第11話 世界樹の館の戦い
文字数 2,188文字
「やれやれ、ずぶ濡 れだ……」
そうつぶやくと、フィラーゲンはすっぽりと身を覆っていた黒い外套 を脱ぎ捨てた。その下に着るのは白いローブ、袖口には金色と黒色で、蔦 の模様とルーン文字の刺繍 がなされていた。
女性ドルイドのマルフォイは目を見開いた。
「サントエルマの森の魔法使いが着るローブ……本物だ」
興奮を隠しきれない様子でつぶやく。
「じいちゃん、無事かい?」
フィラーゲンの後ろから、コノル少年の顔がのぞく。
「……コノル、ここは危険だ。出ておれ!」
少年の顔を見てほっとした表情を浮かべたのも一瞬のこと、カーディンは厳格 な声で言った。
「そういえば、あなたの言いつけを守らずのこのことやって来たことをお詫 びいたします、と言ってもいられない状況なんでしょうけど」
フィラーゲンが冗談ぽく言う。カーディンは戸惑いながら、小さくうなずくだけだった。
カイ・エモが信じられないといった表情で、サントエルマの森の魔法使いをにらみつけた。
「……墓場から召喚 した死者たちが全滅しただと?」
「自分の目で確かめてみるかい?」
フィラーゲンはわざとらしく、石柱が破壊した扉の方を振り返ってみせた。
カイ・エモの口元に光る牙を見て、コノルがおののいた。
「あいつも、ヴァンパイア……」
「どうやら、そのようだ。上位不死者の手下を作る力まで身につけていたとは……ロスロナスの親父、『死者の書』を完全に我が物としたか」
フィラーゲンは忌々しげにつぶやいた。
そして、改めてその竜のような顔貌 を、本日遭遇する二体目のヴァンパイアへと向けた。
「あんたに恨みはないが、人の生き血を吸う化け物を生かしてはおけない。残念だけれど死んでもらうよ、ええと……」
「カイ・エモ」
コノルがささやく。
「そう、カイ・エモ。若きドルイドだった者よ」
「私を殺す?」
カイ・エモは失笑した。
「私は不死の力を得て、〈蝶 のドルイド〉としての力もさらに増しているのだぞ」
そうして両手を広げながら腕を持ち上げる。
数百もの蝶が彼の周りに現れ、彼自身の意志を反映するかのように渦を巻きながら乱舞した。
「死ぬのはあんただ、サントエルマの森の魔法使い」
「……残念ながらそうはならない」
フィラーゲンは複雑な魔法の呪文を短く唱えた。
相対する二人の真ん中あたりの床から突然、大量の泥が飛び出し、カイ・エモと蝶たちに覆い被さった。
とっさに顔をローブの袖で覆い防御の態勢をとったカイ・エモだったが、全身は泥まみれとなってしまった。
「こんなもの……」
言いかけて、はっとする。
数百の蝶は地に落ち、泥の中でもがいていたが、煙を上げて溶け始めたのだ。カイ・エモのローブも溶け始め、露出した皮膚の部分には人間を捨てて以来初めて感じる痛みを覚えていた。
酸の泥だった。
カイ・エモは泥の中から飛び出そうとしたが、できなかった。泥が彼の足に蔦のようにからみつき、離さなかったのである。
フィラーゲンは追撃の呪文を唱えた。
巨大な石塊がカイ・エモの頭上に現れる。危険を感じた彼が視線を上に向けた刹那、巨大な石のハンマーのように石塊が地面にたたきつけられた。
「酸の泥の中に、永遠に沈んでゆくがいい」
石塊はそのままずぶずぶと、具現化された酸の泥の沼の中に沈んでいった。
「……すごい」
戦いを見守っていたマルフォイは、感嘆のため息をもらした。他のドルイドたちも、目の前で起きた事態の推移の整理がつかないかのように、ぽかんと口をあけてその場に立ち尽くすのみだった。
フィラーゲンの顔がわずかに曇る。
「……やるじゃないか」
沈みゆく石塊の向こうに、ピンク色の数百もの蝶が地を這 うように舞っていた。否、それは逃げていた。カイ・エモという存在は蝶に姿を変え、そのまま通気口となっている窓から夜闇の中へと消えていった。
とどめを刺す直前に、逃げられた。
「やれやれ……」
フィラーゲンは気まずそうに頭をかきながら、ランタンの光に照らし出された自身の影を振り返っていた。
「じいちゃん」
コノルはカーディンの元へ駆け寄った。もはや唯一の肉親となってしまった祖父を失わずにすんだことに、少年は心から安堵していた。
カーディンは少年の頭を撫でながら、改めてうやうやしくフィラーゲンに向き合った。
「色々と礼を言う、フィラーゲン殿。あなたはこの街を救ってくれた」
「そう言っていただけるのはありがたいですが、まだこれからが本番ですよ」
フィラーゲンは油断なく言った。竜のような顔貌が凜々 しく引き締まる。
そう、ロスロナスも、カイ・エモも、野放しになっているのである。ひとり<黒い森>に入ったドルイド長のレビックも行方知らずだ。
女性ドルイドのマルフォイが、独特の上目遣いをしながらフィラーゲンに近寄ってきた。
「わたしも多少は魔法を嗜 んでいる……実力はあんたの足下にも及ばないだろうけど」
そう言いながら、興味深そうにフィラーゲンの白いローブを観察した。
「……化け物を倒しに森へ行くならば、ドルイドの助力が必要だろう?わたしが案内するよ」
「僕も行く、当然」
コノルも負けじと声を張り上げた。
フィラーゲンはカーディンを見た。老ドルイドは困ったように目頭を押さえていた。
フィラーゲンはその場にいるドルイドたちをぐるりと見回すと、提案した。
「とりあえず今日はゆっくりと休んで、明日、計画をたてましょう」
そうつぶやくと、フィラーゲンはすっぽりと身を覆っていた黒い
女性ドルイドのマルフォイは目を見開いた。
「サントエルマの森の魔法使いが着るローブ……本物だ」
興奮を隠しきれない様子でつぶやく。
「じいちゃん、無事かい?」
フィラーゲンの後ろから、コノル少年の顔がのぞく。
「……コノル、ここは危険だ。出ておれ!」
少年の顔を見てほっとした表情を浮かべたのも一瞬のこと、カーディンは
「そういえば、あなたの言いつけを守らずのこのことやって来たことをお
フィラーゲンが冗談ぽく言う。カーディンは戸惑いながら、小さくうなずくだけだった。
カイ・エモが信じられないといった表情で、サントエルマの森の魔法使いをにらみつけた。
「……墓場から
「自分の目で確かめてみるかい?」
フィラーゲンはわざとらしく、石柱が破壊した扉の方を振り返ってみせた。
カイ・エモの口元に光る牙を見て、コノルがおののいた。
「あいつも、ヴァンパイア……」
「どうやら、そのようだ。上位不死者の手下を作る力まで身につけていたとは……ロスロナスの親父、『死者の書』を完全に我が物としたか」
フィラーゲンは忌々しげにつぶやいた。
そして、改めてその竜のような
「あんたに恨みはないが、人の生き血を吸う化け物を生かしてはおけない。残念だけれど死んでもらうよ、ええと……」
「カイ・エモ」
コノルがささやく。
「そう、カイ・エモ。若きドルイドだった者よ」
「私を殺す?」
カイ・エモは失笑した。
「私は不死の力を得て、〈
そうして両手を広げながら腕を持ち上げる。
数百もの蝶が彼の周りに現れ、彼自身の意志を反映するかのように渦を巻きながら乱舞した。
「死ぬのはあんただ、サントエルマの森の魔法使い」
「……残念ながらそうはならない」
フィラーゲンは複雑な魔法の呪文を短く唱えた。
相対する二人の真ん中あたりの床から突然、大量の泥が飛び出し、カイ・エモと蝶たちに覆い被さった。
とっさに顔をローブの袖で覆い防御の態勢をとったカイ・エモだったが、全身は泥まみれとなってしまった。
「こんなもの……」
言いかけて、はっとする。
数百の蝶は地に落ち、泥の中でもがいていたが、煙を上げて溶け始めたのだ。カイ・エモのローブも溶け始め、露出した皮膚の部分には人間を捨てて以来初めて感じる痛みを覚えていた。
酸の泥だった。
カイ・エモは泥の中から飛び出そうとしたが、できなかった。泥が彼の足に蔦のようにからみつき、離さなかったのである。
フィラーゲンは追撃の呪文を唱えた。
巨大な石塊がカイ・エモの頭上に現れる。危険を感じた彼が視線を上に向けた刹那、巨大な石のハンマーのように石塊が地面にたたきつけられた。
「酸の泥の中に、永遠に沈んでゆくがいい」
石塊はそのままずぶずぶと、具現化された酸の泥の沼の中に沈んでいった。
「……すごい」
戦いを見守っていたマルフォイは、感嘆のため息をもらした。他のドルイドたちも、目の前で起きた事態の推移の整理がつかないかのように、ぽかんと口をあけてその場に立ち尽くすのみだった。
フィラーゲンの顔がわずかに曇る。
「……やるじゃないか」
沈みゆく石塊の向こうに、ピンク色の数百もの蝶が地を
とどめを刺す直前に、逃げられた。
「やれやれ……」
フィラーゲンは気まずそうに頭をかきながら、ランタンの光に照らし出された自身の影を振り返っていた。
「じいちゃん」
コノルはカーディンの元へ駆け寄った。もはや唯一の肉親となってしまった祖父を失わずにすんだことに、少年は心から安堵していた。
カーディンは少年の頭を撫でながら、改めてうやうやしくフィラーゲンに向き合った。
「色々と礼を言う、フィラーゲン殿。あなたはこの街を救ってくれた」
「そう言っていただけるのはありがたいですが、まだこれからが本番ですよ」
フィラーゲンは油断なく言った。竜のような顔貌が
そう、ロスロナスも、カイ・エモも、野放しになっているのである。ひとり<黒い森>に入ったドルイド長のレビックも行方知らずだ。
女性ドルイドのマルフォイが、独特の上目遣いをしながらフィラーゲンに近寄ってきた。
「わたしも多少は魔法を
そう言いながら、興味深そうにフィラーゲンの白いローブを観察した。
「……化け物を倒しに森へ行くならば、ドルイドの助力が必要だろう?わたしが案内するよ」
「僕も行く、当然」
コノルも負けじと声を張り上げた。
フィラーゲンはカーディンを見た。老ドルイドは困ったように目頭を押さえていた。
フィラーゲンはその場にいるドルイドたちをぐるりと見回すと、提案した。
「とりあえず今日はゆっくりと休んで、明日、計画をたてましょう」