第3話 カマキリ主任

文字数 2,335文字

 『カマキリ主任』『魔女』

 私が課長を務める、営業3課に昨日から異動してきた女性社員の事を、陰でみんなこう呼んでいる。

半月ほど前に、部長が配下の5人の課長を前にして、懇願した。

「来月から『カマキリ主任』が、うちの部に異動になる。キミたちのうち誰か面倒をみてもらえないだろうか?」

 いつもは、強面でパワハラ言動が多い部長が、今日は驚くほど低姿勢である。それだけ『カマキリ主任』は、社内で恐れられている存在なのだった。かといって、素行が悪いとか、大きなミスをするとか、欠勤が多いとかという理由ではない。しかし結果を見ると、彼女の所属した事業で、業績不振で事業撤退になったのが3事業。彼女と同じ部署でメンタル関係で休職となった社員が4人。契約途中で辞めた派遣社員に至っては、10人という動かぬ実績がある。
 彼女をアンタッチャブルな存在にしているのは、その外見にもあった。細長すぎる手足に、長い首には黄緑色のスカーフが巻かれている。白目が多い眼球を動かし、周囲の人の動きを常に監視しているようである。あたかもカマキリが獲物に狙いを定めるように、彼女は所属する部署で、特定の人物をロックオンする。そしてロックオンした人物の業務上のミスをどんな些細なことも調べ上げ、それを徹底的に追及して是正されるまで指摘し続け、関係者にも情報を拡散していく。例えば、顧客との契約書に些細な不備があった時、顧客が次回の改訂時に同時に修正してよいと言っても、法律・法令に違反すると決して許さず担当者を追い詰めていくのだ。担当者の努力だけではどうにもできない部分を、無慈悲に責め立てる時、彼女はほんの一瞬左側の口角を上げ、犬歯を不気味にのぞかせる。

「どうだ? 引き受けてくれたら、副部長への昇進を人事に相談するよ」

集まった私を除く4人は、皆下を向いている。

「私がお引き受けしましょう」

「いいのかね、キミ!」

彼女の異動の事を課内のメンバーに話すと猛反発で、中には気色ばむもの、泣き出す女性社員までいた。

「みんなは心配しなくていいよ。私には考えがあるから」

 そしてとうとうカマキリ主任がやってきた。間近で見るのは初めてで、その妖気ともとれるオーラに完全に圧倒された。仕事は私の業務のアシスタントとした。ここで私は一計を図り、彼女に回す仕事には、わざと自分のミスを忍ばせた。例えば、出張旅費精算時の立て替え運賃を10円増やして申請すると、鬼の首を取ったように、みんなの前でそのミスを責め立てるのだ。こういうことを、何度かやることによって、我が営業3課におけるカマキリ主任のターゲットは、課長である私にロックオンされた。私の目論見どおりである。課員はそれぞれ自分が難を逃れたことを安堵するとともに、ターゲットたる私が早々につぶされて自分が次のターゲットになることを恐れ、いままで以上に業務に打ち込み、私を気遣ってくれるようになった。その結果5つの営業課の中では万年最下位だった我が営業3課の業績が上向き始めた。

 私への攻撃が苛烈を極めるようになったある日に、私はカマキリ主任をみんなには内緒で、夕食へ誘った。彼女は意外にあっさりオーケーしてくれた。いよいよ作戦の第2段階へ進む時が来たようだ。


◇◇◇◇◇

15年後。

 私は専務取締役になっている。カマキリ主任は、私の有能な秘書だ。高度な経営判断が必要な案件については、すべて彼女に調査・判断させ、承認をしている。このやりかたは、営業3課時代から始め、私は彼女の下した判断をそのまま承認するだけである。そして、その判断は1度も間違たことはなく、業績はうなぎのぼりで、私は副部長、部長、本部長、常務、専務と異例の昇進をすることになる。すべては、彼女のおかげだ。
 そして、とうとう頂点に登りつめる時がやってきた。来週の取締役会議で、次期社長として指名される見通しなのだ。

 金曜日の深夜、私と彼女はいつもの場所で、いつものSMプレイをしていた。

「あんた、いったい誰のおかげで、社長になれると思ってんのよ!」

「ピシっ」 

彼女の黄緑色のムチが、私の脛を的確に叩く。

「痛い! すっすべてカマキリ魔女様のおかげです」

 彼女は、黄緑色のレオタードに羽根をつけ、両手にはカマにみたてたグローブをはめている。この変装コスチューム、オーダーメードで200万円もした。彼女は、変装してカマキリになりきっているのだ。

 思えば、営業3課で彼女と視線がからみあった瞬間、お互いの性癖を理解した。そして毎週金曜日深夜のプレイが始まったのだ。週1度のプレイで責める欲望を満たした彼女は、だれよりも有能な部下として私の力になってくれ、以前のような陰湿な言動は一切なくなった。そして私が昇進するにしたがって、そのプレイの激しさも増していった。

「もう、あんたには興味がないのよ!」

そうか。とうとうその日が来たんだね。
木馬に乗せられ、手を後ろ手に縛られている私は身動きできない。

「もう、自分でもどうすることも出来ないのよ」

彼女の目から、初めて涙がこぼれた。

そして、私達は最初で最後の口づけをした。

「さよなら」

「ああ、さよなら」

彼女の尖った犬歯は、私の頸動脈を的確にとらえる。



◇◇◇◇◇



 私は病院の一室で目覚めた。身動きすると、包帯が巻き付けられている首筋に激痛が走る。医師の話によると、首の傷は頸動脈を僅かに外れており、助かったとのこと。匿名の通報で救急車が現場に駆け付けて、この病院に運び込まれた。

 彼女は、行方をくらました。自宅はすでに引き払っており、最初からそのつもりだったのだ。

 私は退院してすぐに退職した。そして、彼女の行方を捜している。たとえ、再会が死を呼んでも、もう1度彼女に逢いたい。

おしまい
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