第24話 生と死のはざまはひとつの方向にしか進めない

文字数 2,629文字

 死んだドラゴンを、女性ドルイドのマルフォイは呆然(ぼうぜん)と見つめていた。

「私たちの村の近くに、こんな怪物がすんでいたなんて……」

 しかも、その怪物を自分たちの手で葬ったという事実を、未だに実感できないでいた。

「緑竜は毒の息を吐く」

 フィラーゲンは静かに言った。

「その毒性は、年老いるほどに増す……黒い沼で眠っているあいだも、きっと毒を垂れ流していたのだろう。森が死ぬわけだ……」
「さすが、魔法使いは何でも知っているんだな」

 マルフォイは独特の上目遣いでフィラーゲンを見た。けれども、その瞳には以前のような熱はこもっていなかった。

「私は魔法使いに(あこが)れていたけれど、今回のことであきらめがついたよ。私にはあんたらみたいな才能がない」

 寂しそうにマルフォイはつぶやいた。

 フィラーゲンがポーリンの方を見る。ポーリンは小さく頭を左右に振っていた。

 フィラーゲンとポーリンは、特別な才能の集まりであるサントエルマの森の魔法使いの中でも屈指の実力者である。彼らと比較することに、あまり意味はないかも知れない。けれども、あえてそのことを指摘する必要もなかった。

「……この怪物の毒が森を弱らせていたのなら、もうその心配はなくなった。私はドルイドとして、この森を(よみがえ)らせることに残りの人生をかけるよ」

 マルフォイはしみじみといった。

「そうだな、それがいい」

 フィラーゲンはうなずいた。

「そしてぜひ、コノルに手伝わせてやってくれ」
「そりゃあ、もちろん」

 マルフォイの表情がようやく少しやわらいだ。

「コノルも、この森を救った者のひとりだからな。たかだか12歳で、すごい経験をしたもんだ……」

 上目遣いのまま笑顔を浮かべた。

 人を値踏みするような目つきの女性だと思っていたが、人を見るときの単なる癖で、きっと純粋な心の持ち主なんだろうと、フィラーゲンはようやく理解した気がした。

 コノルは、少し離れた位置で、石化したヴァンパイア・ガールの一体と向き合っていた。

「……姉ちゃん」

 異形の姿に変わっていたが、それは紛れもなく連れ去られた彼の姉だった。救うことができなかった。

 強い虚無感と無力感が少年を襲っていた。その感情のまえには、強大な緑竜を倒した喜びなど、小さなことであった。

 唇を噛みしめながら立ち尽くすコノルの横に、フィラーゲンたちがやって来る。

 ことの成り行きを理解して、フィラーゲンもしばらく押し黙っていた。

 沈黙に耐えかねて、ポーリンが咳払いをする。

「ええと、フィラーゲン。吸血鬼たちにもとどめをささないと……」

 コノルがはっとした表情を浮かべた。ヤーヴァの村で、石化した骸骨の戦士たちが粉々になって土に(かえ)っていく様子を思い出していた。

「壊すの?」

 涙ぐんだ少年の瞳に見つめられ、フィラーゲンはめずらしく視線が泳いだ。

「ああ……いや、まあ、そうだな」
「壊さないで」

 コノルはフィラーゲンのローブを力強くつかんだ。

「あなたたちは特別な魔法使いでしょう? 姉ちゃんを戻す方法はないの?」

 すがるような少年の訴えに、フィラーゲンは小さく息を吐きながら覚悟を決めた。膝を折り、少年と目線を同じ高さにする。

「ヴァンパイアは、“ 死者” だ。命を引き換えに、不死なる存在となったものだ、たとえ本人が望んだことではないにせよ」

 重々しく言う。

「命は限りあるものだ。そして、生と死のはざまは、ひとつの方向にしか進むことができない。そのことわりには、魔法使いとて逆らうことはできないのだ、コノルよ」

 厳しくも、優しく言う。

 コノルは涙ぐんだままうつむいた。分かってはいた。けれども、頭で理解するのと、心で理解するのには、しばしばかかる時間が異なるものだ。

「あんたの言うことは良く分かるよ、フィラーゲン」

 コノルはうつむきながら震える声で言った。そして涙をぬぐい、ふたたびフィラーゲンを見上げた。

「でも、いますぐ石を壊す必要はないでしょう? どうせ石だ。いま壊そうと、将来壊そうと、変わらないよ。時間があれば、“不死の者”を人間に戻す方法を思いつくかも……あんたの優れた技があれば!」

 引かない決意を込めて、熱っぽく言った。

 フィラーゲンはしばらくの間、その真剣な眼差しを穏やかに受け止めていた。そして目を閉じると、静かにうなずいた。

「分かった、石化したヴァンパイアたちをサントエルマの森でしばらくのあいだ保管しよう」
「ちょっと?」

 ポーリンは強いささやき声を投げかける。

 フィラーゲンは目を開け、いたずらっぽくポーリンに言った。

「影でヴァンパイアたちを運んでやってくれ、処遇については長老たちの裁可(さいか)を仰ごう」

 フィラーゲンの瞳に、強く揺るがぬ火が灯るのをみて、ポーリンは肩を落としたような仕草をしながらため息をついた。

「……これは貸しですからね」
「分かっているさ」

 フィラーゲンはなだめるように言った。

「ありがとう」

 コノルは両手を出して、フィラーゲンの手をつかんだ。

 化け物の石像になってしまった姉が、もとに戻ることはないだろう。けれど、姉を助けるために何もできなかった彼が、いまできる唯一のことに違いなかった。

「さて、コノル」

 フィラーゲンは改めて少年に向き合う。

「私たちはあれの後始末をしたのちに――」

と緑竜の死骸を一瞥する。

「――サントエルマの森へ帰らなければならない。ここでお別れになるが、ひとつ私に約束してくれ」
「何だい?」
「立派なドルイドになって、マルフォイとともにこの森を蘇らせ欲しい」

 厳かにフィラーゲンは言ったが、当のコノルは拍子抜けしたような表情を浮かべていた。

「そりゃ、言われるまでもなく、やるよ。じいちゃんももう引退したいらしい。森から戻ったら、後を継ぐように言われている」
「そうか」

 フィラーゲンは安心したようにつぶやくと、ローブのすそのほこりを払って立ち上がった。

 ここでコノルがポーリンの方へ歩み寄った。

「ひとつ知りたいんだけど、あなたは最初からフィラーゲンの影の中に隠れていたの?」
「……実を言うと、そうね」
「ふうん……」

 コノルが意味深げな表情を浮かべながら、考え込む。そして、無邪気に聞いた。

「あなたたちは、恋人どうしなんだね」
「えっ?」

 ポーリンはぎょっとしたように身を引き、続いて顔を青ざめさせた。

「いやいや、それはないでしょう……」

 考えるのも嫌だと言わんばかりに顔をしかめてかぶりをふる。

 その様子を眺めているフィラーゲンの視線はとても穏やかだった。
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