第14話 ロスロナスの物語
文字数 2,673文字
ボレフ・ロスロナスは、その人生の大半を、家族のために費やした男だった。
彼はわずか七歳のころから、病弱な母と障害を持つ弟のために生きることを覚悟しなければならなかった。
幸か不幸か、彼には魔法の才能と、天性の器用さがあった。
その力を使って、人々の前で手品を行い、便利屋のように火を起こしたりしながら日銭 を稼いでいた。
父は行商人 で、たまにしか家に帰ってくることはなかったが、帰ってくるたびに酒を飲んで暴力をふるった。しかし、酒の冷めた翌朝には、泣きながら母たちに謝るのだ。そしてまた機嫌よく仕事に出かけていく。
その感情の起伏の激しさに振り回され、幼いながらも精神をすり潰 す日々が続いた。
ロスロナスが十一歳のときに、大きな悲劇が起こった。
いつも以上に激しく暴力をふるう父に対する恐怖と嫌悪が高じたあげく、彼の魔法が暴発して父を火だるまにして殺してしまったのである。
街では、薪 を焚 いているときの事故というふうに扱われ、その真実は彼ら家族のむねのうちの秘密となった。それは年場もいかない少年にとって途方もない重荷となった。だが一方で、自らに秘められた魔法の才能にはまだまだ底がありそうだということの証にもなった。
ロスロナスは、罪の意識と自らの可能性とのあいだに、板挟 みとなった。
いつか魔法の勉強をしてみたいと思うこともあったが、その日その日を生き抜くために精一杯で、いつの間にか罪の意識も向学心も日々の忙しさの中に埋没して消えていった。
悲劇は続く。
十六歳のときに、弟が死んだ。障害のある身体で森へ山菜取りへ行き、木から転落してしまったのである。
そして二十歳のとき、少しずつ貯めていたわずかばかりの金を、強盗に盗まれてしまうということもあった。彼自身も危うく殺されるところだった。
それからは、病弱な母の介護だけが、彼の生きがいとなった。世界は、彼らにとって居心地のよい場所ではなく、恐れるべきものであるようにしか思えなかった。魔法への探求心も、青春を謳歌したいという気持ちも失われた。
残された母に尽くすことだけが、彼がこの世に存在を許されるただ一つの理由であるかのように思い込んでいた。
そうして時は流れ、ロスロナスが三十三歳になったとき、母は病死した。
そのときの虚脱感は、途方もなく大きなものだった。心にぽっかりと穴があいたように感じられた。けれども、親孝行を十分にやりきったという満足感もあった。
まだ三十三歳、人生をあきらめるのには早かった。
いくつかの偶然があって、彼は、サントエルマの森から地方に隠居した魔法使いサンドバールに師事することとなった。今まで天性の感覚だけで、ごく初歩的な魔法を使ってきたロスロナスだったが、はじめて体系的に魔法を学ぶ機会を得た。
歳はとっていたが、正しいやり方を学び、彼はめきめきと力をつけた。
そして四十歳のとき、ついにサントエルマの森で学ぶことを許されるようになるのである。イザヴェル歴453年のことであった。
サントエルマの森へやってくるのは、学究心に富んだ真に力のある魔法使いのみである。天賦 の才により若いころから卓越した能力を示した選りすぐりの者がやってくることが多いため、入門者のほとんどは二十歳前後だ。まれに三十歳代の者はいるが、四十歳となると少し歴史を遡らなければならなかった。
家族以外と関わることの少なかったロスロナスは、他人と意思疎通をはかることが得意とは言えず、さらに二十も年下の“同期”と打ち解けることにきわめて労を要した。
そんな中、ほぼ同時期に森へやってきたクレイ・フィラーゲンとはすぐに打ち解けた。当時、フィラーゲンは23歳だったが、地元では『悪童』と呼ばれる手のかかる若者で、その才あるゆえに半ば厄介払いされるように森へやってきた。
悪評が先行し、また竜のような人間離れした顔貌もあって、同世代の仲間たちからは敬遠されがちであったが、ロスロナスは分け隔てなくフィラーゲンに接し、二人は年齢を超えた友情を育んだ。
初期のころにはともに悪さもし、師匠連中を困らせたこともあった。だが多くの場合はまじめに学問と研究に向き合った。
優秀な仲間と、恵まれた環境で、学問に向かう。これまでのロスロナスの半生を思えば、夢のような時間であった。けれども、その夢は長くは続かなかった。
天才的なフィラーゲンはめきめきと力を伸ばし、森へきて三年後には師たちの力をも凌駕 するようになっていったが、ロスロナスは伸び悩んだ。
年齢を考えれば、それもやむをえなかったのかも知れない。
けれどももともと内向的だったロスロナスは徐々にフィラーゲンにも心を閉ざすようになり、次第に部屋に閉じこもるようになっていった。
そして彼らが森へ来て四年後、事件は起こった。
ロスロナスは森の『禁忌庫 』に侵入し、禁止された呪文書である“死者の書”を盗みだしたのである。そして、そのまま失踪 した。
もはや森から出ていくことを申し付けられるのは時間の問題と思われていたときの事件だったので、自暴自棄になった末の行動であると師たちは判断していた。
けれども、フィラーゲンにはもしかしたら自分のせいではないかと考えていた。
ともにふざけながら未来を語り合ったころ、“死者の書”の存在について教えたのは、彼だったのだ。
曰く、「力のある魔法使い、なかでもとりわけ邪悪な者のなかには、自ら不死者となって永遠の命と人を超えた力を手に入れたがる者がいる。その“方法”について記された書物が、サントエルマの森の禁忌庫に眠っているという話だが、興味はないか?」
そそのかすつもりではなく、純粋な学究的興味で語ったつもりだったが、それを耳にしていなければ、ロスロナスが“死者の書”を盗み出すこともなかったのかも知れない。
フィラーゲンは悔いていた。
死者の書は危険な呪文書である。サントエルマの森としては、いかなる犠牲を払ってでも取り返さなければならない。たとえ、ロスロナスを殺したとしても。
サントエルマの長老たちはそう決定し、静かに逃亡者の行方を探った。
そしてイザヴェル歴459年、不死の力を手に入れたロスロナスが、通称〈黒い森〉に潜んでいるらしいという情報を得たとき、サントエルマの森は、“ 死者の書” 回収のための刺客 として、クレイ・フィラーゲンを送る決断をした。人選には、フィラーゲンの強い希望も反映された。
そして、苦労人だったボレフ・ロスロナスは、今やヴァンパイアの主としてフィラーゲンに相対 する。
彼はわずか七歳のころから、病弱な母と障害を持つ弟のために生きることを覚悟しなければならなかった。
幸か不幸か、彼には魔法の才能と、天性の器用さがあった。
その力を使って、人々の前で手品を行い、便利屋のように火を起こしたりしながら
父は
その感情の起伏の激しさに振り回され、幼いながらも精神をすり
ロスロナスが十一歳のときに、大きな悲劇が起こった。
いつも以上に激しく暴力をふるう父に対する恐怖と嫌悪が高じたあげく、彼の魔法が暴発して父を火だるまにして殺してしまったのである。
街では、
ロスロナスは、罪の意識と自らの可能性とのあいだに、
いつか魔法の勉強をしてみたいと思うこともあったが、その日その日を生き抜くために精一杯で、いつの間にか罪の意識も向学心も日々の忙しさの中に埋没して消えていった。
悲劇は続く。
十六歳のときに、弟が死んだ。障害のある身体で森へ山菜取りへ行き、木から転落してしまったのである。
そして二十歳のとき、少しずつ貯めていたわずかばかりの金を、強盗に盗まれてしまうということもあった。彼自身も危うく殺されるところだった。
それからは、病弱な母の介護だけが、彼の生きがいとなった。世界は、彼らにとって居心地のよい場所ではなく、恐れるべきものであるようにしか思えなかった。魔法への探求心も、青春を謳歌したいという気持ちも失われた。
残された母に尽くすことだけが、彼がこの世に存在を許されるただ一つの理由であるかのように思い込んでいた。
そうして時は流れ、ロスロナスが三十三歳になったとき、母は病死した。
そのときの虚脱感は、途方もなく大きなものだった。心にぽっかりと穴があいたように感じられた。けれども、親孝行を十分にやりきったという満足感もあった。
まだ三十三歳、人生をあきらめるのには早かった。
いくつかの偶然があって、彼は、サントエルマの森から地方に隠居した魔法使いサンドバールに師事することとなった。今まで天性の感覚だけで、ごく初歩的な魔法を使ってきたロスロナスだったが、はじめて体系的に魔法を学ぶ機会を得た。
歳はとっていたが、正しいやり方を学び、彼はめきめきと力をつけた。
そして四十歳のとき、ついにサントエルマの森で学ぶことを許されるようになるのである。イザヴェル歴453年のことであった。
サントエルマの森へやってくるのは、学究心に富んだ真に力のある魔法使いのみである。
家族以外と関わることの少なかったロスロナスは、他人と意思疎通をはかることが得意とは言えず、さらに二十も年下の“同期”と打ち解けることにきわめて労を要した。
そんな中、ほぼ同時期に森へやってきたクレイ・フィラーゲンとはすぐに打ち解けた。当時、フィラーゲンは23歳だったが、地元では『悪童』と呼ばれる手のかかる若者で、その才あるゆえに半ば厄介払いされるように森へやってきた。
悪評が先行し、また竜のような人間離れした顔貌もあって、同世代の仲間たちからは敬遠されがちであったが、ロスロナスは分け隔てなくフィラーゲンに接し、二人は年齢を超えた友情を育んだ。
初期のころにはともに悪さもし、師匠連中を困らせたこともあった。だが多くの場合はまじめに学問と研究に向き合った。
優秀な仲間と、恵まれた環境で、学問に向かう。これまでのロスロナスの半生を思えば、夢のような時間であった。けれども、その夢は長くは続かなかった。
天才的なフィラーゲンはめきめきと力を伸ばし、森へきて三年後には師たちの力をも
年齢を考えれば、それもやむをえなかったのかも知れない。
けれどももともと内向的だったロスロナスは徐々にフィラーゲンにも心を閉ざすようになり、次第に部屋に閉じこもるようになっていった。
そして彼らが森へ来て四年後、事件は起こった。
ロスロナスは森の『
もはや森から出ていくことを申し付けられるのは時間の問題と思われていたときの事件だったので、自暴自棄になった末の行動であると師たちは判断していた。
けれども、フィラーゲンにはもしかしたら自分のせいではないかと考えていた。
ともにふざけながら未来を語り合ったころ、“死者の書”の存在について教えたのは、彼だったのだ。
曰く、「力のある魔法使い、なかでもとりわけ邪悪な者のなかには、自ら不死者となって永遠の命と人を超えた力を手に入れたがる者がいる。その“方法”について記された書物が、サントエルマの森の禁忌庫に眠っているという話だが、興味はないか?」
そそのかすつもりではなく、純粋な学究的興味で語ったつもりだったが、それを耳にしていなければ、ロスロナスが“死者の書”を盗み出すこともなかったのかも知れない。
フィラーゲンは悔いていた。
死者の書は危険な呪文書である。サントエルマの森としては、いかなる犠牲を払ってでも取り返さなければならない。たとえ、ロスロナスを殺したとしても。
サントエルマの長老たちはそう決定し、静かに逃亡者の行方を探った。
そしてイザヴェル歴459年、不死の力を手に入れたロスロナスが、通称〈黒い森〉に潜んでいるらしいという情報を得たとき、サントエルマの森は、“ 死者の書” 回収のための
そして、苦労人だったボレフ・ロスロナスは、今やヴァンパイアの主としてフィラーゲンに