第6話 ハッピーさんの秘密

文字数 2,973文字

 私は、ちょうど1年前に会社を60歳で定年退職した。再雇用という選択肢もあったが、持病の症状がジワジワ悪化するなか、これ以上フルタイムで勤務する気力も体力もなかった。私の退職を見越して、5歳年下の妻は保育士の資格を取り、フルタイムで勤務するようになり、私は家事のいくつかを分担することになった。妻が機嫌よく生き生きと働きに出るのと反対に、ほぼ終日家に居る私は、病のせいもあり鬱々とした気分であることが多かった。特に、病気のせいで寝付いても2時間に1回目覚めてしまうので、冷え冷えする夜中の3時頃に目が覚めると、何とも言えない寂寥感に襲われる。そんな時は、台所で菓子類をあさり食べるという悪習慣がつき、肥満・虫歯という悩みをさらに増やしてしまった。

 コロナ禍の合間をぬって、久しぶりに趣味のサークルで知り合った男性3人で飲み会をすることになった。他のメンバーは、私より5歳年上の渡辺さんと、30歳代後半の井上君で、駅ビル屋上のオープンスペースにて、まずはビールで乾杯した。

 渡辺さんはいつもニコニコと幸せそうなので、『ハッピーさん』というニックネームが付いている。初対面の人でも距離を縮めるのが上手で、女性にも気軽に声を掛けて共通の話題を見つけて盛り上がり、直ぐ仲良くなるのがハッピーさんの得意技である。
 過去には、ここだけの話、何人かの魅力的な女性と浮気をしていたがいつも決してバレずに、ある期間楽しんで円満にお別れしていた。仕事も比較的楽な部署のマネージャーとなり、うまく立ち回りやっかいな立場になることもなく定年を迎え、現在は再雇用で気楽に働いている。温和な奥様との仲も良好で、2人の息子さんも立派に独立されて、孫もいる。この状況は、誰が見てもハッピーだ。

 この3人で飲むと、決まって井上君が死んだ魚のような目で、ハッピーさんの幸せをねたむのが常であった。

「ハッピーさんは、勝ち組ですね。僕なんか、大負けですよ。僕の話を聞いてください」

 この時、ハッピーさんの眼光が一瞬鋭く見えたのは、気のせいだったのであろうか。 
 確かに井上君の話は哀しいものだった。8年前に大恋愛して結婚した奥さんの愛情が、授かった男の子に100%移動してしまった。その結果、あれほど自慢していた、2人での濃厚な愛の行為を一切拒絶されてしまう。その行為を人生最大の価値としていた彼の落胆は激しく、愛はすっかり憎悪に変わり、もはや同じ部屋の空気を吸うのもいやになり、息子が成人したら即離婚すると嘆いた。

「井上君、そう落ち込むなよ。そのうちいいことあるよ」

 ハッピーさんの表情は、さらに笑顔になった。それから、今度は私の番と、病気で苦しんでいる事、夫婦仲が悪い事などをぶちまけた。

「それは辛いね。でも、新薬が出るかもしれないし、あまり悲観しないほうがいいよ」

 ハッピーさんの表情は、さらに、さらに笑顔になった。その後も、井上君と私は、自分がいかに辛いか、苦しいかを競うように話しているうちに、閉店の時間となった。

「ここは、俺が払っておくよ。()()()()()()

「ハッピーさん、気前イイ!ごちになります」

 私は、せめて自分の分はと、紙幣を出したが、ハッピーさんは決してうけとらなかった。

「いつもすいません。では、次回は私が払います」

 私は、なにか違和感を感じながら帰宅したが、入浴中にそれがなにか判った。ハッピーさんは、自分が奢ったのにもかかわらず、『ごちそうさま』と言ったのだ。

 しばらくして、ハッピーさんが、子供のいない叔母さんの急死により、少なくない遺産金を受け取ったという噂を耳にした。

◇◇◇◇◇

 ある日、ショッピングモールでハッピーさんと偶然出くわした。帰ろうとするハッピーさんを半ば強引に喫茶コーナーに引っ張り、自分の中にあるモヤモヤを、ぶつけてみた。すると、いつもの笑顔が消えて答えが返ってきた。

「実は、人様の不幸話の相談に乗ると、その直後に何故だか自分に幸運が訪れるんだ」

「貴方は、人の不幸を食べて、幸せになっているんですね」

「そういうことになるかな」

「あれから私はさらに病気が増え、井上君は奥さんの浮気が発覚し、さらに不幸になっています」

「そう。俺が、君たちの不幸を食べて、自分だけ幸せになり、君たちはさらに不幸になったんだ」


「……」


「なんちゃって。そんなわけあるもんか。噂をすれば、井上君からまた3人で飲みましょうとメールがきたよ」

 ハッピーさんはいつもの笑顔に戻った。私は、井上君の誘いをどう断ろうかと考えていた。


◇◇◇◇◇

 3ケ月後、ハッピーさんが事故で入院したとの知らせが届いた。そこで退院して自宅療養になったタイミングで、花束を持って、ハッピーさんのご自宅へ見舞いに行った。すると、自室のベッドに横たわるハッピーさんの憔悴しきった表情に驚かされた。駅の階段で足を踏み外し転倒して下まで転げ落ち、両足と右腕骨折の重傷を負ったとのこと。不幸中の幸いで、頭部は無傷だが、日常生活ができるようになるまで、3ケ月以上かかるらしい。

「お気の毒です。でも、まさかハッピーさんと呼ばれる、渡辺さんがこんな不運に見舞われるなんて、これまでの幸運を全部吐き出したようですね。いや、これは失礼なことを言いました」

 ハッピーさんは、奥様が買い物に出かけたことを確認して、それでも小さな声で話した。その内容とは、にわかには信じがたいものである。

 我々には、各自守護霊がついていて、その行動を助けている。守護霊には組織があり、大きくは全世界につながっている。その主な目的はボランティア活動である。自然災害や、戦火で不運に見舞われた人々の守護霊を助けようというのだ。その活動に賛同した守護霊は、自分の力のいくらかを、地域のとりまとめ役の守護霊に寄付する。ハッピーさんの守護霊は、地域のとりまとめ役の為、担当エリアで寄付された力をいったん預かることになる。そのため、ハッピーさんは幸運に恵まれていた。
 そして、ついに目標の力に達したので、さらに上位の人に幸運を放出することになった。ところが、放出時の加減が難しく、多少過剰に放出した為、今回の事故につながった。こうして、寄付された力は、戦火の被害を受けた人々の守護霊に分け与えられるらしいが、ここまで戦火が広がると、せっかくの守護霊達の寄付も、焼け石に水だそうだ。

「ということなんだ。守護霊同士での寄付だったけど、これまで協力してくれてありがとう。今回の放出でうちの守護霊はとりまとめ役を、お役御免になったから、俺に近づいても、いままでのように守護霊の力の寄付を受け付けることはないよ」

「ハッピーさんは、どうして今言われたことを知っているんですか? ご自身の守護霊とお話ができるとか?」

 私の質問に、しばらく沈黙したハッピーさんは、苦しそうに笑顔を作りこういった。

「なんちゃって。そんなことあるもんか」

 それきり、この件についてハッピーさんが語ることはなかった。

 私は、釈然としない気持ちで、帰路についた。最寄りの駅前で、ボランティアの高校生達が声を合わせて募金を呼び掛けている。私は、いつもは素通りするところを、今日ばかりは足を止めて募金した。

「ご協力、ありがとうございました」

 高校生の爽やかな声が花冷えする空気に響いた。



おしまい。
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