第4話
文字数 3,351文字
それから二年が経った。
その日は特に暑く、疲れで腰痛が悪化してきたキートは休むことになった。ヒョードルは、アニタの笑顔に送り出され、鉱山へと向かった。
まるで四方八方からがけ崩れが起こったようなコルタン採掘現場では、屈強な作業員にまじり、多くの子供たちが働いていた。子供たちは皆小さな背を丸め、泥に含まれる鉱石を川の水で洗浄し、わずかな鉱石を洗い出す。
終業の時間まで、まだ一時間が残っていた時だった。
「家族に女子供がいる作業者は、すぐ帰宅せよ!」
自動小銃の銃口を大地に落とした監督が、いつになく緊張した声を張り上げた。
何か悪い情報が入ったに違いない。胸騒ぎが襲ってきた。
足裏に血が滲むほど走り、村に着いたヒョードルは、変わり果てた様子に目を見張った。他の男たちも呆然と立ち尽くしている。
戸口や窓から、逃げ遅れたと見られる女たちの血に染まった手や足がのぞいている。ヒョードルはもしやと、我が家へと走った。
「みんなだいじょうぶか? キート、どうした! その足は」
転がるように家に飛び込んだヒョードルは、土間の血だまりの中で虫の息になっているキートと、彼を抱きかかえるマタイに駆け寄った。右足首の上が皮の紐で縛られ、その下にあるはずのものが無い。血は辛うじて止まっているが、マタイがさすっている顔の皮膚は土気色に変わり始めている。
「アニタと子供たちはどこだ!」
ヒョードルが奥の部屋に向かおうとした時だった。キートがヒョードルの足首をつかんだ。
「行ってはいけない――」
キートが虚ろな目で、顔を横に振った。
キートが話した地獄の一部始終は次のようなものだった。
焼き付けるような太陽が傾き始め、山の麓の畑に風が降りてきた。キートがキャッサバ芋を掘り起こしていた時だった。
迷彩色の軍用トラックが土煙を上げながら村に向かって来るのが見えた。金目のものは何もなく、それに女、子供しかいない集落に大挙して押しかける理由は一つしかない。キートは鍬を放り出し、家の中に駆け込んだ。アニタは夕食の芋をすりつぶしながら、ヒョードルの帰りを待っていた。
「アニタ! 子供らをつれて裏山に逃げるんだ。奴らが襲ってきた」
「え、大変だわ、お母さんも早く!」
アニタは母のマタイを急かした。
「オラ、もう山道は走れね。子供をつれて、はよー行け!」
ふと見ると、子供たちの姿が見えない。キートとアニタは家の周りを探し回った。子供たちは隣の家で遊んでいた。
「おまえたちは、あの丘を越えて逃げろ! 俺はマタイを連れてくる」
「お父さん、その腰では無理だわ。私も行く」
アニタは、二人の子供を諭し、丘の方向に逃がした。
二人が家に戻った時は、すでに武装集団の車が村に入り、兵士が次々と襲いかかっていた。
マタイは怯えた表情で、土間の隅に縮こまっていた。
「お母さん、早く一緒に逃げよう!」
二人は、マタイの体を両脇から支えながら、外に出ようとした時だった。戸口に若い兵士が現れた。隣の家からは女の悲鳴が聞こえてくる。
「おぉ、いたいた。こんないい女がいたとはな――へへへへ」
兵士が、血走った目を光らせ、よだれを拭った。
「こらー、娘に手を出すな!」
キートが家に入り込んだ若い兵士に組み付いた。
「このおいぼれが邪魔すんじゃねぇ!」
「アニタ、早く逃げろ!」
キートは銃の台尻で頭部を打ち降ろされながらも、若い兵士の腰にしがみついている。腰を抜かしたマタイは、部屋の隅ににじり寄り、地獄を見る目でこの様子を見ている。
アニタはキートの顔が血に染まるのを見ながら、包丁を片手に、反撃の機会をうかがっている。
そこに二人目の兵士が現れた。若くはないが、処刑人のような冷酷な目をしている。
冷酷な兵士は、仲間の足にしがみついて土間を転げまわっているキートの右足首を狙い蛮刀を振り下ろした。
アニタは、父の惨たらしい姿を見て、包丁を落とし、土間に崩れ落ちた。
若い兵士が、アニタの髪を鷲づかみにした。
「命だけは助けてやる。大人しくしろ!」
若い兵士が、アニタに銃を突き付けながらベルトを緩めた。
「まてー! こらぁー」
キートは必死にその足にしがみつこうと這い回る。冷酷な兵士に腹を蹴られ、ついに動けなくなった。その時だった。
「おい、そろそろ引き上げるぞ! 男たちが帰ってくるころだ」
立派な髭を生やした、武装集団の隊長らしき男が入ってきた。
マタイは泣きじゃくりながら、足首のない夫の足にボロ布を巻きつけ、噴出す血を必死に止めている。
「隊長、これからってところです。もうちょっと待ってくださいよ」
若い兵士が、にやりと笑った。
「いい女を見つけたな。そいつは俺が先だ」
アニタが絞り出すように、懇願した。
「大人しくするから、父母の前でだけはやめて」
「おまえら、ここで待っていろ。あとからたっぷり楽しませてやる」
隊長が、だらりと放心したアニタを寝室へと引きずって行った。
それからしばらくアニタの悲鳴が続き、最後に断末魔のような叫びが聞こえ、静かになった。微かにカチャカチャというベルトを締める音が漏れてくる。
隊長が、何食わぬ顔で部屋から出てきた。
「おお、引き上げるぞ!」
隊長が、ベルトを緩め始めた部下たちに言った。
「隊長、それじゃ約束が違います――」
「女は舌を噛み切って死んでしまった。ベッドは血の海だ」
部下たちは、顔を曇らせ、チッと舌を鳴らすと、不満の言葉を吐きながら出て行った。
止めを刺すつもりなのか、隊長が戻って来た。無言でキートに近づいてくる。
キートは最後の力を振り絞り、一緒に死のうと、包丁を握り、マタイのそばに這って行った。だが、信じられないことが起こった。隊長が、編み上げの戦闘靴から皮紐を引き抜き、血が滲むぼろ布の上からきつく巻いた。止血してくれたのだ。
隊長が、低く言葉を残した。
「近いうちに、別な武装グループが襲って来る。他国の傭兵部隊だ。今度は皆殺しになるだろう。もう鉱山はあきらめろ。原野に逃れ、パイソンハンターにでもなった方がまだ生きる道はある」
キートが、この世の終わりという表情で話し終えた。
ヒョードルは、拳を握り締め、嗚咽を堪えた。ふと、話の展開に、一つだけ解せないことがあった。アニタが舌を噛み切るほどの蛮行を働いた人間が、なぜキートの命を助けてくれたのだろう――。
ヒョードルの脳裏に、何かが閃いた。
「アニタ―!」
ヒョードルは叫びながら、寝室のドアを開けた。
アニタが部屋の隅で毛布に包まっていた。泣きながらヒョードルに抱き着いてきた。
アニタが語った天国と地獄のからくりは次のようなことだった。
隊長に引きずられ寝室に入った。
アニタは覚悟を決めた。だが、信じられない展開が待っていた。
隊長は、ベルトを緩める音だけを出し、部屋の隅の丸椅子に掛けている。アニタをじっと見つめ、声を押し殺した。
「いいか、悲鳴だけを上げていればいい」
アニタは一瞬、何を言われているのか理解ができなかった。
「俺はあんたに何もするつもりはない。ただ、それでは部下たちに示しがつかない。悲鳴を上げさえすれば、全ては終わる」
アニタは言われたとおりに、悲鳴を上げ続けた。
「最後にひと際大きく叫ぶのだ。おまえは俺に襲われ、下を噛み切り自害したのだ」
アニタは言われたように渾身の力を込めた。
「それでいい。しばらくここに潜んでいろ」
「なぜ、助けてくれたの?」
アニタは震える声で、隊長の背中に声をかけた。
「俺の娘は政府軍の兵士たちに襲われ、手足を切断された上にトウモロコシ畑に無残に捨てられていた」
隊長は、自分の娘を見るような目でアニタを見ると、部屋を出て行った。
アニタが、今でも信じられないという表情で話し終えた。
「どこの世界にも、千人に一人ぐらいはまともな人間もいるさ……」
やっと正気を取り戻したマタイが、キートの顔にこびりついた血を拭いながらつぶやいた。
武装集団は去って行った。あたりが暗くなり始めた。たった一つ、子供たちが地獄の光景を見なかったのは不幸中の幸いだった。
この襲撃は、政府軍の管理下にあるコルタン鉱山で働く人々の村を標的にしたもので、労働者コミュニティが破壊された鉱山はほどなくして閉鎖された。
その日は特に暑く、疲れで腰痛が悪化してきたキートは休むことになった。ヒョードルは、アニタの笑顔に送り出され、鉱山へと向かった。
まるで四方八方からがけ崩れが起こったようなコルタン採掘現場では、屈強な作業員にまじり、多くの子供たちが働いていた。子供たちは皆小さな背を丸め、泥に含まれる鉱石を川の水で洗浄し、わずかな鉱石を洗い出す。
終業の時間まで、まだ一時間が残っていた時だった。
「家族に女子供がいる作業者は、すぐ帰宅せよ!」
自動小銃の銃口を大地に落とした監督が、いつになく緊張した声を張り上げた。
何か悪い情報が入ったに違いない。胸騒ぎが襲ってきた。
足裏に血が滲むほど走り、村に着いたヒョードルは、変わり果てた様子に目を見張った。他の男たちも呆然と立ち尽くしている。
戸口や窓から、逃げ遅れたと見られる女たちの血に染まった手や足がのぞいている。ヒョードルはもしやと、我が家へと走った。
「みんなだいじょうぶか? キート、どうした! その足は」
転がるように家に飛び込んだヒョードルは、土間の血だまりの中で虫の息になっているキートと、彼を抱きかかえるマタイに駆け寄った。右足首の上が皮の紐で縛られ、その下にあるはずのものが無い。血は辛うじて止まっているが、マタイがさすっている顔の皮膚は土気色に変わり始めている。
「アニタと子供たちはどこだ!」
ヒョードルが奥の部屋に向かおうとした時だった。キートがヒョードルの足首をつかんだ。
「行ってはいけない――」
キートが虚ろな目で、顔を横に振った。
キートが話した地獄の一部始終は次のようなものだった。
焼き付けるような太陽が傾き始め、山の麓の畑に風が降りてきた。キートがキャッサバ芋を掘り起こしていた時だった。
迷彩色の軍用トラックが土煙を上げながら村に向かって来るのが見えた。金目のものは何もなく、それに女、子供しかいない集落に大挙して押しかける理由は一つしかない。キートは鍬を放り出し、家の中に駆け込んだ。アニタは夕食の芋をすりつぶしながら、ヒョードルの帰りを待っていた。
「アニタ! 子供らをつれて裏山に逃げるんだ。奴らが襲ってきた」
「え、大変だわ、お母さんも早く!」
アニタは母のマタイを急かした。
「オラ、もう山道は走れね。子供をつれて、はよー行け!」
ふと見ると、子供たちの姿が見えない。キートとアニタは家の周りを探し回った。子供たちは隣の家で遊んでいた。
「おまえたちは、あの丘を越えて逃げろ! 俺はマタイを連れてくる」
「お父さん、その腰では無理だわ。私も行く」
アニタは、二人の子供を諭し、丘の方向に逃がした。
二人が家に戻った時は、すでに武装集団の車が村に入り、兵士が次々と襲いかかっていた。
マタイは怯えた表情で、土間の隅に縮こまっていた。
「お母さん、早く一緒に逃げよう!」
二人は、マタイの体を両脇から支えながら、外に出ようとした時だった。戸口に若い兵士が現れた。隣の家からは女の悲鳴が聞こえてくる。
「おぉ、いたいた。こんないい女がいたとはな――へへへへ」
兵士が、血走った目を光らせ、よだれを拭った。
「こらー、娘に手を出すな!」
キートが家に入り込んだ若い兵士に組み付いた。
「このおいぼれが邪魔すんじゃねぇ!」
「アニタ、早く逃げろ!」
キートは銃の台尻で頭部を打ち降ろされながらも、若い兵士の腰にしがみついている。腰を抜かしたマタイは、部屋の隅ににじり寄り、地獄を見る目でこの様子を見ている。
アニタはキートの顔が血に染まるのを見ながら、包丁を片手に、反撃の機会をうかがっている。
そこに二人目の兵士が現れた。若くはないが、処刑人のような冷酷な目をしている。
冷酷な兵士は、仲間の足にしがみついて土間を転げまわっているキートの右足首を狙い蛮刀を振り下ろした。
アニタは、父の惨たらしい姿を見て、包丁を落とし、土間に崩れ落ちた。
若い兵士が、アニタの髪を鷲づかみにした。
「命だけは助けてやる。大人しくしろ!」
若い兵士が、アニタに銃を突き付けながらベルトを緩めた。
「まてー! こらぁー」
キートは必死にその足にしがみつこうと這い回る。冷酷な兵士に腹を蹴られ、ついに動けなくなった。その時だった。
「おい、そろそろ引き上げるぞ! 男たちが帰ってくるころだ」
立派な髭を生やした、武装集団の隊長らしき男が入ってきた。
マタイは泣きじゃくりながら、足首のない夫の足にボロ布を巻きつけ、噴出す血を必死に止めている。
「隊長、これからってところです。もうちょっと待ってくださいよ」
若い兵士が、にやりと笑った。
「いい女を見つけたな。そいつは俺が先だ」
アニタが絞り出すように、懇願した。
「大人しくするから、父母の前でだけはやめて」
「おまえら、ここで待っていろ。あとからたっぷり楽しませてやる」
隊長が、だらりと放心したアニタを寝室へと引きずって行った。
それからしばらくアニタの悲鳴が続き、最後に断末魔のような叫びが聞こえ、静かになった。微かにカチャカチャというベルトを締める音が漏れてくる。
隊長が、何食わぬ顔で部屋から出てきた。
「おお、引き上げるぞ!」
隊長が、ベルトを緩め始めた部下たちに言った。
「隊長、それじゃ約束が違います――」
「女は舌を噛み切って死んでしまった。ベッドは血の海だ」
部下たちは、顔を曇らせ、チッと舌を鳴らすと、不満の言葉を吐きながら出て行った。
止めを刺すつもりなのか、隊長が戻って来た。無言でキートに近づいてくる。
キートは最後の力を振り絞り、一緒に死のうと、包丁を握り、マタイのそばに這って行った。だが、信じられないことが起こった。隊長が、編み上げの戦闘靴から皮紐を引き抜き、血が滲むぼろ布の上からきつく巻いた。止血してくれたのだ。
隊長が、低く言葉を残した。
「近いうちに、別な武装グループが襲って来る。他国の傭兵部隊だ。今度は皆殺しになるだろう。もう鉱山はあきらめろ。原野に逃れ、パイソンハンターにでもなった方がまだ生きる道はある」
キートが、この世の終わりという表情で話し終えた。
ヒョードルは、拳を握り締め、嗚咽を堪えた。ふと、話の展開に、一つだけ解せないことがあった。アニタが舌を噛み切るほどの蛮行を働いた人間が、なぜキートの命を助けてくれたのだろう――。
ヒョードルの脳裏に、何かが閃いた。
「アニタ―!」
ヒョードルは叫びながら、寝室のドアを開けた。
アニタが部屋の隅で毛布に包まっていた。泣きながらヒョードルに抱き着いてきた。
アニタが語った天国と地獄のからくりは次のようなことだった。
隊長に引きずられ寝室に入った。
アニタは覚悟を決めた。だが、信じられない展開が待っていた。
隊長は、ベルトを緩める音だけを出し、部屋の隅の丸椅子に掛けている。アニタをじっと見つめ、声を押し殺した。
「いいか、悲鳴だけを上げていればいい」
アニタは一瞬、何を言われているのか理解ができなかった。
「俺はあんたに何もするつもりはない。ただ、それでは部下たちに示しがつかない。悲鳴を上げさえすれば、全ては終わる」
アニタは言われたとおりに、悲鳴を上げ続けた。
「最後にひと際大きく叫ぶのだ。おまえは俺に襲われ、下を噛み切り自害したのだ」
アニタは言われたように渾身の力を込めた。
「それでいい。しばらくここに潜んでいろ」
「なぜ、助けてくれたの?」
アニタは震える声で、隊長の背中に声をかけた。
「俺の娘は政府軍の兵士たちに襲われ、手足を切断された上にトウモロコシ畑に無残に捨てられていた」
隊長は、自分の娘を見るような目でアニタを見ると、部屋を出て行った。
アニタが、今でも信じられないという表情で話し終えた。
「どこの世界にも、千人に一人ぐらいはまともな人間もいるさ……」
やっと正気を取り戻したマタイが、キートの顔にこびりついた血を拭いながらつぶやいた。
武装集団は去って行った。あたりが暗くなり始めた。たった一つ、子供たちが地獄の光景を見なかったのは不幸中の幸いだった。
この襲撃は、政府軍の管理下にあるコルタン鉱山で働く人々の村を標的にしたもので、労働者コミュニティが破壊された鉱山はほどなくして閉鎖された。