第八話
文字数 6,671文字
「あ、おはようございます。」
翌朝、星花団地を出るとすぐに紫乃さんと出会った。どうやらここは彼の散歩道らしい。店の手伝いをしている時、常連のマダム達からそんなどうでもいい情報を話されたことがある。ので、これは待ち伏せではない。ただの偶然なのだ。
「今日もいい天気だねぇ~!」
「そうですねぇ~!紫乃さんの笑顔並に爽やかですね!」
「ははは、珠ちゃんはお世辞が上手だなぁ!」
和やかに笑い合う二人。その間にさっと爽やかな風が吹き抜け、辺りの木々を揺らした。
ピチチ・・・
鳥のさえずりも何処からか聞こえてくる。平和な朝の風景だ。
「・・・昨日は大変でしたね。」
「びっくりしたよ・・・さすがに・・・」
笑顔から一変。二人の表情は疲れ切ったものへと変わった。昨日の出来事を思い出して。紫乃さんの笑顔も何処かやつれている様に見える。
まぁ・・・この人も災難だったよね・・・
昨日の出来事を思い出し、あたしはさすがに同情してしまった。
「えっと・・・『彼』・・・」
「『彼』であってますよ。」
「う、うん・・・何と言うかとても個性的な子で俺もさすがにびっくりしちゃったよ。」
「ですよね~・・・あたしもです。」
紫乃さんの言う『彼』とは当然あの人のことだ。昨日突如として正体を露わにした田中さん・・・もとい立花秋明。しかも中々のイケメンだった。名前も素敵だし。クラスメイトが『男』だったことでも衝撃的だったのに、彼はなんとオネエさんだったのだ。そして紫乃さんの同業者でもあった。
「あれから大変でしたよねぇ・・・紫乃さん。」
「はは、珠ちゃん蒸し返すのはよくないよ?」
「すみません・・・」
だって本当に・・・。その秋明君とやら、紫乃さんと同じ祓い屋らしくその上彼の大ファンだったのだ。それもかなりの。ファンと言うより信者と言った方が良いだろう。あれは。
偶然にも出会ってしまった紫乃さんは彼に体を触られまくり、腕を組まれたままずっとべったりくっ付かれていた。紫乃さんもやんわり断ってはいたんだけどね。けど、それに屈しないのがオネエだ。いや、あの人だけかもしれない。
「聡一郎さん、何か言っていたかい?」
「大丈夫です。お兄ちゃんあたしに実害がなければいいので。」
「そっか。変な誤解されていないと良いんだけど・・・」
「それはなんとも・・・」
いきなり腕を組んで(一方的に)金木犀に現れたのだ。見知らぬイケメン君と。しかもクネクネっとしたオネエさんと。その光景を目の当たりにした兄の反応は・・・あたし絶対忘れない。
まず、一瞬で凍り付いた。手にしていたふきんをぽとりと足元に落としたことも気づかないくらいに。そして続いて現れた凛さんも同じく。こっちはお盆を取り落とした。床に落ちる音(空だったから良かったけど)で二人とも我に返ったから良かったけど。
まあ・・・それから説明。凛さんがグイグイと聞いて来たから。兄は兄でカウンターで作業しながら聞き耳をしっかり立てていたに違いない。それから何故か凛さんと秋明さんが意気投合して・・・
「紫乃さん怒っても良かったんじゃ・・・」
「ははは・・・いい大人があんな事で・・・大人げないよ。」
「お兄ちゃんなら絶対『離れろ!』って大激怒してましたよ?」
「聡一郎さんはいいんだよ。」
まぁ・・・体触られて『ははは、ちょっと近いかな。』なんて笑顔でやり過ごそうとする兄の姿なんて想像出来ない。というか見たくない。
勿論、あたしだってそんな様子を黙って見守っていた訳ではない。それなりに助け舟は出してあげた・・・はずだ。
「あ、そうだ。紫乃さん、これどうぞ。」
「ん?」
あまりにも紫乃さんが気の毒だったので、あたしはコーヒーサービス券を数枚くすねて来たのだ。これで美味しいコーヒーを飲み直して欲しいと願って。
「わぁ、ありがとう!でも大丈夫?聡一郎さん怒るんじゃないかな?」
あ、喜んでる。よかった。
でもそこであたしの心配をしてくれるんだ。優しいな。
「大丈夫です。お兄ちゃん・・・これに気づいていたはずですから。それでも見逃してくれたってことは多分・・・お兄ちゃんの気持ちでもあると思うので。」
「あはは・・・そっか。なら今度出る新刊でも持って行こうかな。」
「ああ、それは喜ぶと思います!お兄ちゃん東雲先生の大ファンですから!!実はデビュー作から全部持ってるんです。」
紫乃さんは冗談で言ったつもりなのだろう。しかし、兄は紫乃さんこと東雲青嵐先生の大ファンなのだ。その証拠に兄の部屋の本棚にはぎっちり先生の作品が詰められている。写真に撮って見せてあげたいくらいだ。
ま、あたしもその影響で小説とかそんなに読まないけど、東雲先生の作品は進んで読む様になった。兄の部屋に入っては新刊を拝借して夢中になって読みふけったものだ。
あ・・・そう考えると・・・あたしも
「紫乃さん、その時はあたしの分もお願いします!」
「え?珠ちゃんも俺の話好きなの?嬉しいなぁ!」
あ、また嬉しそうにしてる。最高の笑みなんか浮かべちゃって。
「ついでにサインもお願いします。」
「ははは、いいよ。俺なんかのでよければ。」
「『俺なんか』って・・・紫乃さん作家としても人気あるんですよ?あたしの学校でもファンの子多いし・・・でも名前だけでプロフィールとか一切非公開だから『謎多き作家先生』って結構有名なんですから。」
「そうなの?何か照れるなぁ~!」
謎が多いのは今でも変わらずだけど・・・
あたしは今でも少し信じられない。目の前で爽やかに笑っているこのイケメンお兄さんがあの東雲青嵐先生だなんて。繊細で美しい文章を書くから『女性』だと決めつけていたし。それももっと年の食った感じの。
「女性?それはよく言われるよ。俺の本名も『紫乃』だしね?」
「あ、やっぱり。でも何かあってますよね?紫乃さんって紫乃さんって感じで・・・」
少なくともゴリゴリな男らしい名前よりは。それはそれで逆に驚くけど。やっぱり物腰が柔らかいからか。一言で言い表すと『はんなりしてる』って感じだ。男性に使っていい言葉なのかはわからないけど。
「珠ちゃんの名前も綺麗だよね。きっと珠の様に美しく優しく思いやりのある子に育って欲しいと思ってつかたんだろうね・・・」
「『珠の様に美しく思いやりのある』ですか・・・そう考えると親の期待を裏切って申し訳ない気がしてならないんですけど・・・」
「そんなことはないよ。珠ちゃんは十分可愛いし優しい子だよ。聡一郎さんが心配するのも無理は無いと思うけどな。」
「またまたぁ!紫乃さんの褒め上手ですねぇ~!!仕方ないからお礼にこれあげちゃいます!」
「え?な、何?」
例えお世辞であっても『可愛くて優しい子』なんて言われて悪い気はしない。紫乃さんの様なイケメンお兄さんに言われたら尚更だ。気を良くしたあたしは鞄からお手製のハリセンを取り出し紫乃さんに差し出した。
当然・・・戸惑う紫乃さん。満足気に笑うあたし。変な空気が少しの間流れた。
「ありがとう。もらっておくよ。」
「いや・・・いいんですよ?そこはツッコむなり突っ返すなりして。」
「いやいや、珠ちゃんの贈り物ですから。大切に保管するよ。」
「いえ、それただのゴミじゃないですか。捨てて下さい。」
爽やかな笑顔を浮かべ本当に大事そうにそれを持ち帰ろうとしたので、あたしは慌てて止めた。ほとんどノリで出したものだし。作りもいつもより雑だったのだ。
「それにしても・・・珠ちゃん本当にこれで霊を祓ったのかい?」
「ええ、人に憑いてるモノのみですけど。」
「凄いなぁ・・・ますます君から目が離せないよ。」
「いや!それ以外は本当普通なんで!!」
「でもハリセン除霊なんて聞いた事も見た事もないよ?まぁ・・・竹刀で叩いて追い出した人もいたけど・・・」
「それ、大丈夫だったんですか?憑かれた人・・・」
「気絶しちゃったよね。凄く馬鹿力だったからね、その人・・・。注意したら『加減出来るわけないだろ!』って何故か俺が怒られちゃったよ。」
「い、色々な人がいるんですねぇ・・・祓い屋さんも・・・」
紫乃さんも苦労してるんだなぁ・・・
*****
はぁ・・・眠い・・・
授業は憂鬱だ。特に体を動かさない教科は眠気を誘う。そう言ってしまうとほとんどの授業が該当するけど。あたしは今日も欠伸を噛み殺し、潤んだ瞳を無理やり黒板へ向け何とか眠気を振り払おうと闘っていた。
田中さんはここでは相変わらずだ。いつもと変わらずって感じで昨日の事などまるでなかったかのように振る舞っている。ので、あたしも迂闊に声を掛けられない。もう少し田中さんの目的を聞いておきたかったところなんだけどな。
「それでは次の章を・・・」
よりにもよって現国の授業、しかも午後一だ。眠くならない訳がない。おまけに担当の先生もおっとりとしたお祖母ちゃん先生で、声を聞くたび心地よい気持ちになり目を閉じたくなる。昔話でも語られているかのようだ。
田中さん・・・相変わらず普通だなぁ・・・
ちょうど斜め前の席に居る田中さんの後ろ姿を眺め再び思う。あれが男だったなんて…誰が気づくだろうか?確かに標準女子にしては背は高いけど。
元々があんな性格だったんだろうなぁ・・・オネエさんだし・・・
喋り方は素の方が落ち着いていて大人っぽかったけど。オネエ言葉だけど。しかも結構イケボだったし。紫乃さんの様な爽やか好青年って感じのイケメンボイスではないけど、あれはあれで良い。容姿もばっちりだ。
ま、あたしのタイプではないけどねぇ・・・
だったら紫乃さんの容姿の方が断然好みだ。どっちにしろモテるのは間違いないだろうけど。
そう言えば・・・昨日のトイレでの
あれ
はどうなったんだろう。田中さんがちゃんと仕事
をして対処してるといいんだけど。仕事ってあれを祓うだけなのかな。それとももっと他に何か居たりして・・・とりあえず、あたしは紫乃さんのお守りを持っているし。これがあれば霊を視ることも出来ないらしいが、寄ってくることもないのだ。
ま、変に関わらないのが一番だよね。あたしは平穏な生活がしたいだけなんだから。
「今日はここまでね。この時の主人公の気持ちを次の授業までに考えて来ること。いいわね?」
のんびりとした先生の声が聞こえ、あたしは我に返り慌てて黒板の文字をノートに書き写した。
また面倒くさい宿題が出たなぁ・・・
終業チャイムと同時、何とか全て書き終えほっとした。意外と少なくて良かった。目もすっかり覚めたし。
「珠ちゃん、今日も眠そうだったねぇ~!」
「うん、もうヤバかったよ~・・・」
先生が出て行き教室も騒がしくなると、心愛ちゃんがコーヒー飴を差し出しながら話しかけて来た。心愛ちゃんの席は隣なのだ。バレても仕方がない。
「あ、この飴新発売の?このシリーズ美味しいよねぇ!」
「うん、そうなの♪心愛も大好きなんだぁ!でも一番のお目当ては・・・やっぱりこのゆるキャラだよねぇ~!!」
「え?う、うん・・・」
笑顔で差し出したのは、小さなマスコットのキーホルダーだ。しかも・・・『ゆるキャラ』とだけ聞けば可愛いイメージがあるだろうが、正直これは『可愛いゆるキャラ』とは言い難いとあたしは思う。むしろ『会社側の悪ノリ開発の産物』と言った方がいい。それくらい酷い出来なのだ。
ネットでも不評だったなぁ・・・このゆるキャラ(?)。凛さんとも『これはない!』って話してたんだよね。
なんていうか・・・その出来は・・・ご想像にお任せしたい。
「心愛これ絶対コンプするんだぁ~!超可愛いよねぇ~!!」
か、可愛いとな!?こんな可愛い女の子がこの何とも言えないキャラを!?
既に手に入れた微妙・・・いや、ゆるキャラキーホルダーを誇らしげに見せながら、心愛ちゃんはご機嫌のようだ。
いやぁ・・・ちょっと変わってるのかな?この子も?
「あ、これも心愛のお気に入りでねぇ~!」
「え?なになに??」
今度こそ可愛らしい物に違いない!!
そう期待し、あたしは目を輝かせたのだが・・・
「ジャーン!ぐでっくまぁ~!!」
いや、ぐでっていうよりぐったりしてるよ!?このくま!?しかもとても生きているとは思えないくらい生気のない目をしているよ!?
この・・・どこを見ているのか分からない虚ろ過ぎる瞳、もはや全身の力が抜けきっていそうなこの死を思わせるフォルム・・・某ゆるキャラのくまさんの様な愛らしさなど一ミリも感じられなかった。
ああ、この子やっぱり変わってるわ・・・
「心愛こういうぐったりしてるゆるキャラ大好きなんだよねぇ~!特にこの目とか最高だよねぇ!」
「え!?う、うん?」
目がお気に入りなの!?この生気のない感じの怖い目が!?
ま、まぁ・・・人それぞれの好みと言う物がある。ここはあたしが何か言うのはやめておこう。ツッコミたい気持ちは大いにあるけど。
「わぁ~!きもぉ~!!姫川さんってぇ、趣味悪すぎぃ~!」
「え!?ちょ、ちょっと!!」
おいこら田中!!
いつの間にやって来たのか、田中さんがひょっこり現れそのだれっくま・・・じゃなかった、ぐでっくま?を摘まみ上げた。
ま、まさかそれを窓から投げ捨てるんじゃないでしょうね?やめろよ!?いくら性格悪いキャラだからってそれはダメだぞ!?
「わぁ~!これってぇ、熊の死骸って感じ?」
田中!!やめろ!!あたしもそう思ったけど!!
そ、そう言えば・・・田中さんって確か『姫川さんに彼氏を奪われた』って言ってたな。どんな経緯でそうなったか知らないけど、まさかここまで陰湿な嫌がらせをするくらい恨んでいたなんて・・・!!
・・・ん?ちょっと待てよ?田中さんって・・・男だし。もし『彼氏』の話が本当だったとしたら・・・それって!?
「か、返して!田中さんには関係ないよ・・・」
「こわぁ~い!萌えちゃ~ん!コマちゃ~ん!!姫川さんがヒスって怖いんだけどぉ~!」
「・・・」
あ・・・去ってった・・・・
全く、何しに来たんだ。あの人は?
田中さん・・・本当に心愛ちゃんのこと嫌いなのかな?それとも適当に話し合わせてキャラとしての設定で・・・??
「心愛ちゃん、気にすることないって!」
「・・・なんで珠ちゃん・・・すぐに心愛のこと助けなかったの?」
「え?」
いつもの様に笑って『大丈夫』って言うのかと思っていた。
そのいつもの彼女らしからぬ言動と表情・・・それを見てあたしは言葉を失った。ぼそりとだけど、恨みの籠った声・・・攻める様な視線があたしに向けられて・・・
「心愛と友達だよねぇ?なんで?」
「・・・えっと・・・・ご、ごめん・・・」
「心愛気分悪い・・・」
なんか怖い・・・・
低い声でぼそりとそう言い捨てると、心愛ちゃんはふいっと背を向け教室を出て行ってしまった。まるであたしを見限ったかのように。
なんなんだ・・・?あの態度は??
確かにあたしもすぐに助けようとしなかった。それは悪いと思うけど、別に面白がってたわけでもないし・・・田中さんがただからかってるって事も考えて・・・
「別に気にする事ないよ。ああ言う奴なんだよ、姫川って。」
「山吹さん・・・」
「あたし、中学から一緒だったから知ってんだ。情緒不安定っていうの?なんつーか・・・重いんだよね?友達に求めすぎるって感じで・・・」
そう言えば山吹さんも田中さんと同じような事を言ってたけど・・・・
「ま、嫌になったらこっち来な?」
「あ、ありがと・・・」
「その代わり、兄ちゃん紹介しろ。あんたのイケメン兄貴。」
「はぁ!?な、なんでお兄ちゃん!?」
「あたしああいうのタイプなんだよねぇ~!!クールでカッコイイじゃん?」
「過保護なオトンみたいなタイプだよ?絶対面倒臭いって・・・」
お勧めはあまり出来ないぞ?あたし。
でも、おかげで少しだけ気分が明るくなった。やっぱり山吹さんは思っていたよりも悪い子ではなかったみたいだ。派手な恰好で近寄りがたいけど、面倒見もいいみたいだし。
「・・・友達って面倒臭いね。」
「あはは!確かにな!!」
「山吹さん、それ笑って言う事じゃないよ・・・」
思わず出た本音にも笑って答えてくれる。何だかありがたい。そんな山吹さんを見てつられて笑うとふと視線を感じた。
田中さん・・・?
何故かあたしを暖かい目で見ている・・・
なんだろ?この親に見守られて遊ぶ子供の様な感覚は・・・??
この人もこの人で謎が多すぎる!!