第3話

文字数 2,397文字

 茅葺の屋根が点在する難民集落。妻のアニタと母マタイは、わずかな畑地でキャッサバ芋を作る。電気も水道もない貧しい生活だが、野蛮な兵士の姿もなく、穏やかな時が過ぎていた。
「あんた! お客様だよ。この辺では見かけない人たちだ。変な話に乗っちゃだめよ」
 家の裏でヒョードルが、魚の燻製の火加減を見ていた時だった。アニタが五歳になる息子と三歳の娘を従え、やってきた。
「せがれのヒョードルだ。難しい話はこいつと話してくれ。すべて任せてある」
 家の前で、先に応対していたキートがヒョードルに目配せした。
 身なりのいい二人の黒人は制服こそ着ていないが、その目と骨格は兵士に違いないと思った。ふと目を走らせると、向こうの林道に、ごついジープが一台見え隠れしている。
「ヒョードルか、いい名前だ。それに立派な体格だ。こんなところで燻っているのはもったいない」
 コロンボと名乗った鼻髭を蓄えた黒人がヒョードルに笑みを見せながら言った。
 身長が百九十センチあるヒョードルは、バスケットボールの選手のように見える。部下と思われる若い黒人も、もっともだと言う風にうなずいている。
「だんながた、今日は一体何の用です? 今ちょうど手を離せない作業中なんで――」
 ヒョードルは毅然とした目で要件をうかがった。
「二つ、山を越えたところに鉱山がある。今そこで人が足りないのだ。一家そろって移住してこないか」
 コロンボが単刀直入に切り出してきた。
「その鉱山から、いったい何が取れるんだい?」
 キートが、胡散臭そうな鉱山の話に釘を刺した。
「うーむ、なんと説明しようか――」
 コロンボが腕を組み始めた。
 若い黒人がカーゴパンツのポケットから携帯電話を取り出した。
「ヒョードル、これを見たことがあるだろ? これにはタンタルコンデンサが使われている。これだけじゃない。軍が使う無線機や都会の女がオフィスで使っているパソコンなどあらゆる電子機器に使われている。その原料となるのがコルタンなのさ。その鉱石が、偶然ダイヤの廃坑から出て来たんだ。今、採掘の真っ最中だ」
 若い黒人が目を輝かせて説明した。
 ヒョードルは、街に住む友人から聞いた、プレイステーション紛争のことを思い出した。日本で作ったゲーム機が世界で爆発的に売れ、タンタルコンデンサが品不足になった。原料を供給するコンゴで膨大な死者を出す紛争おきたという事件だ。
 ヒョードルの興味を読み取ったか、コロンボが口を開いた。
「コルタンは我が国にとって、欧米から資金獲得できる大変貴重なものだ。最近はもう一つ脚光を浴び始めたレアメタルがある。電気自動車のバッテリーに大量に使用されるレアメタルがコバルトだ。我々は、コルタン鉱山の他にコバルト鉱山も持っている。アジアの大国も触手を伸ばし始めた貴重な資源だ」
 ヒョードルは無意識にうなずいていた。金に目が眩んだわけではない。祖国の大地に眠る資源が世界を動かしている。だが、大切な土壌が切り刻まれ、血が噴き出している。何かとてつもない大きな力が、この国に触手を伸ばし始めている。ヒョードルは、その現実から目をそらすことができなかった。
「仕事は毎日あるのか? 報酬は何で払ってくれるんだ?」
 ヒョードルは、コロンボの沼のように黒く光る目をじっと見ながら訊いた。
「仕事は毎日ある。その日に日当を現金で払う。腕にもよるが五百CFAは保証しよう。二人で働けば千CFA以上稼げる。奥さんにも、たまには綺麗にデザインされたワンピースを買ってやれるようになるだろう」
 アニタは無言でうつむいている。コロンボが続けた。
「それに、このあたりにも、カムイナ・ンサプの魔の手が伸びてきている。この集落もいつ襲われるかわからない」
 コロンボが、ヒョードルとキートの目を交互に見ながら声を落とした。
 カムイナ・ンサプとは反体制武装勢力のことで、政府当局はそれと闘わせるために、バナ・ムラという現地武装グループを組織し、武器を提供していた。
 コンゴ南西部のカサイ州や南部のカタンガ州では、血の鉱物といわれるコルタンが大量に埋蔵されており、政府軍、反政府軍両方の貴重な資金源となり、その取り合いで戦闘が激化していた。

 男同士が命をかけて戦うことは、古来変わらぬ宿命だ。だが今は、軍の戦略として組織的性暴力が常態化している。それは兵士の欲望を満たすのが目的ではない。あどけない少女にも容赦なく、家族の前で鬼畜にも劣る蛮行を見せつける。恐怖心で住民を支配する人間兵器だ。人々の心が破壊され、やがてコミュニティは崩壊する。ITと呼ばれる光り輝く情報産業が、アフリカの女性や少女の犠牲の上に成り立っていることは誰も知らない。

 それから一ヵ月後、ヒョードルの家族はイレボから南に百キロほど離れた鉱山居住地に移動した。
 中央カサイ州の州都・カナンガにも近い鉱山の採掘現場は、想像を絶するものだった。装置や機械の類はどこにも見当たらない。さび付いた長い鉄棒一本だけを支給され、巨大な蟻地獄のような崖を下りて行く。底の泥水の中で、沢蟹のように蠢いている小さな背中が目に飛び込んできた。まだ十歳にも満たない少年たちがこき使われていた。
 毎日、カラシニコフ製AK―四十七の銃口に怯えながら、手指から血が滲む手掘り作業が続いた。
 だが、血と汗の中から稼ぎ出す現金は貴重だった。たまには、行商人が持ってくるトウモロコシの粉で作ったパンや、骨付き鶏肉も食べられるようになり、家族の食卓もにぎやかになった。
「お疲れさん! 大変だったわね」
 アニタが、稼ぎの千CFAを受け取りながら笑顔を向けた。
 ヒョードルは、妻の笑顔を見ると、祖国の大地を犠牲にする稼ぎの矛盾も、口に出すことはできなかった。
「あぁ、やっと体は慣れて来た。キート、腰はだいじょうぶか?」
「ああ、モンパサの青い海を思い出すと、少しは痛みも和らぐ」

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