第4話 腰痛小僧と右肘痛小町

文字数 2,748文字

「先生、書下ろし小説の進み具合はいかがですか?」

訪ねてきた編集者に、小説家は苦虫を嚙み潰したような表情で言った。

「すまんが全然進んでおらん。腰痛が酷くなって、机に向かって書き始めると、10分もしないうちに耐えられなくなって、横になってるんだよ」

「ご紹介した、鍼灸院はいかれたんですか?」

「鍼灸院も、整体も、接骨院も、整形外科も、みんなダメだった。痛たたっ、失礼するよ」

そう言って、ソファーへ横になる。編集者は、その様子を見るとしばらく考えてから、切り出した。

「先生、かなり怪しい民間療法の話を聞いたんですが、お試しになりますか」

「なんでもいい。兎に角この腰痛をどうにかしないと、1文字も書く気にならん」

 編集者が語った話は、確かに怪しいものである 。その療法とは、霊媒師により『痛みの精霊』をトレードするというのだ。
 霊媒師によると、病気や怪我以外の原因不明の痛みというのは、宿主にとりついた『痛みの精霊』の仕業で、これを取り除くことは出来ないが、霊媒師の仲介により、『痛みの精霊』同士で合意すれば、宿替えをすることができる。こんな荒唐無稽な話に、飛びつくほど小説家は腰痛に苦しんでいる。

 『痛みの精霊』のトレードは、某ホテルの一室で行われることになった。
相手は自分と同じ50歳代後半と思われる女性で、車椅子に乗っている。小説家は彼女を一目見て、和服を着ているせいもあり、古風で上品な好印象をもった。

「さあ、そろそろ始めましょう。お二人の『腰痛』と、『右肘痛』の宿替えでよろしいですね」

「はい。お願いします」と車椅子の女性。

「こちらも異存はありません」

 小説家はそう答えたものの、霊媒師の言葉を怪しんだ。霊媒師といえば、それなりの装束を身に着けているかと思ったら、普通のサラリーマンのようにしか見えず、それも、どこかくたびれた窓際の社員を思わせる。

「この仲介を始めた時は、衣装もそれらしいのを着て、蝋燭やら装飾品を並べてやってましたが、まったく意味のないことなので止めました。どうか私を信じてください」

 霊媒師は小説家の疑心暗鬼な表情を見てそう言うと、自分の手と2人の手を繋いで、目を閉じる。
そして、10分後に目を開いて明るい表情で言った。

「成功です。『腰痛小僧』と『右肘痛小町』は、たった今、宿替えしました」

「あら、本当ですわ。右肘の痛みがなくなってます。これでまた筆が握れるかもしれません」

小説家は、女性の言葉を聞いて、椅子の肘掛けに右手をついて立ち上がろうとすると、肘に激痛が走る。

「あいたたた。これは痛い。でも、腰痛は消えてる」

「私は病の為ベッドで寝ていることが多いので、これぐらいの腰痛は問題ありませんが、先生は右肘が痛くなって、小説の執筆に支障ありませんか? 私、先生の小説の大ファンですのよ」

「僕は左利きで、いまだに原稿用紙に手書きなんですよ。これで、新作に取り掛かれます」

2人は、折半で霊媒師に高額な報酬を支払って別れた。


◇◇◇◇◇

 その後、小説家は腰痛から解放され、右肘は痛むものの、新作執筆は順調に進んだ。痛みをとっかえっこした女性から、丁寧なお礼状が届き、彼女は高名な書道家であることを知った。これまでは、右肘が痛くて、毛筆を動かせなかったが、今は腰痛なので、短時間ではあるが、書けるようになったと喜んでいる。
 そしてこれをきっかけに2人は文通をするようになった。そして、小説家は彼女に新作の表紙のタイトルの文字を依頼すると、快く引き受けてくれた。
 初版本が完成したので、贈ると彼女はことのほか喜んでくれた。そのときの手紙の文面の終わりに、これから数日入院すると記されていたのが気になったが、新刊の販売促進のための書店でのサイン会やトークショーで忙しく、時が過ぎてしまった。

◇◇◇◇◇

「先生。いい話と、残念な話をお知らせに来ました」

「なんだね」

「新作の重版が決まりました。表紙の文字に惹かれて購入したという読者も、かなりいました」

「そうだろうなぁ。あれは、インパクトがある文字だ」

「あの書家の先生、昨日お亡くなりになりました」

「えっ、なんだって!」


 小説家と編集者は彼女の通夜に参列した。享年58歳、早すぎる死である。微笑みかける遺影を見て、小説家は彼女に恋をしていた自分の気持ちを、いまさらながら自覚し落涙する。

「先生、大丈夫ですか?」

「いや、失礼」

 小説家は、葬儀場を出て近くの公園のベンチに座り、彼女と交わした手紙の文面を回想した。ようやく心を落ち着けて、ベンチから立ち上がると、

「痛っ」

 懐かしくない腰痛が戻って来た。しかも、右肘痛もそのままである。とても歩いて帰れずタクシーを呼んでなんとか帰宅した。


◇◇◇◇◇


「いったいこの状況は、どういうことですか?」

 小説家は、霊媒師を呼びつけて、詰問する。

「正直言って、私も初めての事です。痛みの精霊は、宿主が亡くなられると新たな他の宿主に取りつきますが、決して既に精霊がいる人には、とりつかないはずです。どういうことか、聞いてみましょう」

 霊媒師は、小説家の手を握って目を閉じた。そして10分後、目を開いて頷いた。ニヤニヤしている。

「どうでしたか?」

「今回の現象は、2つの恋のなせるワザでした」

 霊媒師の説明によると、宿替え時にすれ違った『腰痛小僧』が『右肘痛小町』に一目惚れしてしまったことと、書家の女性が小説家に恋をしたことで、発生したというのだ。宿主が亡くなった場合、精霊は初七日まで宿主のところに留まるが、小説家が通夜に行った時に、『腰痛小僧』はどうしても『右肘痛小町』に会いたくなった。それを、書家の女性の霊が背中を押すことで、現在、『腰痛小僧』と『右肘痛小町』が小説家のなかで蜜月状態にあるというのだ。

「そういえば、腰と肘の痛さの感じが違う。いままでの、鋭い痛みでなく鈍痛に変わってます。いやいや、このままでは困る」

「ご心配なく。初七日をすぎますと、『腰痛小僧』は、他の宿主に移ります」

「そうですか…………」

 小説家は安堵するとともに、思わぬ形で彼女の自分への恋心を知ることになり、甘酸っぱい気分を味わった。

◇◇◇◇◇

 初七日の翌日、小説家は自分の身体から『腰痛小僧』がいなくなったことを、実感した。しかし、不思議な事に、右肘の痛みは鈍痛のままである。そこへ、編集者がやってきた。いつもより、顔色が優れない。

「どうした? 体調が悪いのか?」

「はい。今朝起きた時から、腰に鈍痛がして…………」

「そうか。それは、お気の毒」

(腰痛小僧のやつ、なるべく彼女の近いところに居ようとしたんだな)

 編集者が腰をさすりながら帰った後で、小説家は編集長に電話し、自分の担当編集者は絶対異動しないようにと、申し入れした。
 

おしまい
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