第20話

文字数 2,719文字

 私は帰るなり体をベッドに投げ出した。汗だくでシャワーを浴びたかったが、それよりも疲労感が勝った。

 宇治はもう東京に着いただろうか。時刻は夜の十時半。どこの高級マンションに住んでいるのか知らないが、さすがにもう家で自適な配信者生活を取り戻しているだろう。

 依然として着信はなかったので、こちらから電話をかけた。
「もしもし、もう警察の取り調べは終わったかい」まるで、私が物見遊山(ものみゆさん)でもして来たような宇治の口調だった。

 莉緒の死体を発見した後、宇治は自分の指紋が残ってそうなところを拭き、一人さっさと東京へ帰ってしまった。警察への対応を私に丸投げして。

 帰り際の宇治の「万が一、僕が一緒にいたことがバレたら、そのときはそのときだ。悪いことは何もしていないからね」と言っていた顔が頭に浮かぶ。きっと今も、酒を飲みながらそんなふざけた表情をしているに違いない。

 私が「明日も警察署で事情聴取です」と漏らすと、宇治が可笑しそうにしながら「頑張って」とだけ答えた。

「お疲れのところ悪いけど」宇治は確実に「悪い」とは思っていない。だが、そのことは口にせず、スマートフォンを耳に当てたままにした。
「伝え忘れたことを伝えるよ。きっと、これで最後になるだろうね。野暮だとは自分でも思うんだけど、まあいわば調査報告のようなものだ。さっき送った画像は見てくれたね」
「はい。見ました」

 この日の現場検証からようやく解放され、スマートフォンを調べると、宇治から一枚の写真が届いていた。女性の顔が映った何かの雑誌のページ。最初それが何かわからなかったが、眺めるうちに答えに思い当たった。事件の日、私が青人の家で見たヘアカタログの切り抜き部分であった。カメラを正面から見据え、にっこりと微笑む美しい女性。カットモデルとして映る庄司真奈美であった。よく見ると写真の下に「モデル、庄司真奈美さん(大学生)」と付記されていた。

「リスナーから貰ったんだ」宇治が腕時計でも自慢するように言った。「君から事件の話を聞いてから、水面下に色んなリスナーにコンタクトを取ってみた。青人くんは有名だったから、同じ大学内で彼を知ってる人はたくさん見つかったよ。その中で、たまに彼と仲良く連れ立って歩く庄司真奈美という美女の存在もすぐに知ることができた。
 一方、青人くんと同じ中学出身の人から、卒業アルバムも見せてもらった。それには、今にも噛みついてきそうな不機嫌な莉緒くんの写真が載っていたよ。これらと君の話を総合することで、真奈美が国元莉緒の振りをしていることは、割と簡単に判明した」

 もはや感心する気力が残っていなかった。私は「ええ」とだけ答えて、あとは宇治が言うのに任せた。
「そのあとのことは、もうホテルで話したから説明はいらないだろう。まずこれが、真奈美のカード不正利用を突き止めた経緯だ。さて」

 グラスの飲み物を一口飲む音が伝わった。私もそれに合わせて上体を起こし、話の続きを待った。
「僕はね、君がアリバイの証言役でも任されたのかと思ったよ」 
「アリバイ」そのあとの「と、言いますと」は無言で置き換えることにした。宇治は即座にそれを察知し、矢継ぎ早に言った。

「今言ったように、青人くんにそっくりの双子の弟がいることはわかった。一方で、肝心の殺害犯についてだけど、君の話から、君と柳くん以外に、不自然なほどアリバイが完璧な人物がいたじゃないか。もちろん国元正一だよ。奴は自分を見ていてくださいと言わんばかりに、徹底的に君たちの視点から外れなかったね。君たちが正一を初めて見てから、第一の死体が発見されるまで。
 あそこまで完璧で作為的なアリバイがあれば、僕としては第一に疑わざるを得なかった。怪しげなカーテンもあったし、家自体に正一のアリバイを保つ仕掛けがあったんじゃないか、と僕はそう睨んだわけだ」

 私としては、自身の疲労もあったためか、この男はよくこうも喋るな、と思わざるを得なかった。しかし、事件解決を依頼したのは自分であることも思い出し、素直に話の先を拝聴することにした。

「現場付近をこっそりドライブすることで、二棟の同じ家が背中合わせに建ってることを確認できた。それを見たときは、思わず笑ってしまったよ。案外気づかないもんだね。正一は近所の人に、『裏の家は親戚のもの』とでも吹聴してたのかな?まあ、そんなことはいい。
 ここまで揃ったことで、残った問題は、誰がどの順番で誰に殺されたか、ということだ。ここで、次の二つの可能性はすぐに排除できる。

 ①地下から一階に上がった青人くんが莉緒くんを殺し、その後正一が青人くんを殺した可能性

 ②一階に上がった青人くんが莉緒くんに殺され、正一が莉緒くんを殺した可能性

 ややこしいね。ただこれらについては、正一が一人しか殺していない場合、とシンプルに考えれば十分だ。これらがあり得ないことはすぐにわかるね。だって、これらのことを実行するのに、家二棟もいらないもんね。あらかじめ『裏の家』に死体を置いておく必要がないんだから」

「ああ」私は思わず声を上げた。この時間にこんなことに頭を巡らす自分が、少し誇らしく思えた。宇治が続ける。
「『裏の家』には間違いなく莉緒くんの死体が置かれていた。そして、犯人は双子のどちらにも、殺人の一件も任せなかった。すると、正一が二件の殺人を連続で犯したのは、否定できない事実と言えるわけだ。
 思い出してごらん。君らが救急車を呼んでいるとき、正一は青人くんの名を叫んでいただろ。あれはもちろん、息を吹き返すことを望んで、父親が息子に呼びかけたんじゃない。莉緒くんの死体の運搬を手伝わすため、そして、次に殺害するために、脱衣所に隠れていた青人くんを呼んだのさ」

 私はベッドに座りながら、意識が暗い底へ沈んでいくのを感じた。事件に関する出来事の全てが私にとって、触れるべきでない鎮静薬のようなものであった。

「正一は」私はやっと声を振り絞って言った。「何でそんなことをしたんでしょう」
 電話の向こうで、グラスの中身を飲み干す音が聞こえる。それは宇治が、そして局面そのものが事の終わりを告げるのを意味していた。
「それは僕のあずかり知るところじゃないよ。僕はあくまで犯人の動機がなんであれ、『犯人が事件を起こす動機を持った』前提で考えを進めたに過ぎない。それについてはむしろ、君の方が詳しいんじゃないかな」

 その後、いつの間にか眠ってしまい、どのように電話を切ったか覚えていない。確かに夢を見ていたのだが、国元莉緒も青人も、そして正一も出てこなかった。それよりもひどい夢特有の存在が、様々に姿を変えながら恐怖を煽ろうとしていた。
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