05 地味で根暗で電信柱な私だけど、甘いキスをしてくれますか?(前編)
文字数 2,187文字
宿り木の下ではキスを拒んではいけない。
私こと清川ゆかりの勤める書店ではフロア毎にクリスマスの宿り木を飾る。どれもそんなに大きくないけど飾り付けをするときは気分が浮き立つものだ。これはこの書店で働き始めた大学生バイト時代の頃から変わらない。
「ゆかりさん知ってますぅ?」
脚立の一番上に立ち、壁から天井へクリスマスフェア用の電飾のコードを伸ばしながら後輩の長野ちゃんが訊いてきた。
六つ年下の長野ちゃんはまだ社会人一年生。栗色の髪をショートボブにしたお目々くりくりの可愛い子である。
一八五センチの電信柱な私と違って一五四センチの彼女は高校生と言っても通じそうなくらい愛らしい。声も何だかキャピキャピしていてこの娘はきっとモテるんだろうなぁと羨ましくさえなる。
「宿り木の下ではキスを拒んじゃ駄目なんですよぉ」
「そうなの?」
私はその宿り木にオーナメントを飾っている。一番上にも手が届くので天辺にお星様を付けるときも脚立を必要としない。とはいえ、こんな利点は可愛げの足しにはならないのだけど。
「もし拒んじゃったりしたらぁ」
長野ちゃんが脚立からぴょんと飛び降りた。おぉ、若い。さすが社会人一年生。
「その年は結婚できなくなるそうですよぉ」
「……」
わぉ、それは大変。
私、せっかく二十代で結婚できるかもしれないのに、キスをしなかっただけで婚期を逃すなんてものすごく嫌なんだけど。
ま、相手が佐藤さんならキスを拒んだりしないんだけどね。
フロア主任に呼ばれて長野ちゃんがレジのほうに行ってしまう。
私はキラキラしているモールの位置を確認してもうちょっと変えたほうがいいかなぁと思った。こういう飾り付けの作業は楽しい反面凝りだすと時間を忘れてしまうから怖い。
……それにしても、宿り木の下でキスかぁ。
ロマンチックなシチュエーションだけどさすがに店の中でキスはできないよね。
しかも私が今いる場所はレジからも丸見えだったりする。せめて死角なら良かったのに。
あ、でも死角は防犯カメラがカバーしてるんだっけ。
*
クリスマス・イブの書店は戦場だ。
レジうちと書棚整理に返品本の箱詰め、お客さんへの対応、さらにはプレゼント用のラッピングに至るまでいつもの何十倍も忙しくなる。
前もってフロア主任と休憩や仕事のシフトを決めていても必ずといっていいほど予定は狂ってくる。もはやこれは避けられぬ運命でもあるかのように想定外の事態が生じるのだ。
これは児童書や絵本の売り場に限ったことではない。
理工書だってクリスマスのプレゼントに選ばれる。星や動植物の図鑑はもちろん科学系のエッセイ本なども好む人はいるのだ。加えて年末の時期に合わせて各出版社が気合いを込めて新刊本をぶつけてくる。配本の山がこれでもかと言うくらい送られて書店員の負担を重くするのである。
一ヶ月前に客注していたはずの技術評論書房のマニュアル本が入っておらずお問い合わせカウンターで確認の電話をしていると長野ちゃんが泣きそうな顔で地下から帰ってきた。
私の勤務する大型書店は地下二階に仕入課がありそこの倉庫はちょっとした広さがある。
もしかしたらそこに件のマニュアル本が紛れてしまったのかも、と淡い期待を込めて長野ちゃんに見てきてもらったのだがどうやら駄目だったらしい。
「ゆかりさん、やっぱり来てないみたいですよぉ」
長野ちゃんの声が上ずっていた。
「しかもあそこ(仕入課)の主任さんすっごい怒っちゃって、客注で事故るなんてどういうつもりだーってあたしに怒鳴るんですよぉ。それ取次と版元に言ってほしいですぅ」
うんうん、そうだよね。
長野ちゃんは悪くない。
私は今にも涙を決壊させそうな彼女の頭を撫でてやった。しかし、ここは戦場、ゆっくり宥めている暇はない。
フロア主任が長野ちゃんを呼び、半泣きのまま彼女はそちらへ向かう。私の頭の中になぜか「ドナドナ」の曲が流れた。あまりに彼女の背中が哀れに見えたからかもしれない。
とはいえ、こちらはまだ通話中だ。
相手方が保留中にしていたためどこかで聞いたようなメロディが繰り返されている。まさかこのまま逃げたりしないわよね、と思ったときカチャリと音が鳴って技術評論書房の山田さんが出た。
「あーすみません。どうも手違いがあったみたいでこっちで止まってました」
山田さーん!
*
もう取次を介している余裕はないので私は件のマニュアル本を直納してもらうよう山田さんに頼んだ。もちろんバイク便を使ったとしても送料は向こう持ちである。
ひとまず問題を棚上げして私は他の業務に戻った。まだまだ仕事は山のようにある。のんびりなどできるはずもない。
プログラミング言語の入門書を探しているお客さんの案内をし終えると階段口から佐藤さんと山田さんが現れた。
タイプは異なるが二人ともなかなかのイケメンである。
佐藤さんは爽やかなタイプ。清涼感と清潔感を標準装備しているような好青年だ。
一方、山田さんはどこか軽薄な感じのする茶髪のお兄さんである。合コンとかにいたら盛り上げてくれそうで……いや、実際彼が主催した飲み会はとても楽しかった。
二人とも女子に人気があるが佐藤さんには私がいるし山田さんには婚約者がいる。しかもこの婚約者は新宿の老舗書店の店員。版元の営業と書店員の組み合わせってよくあるのかな?
私こと清川ゆかりの勤める書店ではフロア毎にクリスマスの宿り木を飾る。どれもそんなに大きくないけど飾り付けをするときは気分が浮き立つものだ。これはこの書店で働き始めた大学生バイト時代の頃から変わらない。
「ゆかりさん知ってますぅ?」
脚立の一番上に立ち、壁から天井へクリスマスフェア用の電飾のコードを伸ばしながら後輩の長野ちゃんが訊いてきた。
六つ年下の長野ちゃんはまだ社会人一年生。栗色の髪をショートボブにしたお目々くりくりの可愛い子である。
一八五センチの電信柱な私と違って一五四センチの彼女は高校生と言っても通じそうなくらい愛らしい。声も何だかキャピキャピしていてこの娘はきっとモテるんだろうなぁと羨ましくさえなる。
「宿り木の下ではキスを拒んじゃ駄目なんですよぉ」
「そうなの?」
私はその宿り木にオーナメントを飾っている。一番上にも手が届くので天辺にお星様を付けるときも脚立を必要としない。とはいえ、こんな利点は可愛げの足しにはならないのだけど。
「もし拒んじゃったりしたらぁ」
長野ちゃんが脚立からぴょんと飛び降りた。おぉ、若い。さすが社会人一年生。
「その年は結婚できなくなるそうですよぉ」
「……」
わぉ、それは大変。
私、せっかく二十代で結婚できるかもしれないのに、キスをしなかっただけで婚期を逃すなんてものすごく嫌なんだけど。
ま、相手が佐藤さんならキスを拒んだりしないんだけどね。
フロア主任に呼ばれて長野ちゃんがレジのほうに行ってしまう。
私はキラキラしているモールの位置を確認してもうちょっと変えたほうがいいかなぁと思った。こういう飾り付けの作業は楽しい反面凝りだすと時間を忘れてしまうから怖い。
……それにしても、宿り木の下でキスかぁ。
ロマンチックなシチュエーションだけどさすがに店の中でキスはできないよね。
しかも私が今いる場所はレジからも丸見えだったりする。せめて死角なら良かったのに。
あ、でも死角は防犯カメラがカバーしてるんだっけ。
*
クリスマス・イブの書店は戦場だ。
レジうちと書棚整理に返品本の箱詰め、お客さんへの対応、さらにはプレゼント用のラッピングに至るまでいつもの何十倍も忙しくなる。
前もってフロア主任と休憩や仕事のシフトを決めていても必ずといっていいほど予定は狂ってくる。もはやこれは避けられぬ運命でもあるかのように想定外の事態が生じるのだ。
これは児童書や絵本の売り場に限ったことではない。
理工書だってクリスマスのプレゼントに選ばれる。星や動植物の図鑑はもちろん科学系のエッセイ本なども好む人はいるのだ。加えて年末の時期に合わせて各出版社が気合いを込めて新刊本をぶつけてくる。配本の山がこれでもかと言うくらい送られて書店員の負担を重くするのである。
一ヶ月前に客注していたはずの技術評論書房のマニュアル本が入っておらずお問い合わせカウンターで確認の電話をしていると長野ちゃんが泣きそうな顔で地下から帰ってきた。
私の勤務する大型書店は地下二階に仕入課がありそこの倉庫はちょっとした広さがある。
もしかしたらそこに件のマニュアル本が紛れてしまったのかも、と淡い期待を込めて長野ちゃんに見てきてもらったのだがどうやら駄目だったらしい。
「ゆかりさん、やっぱり来てないみたいですよぉ」
長野ちゃんの声が上ずっていた。
「しかもあそこ(仕入課)の主任さんすっごい怒っちゃって、客注で事故るなんてどういうつもりだーってあたしに怒鳴るんですよぉ。それ取次と版元に言ってほしいですぅ」
うんうん、そうだよね。
長野ちゃんは悪くない。
私は今にも涙を決壊させそうな彼女の頭を撫でてやった。しかし、ここは戦場、ゆっくり宥めている暇はない。
フロア主任が長野ちゃんを呼び、半泣きのまま彼女はそちらへ向かう。私の頭の中になぜか「ドナドナ」の曲が流れた。あまりに彼女の背中が哀れに見えたからかもしれない。
とはいえ、こちらはまだ通話中だ。
相手方が保留中にしていたためどこかで聞いたようなメロディが繰り返されている。まさかこのまま逃げたりしないわよね、と思ったときカチャリと音が鳴って技術評論書房の山田さんが出た。
「あーすみません。どうも手違いがあったみたいでこっちで止まってました」
山田さーん!
*
もう取次を介している余裕はないので私は件のマニュアル本を直納してもらうよう山田さんに頼んだ。もちろんバイク便を使ったとしても送料は向こう持ちである。
ひとまず問題を棚上げして私は他の業務に戻った。まだまだ仕事は山のようにある。のんびりなどできるはずもない。
プログラミング言語の入門書を探しているお客さんの案内をし終えると階段口から佐藤さんと山田さんが現れた。
タイプは異なるが二人ともなかなかのイケメンである。
佐藤さんは爽やかなタイプ。清涼感と清潔感を標準装備しているような好青年だ。
一方、山田さんはどこか軽薄な感じのする茶髪のお兄さんである。合コンとかにいたら盛り上げてくれそうで……いや、実際彼が主催した飲み会はとても楽しかった。
二人とも女子に人気があるが佐藤さんには私がいるし山田さんには婚約者がいる。しかもこの婚約者は新宿の老舗書店の店員。版元の営業と書店員の組み合わせってよくあるのかな?