06 地味で根暗で電信柱な私だけど、甘いキスをしてくれますか?(後編)
文字数 2,284文字
「客注の県では申し訳ありませんでした」
山田さんが深々と頭を下げて謝る。十五秒程してから彼は頭を上げ、付け加えるように言った。
「いやぁ、駅で佐藤さんとばったり会っちゃいまして。せっかくなんで連れて来ちゃいました」
すでに仕入課を通したらしく山田さんが現物のみを私に手渡してくる。彼の隣で佐藤さんが苦笑していた。だがさすが爽やか系イケメン。苦笑いしようとその格好良さは少しも損なわれていない。
「えっと、今日って午後から西武池袋線沿線を回るんだよね?」
朝、私たちの部屋の玄関先でそんな話をしていたはずだ。
佐藤さんと同棲するようになって二週間。彼の仕事のスケジュールは以前より把握出来るようになっていた。
「そのつもりだったんですけど」
佐藤さんがちらと山田さんを見遣る。
「乗り換えで電車から降りたところで山田さんに見つかってしまいまして。俺、清川さんの邪魔になるから今日は行かないって言ったんですよ。それなのに山田さんが強引に」
「えーっ、何だか僕が悪者みたいになってる」
みたいって、悪者では?
とはさすがに言えず。
*
「さてさて、ついでなんで棚を見てきますかね」と山田さんが私たちを残して行ってしまう。急に二人にさせられて私は若干の戸惑いを覚えた。
嫌なのではない。
むしろ彼に会えて嬉しい。アパートの部屋に戻れば彼が待っているのだとしても嬉しいものは嬉しいのだ。
もっとも、同棲を始めてからほぼ毎日彼が迎えに来てくれているのだけれど。
「忙しい、ですよね?」
佐藤さんがまた苦く笑んだ。
「全く、山田さんには困ったもんです」
「てっきりバイク便で直納すると思ってたのに」
「直接謝りたかったらしいですよ」
佐藤さんがコンピュータ関連書籍の棚へと目を向け、私も倣う。
山田さんが既刊本の注文書に棚の残部数を記していた。他のお客さんの迷惑にならぬようさり気なく場所を譲りながらチェックしていく姿はチャラチャラしていそうな彼のイメージを良い意味で崩してくれる。
悪い人じゃないんだよね。
一見誤解を受けやすそうな山田さんの真面目な姿に私はうんうんとうなずいた。
*
夜。
ようやく仕事を終えて店の通用口を出ると佐藤さんが待っていた。
「ゆかりさん、お疲れ様」
彼は仕事以外では「ゆかりさん」と呼ぶようになっていた。
「うん、お疲れ様。今日もありがとうね」
私がお迎えのお礼を口にすると佐藤さんは何でもないといったふうに首を横に振った。
「好きでやってることですし」
「うん」
私たちは寄り添うように並んで歩き始める。
クリスマス・イブの街は普段よりずっと賑やかで通りを行く人もどこか浮き足立って見えた。どの店もドアにクリスマスリースを飾り、モールやツリー、電飾などで目を楽しませてくれる。
ケーキ屋やファストフードの店頭にはサンタ服を着た売り子が立ち、声を張って呼び込みをしていた。
大学生らしき男女数人が大声でジングルベルを歌っている。様子からアルコールが入っているのは明らかだ。陽気な歌声は地味で根暗な私の気持ちさえうきうきさせた。
ぴゅうと北風が吹き抜け、私はぶるっと身体を震えさせる。
「ゆかりさん」
佐藤さんが一声かけ、そっと私の手を握る。
そのまま彼は自分のコートのポケットに入れた。
私より背は低いけれど彼の手はやっぱり男の人の手で、私の手を優しく包む彼の体温に自然と寒さが気にならなくなる。
私は僅かに彼への身体の密着を強めた。呼応するように彼がにこりとする。その微笑みにとくんと心音が高鳴った。
*
駅前の広場には十メートルはあろう高さのクリスマスツリーがある。
赤や緑のオーナメントの丸い玉が光を煌めかせ、銀色のキラキラモールが幻想的な雰囲気を醸し出していた。天辺の金色の星は見る者に希望を抱かせるような輝きを放っている。
数組の男女がツリーを見上げてロマンチックなムードに浸っていた。
私たちもその中の一組として紛れ込む。
宿り木の下ではキスを拒んではいけない。
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
私はちょっと照れ臭くなってきて、あえて佐藤さんから目を逸らす。とくんとくんと打ち鳴らす鼓動が嫌でも彼の唇を意識させた。
「ゆかりさん、知ってますか?」
佐藤さんが訊いてくる。
「宿り木の下ではキスを断ってはいけないんですよ」
彼が私の手をポケットから出しながら放し、向き直る。
擦れたコートの音がなぜか艶っぽさを連想させ私を疼かせた。彼の手が私の腰に周り、再度密着する。抱き寄せられたときにふわっと漂う彼の匂いが私を誘った。
とくとく、とくとくと胸のリズムが数段速まる。
私はちょっと身を屈めて目を閉じた。
柔らかな温もりが私の唇に重なる。
直接彼を感じて、、さらにより深いキスをした。口の中に彼の想いを受け容れて私も彼に絡みついて応じる。
呼吸をするのももどかしい。
ずっとこうしていたい。
けれど甘い時間はあっという間に終わってしまって、私はとろんとしたまま目を開けた。
離れていった彼の温度が早くも恋しくなる。二人を繋いでいた銀の橋がだらりと垂れて切れた。
「ゆかりさん」
佐藤さんが私の耳に唇を寄せる。
「メリークリスマス」
甘やかな声に耳をくすぐられ、私は早く部屋に戻って続きをしたくて仕方なくなる。火照った身体がどうしようもないくらい彼を求めていた。
どんなものよりも大切な存在。
彼こそが私にとって一番のクリスマスプレゼントだ。
きっと今夜は眠れない。
でも、そんな期待と欲求は胸に押し込めて私はできるだけ可愛くあろうと努めながら言った。
「メリークリスマス」
山田さんが深々と頭を下げて謝る。十五秒程してから彼は頭を上げ、付け加えるように言った。
「いやぁ、駅で佐藤さんとばったり会っちゃいまして。せっかくなんで連れて来ちゃいました」
すでに仕入課を通したらしく山田さんが現物のみを私に手渡してくる。彼の隣で佐藤さんが苦笑していた。だがさすが爽やか系イケメン。苦笑いしようとその格好良さは少しも損なわれていない。
「えっと、今日って午後から西武池袋線沿線を回るんだよね?」
朝、私たちの部屋の玄関先でそんな話をしていたはずだ。
佐藤さんと同棲するようになって二週間。彼の仕事のスケジュールは以前より把握出来るようになっていた。
「そのつもりだったんですけど」
佐藤さんがちらと山田さんを見遣る。
「乗り換えで電車から降りたところで山田さんに見つかってしまいまして。俺、清川さんの邪魔になるから今日は行かないって言ったんですよ。それなのに山田さんが強引に」
「えーっ、何だか僕が悪者みたいになってる」
みたいって、悪者では?
とはさすがに言えず。
*
「さてさて、ついでなんで棚を見てきますかね」と山田さんが私たちを残して行ってしまう。急に二人にさせられて私は若干の戸惑いを覚えた。
嫌なのではない。
むしろ彼に会えて嬉しい。アパートの部屋に戻れば彼が待っているのだとしても嬉しいものは嬉しいのだ。
もっとも、同棲を始めてからほぼ毎日彼が迎えに来てくれているのだけれど。
「忙しい、ですよね?」
佐藤さんがまた苦く笑んだ。
「全く、山田さんには困ったもんです」
「てっきりバイク便で直納すると思ってたのに」
「直接謝りたかったらしいですよ」
佐藤さんがコンピュータ関連書籍の棚へと目を向け、私も倣う。
山田さんが既刊本の注文書に棚の残部数を記していた。他のお客さんの迷惑にならぬようさり気なく場所を譲りながらチェックしていく姿はチャラチャラしていそうな彼のイメージを良い意味で崩してくれる。
悪い人じゃないんだよね。
一見誤解を受けやすそうな山田さんの真面目な姿に私はうんうんとうなずいた。
*
夜。
ようやく仕事を終えて店の通用口を出ると佐藤さんが待っていた。
「ゆかりさん、お疲れ様」
彼は仕事以外では「ゆかりさん」と呼ぶようになっていた。
「うん、お疲れ様。今日もありがとうね」
私がお迎えのお礼を口にすると佐藤さんは何でもないといったふうに首を横に振った。
「好きでやってることですし」
「うん」
私たちは寄り添うように並んで歩き始める。
クリスマス・イブの街は普段よりずっと賑やかで通りを行く人もどこか浮き足立って見えた。どの店もドアにクリスマスリースを飾り、モールやツリー、電飾などで目を楽しませてくれる。
ケーキ屋やファストフードの店頭にはサンタ服を着た売り子が立ち、声を張って呼び込みをしていた。
大学生らしき男女数人が大声でジングルベルを歌っている。様子からアルコールが入っているのは明らかだ。陽気な歌声は地味で根暗な私の気持ちさえうきうきさせた。
ぴゅうと北風が吹き抜け、私はぶるっと身体を震えさせる。
「ゆかりさん」
佐藤さんが一声かけ、そっと私の手を握る。
そのまま彼は自分のコートのポケットに入れた。
私より背は低いけれど彼の手はやっぱり男の人の手で、私の手を優しく包む彼の体温に自然と寒さが気にならなくなる。
私は僅かに彼への身体の密着を強めた。呼応するように彼がにこりとする。その微笑みにとくんと心音が高鳴った。
*
駅前の広場には十メートルはあろう高さのクリスマスツリーがある。
赤や緑のオーナメントの丸い玉が光を煌めかせ、銀色のキラキラモールが幻想的な雰囲気を醸し出していた。天辺の金色の星は見る者に希望を抱かせるような輝きを放っている。
数組の男女がツリーを見上げてロマンチックなムードに浸っていた。
私たちもその中の一組として紛れ込む。
宿り木の下ではキスを拒んではいけない。
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
私はちょっと照れ臭くなってきて、あえて佐藤さんから目を逸らす。とくんとくんと打ち鳴らす鼓動が嫌でも彼の唇を意識させた。
「ゆかりさん、知ってますか?」
佐藤さんが訊いてくる。
「宿り木の下ではキスを断ってはいけないんですよ」
彼が私の手をポケットから出しながら放し、向き直る。
擦れたコートの音がなぜか艶っぽさを連想させ私を疼かせた。彼の手が私の腰に周り、再度密着する。抱き寄せられたときにふわっと漂う彼の匂いが私を誘った。
とくとく、とくとくと胸のリズムが数段速まる。
私はちょっと身を屈めて目を閉じた。
柔らかな温もりが私の唇に重なる。
直接彼を感じて、、さらにより深いキスをした。口の中に彼の想いを受け容れて私も彼に絡みついて応じる。
呼吸をするのももどかしい。
ずっとこうしていたい。
けれど甘い時間はあっという間に終わってしまって、私はとろんとしたまま目を開けた。
離れていった彼の温度が早くも恋しくなる。二人を繋いでいた銀の橋がだらりと垂れて切れた。
「ゆかりさん」
佐藤さんが私の耳に唇を寄せる。
「メリークリスマス」
甘やかな声に耳をくすぐられ、私は早く部屋に戻って続きをしたくて仕方なくなる。火照った身体がどうしようもないくらい彼を求めていた。
どんなものよりも大切な存在。
彼こそが私にとって一番のクリスマスプレゼントだ。
きっと今夜は眠れない。
でも、そんな期待と欲求は胸に押し込めて私はできるだけ可愛くあろうと努めながら言った。
「メリークリスマス」