第5話

文字数 2,164文字

 再びヒョウドルの家族は、難民キャンプや山地の開墾村を転々としながら、飢餓の生活を強いられた。
 右足を失ったキートは、自分で木を削り義足を作ったが、開墾の重労働ができなくなった。ヒョードルは、日雇いの道路建設工事現場で汗を流し、辛うじて家族を支えていた。家族は、日に日に、貧しさの蟻地獄に落ちていった。

 夕方になり、ヒョードルが家路に向かっている時だった。
「よー、あんた立派な体格してるね。いい話があるんだが、ちょっと俺についてこないか?」
どこから現れたのか、恰幅のいい黒人が声をかけてきた。
「鉱山の話ならごめんだよ――」
 ヒョードルは断り、通り過ぎようとした。
「だいぶ苦労したようだな。まったく違う仕事だ。それに、金も鉱山以上に稼げる。話だけでも聞いたらどうだ」
 ヒョードルは、ふとアニタの顔が浮かんだが、金と言う言葉の魔力につられ、小山のような男の背中について行った。
 木立ちを潜っていくと、迷彩色に覆われた立派なジープが待機していた。
 肩幅が広く、首が頭部と同じぐらいに太い軍人のような顔つきの男が降りてきた。
「おぉ! 噂のとおりいい体格をしている。それに目つきもいい」
 男が手を差し伸べ、助手席へと促した。ヒョードルは、男の太い腕に光る、ごつい金時計が目に留まった。
 男が、注意深く辺りを窺ってから続けた。
「どうだ、一緒に仕事をしてみないか。二年もすれば幹部になれることは間違いない」
 ヒョードルは、男が持つ危険な匂いと同時に、全身から発散する自分の知らない世界に身震いした。吸い込まれるように、男の話に耳を傾けた。それは、これまで生きてきたことや同胞を裏切るおぞましい仕事だった。だが、聞いてしまった以上断ることができない雰囲気が、車内に漂っていた。
 ヒョードルは、民族の宝である熱帯雨林の違法伐採と希少動物の密売に手を染めることに同意した。愚かだと知っても、家族の飢餓と天秤にかけることはできなかった。
「そうかやってみるか。家族には絶対内緒だぞ。これだけは守ってくれ。これからは家族に持って帰る金銭も桁が違う。家族にはパイソンハンターにでもなったと言っておけ」
 やっと、ムルアカと名を明かした男が、ヒョードルと太った男の両方を見ながらにやりと笑った。
「昔おれは、本当のパイソンハンターだった。あれは立派な仕事だ。だが危険だ。それにこの身体ではもうニシキヘビと闘うことはできない。そんなときボスに声をかけられた。ボスはいつも言っている。おれたちの仕事は軍隊がやっていることに較べりゃ何も悪いことじゃないと」
 太った男が自分を納得させるように、語った。
 ヒョードルは、ムルアカを首領とする違法伐採グループ・ブラックムーンに入ることになった。もちろん家族にはパイソンハンターになったと話した。
 実際のところ、無敵のヒョードルでも蛇だけは大の苦手で、パイソンハンターは彼にとって、夢のまた夢の仕事だった。
 パイソンハンターとは、ヨーロッパなどで装飾品として珍重されるアフリカニシキヘビを狩る仕事で、ワシントン条約にも抵触しない、合法的な仕事である。危険なためなり手が少なく、それだけに収入も多かった。

 太陽の光を浴びながら汗を流す仕事は、それが違法だと知っていても、鉱山にはない爽快感があった。
「今日はご苦労だった。日当をわたすから、事務所の前に並べ!」
 ムルアカが、三十人ほどのメンバーの前で、自動小銃を頭の上で大きく振った。
「戻ってこないやつや、途中で死んだやつはいるか?」
 副首領のドビンゴが、髭面の中から鋭い視線を飛ばした。
 ムルアカは、コンゴの軍隊を脱走した黒人だが、キンシャサから来たドビンゴはシシリーからの流れ者だという噂だ。
 ドビンゴのほうがムルアカと較べると短気で獰猛だ。だが、ドビンゴはヨーロッパに高級木材を捌く闇ルートを持っており、ムルアカもそれには一目おいていた。
 再び、ムルアカの声が森に響き渡った。
「伐採を終えた後に死んだ者には半額の二千フランを払う。親類か知人は名乗り出て受け取れ! 必ず家族に届けるのだぞ」
 仕事の終わりには、いつも全員に告げられる言葉だった。伐採が終わっても、引き上げる途中で毒蛇に噛まれたり、猛獣に襲われ、事務所までたどり着けない者もいた。
 街の食堂で旅行者が食べる煮魚定食が八百フラン(コンゴ・フラン:CDF)、コバルト鉱山で命がけの日当が二千フラン。日本ではわずか二百六十円の価値であるが、四千フランは難民キャンプで暮らす人々にとっては大金だった。
「あんたがたくさん稼いでくれるおかげで、私の両親も生きていかれる。でも、このまえ友達から訊かれた。あんたのだんな何してんのさって。私の亭主はパイソンハンターさって胸張ったら、え、本当? て顔してたけど――あんた、何も悪いことしてないよね?」
 アニタが、ヒョードルに心配そうな目を向けた。
「もちろんおれは立派なアフリカニシキヘビのハンターさ。何も悪いことはしちゃいね」
 ヒョードルは妻から目を逸らせたまま答えた。
「それならいいんだけど、でも絶対に無理はしないでね。命を落としたらなんにもならない」
 自分をパイソンハンターだと疑わず、心配しながら毎朝送り出してくれるアニタの目を、ヒョードルは最後まで見ることができなかった。
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