第10話

文字数 2,181文字

 掃除はいいと言われていたが、やはり四人で行うことにした。
 掃除の途中、青人の携帯が鳴った。青人は「実験室には入らないでほしい。埃が入るから」と言い残すと、携帯で何やら小声で話しながら、階段の方へ歩いていった。私はその時、どこに実験室があるのか疑問に思ったが、それを訊く前に青人は上へ行ってしまった。

 テーブルや床、ついでに柳の頭をきれいにすると、正一は「ありがとう」と言い、我々から回収した雑巾をバケツに放り込んだ。
 それから、正一とどのような話題を共有すれば良いか一瞬悩んだが、それが要らぬ心配であることをすぐに悟った。正一は掃除が終わると、自身のスマートフォンをズボンのポケットから取り出した。そして、その時間を待っていたかのように浮き浮きとしながら、我々に画面を見せた。

 それには幼い子供が二人、やや緊張した面持ちで映っている。
「小学二年のときの青人と莉緒です」
 スポーツ刈りで痩せ気味の少年が青人であるとすぐにわかった。隣で警戒するように目を向けているショートヘアの少女が莉緒であろう。この頃からすでに、どちらの印象も大人しそうで、かつ理知的であった。

「二人が最初の賞を獲った頃ですね」私は言った。
「そうです」正一は少し声を低めた。「この頃は天才双子現る、なんて地元のメディアからもてはやされたものです。二人仲良く実験する様子を、テレビカメラで撮影されたりしてね。ただ美由紀が、私の妻で、彼らの母親ですが、あるとき他界してしまったんです。たしか、あの子たちが高校生のときだったと思いますが。それに前後して、莉緒がふさぎ込むようになってしまってね。青人は悲しみをこらえながらも、それまでと変わらない日常を過ごすことができたんですが、一方で、莉緒はというと」

 正一は遠い目をしながら、スマートフォンをポケットにしまった。地下室は、先ほど柳と浮かれ騒いでいたのが嘘であるように静かだった。我々二人はどういった言葉を挟んでいいかわからず、黙っていた。どうすることもできず、そのままでいると、再び正一が語り出した。

「莉緒は学校を休みがちになって、青人との能力の差はどんどん開いていきました。私はね、二人揃って研究者に育てあげるなんて、これっぽっちも思ったことはありません。手に職をつけて、それぞれが幸せに暮らしてくれればそれでいいんです。だから、莉緒には何度も、気にしなくていい、頑張らなくていい、と言い聞かせました。しかし、思春期の子にとって、双子の兄に置いていかれるというのは、なかなか耐えがたいことだったんでしょう。今では、ふらっと家を出ては、どこかで遊びほうけるようになってしまってね」

 私は話が途切れたところで、「そうなんですね」と一言相槌を打った。
「話が湿っぽくなってしまいました」正一は先程までの快活さを自分で取り戻した。「少し早いけど、そろそろ夕食にしましょう。さっきお二人も見たように、俣野さんの自信作が沢山用意されてますからな」

 話が一段落すると、柳は棚の端に立ち、その裏手を覗こうとしていた。そちらは我々が元来た方とは逆で、地下の奥に位置していた。

「そっちにはね」言いながら、正一も柳の方へ歩いて行った。「青人の実験室があります」
 正一は柳の横をすり抜け、そのまま棚の裏手に入っていった。その 躊躇(ちゅうちよ)ない様子を見て、我々も彼の後に従った。

 そこには、最初この地下室で見たのと同様、カーテンが真横に引かれている。ただしその色は、悪趣味とも言えるほどの曇りない真紅であった。

「この向こうが」私が言った。「さっき青人の言ってた実験室ですね」
「そうです」正一が答える。「最近また青人はここに籠りっきりでね。何やら大事な実験をするとき、青人は必ずここで一人で行うんです。まあ、青人の腕前は私は十分知ってますから、安全管理も彼に一任しています。だから、この先に無断で入ることは私も滅多にしません。数年前に一度だけ、彼が不在のときに私が掃除をしたことがあったんです。掃除といっても、実験器具の位置を多少ずらして机を拭いただけでした。そうしたら、それを知った青人は烈火のごとく怒ってしまってね。それ以来、私もここに近寄ることはしなくなりましたよ」

 そのように語る正一の顔には、苦笑が入り混じっていた。我々はそこまで聞いて「ふうん」と、半ば感心し半ば呆れるような声を出した。さすがの柳も青人の意思を無視して、その赤いカーテンに手をかける真似はしなかった。

 そのとき。

 階上で音がした。何か重量のあるものがぶつかる、ごとり、という音。
「何だ」正一が天井に目をやった。我々も釣られて上方に目を向けたが当然、照明と空調設備しか見えない。

「まあ、いいです。とにかく上で夕食を取りましょう」正一はそう言うと、実験が行われたスペースを通り抜け、カーテンを手前にめくった。我々は促されるようにその下をくぐり、上へ戻る正一のあとに従った。

 最後に一階に上がってきた柳が、床蓋を元に戻しているときだった。
「青人」正一はそう呟いてから、玄関の方へ駆け寄っていった。私もそちらを見た途端、小走りで近づいた。そこから、もはや動く気配のない二本の脚が見えていた。

「おい、どうした!」正一が怒声に近い声を発した。三人の視線の先に転がっていたのは、うつ伏せで胸から血を流す青人の死体だった。
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