第19話

文字数 5,897文字

 我々は地下室を進むまま、現れた階段を上がり、一階のリビングに着いた。

「はっきりさせたいことがある」
 宇治は言いながら、リビングの席に座った。私もそれに従い向かいの席に着いたが、動揺は一向に収まらない。どこをどう見ても、これまで二度招かれたのと同一のリビング。宇治は率直に切り出すことで、私の顔を半ば無理やり正面に戻した。

「君が『国元青人の家の正確な住所』を知ったのはいつだい?」
「えっと」私は口ごもりながら記憶をたどった。「正確な住所を知ったのはあのときです。宇治さんと初めて通話した日の翌日、二人で一緒に青人の家に再訪する必要が出て、それで、高校時代青人と同じクラスだった人からまず、彼の家の電話番号を聞きました。それからそれにかけて、正一さんから正確な住所を聞き出しました。そして、それを宇治さんに伝えました」
「そう言うと思ったよ」

 混乱しているときに、相手の提示した意思に沿うことで余計混乱する。さらに、宇治の言葉にはなおも含みがある。私は独自の思考を捨て、彼の次の言葉を待たざるを得なかった。

「確かに君の話からすると、君たち、つまり君と柳くんは事件の日、青人くんの家の住所をはっきりと把握しないまま、近所をさまよっていた。そして、そのままでは青人くんの家にたどり着けないと悟り、君が携帯電話で青人くんと連絡を取ろうとした。だけど、そこであの庄司真奈美と偶然出くわし、彼女が代わりに連絡を取ってくれた」
「はい。実は高校時代にも訪ねたことはあったんですが、それっきりで、青人の家の正確な位置は忘れていました」

 もはや、自分の言う「青人の家」が何を指すのかもわからない。私のこの困惑をよそに、宇治は何事も起きていないかのように話し続ける。

「まあ、無理もないといえばないかな。だって普通、友だちの家の正確な住所なんていちいち覚えないもんね。さらに、その友だちと頻繁には会わないとなれば、その家の大まかな位置しか覚えてなくてもしょうがないだろう。ただね」
 宇治は一旦言葉を切ってから、再度言った。「君は事件の日、既に『正確な住所』を知ったはずだよ。どこどこ何丁目何番地って、文字通り正確に。まあ、覚えてなくても無理はないけどね」

 宇治はそこまで言うと腕を伸ばし、その辺に転がっていたペンと広告チラシを取った。
「さあ、いよいよ明らかにしよう。あの日何が起きたかを」

 宇治はチラシを裏返し、そこに滑らかにペンを走らせた。私はなす術も何もないまま、描かれる図形に目を向けていた。
「まず前提として」宇治が描きながら言う。「二棟の全く同型の住宅が背中合わせに、且つ、それぞれ正面を道路に向けて建っている。このことはもうこっちで確認済みだから、興味があればあとで君も見てみるといい。そして、それらが地下で繋がっているのは、もう説明するまでもない、今見てきた通りだね」

 宇治が手を止めたとき、間取り図が一つ出来上がっていた。それをペンで示しながら、宇治がさらに説明を加える。
「君たちの、事件当日の動きをおさらいしよう。もちろん、地下に降りたところから。
 確か青人くんを先頭に、君と柳くん、そして正一が降りていった。そこでまず何を見たか」
「白いカーテンが引いてありました」
「そう」

 図を見るうち、それが地下室の間取りであることがわかってきた。四方を棚に囲まれた台などは、特徴的で一目でわかる【図1】。

 だが、手前に引かれたカーテンには、奇妙な色分けがされていて、飲み込みがたい印象を受けた。黙って見ていると、宇治がその先を言った。

「君たちが最初に見たそのカーテンの表は白だった。だけど、裏は赤だったんだよ【図1①】」
「まさか」私の疑いに、すぐさま宇治が反応する。
「君は、その最初に見た白いカーテンの裏を確認したかい?」
 そう言われて、私は言い返せなかった。確かに最初に見たあの白いカーテンを、わざわざめくることなどしていない。

「最初の白いカーテンは、青人くんが開けたんだよね。そしてカーテンっていうのは、開けたあと、端で束ねておくものだ。そのときに裏が見えないように束ねるなんて、小学生でも出来るだろう」
 言葉を出せないでいる私は、突き刺さってくる宇治の言葉を浴び続けるしかなかった。

「次に君たちは、青人くんらが獲った歴代のトロフィーを見せられた。きっとこの棚に置いてあったんだ【図1②】」宇治が該当する箇所を示し、私はあやされる猫のようにそれを目で追う。

「それから、四方を棚に囲まれたスペースに移り、真ん中の台で君たちは何かの実験を行った。『象の歯磨き粉』だったかな。何が楽しいのか、失礼、詳しくは知らないけど。とにかく、この実験が今回の事件のポイントというか、事件を特徴づける決定事項と言ってもいい。たしか、塩化銅水溶液があったね」

「はい」私は唐突に言われ、それだけ返した。
「どんな薬品かは知らないけど、鮮やかな青い液体だっていうのは、専門家でない僕も知ってる。中学校の理科の教科書に、写真が載ってることが多いからね。その一つだけ青い液体は、実に巧妙だね、一種の目印のような役割を持ってたんだ」
「目印?」もはやそのように訊く私を、宇治は面白がりもしない。宇治が再びペンを取る。

「うん。例えば君たちが実験を開始したとき、塩化銅水溶液が棚のここにあった【図1③】、そして正一がここに立っていたとしよう【図1④】。君たちが頭をお花畑にして、台の周りを動きながら実験に打ち込んでいるとき、こっそり水溶液がここ【図1⑤】、さらに正一がここ【図1⑥】に移動していたとしたら?」

 聞くうちにさむけが起こり、それは私の腕に鳥肌として視覚的にも現れた。そして、当たり前のことを言うような宇治の口調がさらなる不気味さを加えた。

「さらに、もう一方に、あらかじめ白いカーテンがひいてあったとしたら【図1⑦】?もう、言うまでもないね。君たちはその白いカーテンの側を元来た方、そして赤い面を見せるカーテンの側を、まだ見ていない『青人くんの実験室』と勘違いしたんだ」
 言葉にしたい思いは、おそらく宇治の百倍以上はあった。しかし、それらを明確な言葉にするためには、こうして会話をする程度の時間はあまりにも短か過ぎた。

「ちなみにだけど」と、なおも宇治。「君たちが最初に見せられたトロフィーは、きっとこのカーテンの裏に隠されていたんだろう【図1⑧】、青い水溶液が移されるタイミングで。でないと、君たちが『赤いカーテンの向こうが青人くんの実験室』と言われたとき、この棚【図1②】にトロフィーが並んでいるのを発見して、せっかくのこういった仕掛けが台無しになってしまう。君たちは赤いカーテンを前にしたとき、振り返ってこの棚【図1②】を見てみたかい?きっと、覚えてはいないだろう。何せ、トロフィーが抜き取られて空っぽになった棚が印象に残るなんてことないだろうから」

 宇治が一旦、図から視線を外し、私の方を見た。私は動き続ける彼の顎付近に目をやった。
「その頃青人くんはというと、かかってきた電話に応じながら、白いカーテンをくぐっていったね。簡単な話だよ。正一が秘匿性の高い通話アプリを使って、青人くんに電話をかけたのさ。きっと、ある時刻になったら自動的に発信する機能でも使ったんだろう。彼はそれに応じる振りをして、一階に上がっていった。そして仕上げに、君たちの注意を引くために、一階でわざと物音を立てたんだ。

 さて、そのように君たちはまんまと『裏の家』に誘導された。ここでいう『裏の家』はもちろん、最初に入った『表の家』の裏に建っているものだ。その一階で、君たちは死体の第一発見者に仕立てられた」

「二棟の同じ家が、背中合わせにある意味は」
 私は言いながら、あの開いた脱衣所の扉を思い出した。そうか、『裏の家』の脱衣所の扉が始めから開いていただけ……

「もうわかるね」宇治が私を思考から引き剥がす。「裏の家の玄関にはあらかじめ死体が置いてあった。いつ『その人』が死んだかは、僕も正確にはわからない。床に広がっていた血は乾いていたのかな。生乾きだったら、死んだのはおそらく君たちが表の家を訪問する直前だろうな」

 私は『青人の死体』を発見したときのことを思い出す。何度も頭の中で確認したが、あれは本物の死体だった。魂、そういったものがあるとすればだが、魂が抜け切って、物に変わり果てた哀れな肉塊。ただし、あの死体は本当に青人だったか……形づくられる疑問に宇治の言葉が先行する。

「裏の家が何のためにあったか、わかってきただろう。青人くんが、一階に上がった直後殺されたと錯覚させるためだ。栄誉ある第一発見者を仰せつかった君たちにね」
「死体は双子の弟、莉緒だった」私はようやくそれだけ呟いた。
「その通り。そして、脱衣所にいたのは青人くんだよ」

「青人はそんなところで何を」
「それは後で言うよ、本当に青人くんだったかも含めて。まずは事件を最後までなぞろう。何だっけ、死体を発見した君たちは当然、慌てふためいた。その後は、たしかこうだったね。『正一に言われるままリビングに行き』、救急車を呼んだ。そのとき君は何をした?」
「何をした?」質問の意味がわからず、私は聞き返した。

「うん。固定電話で救急車を呼んだのは、もう知ってるよ。さっき僕は、『君が青人くんの家の正確な住所を知った』みたいなことを言ったね」
「あ」宇治の意図がようやくわかったが、やはり説明をするのは彼であった。

「君は救急車を呼ぶ時点で、『青人くんの家の住所』を知らなかった。だけど救急車を呼ぶことが出来た。なぜか。君は『この家』に再訪した直後、散らかった電話の周りを整理しようとしたね。君は通報しようとしたとき、住所を調べようとして、その辺の書類や封筒を片っ端から漁ったんだ」
「そうでした。とにかく、素早く住所を調べようとして、目についたその辺の書類、封筒を全部ひっくり返したんです。焦っていて、かなり手間取りました。ようやく見つけた一通の封筒にだけ、正確な住所が書いてありました」

「それも、きっと仕組まれていたね。調べにくいように、住所が書かれた封筒は一通しか置いていなかったんだろう」
 そこまで聞き、殺人犯の思惑の断片が見え始めた。あまりに狡猾、残忍なそれは、恐怖を私の肩すれすれに投げ、ついには絶望の淵をも目の前に置いた。

「青人はその間に」
「そう」宇治の声にも暗さが滲み始めた。「殺人は、君らが死体を見たときには、まだ終わっていなかった。君らがリビングで通報しようとしたとき、タイムラグが生まれた。第二の殺人が行われるための。おそらく、こうだろう。君たちがリビングでもたつく間、正一は青人くんに協力させ、莉緒くんの死体を風呂場に運んだ。そして、青人くんを玄関に連れて来てから、彼を刺し殺した。あらかじめ用意していた鋭利な刃物で、心臓を一突きにしたんだろうな」

 私は頭を抱え、大きく息を吐いた。このときは宇治も話すのをやめた。私が悲愴をやり過ごすのを待っていてくれたのかはわからない。しばらくして顔を上げると、こちらを見守る宇治と目が合った。

「救急車には君と柳くんも乗ったんだったね」宇治はこれまでと比べ、ゆっくりと話した。
「はい。その後に警察が来たはずですけど、そのときに我々は救急病院にいました。待合室に居たときに、青人の死亡をはっきりと知らされて」
「場所を移そうか?気分が優れる保証はないけど」
 私は少し間を置いたあと、「はい」と一言だけ言って立ち上がった。


「ここで質問だけど」宇治が再び廊下の床蓋を外す。「今僕たちがいるこの家は『表』と『裏』、どっちだと思う?」
 私は少し考えてから、半ば憶測で「裏」と言った。
「正解。そうだね、僕は今日俣野さんという人から鍵をもらって、まず『表の家』に入った。家政婦さんが日頃業務を行っていた家が、当然『表』だろうから。そこから地下をくぐってここに来たんだから、ここは『裏』だ」

 なるほど。先ほど宇治が描いた図を、頭の中で再構成してみる【図2】。

 事件があってから再訪したのはこの『裏の家』だった。地下に降りたとき、最奥に棚が置かれていたが、それには『表』へと続く階段を隠す役割があった【図2②】。
 六つあった棚のうち、さっき宇治が言っていた空の【図1②】をそれに用いれば、確かに合理的ではある。『青人の実験室』と称されていたスペースには、余っていたか、あるいはその辺で買ってきた机でも置けば十分だろう。
 もし万が一我々がカーテンに触れる場合に備えて、『表』の側に今度こそ本当に表裏赤いカーテン【図2①】を取り付けておけば完璧だ。

 それから宇治は地下を通り抜け、また『表の家』に戻った。そして、廊下の階段で三階まで一気に上った。

 元々、国元莉緒の部屋があるとされていた階。しかし、『表』と『裏』の区別をつけなければならない今、果たしてどこが国元莉緒の部屋を指すのか、自分には正確に判断する自信がない。

 三階には二部屋あり、宇治はまず階段を上がって手前の部屋へ入った。そこは六畳程度のフローリングで、男性の寝室らしかった。
「ここは違う」宇治は少し眺めただけで、すぐに部屋を出た。
「正一さ…正一の部屋でしょうか」私が言うと、宇治は「だろうね」と振り返らずに言った。

 そのまま有名配信者はつかつかと細い廊下を進み、残りの部屋の扉を開けた。
「ビンゴ」内部を見た途端、宇治が短く言った。
 当然私も、宇治の肩越しに室内を観察する。こちらにも今の部屋同様、直前まで男性が生活していたらしい印象があった。シングルベッドに勉強机、そしてオーディオコンポ。青人の部屋に似ているといえば似ているが、こちらにはさらに液晶テレビと、漫画本が詰まった金属ラックが追加されたように置いてある。

 青人の弟、国元莉緒の部屋だと直感が告げた。調度品はともかく、部屋の中央に置かれた、白く立方体に近い物体。明らかに生活するのには邪魔で、最近置かれたものであるのはすぐにわかった。宇治が迷わずそれに近づくと、私もその横に立った。

「心の準備はいいかい」宇治が私に顔を向ける。
 この部屋に入る前から嫌な予感はしていた。近くでよく見ると、それは上開きの巨大な冷凍庫であった。私が小さくうなづくと、宇治は片手で蓋を開いた。物理的な冷気を肌に感じた瞬間。
「ああ」私はそれしか言えなかった。
 中に、膝を抱えて顔を伏せる全裸の男がいた。もちろん、既に死んで凍っている。事件の日、私と柳が一度目に見た死体に違いなかった。
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