第8話 黒い影の襲撃
文字数 2,055文字
黒い影はしずしずと忍び寄る、その存在をひた隠すかのように、夜闇に紛 れながら。
夕方から空を覆った厚い雲は、やがて雨をもたらした。
しとしとと降る雨の音は、黒い影が動く物音をさらにくらませた。闇から闇へと移るさまは、まるで、夜風そのもののようだ。
黒い影は、目的の場所へたどり着くと、ゆっくりと窓をあけた。わずかに窓が軋 む音と立てるが、屋根から落ちる雨だれの音に溶け込む。
黒い影は静かに、その身を部屋のなかへ滑 り込ませた。
ポタポタと、水滴が木の床に落ちる。
けれども、黒い影は一向にためらわなかった。目指すものが、目の前にある。白いシーツにくるまり、寝息をたてている者。
黒い影は、まるで夜の闇そのものの触手 であるかのように、ゆっくりとシーツに手をかけようとした……と、そこで手が止まる。
スンスンと、匂いを確かめる。
湿気た空気のせいで、匂いが分かりにくかった。しかし、これは望む匂いではない……そう、その存在が恋い焦 がれる、乙女の匂いではないのだ。
次の瞬間、シーツが跳ね上がり、薄暗い室内にわずかながらに銀色の光がきらめいた。
黒い影はとっさに窓のきわまで飛び退いた。
そして苦々しくつぶやく。
「おまえは……あのときの小僧だな?」
シーツをはねのけ、ベッドの上に立ち上がったのはコノル少年だった。手には、銀の短剣が握られている。
黒いフードからわずかに顔をのぞかせている口元が忌々 しげにゆがんだ。
「こしゃくな……」
と言い終えるのを待たずに、部屋の扉が開け放たれ、何かが飛び込んできた。それは、丸太のように巨大な石柱だった。
石柱は、まるで巨大な弓に弾 かれたかのような勢いで黒い影に襲いかかり、窓を突き破って雨が降る屋外へと突き抜けていった。
濡れた大地にたたきつけられる直前に、翼を広げ石柱を回避する。
次の瞬間、いくつもの石の壁が地面から尽き上がり、黒い影のような存在を閉じ込めようとした。
重々しい音を立て、大地を揺らしながら、石の壁が巨大な牢 を作り出す。
けれども、黒い影は牢の中にはおらず、翼を広げながら悠然とその上に降り立っていた。
フードがはだけ、その顔があらわになる。
青白い肌に、つり上がった鋭い目、そして生々しい赤色の唇の間には太い牙が見えていた。
二階の部屋からその存在を見下ろしたコノル少年は、畏 れに満ちた声でつぶやいた。
「あれが……吸血鬼 」
少年の横に、黒いマントに身をつつんだフィラーゲンが並び立つ。そして、興味深そうにその不死の存在を見つめた。
「それがおまえの望んだ姿か……ロスロナスよ」
ロスロナスと呼ばれた不死なる存在は、赤い唇を三日月のようにゆがめ、凄絶 な笑みを浮かべた。
「やはり来たか、クレイ・フィラーゲン。大地の力を操る“白髪 の美丈竜 ”よ」
そして、足下の石の牢を三度ほど踏みつけた。
「だが、初見 で殺しにこなかったのは、いかにもおまえらしい甘さだな」
せせら笑うように言う。
一方のフィラーゲンも人の悪い笑みを浮かべた。
「いやいや、殺すよりも捕らえたほうが、より屈辱 を味わってもらえるだろう?」
竜のような風貌の男と、青白い肌の吸血鬼は、互いの鋭い眼差しを白刃 として交えた。
しばしの沈黙をさきに破ったのは、フィラーゲンの方だった。
「しかし、ロスロナスよ。おまえはいい歳の中年だったはずだが、ずいぶんと若返ったものだな」
「得たものは、若さだけではないぞ。今や魔力も、おまえに負けぬ」
「……サントエルマの森から『死者の書』を盗んで、やりたかったのはこんなことか?」
「おまえのような天才には、分かるまい」
冷ややかに話していたロスロナスの声に、はじめて熱がこもったようだった。
「決して、分かるまい」
牙を噛 みしめるように唇を強く結ぶ。
抜け目なくその様子を見つめていたフィラーゲンは、素早く魔法の呪文を数言唱えた。
ロスロナスが乗る石の牢の、さらに外側を取り囲むように巨大な石の壁が立ち上がり、ロスロナスに襲いかかろうとした。
今度はロスロナスも避けようとせず、魔法の呪文を口にする。フィラーゲンほどの素早さはなかったが、呪文の詠唱は確実で、彼を包囲しかかっていた石の壁は稲妻のようなものに打たれて粉々に砕 け散った。
粉塵が乱れ、しとしとと降る雨に入り交じるなか、ロスロナスは悪魔のような翼を広く広げ、宙に舞った。
「〈黒い森〉の最奥の、黒い沼までやってこい、そこで決着をつけよう」
そして、意味ありげに街の中心の方へ視線をやる。
「ただし、今日という日を生き延びることができたらな、フィラーゲン」
「……生き延びるさ、ヴァンパイア」
「ふふ」
ロスロナスは少し心の余裕を取り戻したようだった。
「私は、ただのヴァンパイアではない。ヴァンパイアたちの主 だ」
その言葉を聞いて、フィラーゲンは左眉をつり上げた。
「ヴァンパイア・ロード?」
「その通り! そしていま、教会では、何が起きているかな?」
その言葉の末に、甲高い笑い声を残しながら、ロスロナスは夜の闇に飛び去っていった。
夕方から空を覆った厚い雲は、やがて雨をもたらした。
しとしとと降る雨の音は、黒い影が動く物音をさらにくらませた。闇から闇へと移るさまは、まるで、夜風そのもののようだ。
黒い影は、目的の場所へたどり着くと、ゆっくりと窓をあけた。わずかに窓が
黒い影は静かに、その身を部屋のなかへ
ポタポタと、水滴が木の床に落ちる。
けれども、黒い影は一向にためらわなかった。目指すものが、目の前にある。白いシーツにくるまり、寝息をたてている者。
黒い影は、まるで夜の闇そのものの
スンスンと、匂いを確かめる。
湿気た空気のせいで、匂いが分かりにくかった。しかし、これは望む匂いではない……そう、その存在が恋い
次の瞬間、シーツが跳ね上がり、薄暗い室内にわずかながらに銀色の光がきらめいた。
黒い影はとっさに窓のきわまで飛び退いた。
そして苦々しくつぶやく。
「おまえは……あのときの小僧だな?」
シーツをはねのけ、ベッドの上に立ち上がったのはコノル少年だった。手には、銀の短剣が握られている。
黒いフードからわずかに顔をのぞかせている口元が
「こしゃくな……」
と言い終えるのを待たずに、部屋の扉が開け放たれ、何かが飛び込んできた。それは、丸太のように巨大な石柱だった。
石柱は、まるで巨大な弓に
濡れた大地にたたきつけられる直前に、翼を広げ石柱を回避する。
次の瞬間、いくつもの石の壁が地面から尽き上がり、黒い影のような存在を閉じ込めようとした。
重々しい音を立て、大地を揺らしながら、石の壁が巨大な
けれども、黒い影は牢の中にはおらず、翼を広げながら悠然とその上に降り立っていた。
フードがはだけ、その顔があらわになる。
青白い肌に、つり上がった鋭い目、そして生々しい赤色の唇の間には太い牙が見えていた。
二階の部屋からその存在を見下ろしたコノル少年は、
「あれが……
少年の横に、黒いマントに身をつつんだフィラーゲンが並び立つ。そして、興味深そうにその不死の存在を見つめた。
「それがおまえの望んだ姿か……ロスロナスよ」
ロスロナスと呼ばれた不死なる存在は、赤い唇を三日月のようにゆがめ、
「やはり来たか、クレイ・フィラーゲン。大地の力を操る“
そして、足下の石の牢を三度ほど踏みつけた。
「だが、
せせら笑うように言う。
一方のフィラーゲンも人の悪い笑みを浮かべた。
「いやいや、殺すよりも捕らえたほうが、より
竜のような風貌の男と、青白い肌の吸血鬼は、互いの鋭い眼差しを
しばしの沈黙をさきに破ったのは、フィラーゲンの方だった。
「しかし、ロスロナスよ。おまえはいい歳の中年だったはずだが、ずいぶんと若返ったものだな」
「得たものは、若さだけではないぞ。今や魔力も、おまえに負けぬ」
「……サントエルマの森から『死者の書』を盗んで、やりたかったのはこんなことか?」
「おまえのような天才には、分かるまい」
冷ややかに話していたロスロナスの声に、はじめて熱がこもったようだった。
「決して、分かるまい」
牙を
抜け目なくその様子を見つめていたフィラーゲンは、素早く魔法の呪文を数言唱えた。
ロスロナスが乗る石の牢の、さらに外側を取り囲むように巨大な石の壁が立ち上がり、ロスロナスに襲いかかろうとした。
今度はロスロナスも避けようとせず、魔法の呪文を口にする。フィラーゲンほどの素早さはなかったが、呪文の詠唱は確実で、彼を包囲しかかっていた石の壁は稲妻のようなものに打たれて粉々に
粉塵が乱れ、しとしとと降る雨に入り交じるなか、ロスロナスは悪魔のような翼を広く広げ、宙に舞った。
「〈黒い森〉の最奥の、黒い沼までやってこい、そこで決着をつけよう」
そして、意味ありげに街の中心の方へ視線をやる。
「ただし、今日という日を生き延びることができたらな、フィラーゲン」
「……生き延びるさ、ヴァンパイア」
「ふふ」
ロスロナスは少し心の余裕を取り戻したようだった。
「私は、ただのヴァンパイアではない。
その言葉を聞いて、フィラーゲンは左眉をつり上げた。
「ヴァンパイア・ロード?」
「その通り! そしていま、教会では、何が起きているかな?」
その言葉の末に、甲高い笑い声を残しながら、ロスロナスは夜の闇に飛び去っていった。