈍器で頭を狙って殴るなんていう酷い攻撃だったので、自然と口から謝罪の言葉が出た。
「甘い!」
 僕らを囲う炎の闘技場の壁から火球が射出。
「うわぁ!」
 予想外の攻撃に対処できず吹き飛ばされた。熱い。体の外側だけじゃなく内側からも燃えるような痛みに悶える。
「エンデガさんっ!――この鐘で、貴方を癒しましょう!」
 体内の炎が消え、外の炎も次第に消える。ノエルさんの回復魔術、なかなか効果が強い。
「これなら――」
 もう一度死にに行ける。
 再度突進。自分の知りうる限りの時空操作を駆使してミカエルに攻撃をしようとするが、再び炎に悶え、束の間で回復がかかる。
「どうした?先ほどまでの知性的な戦いを、私は期待していたのだが」
 回復役がいると楽観的になるのか?とミカエルが煽ってくる。
 先ほどまでの戦いは何度もやり直した結果辿り着いた戦術だ。だから今回も情報を集めるところから始めるのだ。
 突進する、迎撃される。突進する、迎撃される。
「もう辛かろう。回復の余裕を与えないため、一撃で焼き尽くす!」
「それはまずい、戻れなくなる!」
 強い炎が迫る。後ろからベルが鳴る。
「来て、ファフニーさん!」
 ノエルさんがどこからか投げた赤いプレゼントボックスから、小さな金の竜が飛び出し、ブレスで炎を迎撃。ミカエルが顕現させた炎は無事消えた。
「命を粗末にしないでください!」
 ノエルさんが叫ぶ。あまり響かなかった。
 そう、響かなかった。それ自体が驚きとなって心に響いた。
「大丈夫」
 別に危なくなったらやり直せばいいだけだ。むしろ一回の戦闘で戦況を把握するなんて無謀じゃないか?
「大丈夫じゃないですよ!一度死んだらおしまいですし、戦いは一度きりです!もっと冷静になってください……!」
 僕はいつの間にか、最終的に勝つまでの過程を「一回」と捉えていた事に気付いた。
 他の人にとっては、この戦いを捨て、自殺行為に走る狂人にしか見えなかったのかもしれない。
「一度で勝つ?四大天使、炎の大天使に……?」
 考えてみた。だめだ、浮かばない。相手が強大すぎるとはいえ、戦闘感覚が狂っている。やり直しが前提にある。
 闘技場の炎壁から火球が射出。反応できず被弾。後衛配置のノエルさんの隣まで飛ばされる。つまりもう下がれない。
「どうか、どうかこの者に癒しを……!お願い……死なないで……お願い……!」
 一度死を回避するための回復魔術を使うだけなのに、杖の鐘を鳴らし、祈るノエルさんは必死の表情だ。僕は今燃えているので見づらいが、目には涙すらありそうだ。対して僕は、そんなに努力してなかったのかな。
 思考、感情に必死さがない。僕は今ようやく、自分が時空操術によって変わっていってしまっている事に気付いた。
 胸元のベルが揺れる。ノエルさんの髪に装飾されている同じものも揺れて、小さな音を鳴らした。
「鈴の音が聞こえるか?」
 遠くから声。遠くだし小さいが、確かに聞こえる声。
「お父様……?」
 回復を終えたノエルさんが顔を上げて呟く。
「ルドルフ、最高速度!ゴヴニュ、今だ!」
「グラディウスの炎威!」
 聞こえたふたつの声は男性のものだ。炎の闘技場が消え去り、外から巨体が飛び出してきた。少々季節的には早めのそりとトナカイが、ゴヴニュさんを乗せて通り過ぎていった。
「お父様!」
「マロースおじさん!」
「よう坊主。苦戦してるみたいだな。逃げるチャンスをプレゼントしに来たぜ」
 一瞥して挨拶するマロースおじさん。ミカエルは驚きの表情を見せている。
「これは同じ力でないと削れない炎のはず、まさか……!」
「そうよ大天使様。うちのゴヴニュはグラディウスの炎威が使える。理由は知らないが活用しない手はない」
 マロースおじさんは振り返り、ミカエルに向けて構える。
「ノエルは俺が坊主にやるプレゼントみたいなもんだ。欲しけりゃ奪うんじゃなく、このサンタかお袋に頼む事だ。クリスマス前のウォーミングアップだ、俺を満足させてくれよ?」
 今のうちに逃げる流れだ。立ち上がりながらノエルさんを見る。
「ノエルさん、とりあえず転送装置の起動をお願い」
「は、はい!」
 走り出すノエルさん。護衛としてついていく。
 突如訪れた音で耳が痛んだ。炎が再び現れ、集まっていく。
「神炎よ顕現せよ――フレアディヴィニティ!」
 炎を消され、剣を失ったミカエルだったが、その再発生した炎を一点に集め、再び剣を作り出した。何という熱だ、鋭く輝く剣の色は黄昏を超えて白色だ。
 ミカエルの背中に魔法陣が現れる。オーディンと同じ広範囲魔法の類か?
「相手は俺だ、大天使。超破壊聖拳」
 マロースおじさんが正拳突きをする。宮殿が揺れ、遠くのミカエルが吹き飛んだ。――なるほど、パンチを受けた空気が風の拳を作り出したんだ。
「起動出来ました!いつでも飛べます!」
 ノエルさんの報告。想定より早めだ。戦闘回数一回。簡単だった。
「よし、じゃあ行こう。マロースおじさんありがと。タイミング見て逃げてね」
 呼びかけて転送装置の光の柱に入る。
「おうよ坊主。ノエルをよろしくな」
 親指を立てるマロースおじさんの姿が見えた。転送が始まり、光に包まれる。やっと終わるのか。
「っ……!?」
 気を抜いたら、制御していた時計が激しく回り出してしまった。左目が塞がれる。あえて使わないようにしていた、あらゆる可能性の声が聞こえる時計だ。
「いや、今なら見えるか!?」
 声の種類が少ない。いや、聞こえるはずだが、僕が興味を失ってしまったようで、自然と脳が取捨選択を行ったようだ。つまり以前はあらゆるものに興味があったという事だろう。
 能力が使いやすくなるなら、その心身の変化の代償、安い。
 いや、面倒事が増えた。
 マロースおじさんはこのままだと死ぬ可能性が見えた。後味が悪い。
「まあ、簡単にはいかないよね……」
 時計の針を逆回転。もう少し続きそうだ。

 ミカエル戦再開。炎が壁を成し、闘技場を作り出す。
 冷静に時間を稼ごう。援軍の到着は確定している。
 ミカエルが炎の剣を振りまわす。
「舞え!」
 炎を避ける。まだ攻めに回らなくていい。
 壁からの火球は未だ慣れず、定期的に当たる。ノエルさんの回復が入る。
 ミカエルが攻撃の手を一旦止める。
「どうした、前までの戦いでもこのように憶病な逃げをしていたのか?」
「キミはどんな方法で戦っても煽るね……」
「そんなつもりは無かったぞ。私はお前に策略が無いか探るため、こうして心理戦を試したに過ぎないのだ」
 ノエルさんも違和感は抱いたようで、困惑の表情を見せている。
 僕はノエルさんに振り返った。
「昔から聞かされてきたけど、ようやく解ったよ」
「えっ、何がですか?」
 ベルが揺れる。もうすぐだ。熱いのは嫌だし、会話で時間稼ぎをしよう。警戒のため、ミカエルに向き直る。
「負けてる時ほど面白い。親やサンタによく聞かされた、この世界の有名な言葉の一つ。さっぱり意味が分からなかったけど、今なら分かるよ、ミカエル」
「ならば言ってみろ、お前が出した答えを」
 大天使の声音は厳しいが、表情には少し笑みがあった。内容を期待しているのだろう。
 闘技場に鈴の音が聞こえる。僕だけがその音の詳細を知っている。
「勝ってる方が面白い、普通はそう。今ミカエルもノエルさんも、僕が負けてると思ってる。でも僕には見えてるんだ、この盤面の動きが」
「――グラディウスの炎威!」
 闘技場が消え、マロースおじさんが飛び込んでくる。
「体力とか目に見える部分じゃなく、脳に逆転の流れが見えているから。起こそうと画策する時間が楽しいんだ」
 周りからは負けてると思われてる、現に体力差が開いてる。でも僕は楽しんでいた。きっとそれが、負けてる時ほど面白い、って事なんじゃないだろうか。
 ミカエルに向けて拳を構えたマロースおじさん。彼はいつも通り愉快に笑った。
「聞いていたぜ坊主、俺も同じ考えだぜ。さあ、ノエルを連れて逃げな」
「いいや、おじさんを置いて逃げれないよ」
「ははっ、そうかい。なら支援を頼もうか」
 マロースおじさんの突進。そこに神炎が現れ、彼を狙う。被弾。時間を戻してやり直し。
「ノエルさん、あのあたりに水魔法をお願い」
「分かりました!」
 今度は防げた。相手からしたら、事前に場所がバレているという異質な状態だ。
 何度もやり直して攻撃を防ぎ、サンタの旅は優雅なものとなった。
「メリクリクラーーッシュ!!」
「きゃぁっ!ぐ、っ……!」
 その力強い拳を剣で防いだミカエルだったが、初めて聞いた可愛い悲鳴からも分かったように、一応女性。あんな巨人みたいな筋肉男の全てを防げるはずもなく、撃ち出されて壁に背中を打った。
「見事だ坊主、そしてノエル。いくら四大天使であろうと、全ての技を無効化すればそこらの天使と変わらないってわけだ」
 振り返って手を開くサンタを見上げる天使の目が、炎のように輝き揺らめいた。
「まだだ……!私を舐めるな……!」
 トドメは刺さなくてもいい。むしろみんな生きてくれればいい。
「おじさん、今のうちにそりに乗って逃げて。僕たちも今なら大丈夫」
「了解だ。坊主、ノエル。またクリスマスに会おう――ルドルフ!」
 ゴヴニュさんが乗ったそりがやってくる。マロースおじさんがそれに飛び乗ったのを確認した僕たちは、ミカエルが起きる前に転送装置に向かう。
「シェリザ頼む、奴らを止めろ!」
 ミカエルの呼び出し。ほぼ時間差無しで光と共に現れたシェリザさん。そしてシェリザさんが手を軽く振ると、同じような光の中から何人もの騎士が現れた。
「天軍召喚。転送装置、一時停止します。諦めなさい!」
 起動しかけた装置の光が消える。天軍が攻め寄る。流石に想定外だ。やり直すか……?
「エンデガさん……!」
 しかしノエルさんは希望を捨てず、輝く瞳で僕を見上げた。ノエルさんにとってチャンスは今だけ。仕方ない、こうなればなんでもやってやる。
「予定変更なし、今からオセロニア大陸へ行く。ノエルさん、ちょっと失礼」
 ノエルさんの肩に左手を回して抱き寄せる。天軍が居ない方向――宮殿の外の方へ走り出す。広がる空、妖精達が楽しく暮らす楽園。
「あ、あのっ、エンデガさん……?」
 困惑するのも無理はない。僕らは飛べない。しかし装置は神の技術だ、今更頼るのがおかしい!
 シェリザさんの指示に合わせ陣形を変え、騎士達が走って追い込んでくる。呼ばれて仕事をしなきゃいけない不自由な奴らを見て、僕は鼻で笑ってやる。
「じゃあね。キミ達の事は、忘れるまで忘れないよ」
 人への興味が無くなってきてるのだ、どうせすぐ忘れる。しかし今の僕はけっこう無謀で格好よく、調子に乗ってこういう事を言ってみたかったので保険をかける。
 ノエルさんを抱えて空へ飛び込む。勿論落下。重い鎧を着た騎士達がそんな姿を見下ろしている。
「きゃああぁぁあっっっ!!」
 ノエルさんが僕にしがみつく。僕は冷静に落ちる先――オセロニア大陸白の大地を見た。
 さあ、これからどうするか考えよう。狭い世界から飛び出した自由な僕には、時間はたっぷりある。

 〇 ● Ⅰ ●

 自分の脳以外全て止めて長時間考え、かなり複雑な工程を踏んだ。
 簡単に言ってしまえば「先に僕が降りて、ノエルさんをキャッチした」だ。落下の勢いを削がないといけなかったりするので簡単にはいかない。この苦労は僕だけが知っていればいい。
 けど、その苦労の中に嬉しさはあった。この力があれば、やり方次第で不可能は無いと確信に至ったのだ。
「よし、もう大丈夫」
 お姫様抱っこされながら目を強く瞑るノエルさん。僕はその体を傾け、足を地につける。
「あっ、ありがとうございます……」
 無事降りれたと分かったノエルさんが目を開き、自分でバランスを取り始めたタイミングで僕が手を離す。
 強いが穏やかな日差しを受ける、木が数本立っている広い草原。草が無くなっている場所は恐らく道。その先には村や街などの集まりが見える。大きな街の中には雲すら貫く巨大な白い塔が建っていて、遥か彼方の僕らを見下ろしている。
 塔を見上げると、自然と上空の浮島達も見えてくる。その中には僕らの住んでいた浮島と思しきものもある。ここから遠いとはいえ、あんなに小さかったんだ。
「オセロニア大陸、白の大地……」
 呟いて確認する。僕らの浮島からも見えた白の塔がここにあるのだ、もう間違いの可能性なんて無いんだけど。
「はい……ちゃんと来られましたね……」
 ノエルさんも同じように空を見上げ呟く。僕やノエルさんは16歳。この長い年月をあの小さな場所で過ごしていたのは勿体なく思う。それほどまでにここは広いと感じられた。世界の端たる崖が見えないだけで感動ものだ。
 低い場所にあるので空気が吸いやすい。思いっきり深呼吸をすると、蓄積した疲れが押し寄せてきた。数時間で何度も死にかけ、魔力をその度に消費したのだ、今まで力尽きず頑張れた自分を褒めてやりたい。
「ごめん。ちょっと、休ませて……」
 頭が重い。ふらふらと歩き、近くにあった木に寄りかかると、滑り落ちるように腰が地に沈んだ。
「はい、お疲れ様でした。今日のエンデガさん、とってもカッコよかったですよ」
 自分で褒めなくても、ノエルさんが全戦闘成功ルートだけは見てくれていた。
「私も疲れました……ちょうどお昼寝の時刻でこの天気です、私も休ませてもらいますね」
 隣失礼します、とノエルさんも木に寄りかかって座った。
 まだ半日も経っていないのだが、こんなに落ち着いて彼女の顔を見れたのは久々な気がする。守り抜く事が出来た、僕の最後の心の拠り所。その姿を視界いっぱいに映そうと顔を向けて――
 ふと、疑問が生まれる。
 


「うっ――――!?!?」
 フラッシュバックする激痛、轟音、絶望の光景。感じる悪臭、不快感、疲労。
「エンデガさん?」
 僕を呼んだ声は正常に聞こえるし顔も見える。しかし別の時間軸で聞いた断末魔が同時に脳に響いてしまう。僕は突然血を吐きそうになるが体に異変は無く、その不快感だけが残る。
「あ……!ぁぁ……!!」
 鼓動が速くなる、恐怖が流れ込む。服が貼りつく。汗を掻いているのか。
「どうしたんですかエンデガさん、エンデガさん!?」
「よ、寄るなぁぁっ!!」
「きゃあっ!」
 咄嗟に腕を振って相手の身体を弾き飛ばし、怯えるように数歩下がる。今は何も見たくない。顔を地面に向けて目を瞑りうずくまる。
 ノエルさんの元気な顔をしばらく見ていなかったかもしれない。ノエルさんの明るい声をしばらく聞いていなかったかもしれない。目を向け耳を澄ますと、脳はまず彼女の様々な種類の屍や、苦しみの悲鳴をイメージした。あっちに、あっちの方に慣れたのか僕は。
「違う違う違うそれは無かった事だ実際には起きてない出来事だノエルさんは一度も死んでないし傷ついてないし今でも元気に笑ってるんだ僕には希望しか与えないんだ」
 失敗や後悔をしないために力を手にした。しかし僕は失敗した行動や、別世界の守れなかった後悔を未だに根に持っている。
 別世界?そうだ、僕は別の世界のノエルさんを何度も殺したんだ。今の幻覚はその自分の罪の意識だ。
 力が無いから後悔をする、それが嫌だった。しかし力を手にしても後悔をするなら、僕はなんのために力を得たのだろう。
「ハハ、ハハハッ、ハハハハハハハ」
「エンデガさん……まさかそれが、禁忌たる時空操術の代償なんですか……?」
 いつの間に復帰して近付いてきた、ノエルさんの声は震えている。
 時空操術は悪くない、時計の杖は僕らをちゃんと平和な世界へ導いてくれた。これは僕自身の問題だ。
 勢いよく立ち上がり、木の傍に置いてきた杖を回収する。疲れた体に鞭打って、時計の針を逆方向に回す。
「そうだ、この力があれば平和な感覚を取り戻せる……!もう一度、いや何度も白の大地着地直後に戻ってノエルさんを見て、天界の戦闘なんて忘れるくらい平和ボケしてやるんだ……!」
「一体、何を言っているんですか……」
 ノエルさんはもう恐怖の顔になっている。キミはそんな顔しなくていい。
「怖がらせてごめん。これは嘘、嘘になる。僕は今後一度も君を傷つけたりしない。今の僕は無かった事にするよ、いいね?」
 この事については本にも記録しておこう。オーディン、キミの友人がやった研究は、本当に恐ろしいものだったよ。
 首の赤紐が戻る時刻を指して舞い、世界を再び数分前に戻した。
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登場人物紹介

エンデガ

物語の主人公。幼くして家族を失っている。芸術を始めとした世界の文化に関心があり、今住んでいる狭い浮島から抜け出したいと思っている。

ノエル

エンデガと同じ神学校に通う、サンタクロースの娘。神々への信心がとても深いが、信心の無いエンデガの意思を尊重出来る心も持っている。

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