第2話

文字数 2,972文字

 7月10日

「僕のチャンネルを観てる人はね」宇治(うじ)兵衛(ひょうえ)が締めくくりに入った。「少なくとも、『宇治兵衛のチャンネルを観よう』とする知恵はあるわけで、みんなそこそこ頭いいはずなんでね、このあとはね、ちゃんとご飯食べてお風呂入って、早く寝てくださいね」

 いつもであれば、私も促された通りネットを切り、就寝に向けてゆっくりと動き出すはずであった。しかし『約束』のある今日は違う。宇治の映る画面が真っ黒になったあとも私は、スマートフォンを握りながら、椅子の上で同じ姿勢をとり続けた。

 もしかしたら一時間以上平気で待たされるかもしれない、という予想はあっけなく外れた。宇治からの連絡は、少しの休憩時間も感じさせないほど、まさに間髪入れずに入った。

「もしもし」人生で初めて有名人に直接語りかけられることで、心臓が肋骨の中で飛び上がった。その瞬間には、「もしもし」と何の工夫もなく、相手の言葉をそのまま真似ることしかできなかった。
「メールをくれた高来(こうらい)くん?」宇治の方では当然ながら、何の緊張もなさそうであった。「読み方はコウライくんでいいのかな」
「はい、高来悠木(ゆうき)と申します。よろしくお願いします」

 スマートフォンの小さな画面には、さきほどまでと変わらない様子で淡々と話す宇治が映っている。カメラも、ほんの数分前まで行なわれていた生配信で使用されていたものと同一であろう。このときも、机上のラップトップPCを眺める宇治を斜めから捉える独特のアングルが採用されている。
「私もカメラで、自分の顔を映した方がいいですか」
 私はおそるおそる訊いた。すると、宇治は目を細めながら、いつものいかにも愉快そうな笑顔で言い放った。
「いいよ。別に君の姿を見たいなんて、大して思ってないから」
 宇治の毒舌が今に始まったことではないことを知っていた私は、それに対し「はは」と乾いた笑い声で答えた。

「あの」宇治の笑顔を見たことで、こちらの緊張も幾分やわらいできた。そこで私はさらに、それまで懸念していたことを疑問点として投げかけた。「これって生配信として放送されてないですよね。つまり、これって宇治さんと私の一対一の通話ですよね」
 宇治はこれを聞いて、笑顔を崩さないまま、高らかに笑い声をあげた。
「もちろん。もしこれが生配信だったら大変だよ。もう既に、君の名前が高来くんであるという個人情報を、全世界に暴露してしまっていることになるからね。大丈夫、これはれっきとした一対一のプライベートな通話だよ。だから、デリケートなことでも何でも語ってくれて構わない。もっともそれは、今日僕が君に対して望んでいることでもあるけどね」

 話をするうち、いつも宇治の配信を観るときのように、いつの間にか冗舌な彼の姿に引き込まれていった。ネット上のプロフィールによると、彼はもう四十半ばを過ぎているはずである。しかし、討論番組で論客相手に生意気な口を利いていた二十代の頃の面影は、今もなお色濃く残っていた。
「高来くんは、何、大学生?」
「はい大学四年です」
「大学なんてさ、頭いいと勘違いした連中が講義と称して中身のないことばんばん喋ったあげく、学生から大金巻き上げる、っていうとんでもないところだから、君も早くそんなとこ出て、自分のスキルでお金稼いだ方がいいよ」
 私は「いや、ためになった講義もいくつかあったけどなあ」と思ったが、話をややこしくしないために「そうですね」と無難な返事をした。

「さて」宇治は言いたいことを言い満足したのか、PCに向き直り何やら操作を始めた。そして、やや時間が経過した後、再び話し出した。
「今、事件の記事を一つピックアップしてみたんだけど、事件があったのって、7月7日だったかな」
「はい、7日です」
「確認のために読み上げるから、ちょっと聞いてて」
「はい」


 閑静な住宅街で刺殺事件発生 犯人は現在も逃走中

  7月8日 6時55分  ×××文化放送ネット


 7日夕方ごろ、N市郊外の住宅で「住人の男性が刃物のようなもので刺された」と通報がありました。救急隊が駆けつけたところ、この家の住人、国元青人さん(22)が玄関で倒れているのを発見。被害者はすぐさま救急病院へ搬送されましたが、間もなく死亡が確認されました。

 通報したのは、その日、国元さん宅を訪れていた友人の一人で「玄関で物音がし、行ってみると、既に青人さんが刺され、うつ伏せで倒れていた」と話しているということです。
 その後、現場に到着した警察により捜査が開始されました。


「この事件で間違いないね?」記事を読み終えた宇治が訊いた。
「はい、間違いありません」
 宇治が読み上げるのを聞くうち、あの日の記憶がむくむくと膨らむ黒煙のように蘇ってきた。青人の父、正一(しょういち)の絶叫や、もう一人の友人、(やなぎ)俊大(しゅんた)狼狽(ろうばい)する声が、今も耳の先で聞こえてくるような気がした。

「高来くんが第一発見者なのかい」
「はい。正確に言うと、青人の父、正一さんと、あと、柳っていう奴も一緒に来てたんですけど、私も含めてその三人が最初に発見しました」
「その日、君とその柳くんは、被害者である国元青人くんの家に遊びに行った」
「はい、来年の進路が決まって、ささやかなお祝いでもしようということで、久しぶりに同い年の三人で集まりました」
「そこで、青人くんが死んでしまった、と。さぞ驚いただろうね」
「それはもう。だって、これまで人生で殺人事件に遭遇したことなんて、一度もなかったんで」

 宇治はそこまで聞くと、ふん、と鼻で息をし、言葉を切った。顔から笑顔は消えていて、それまで得た情報を整理しながら思案にふける様子でいた。しばらく待っていると、また宇治の方から口を開いた。

「それで昨日、僕にメールをくれたんだね」
「はい。宇治さんなら何かわかるんじゃないかと思って。ダメもとで個人的にメールを送りました」
「警察に任せようとは思わなかったの?現場検証には君たち三人も加わったんだよね」このときまた、宇治の顔が面白がるように、若干ほころんだ。
「はい。もちろん、事件翌日の現場検証には加わりました。私と柳と正一さんの三人で。ただ、どうしても不可解なことがいくつかあって、それについて、ずかずかと警察署に入って聞いても、安々と教えてくれるとも思えないですし。かと言って、周りの人たちに訊いても、顔をしかめるだけで。それで、ネットで何でも答えてくれる宇治さんに訊いてみよう、と」
「なるほどね」

 宇治はここで、机の隅に置いてあったグラスを取り、黙って中の液体を一口飲んだ。いつもの配信の内容から、それがウィスキーかウォッカのソーダ割りであると大体の見当はついたが、詳しく尋ねることはせず、ただ見守ることにした。やがて、グラスを置いた宇治は改まった口調で言った。

「高来くん、大まかなことはわかったよ。じゃあ、話してもらおうかな、事件の詳細を。つまらないと思えるどんな些細なことも省かず、克明(こくめい)にね」
 私は唾をごくりと飲んで、ちらと壁のデジタル時計を見た。時刻は21時50分。きっと、日付が変わるまでには語り終えることができるだろう。自分の方では傍らに飲み物を用意していなかったことに気付き、諦めて、代わりに一度深く息を吸い込んだ。そして、脳内に残るあの日の映像を出来る限り丁寧に集めつつ、言葉を発し始めた。
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