第18話

文字数 2,065文字

 何がどうなっているのか、さっぱりわからない。これが、そのときの私の頭を表す率直な表現であった。

「まず言いたいのは」運転席の宇治が言う。「君にも、双子トリックの一つくらいは見破って欲しかったね。裏に国元莉緒とサインされたクレジットカードの存在を、君は知っていたわけだ。そして国元莉緒は、国元青人の双子の片割れである。これらを照らし合わせたとき、『国元莉緒は男である場合もある』と考えないうちは、君もまだまだだよ」

 私が何を目指した上で「まだまだ」と言ってるのか、理解の外にあった。このときの宇治の語りを止める方法は思いつけそうになかった。

 そのうち宇治の車は駐車場に入った。もう田舎の運転に慣れたのか、前回とは違う駐車場を自ら選んだようだった。その付近が青人の家の近所であることも一目見ただけでわかった。

 今回は、率先して歩く宇治の後ろを私が付いていく。
 ある角を曲がったところで、ようやく私にも土地勘が戻ってきた。見ると、十数メートル先にある目的の家の前に、女性が一人所在なげに立っている。目を凝らすと、すぐにわかった。今度は莉緒、いや真奈美ではない。家政婦の俣野さんだ。

「こんにちは」
 宇治が言うと、俣野さんはこちらを向き、小さく会釈をした。事前に二人は話をしていたらしく、彼女はこちらが具体的なことを言う前にハンドバッグに手を差し入れた。

 俣野さんは中から鍵を一本取り出し、宇治に渡した。宇治が礼を言うと、彼女は再び頭を下げ、一人道の向こうへ歩いて行った。心なしか、一秒でも早くそこを離れたい、そんな思いが歩調から感じられた。

「さて」宇治は言いながら玄関扉の前まで上がった。そして躊躇なく鍵を差し、片手で扉を開けた。
 化学臭が鼻をつくのは、もはや言うまでもない。
「勝手に入っていいんですか」私は弱々しい小動物のようだっただろう。それに対し、宇治は振り向きもせず言った。
「この訪問を(とが)める人を、君は一人でも思いつくかい?」

 青人はもうこの世にいない。正一と真奈美は先ほど、ホテルで警察に連行された。国元莉緒なる人物は行方不明。俣野さんはおそらく帰宅。確かにこの家に無断で侵入したところで、それを妨害する人物はもう残っていない。

 我々、特に私は神妙に靴を脱ぎ、廊下に上がった。一切の住人を失った家の内部は、それと感じられるほど空虚だった。言うなれば、ただ単に外と中とを区別する家の形をした構造物。それ以外の意味、そして人間が絡む背景全てが、とっくに処分されたゴミのように跡形もなくなっていた。

 リビングに向かうかと思いきや、宇治は廊下をまっすぐに進んだ。そして、あの地下へと続く床板を雑に取り外した。もはや、蠅のようにうっとうしいであろう質問で、宇治を(わずら)わせる気は起きなかった。私は宇治に続き、暗い階段を一段一段、踏みはずさないよう降りていった。

 伸ばした手の先が、宇治の温かい背中に触れた。宇治は階段を降りた先で立ち止まっていた。
「どうしたんですか」
 私が訊くと、宇治は暗がりの中で私の手首を掴んだ。そしてそれを、ゆっくりと前方に引っ張った。あるところで、私の指先が固く平べったいものに触れる。

「高来くん。地下の薬品の中で、特に危険な物はあったかい?例えば、ニトログリセリンみたいに、少し振動を与えただけで燃え上がるような」
 そう言われて、私は記憶の中のあの棚に並んだ薬品をざっと思い返す。
「いや、さすがにニトログリセリンはなかったはずです。そこまで危険な物が放置されてたら、いつか火事が起きてしまいますから」
「どうせ、大した薬品なんてないんだろ」

 宇治がそう言った後、短い大きな衝撃音、そしていくつものガラス瓶が砕ける音が響いた。私はすぐさま身を屈めたが、対照的に宇治は、暗いその先を冷静に進み始めたらしかった。

 宇治が電気をつけたことで、何が起きたか明らかになった。地下の入り口に、たった今宇治に前蹴りを食らった薬棚が横倒しになっていた。
「棚で入り口が塞がってた?何でこんなところに」
 私の言葉は、言った先から独り言になった。宇治は無言で、上向きになった棚の裏を踏み越えていく。

 私も後に続く。前向きに倒れた棚の周囲に、割れた薬瓶のかけらが散乱している。中に収まっていた様々な薬品もぶちまけられたはずであり、私はそれらを踏まないよう注意してその先に進んだ。
 目の前には小さな机。

「これは」あいまいだった違和感が、徐々に形を獲得していく。「青人の実験室の机」
 宇治は構わず先へ歩いて行くので、私も振り返りつつ後を追う。現れたのは、同じみの四方を棚に囲まれたスペース。その中央に置かれた実験台。そこに置かれたバケツや雑巾は、やはりあのままである。

 そして、その向こう。
「な」私は無意味な音声を発した。その光景が混乱と、迫り来る恐るべき理解、その両方を同時にもたらした。
 眼前には、今降りてきたのと同型の、上へと伸びる階段。
「もうわかっただろう」
 宇治があの違和感への完全な解を与える。
「二棟の同じ家が、地下で繋がってるんだ」
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