第9話 リコールの女 VS 全数検査の男

文字数 5,956文字

 その男は工場の社員食堂で、6人掛けのテーブルにたった1人座り定食を食べていた。中肉中背で30代後半の目立たない存在だ。混雑して他の席が埋まってしまい、その男のテーブルに座ろうとする人もいるが、その男だとわかると、顔をひきつらせて逃げて行く。そんな中、1人のガタイの良い中年男性が、その男の横に座り親しげに肩をたたく。

「品質保証課長、午後の品質監査はお手柔らかに頼みますよ」

 それに対して、その男は、まったく表情を変えずに答えた。

「製造部長、こちらこそよろしくお願いします」

 他の工場から異動したばかりの製造部長は、今の挨拶が品質監査での指摘件数には、むしろ悪影響が出ると知ることになる。
 その男、高瀬忠司は10年前の入社当初、本社の新商品開発チームに配属されたが、その妥協を許さない仕事のやり方が、チーム内ですぐに問題視された。品質に対してのこだわりが周囲のメンバーからすると異常で、しかし指摘自体は正論なので無視することもできず、高瀬の指摘をクリアするために、開発スケジュールの延期が度々発生し大問題となった。開発チームリーダーが心の病になるに至って、高瀬は早くも2年目で工場の品質保証課に異動となる。
 ここで、高瀬はその才能を開花させた。その成果は驚くべきものである。

 購入部品の検査記録の改竄を発見。
 新商品の生産可否の審査で、耐久性確認試験の時間の不足を発見。
 製造課での検査機器が、ある時期から狂いが生じていることを発見。

 これらについては、そのまま放置されれば、品質不良からユーザーでの事故につながりかねない内容である。高瀬の実績は経営陣にも大きく評価され、異例のスピードで課長に昇進する。しかし一方で一切の妥協を許さない姿勢には、製造課・設計課のメンバーからは、忌み嫌われる存在になっていった。例えば、ある夜勤生産にて、抜き取り検査の寸法記録を手書きで記入する欄に、『100』と数字を記入するのを、勢い余って、『106』と見えるように記入されていた。これに対して高瀬は、夜勤生産分の全数寸法検査を命じる。製造課では全ラインを停止して課員総出でまる1日かけて検査したが、問題はなかった。その報告を製造課の若手スタッフから受けた高瀬は表情を変えず、

「そうですか」

の1言だけ返した。その冷徹な態度に、ブチ切れた若手スタッフは、

「てめぇ、他に言うことはないのかよ!」

と高瀬の胸倉をつかみ殴ろうとするところを、周囲の社員に制止された。
 高瀬は、このように一見すると嫌がらせとしか思えないことを、プランを立てて行い、工場内の品質に対しての緊張感を保っているのである。何故そこまでやるのか?その理由は20年前に発生した、この会社の1つの家電製品による火災にあった。

◇◇◇◇◇

 この火災で高瀬は、同居していた両親と祖父母と妹を失い、天涯孤独の身となった。火災の責任は裁判で争われたが、20年以上の使用期間に、取扱説明書に明記された定期清掃をユーザーが実施しなかったことから、会社側の勝訴となり、被害者へは雀の涙程度の見舞金で幕引きとなった。
 当時高校生であった高瀬は、母方の叔父夫婦の養子となる。その後、技術系の大学に進み、また町工場でのアルバイトで、ものづくりを経験した。そして苦労して入手した事故発生製品と同機種を分解し、1つ1つの部品を検証し、遂に発火事故の真の原因をつきとめた。ある部品の設置間隔が狭く、20年程度の使用によるゴミの固着で動かなくなり、発火事故を引き起こしたのだ。そのゴミの固着の程度は、設置条件・使用条件によって大きく左右されると推測されるが、ユーザーが清掃できる部位ではない。
 高瀬はこの事実を社長に直訴すべく会社を訪問した。アポなしの為、4日間は受付で門前払いである。5日目で技術者あがりの社長は、とりまきの意見を制し、高瀬と1対1で面談する。高瀬の説明を真摯に最後まで聞いた社長は、こう発言した。

「あの痛ましい発火事故の原因の仮説としては、わが社の技術陣が裁判で提示したものより、可能性が高いかもしれません。よくぞ、ここまでたどり着きましたね。それで高瀬さんは、本件をどうしたいのですか?裁判の再審請求ですか?この仮説を実証するのは難しいでしょう」

「いいえ。社長がおっしゃるような事は、望んでいません。ただ、この私が導き出した真の原因を御社の設計や品質保証の方々に知っていただいて、あのような事故が再び起きないようにしてほしいんです」

 高瀬は熱い気持ちを込めて社長に訴えた。

「高瀬さんは来春卒業ですね。我が社に来てくれませんか?」

思ってもみなかった社長の提案に驚いた高瀬は、少しの間考え、返答した。

「よろしくお願いします」

 高瀬が社長室を出て行ったあと、社長はすぐ人事部長を呼びつけた。

「彼を来春採用の技術者に入れてくれ」

「ですが社長、この方の大学は、我が社の新卒採用としてはレベルが低く…」

「いいから採用するんだ!すぐ内定書を出せ!」

 高瀬に対しての柔らかい物言いを豹変させて、人事部長をどなりつけた。

(再審請求されなくても、マスコミにリークされたらやっかいだ。あの製品を設計したのが、現社長だと知れたらたまったもんじゃない。あいつの目的は就活だったんだな。したたかな奴め!)

 社長は、受け取った高瀬の報告書を忌々し気に破り捨てた。

◇◇◇◇◇

 それは突然であった。高瀬が品質保証課長として勤務する工場に、国土産業省から10人の集団が訪れ、工場長に対して、品質監査を抜き打ちで行うと一方的に宣告した。しかも、渡された名刺から監査のリーダーを務めるのが、業界では「リコールの女王」と呼ばれる、川口愛子であると知った工場長は震え上がった。彼女が監査した会社の工場からは、なんらかの品質不具合が発覚し、消費者の生命を危うくする可能性がある場合は、即時販売停止、過去に販売した製品の無償交換、修理をすることになり、企業の損失は計り知れない。過去に彼女が監査した会社のほとんどで、応対した責任者が、退職に追い込まれるか更迭されていた。

「高瀬を呼べ!」

 工場長は、真っ青な顔をして、総務部長に命じた。

 緊急的に監査室となった会議室に、高瀬は押っ取り刀ならぬ、品質保証規則集をたずさえ、係長を従えてやってきた。

「品質保証課、高瀬です」

「国土産業省監査室、川口です」

 名刺交換時に2人の視線は、5秒間からみあった。そして2人共笑顔になって握手する。これを見た他の監察官たちはビックリ仰天した。何しろ、上司である愛子の笑顔を初めて見たのだから。
 愛子は、高瀬が差し出した品質保証規則集を、パラパラとめくり頷いた。

「高瀬さん、細かい監査は皆さんに御願いすることにして、2人で話しませんか」

「私も、そのようにご提案しようと思っていたんですよ」

 2人は、工場の応接室に場所を移す。

「どうやら私達、同じ能力をもっているみたいですね。私は監査を始めると、問題がある部分に黒い影のようなものが見えるんですよ」

「本当ですか? 私もです」

「今日、私が御社工場にお伺いした本当の目的は、監査ではありません」

「といいますと?」

「高瀬さんをヘッドハンティングするためです。それには重大な理由が……」

 デジタル省の旗振りで、霞が関の業務のAI化が推進されているが、その中に愛子の監査業務も含まれ、密かにプロトタイプが完成している。これに対して愛子達は猛反発し、それではある期間は、人による監査とAIによる監査を並行運用し、どちらが優れているかその結果を見ようということになった。そこで愛子は、自分と同じ特殊能力があるとリサーチした高瀬を、自分達の監査チームに入れようと動いたのである。

「それに高瀬さん、私たちは初対面ではないんですよ」

「覚えていますとも。あの製品事故の裁判の原告団でご一緒しましたね」

 敗訴の判決を受けた後、セーラー服姿の愛子が降りしきる雨の中、裁判所の前で泣きながら立ち尽くしていた姿は、高瀬の目に焼き付いている。と同時に、あの時愛子に声をかけることが出来なかった事を、ずっと後悔していたのだ。透き通るような白い肌に、抱きしめたら折れてしまいそうな細い肢体。三つ編みの黒髪に、黒縁眼鏡。高瀬には眩しすぎる存在であった。
 20年の時を経て再び現れた愛子は、昔の面影が多く残されている。異なるのは、凛々しいスーツ姿と、ショートカットされた黒髪と、そして何よりその美しい瞳に宿る揺るぎない自信に、高瀬はややたじろいだが、今度こそ彼女の為であれば、どんなことでもやろうと決意する。

◇◇◇◇◇

 高瀬は国土産業省に出向という形で、愛子の監査チームに合流した。そして、人間とAIの監査対決が密かにスタートした。愛子率いる人間チームは、高瀬も入れて10人。対するAIチームは、AIに現場の情報を提供する1人だけである。もちろん被監査会社には秘密裏に行われた。
 10社対象の10回戦で行われ、序盤3戦は人間チームの圧勝であった。文字や数字をデータとして判断するAIには、検査データの改竄や、報告書の偽造といった人が意図的に、巧妙に行った不正を見抜けなかった。
 その点、人間チームには、それを提示するときの応対者の表情や、ファイリングの仕方などから、それらを嗅ぎつける嗅覚があるのだ。そして、愛子と高瀬の例の特殊能力も。

 人間チームは、祝勝会に繰り出した。
 愛子は普段はあまり飲まない酒に、たちまち酔いが回ってしまい、テーブルに突っ伏して寝てしまう。

「リーダーは、僕が部屋にお連れします」

高瀬の申し出に、古参メンバーは相好を崩して言った。

「気が利くな新入り!俺たちは鬼リーダーのいないうちに、飲みなおそうぜ~」

 高瀬は、愛子をベッドに横たえ、布団を掛けて立ち去ろうとした。その時、手首を握られた。

「高瀬さん、いかないで」

 愛子は、布団で顔を隠しながら、しかしはっきりと言った。

「……」

 突然のことに、高瀬の頭の中は真っ白になった。


 ◇◇◇◇◇


 第4戦目より潮目が完全に変わった。あれほどチームを鼓舞して引っ張っていた愛子に、すっかり覇気がなくなってしまったのだ。同時に、いままでいい関係に見えた高瀬とも、明らかにお互いを避けるようになった。そして致命的な事に、愛子と高瀬の特殊能力が発揮されなくなってしまったのだ。
 一方、AIは、人間チームの手法を学習した。監査時の被監査対象の表情や、手書き文書の解析も可能となった。
 AIの5勝3敗で迎えた第9戦目でAIが勝利し、決着がついた。
 人間監査チームは、月末で解散となり、愛子は休職届を提出し引継ぎもせず、行方をくらました。

『リコールの女王、AIに敗れる』

 この情報は、政府関係者や業界に衝撃を与えた。各省庁、各企業での監査業務のAI化が一気に加速する。
 高瀬は、元の会社に戻ったが、品質保証課課長の席はなく、はやくもAIが監査を行っていた。高瀬には、そのAIに情報を提供するだけの単純な仕事しかなかった。

 ◇◇◇◇◇

 高瀬の会社の社長と、デジタル省の大臣が高級料亭で談笑している。

「監査業務のAI化がこれほど順調に進んだのは、社長のご協力のおかげです」

「まさか、わが社の高瀬を、リコールの女王の生贄にすることが、AIの作戦だったとは、びっくりです。あの2人が、『スキモノ』で、あっちの相性もばっちりだったとは。子供も生まれて、幸せのようですが、高瀬がどんどん瘦せ細っているのが気がかりでして……」

 その時、大臣のスマホがメッセージ音を発した。

「噂をすれば、AIからのメッセージです。高瀬氏に、『まむしドリンク』を1年分贈るようにとのことなので、直ぐに秘書に手配させます」

「そこまでご配慮いただき、ありがとうございます」

 ◇◇◇◇◇

「ただいま」

 高瀬がマンションの一室のドアを開けると、乳飲み子を抱きかかえた、愛子が出てきた。

「会社の後輩が相談があるとかで、急に焼き鳥屋で飲むことになったんだよ」

 そう言い訳する高瀬の視線は、どこか定まらない。

「パパは嘘が下手でちゅねー」

 愛子は高瀬ではなく、乳飲み子に語り掛けた。

「パパの後輩、若い女の人みたいね。安物の香水の匂いがついてるわー。それに、パパの口臭からすると焼き鳥屋じゃなく高級フレンチみたいね。もしかして、ホテルのルームサービスかしら?」

 高瀬は真っ青になって、土下座した。

「ごめん。嘘ついた。職場の女の子たちと、フレンチレストランに行っただけだ」

「ほんとかしら。坊や、これからパパのことお仕置きするから、もうおねんねしてね」

「バブバブ」

 赤ん坊は、愛子の言うことを聞いて、ベビーベッドですやすやと眠りについた。それを確認した愛子は、高瀬をベッドに押し倒した。

「あなた! 浮気が無実なら、朝までできるはずよね」

「わかったよ」

(あのときに、あんなことにならなけりゃ……)

 AIとの監査対決の3勝の後、飲み過ぎた愛子をホテルの部屋に送り届けたが、愛子につかまり関係をもってしまった。数奇な縁で結ばれた高瀬と愛子は、お互いの性感帯のすべてを熟知しており、あの夜2人は夜明けまで、まぐあい続けた。40歳にして点火した愛子の悦楽の炎は、容易に消えることはなく、その翌日も、さらに次の日も続いた。もう監査どころではなく、2人は毎晩精魂尽き果てるまで求め合った。

 高瀬の思考が現実に戻ると、今夜は2回戦が終わったところで、愛子の許しが出た。

「最近の監査は、監査を受ける側にもAIが導入され、AIが検査記録の偽装をするらしい。そういうのは、監査する側のAIが見抜けないって、問題になってるそうだ」

「いずれそうなると思っていたけど、早かったわね。もう少し坊やの育児に専念したいけど、お呼びがかかったわ」

 愛子の上司からのメールには産休後、すぐ復帰してほしい。その代わりに、省内の働くママの為の、託児ルームを設置すると記されていた。

「ワタシ、出産してから絶好調なの。さっきのように例の能力も冴えまくり。あのAIとの対決の時のような失態は、2度としないわ。でも、私たちのノウハウをAIに教え込ませるの、ちょっと惜しいわね」

「いや、それで品質が良くなり、あんな事故が無くなれば、いいじゃないか」

 高瀬の言葉に、愛子はベビーベッドで寝ている我が子を見た。

「そうね。この子達の為にも、AIと仲良くして結果を出さなきゃね。私たちの能力を発揮する為に、これからはホドホドにしましょう。あ~眠くなっちゃった」

 高瀬は、これからの夜の営みのぺースダウンに胸をなでおろす。そして、早くも寝息を立てている愛子の顔を、愛しそうに見ながら自らも眠りについた。

 おしまい
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