第7話 ベーシックインカムの甘い罠 社会保障制度を破壊した男

文字数 3,344文字

日本の社会保障制度をぶっ壊す!

この政策を実現すべく政治家を志してから30年。私は、内閣総理大臣にのぼりつめ、さらに国民投票による憲法改正まで行い、この改革、いや革命を成し遂げようとしている。

『子づくりから墓場まで』

ベーシックインカムの導入
医療費の無償化
介護費の無償化
教育費の無償化 (保育園から、博士課程まで)
子育て費用の無償化
不妊治療費の無償化

生活保護制度の廃止
年金制度の廃止
健康保険制度の廃止
介護保険制度の廃止

この甘い政策に、当然野党は食いついた。財源はどこだと。
私は、ここでとっておきの政策のカードを切った。

『個人の財産の相続・贈与は一切認めない。築いた富を使えるのは、本人と配偶者のみ。死亡したら、全額国庫へ』

これには、世論が真っ二つになる争いになった。
しかし、令和元年の頃と違い、貧富の差が年々激しくなり、たった5%の富裕層が、国民全資産の90%を所有するという調査結果が公になると、貧困層からいわゆる中流階級までが賛成に回って立法化された。

どうしてこのような政策実現の為に、そんなに頑張ったのか?
それは、私の幼少期の凄惨な体験からだ。
私の両親はいい人間ではあったが、あまりにも無知だった。
今から30年前、全世界はコロナ禍に巻き込まれた。それまで、貧しくとも、つつましい幸せをはぐぐんでいた私たちの家庭も、一気に飲み込まれた。
正社員でなかった両親は、まず職を失った。少ない貯えはすぐ底をつき、援助してくれる親戚縁者もおらず、父がどこからか拾ってくる消費期限切れ食品で、なんとか食いつないでいた。
もちろん、ガス、水道、電気は止められた。家賃も滞納し、来週立ち退くようにドアに張り紙が貼られた。
そして、こんな時に限って更なる不幸が襲う。家族3人ともに、コロナを発病したのだ。栄養失調の我々がコロナに勝てる訳がない。
電気を止められ、寒い中高熱を発した親子は身を寄せ合って病と闘った。しかし、3日目、母が冷たくなった。そして、翌日 父も冷たくなった。
何故か幼児の私1人が助かり、家を出て初めて出会った大人に、両親の死を告げた。
当時はコロナ禍の悲劇として、マスコミが大々的に報道した。後年、その映像を見る機会があった。

「このご家庭は、コロナで所得がなくなった世帯への支援金や、生活保護制度を何故使わなかったのでしょうか?地域のセイフティーネットが機能しなかったのが、問題ですね」

コメンテーターがしたり顔で言うのには、へどが出た。両親は、ただただ知らなかっただけなのだ。

私は、その後養護施設に入り、小学校入学の時期に、ある資産家の養子になった。そこからは、なりふり構わず、政治家を目指した。ロマンス? 大学時代に同じ政治塾で知り合った女性と、一時期付き合ったが、卒業後に結婚を望む彼女を足手まといと感じて、別れたよ。その後、故郷に帰って子供も出来て幸せに暮らしていると風の便りで知った。その後、養父が亡くなり、莫大な遺産を相続した私は、その金を使って政治家としての地位を着実に築き上げていった。

「今日は、どうもしゃべり過ぎたようだ。記者さん、いままでの話はオフレコだからね」

私は、ある政治家のパーティーに呼ばれていた。ワインをたくさん飲んでしまい、その勢いで若い女性の政治記者を捕まえて、身の上話を語っていたのだった。

「もちろんですとも総理、貴重なお話、ありがとうございます」

私は、黒髪に眼鏡を掛けたその記者は、礼儀正しくてお気に入りだったのだ。

「それでは、ここで総理にご挨拶をいただきます」

司会のアナウンスに促されて、私は壇上に登った。その時、急に頭が割れるように痛くなり、その場で転倒し意識を失ったのだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ずいぶん長い間眠っていたようだ。気が付くと、私は病院の一室にいた。

白衣を着た女性が、私の名前を呼んでいる。何故か、涙ぐんでいた。

「よかった。意識が戻って」

「うううう」

私は、言葉を発することが出来ない。
白衣のその女性は、介護士で私の面倒を見てくれていたのであった。
私は、ちょうど5年間眠っていたらしい。後遺症で、言葉がしゃべれないので、介護士の彼女と筆談した。まず最初に一番気になることを聞いた。

『私の改革の結果は? 世の中はどうなった?』

「それって、社会保障制度の事ですか?」

彼女の確認に、私は頷いた。彼女は、一瞬表情が固くなったが、意を決したように話し出した。
その内容は次のようなものだった。

改革1年目は、移行期間ということもあり、社会は大混乱となった。しかし、それも収束すると2年目からプラス部分の成果が顕著となった。まず、公務員の人員が半減となった。次に、貧困による自殺者が無くなり、ホームレスの姿も消えた。彼らは、ベーシックインカムにより、廃校を活用した共同住宅に住み、生活費を支給され安心して暮らすことができた。この共同住宅の運営は余剰となった公務員によって行われた。また、待機児童はゼロになり、出生率はここ数十年では初めて、対前年を上回った。大学への進学率も、過去最高値を越えた。
ここまでは、目論見通りに事が運んだ。
しかし、財源とした相続財産の全額国庫入りは、改革3年目に入っても目標金額の半額にも満たなかった。まず、多くの富裕層が海外へ移住していった。国内に残った人々も、あの手この手で、富を生前に我が子に引き継げるよう、制度の盲点を突いてきた。こうして徴収したい国とそうされたくない国民との泥仕合が開始された。一方、ベーシックインカムを宣言して、就労しない人が年々増えてきた。かくして。改革4年目に我が国は、債務超過国として国際的な信用レベルが3段階引き下げられ、円は暴落し、GDPはシュリンクしていった。また、遺産相続の禁止は、親子関係を分断されるケースを生み出した。親の介護を放棄するケースが急増した。私は、これが一番こたえた。
改革5年目の現在、先に行われた総選挙で政権交代となり、改革は根本から見直しされることとなった。
私があのまま総理大臣を続けていたら、こういう事態にはさせなかっただろうに。悔しい。
私をさらにどん底まで突き落とす事実があった。
介護士の彼女に、現在の大部屋から個室に移動するようにお願いしたが、彼女はいいにくそうに告げた。

「あなたの収入は、ベーシックインカムのみですので、個室に移ることはできません」

私は、耳を疑った。そういえば、目覚めてから1週間も経過するのに、誰1人面会にも来ない。
信頼できるただ1人の友人が語ったところによると、私が倒れ、もう目覚めることはないと告げられると、私と金による繋がりしかなかった、公設秘書等のとりまきは、ハイエナのように私の財産を食い荒らし、去っていったのだ。
所持金ゼロになった私は、皮肉なことに、自分が作った制度で生かされているのだった。

政権交代した新政府は、ベーシックインカムの見直しを宣言した。
ベーシックインカムを宣言した人で、体が動く人は、強制的に労働させられるというもの。
私はしゃべれないが体が動くので、毎日5時間単純作業をさせられることになった。そして、その様子が、週刊誌にスクープとして掲載された。

『社会保障制度を破壊した張本人の末路』

梅雨空の夜。私は、共同住宅の屋上に居た。星が全く見えないのと同じように、私は生きる希望が見えない。安全柵を乗り越えた。すると、幼児だったころに見た、両親の死んだときの顔がフラッシュバックした。おとうさん。おかあさん。今行くよ。
その時、女性が大声で叫んだ。

「お父さん。ダメよ。そんな事!」

私は、我が耳を疑った。彼女は面倒を見てくれていた、介護士さんなのだが、何故私の事をお父さんと呼ぶのか。すると、またフラッシュバックが。大学時代に付き合っていた、彼女とよく似ているのだ。そして、倒れる前に話していた、記者が彼女であることも。

「お父さんには、まだやる事があるわ」

私は、身振りで話せないというと。

「ペンがあるじゃない。それに私が、代弁してあげるから」

ずぶ濡れになった彼女の心からの言葉に、私の中の眠っていたものが覚醒したようだ。
こうして、改革の第2章の幕が上がった。主役はもちろん、我が娘だ。


おしまい
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