第15話

文字数 1,224文字

「ここから青人くんの死体が見えたんだね」宇治が廊下の奥に立って言った。
「はい」私は二人の傍らで、玄関を指差した。「完全に脱力した二本の脚がここから見えました。そのときにもう、青人が亡くなっていたのは間違いないです」

 それを聞くうち、当時の我々の動きを体感しようとしてか、宇治は玄関に向かってやや早足で歩き出した。
「死体が、この玄関を上がってすぐのところにあった」
 しばらく宇治の独り言だけが、静かな廊下に響いていた。

「高来くん」
 忘我していると宇治に呼ばれ、私は頬を打たれたように振り向いた。「はい」
「君が『誰かいた』と言っていたのは、この脱衣所だね」宇治が薄暗い脱衣所を示すと、正一が「えっ」と、まさに驚きの声を上げた。

「ここに誰かがいた?事件の日に」正一は今日初めて、しっかりした視線を私に向けた。
「いや」私は顔の前で手を振った。「宇治さんにも言ったんですが、そう言い切れるかはわかりません。救急車を呼ぼうと、柳とリビングに行きかけたとき、何かのはずみで振り返ったんです。そしたら、この脱衣所の奥で人影が動いたように見えたんです。でも今思えば、気のせいだったのかもしれません」

「玄関の鍵は開いていたんですか」宇治が正一に訊いた。すると正一は、警察からも同じことを聞かれたためか、すぐに断定的な口調で答えた。
「鍵は開いていました」
「開いてた?」宇治が呆れた声を出す。
「はい」私が話そうと思ったが、正一の声の方が早かった。「この辺は都会とは違いますから、鍵を掛けないことも多いんです。この近所の家のドアの大半も、今開いてるはずですよ」

「目撃者はいなかったんですか」宇治がさらに訊く。「この玄関から侵入した、あるいは出ていった怪しげな人物を見たという目撃者は」
「目撃者は」と正一。「いなかったようです。少なくとも、そういう人物を見たと証言する人は、今のところ出ていません」

「最後に家を出たのは家政婦さんでしたね」
 宇治のこの言葉に、正一は再度意外そうな顔を見せた。
「よくご存知ですね、その通りです。家政婦の俣野さんという人をうちで雇っているのですが、あの日確か四時半頃でしたか、仕事を終えて帰る俣野さんを私が見送りました。そのとき、彼女は鍵をかけませんでした。持ってはいるんですがね、うちの鍵を。ただ、いつもの習慣で彼女は、そのときも鍵はかけないで帰っていきました」

「そういえば」宇治がさらに尋ねる。「その家政婦の俣野さんは、今日どちらへ」
「俣野さんは事件のあった日から休んでいます。やはり、あんな事件があった直後では、心も安まらないのでしょう」
「よろしければ、後で俣野さんの連絡先を教えていただけませんか」
「ええ。本人に確認をとって、了解すればいいですよ」

 二人が会話に夢中になる中、私は数歩進み出て、脱衣所の入り口に首を突っ込んだ。
 そこに犯人がいまだ留まっているはずはない。手前に洗面台、奥に浴室があるだけで、そこは悲しくなるほどに整っていた。
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