08 地味で根暗で電信柱な私だけど、ちゃんと守ってくれますか?(後編)

文字数 1,933文字

 *

「清川」

 聞き覚えのある声に私ははっとする。

 完全に油断していたので、不意打ちみたいな声かけは勘弁してもらいたかった。だが、相手にそんな事情などわかるはずもなく、ニカッと笑う笑顔に出迎えられた。

 左エクボが昔の名残を感じさせる。ただ、やはり変わってしまった容貌はどうにも残念でならない。

 一体どんな人生を送ったらこんなに老けるのか。

「また会ったな」

 彼は嬉しそうに声を弾ませる。野太い声だが彼の喜びようは良く伝わった。

「そうだ、せっかくだからどこかで飯でもどうだ?」
「あ、いえ、私は」

 断ろうとしたが彼の圧のようなものがあってうまく返せなかった。

 桜井くんが私の腕を掴む。

 電気が走ったかのように私はびくんとした。彼のことは昔好きだった。でもそれはあくまで昔の話だ。現在進行形ではない。

「良い店があるんだ。もし手持ちが心配なら気にするな。清川に払わせるつもりはねえよ」
「いや、そうじゃなくて、私は」
「いいじゃねいか。高校のとき俺にラブレターをくれたことがあっただろ?」
「そ、そうだけど」
「あのころは電信柱みたいな女と付き合えるかって思ったけど、久しぶりに会ったら少しはましになっているじゃねえか。結婚指輪もしてねえみたいだし、どうせまだフリーなんだろ? 一晩くらいなら相手になってやるぞ」
「なっ」

 ひどい言われようである。

 私は桜井くんの手を振り払おうとしたが彼の手はがっちりと私の腕を掴んでいてどうすることもできない。

 抵抗しながら恐怖を覚えた。このまま彼に連れて行かれたら……と思うと怖くて堪らない。

 助けて。

「あのー」

 救いを求める私に応じるかのように爽やかな声が聞こえた。

「俺の彼女に何してるんですか?」

 *

「俺の彼女?」

 桜井くんが怪訝そうな目で佐藤さんを睨む。

 佐藤さんは余裕たっぷりに微笑みながら首肯した。でも私は見逃していない。短い時間だったけど佐藤さんのこめかみはピクピクしていた。

 これがマンガだったら佐藤さんのこめかみに怒りマークが付いていただろうし、身体から黒いオーラが漂っていたに違いない。

「とりあえずその手を離してもらえませんか」

 圧のある声。

 佐藤さんにこんな声が出せるんだ、と私は少しびっくりした。

「清川」

 桜井くんが訊いてくる。

「お前、こいつと付き合ってるのか?」
「う、うん」

 私はこくんとうなずいた。もしかしたら泣き出しそうな顔をしていたのかもしれない。

 ちっ、と舌打ちすると桜井くんは乱暴に私の腕を放した。

「彼氏持ちだったんなら先に言えよな!」

 そう言い捨てると桜井くんは大股で去って行った。

 *

 私はほっとしてその場にへなへなと座り込んだ。

 桜井くんからのひどい言葉や粗暴さによって過去の淡い想いを踏みにじられたような気がする。何だか情けないやら悔しいやらで気持ちが沈んだ。こんな思いをするのなら彼と再会なんてしたくなかった。

 こんな再会なんて嫌だ。

「……!」

 不意に温かな体温が私を包んだ。佐藤さんが身を屈めて私を抱き締めてくれたのだと気づくのに数秒かかる。

「一人にしてごめん。怖い思いをさせてごめん。でも、もう大丈夫だから」

 彼が耳元でささやく。耳心地の良い声がじんわりと染み込んでいくような気がした。彼への想いが沈んでいた気持ちを引き上げていく。

 あ、そういえば口調が変わってる。

 でも私はそれにつっこむことはせず、しばらくの間彼の温もりを感じた。

 *

 少しして落ち着いてから事情を説明すると佐藤さんが私の手を引いた。

「ちょっと寄り道していいですか」
「う、うん。どこに行くの?」

 それはですね、と元の口調に戻っていた彼は肝心の答えを口にしないまま駅に隣接するデパートのほうへと足を向ける。その表情には何かの決意があった。

 私はさっきの自分が急に恥ずかしくなってきて、それを隠すためにちょっとだけお姉さんぶってみせたくなる。

 強引に彼と腕を組んで身体を密着させた。上から見下ろすようにして彼を見つめる。

「何か欲しいものがあるの? 私が買ってあげるわよ」
「いえ、それじゃ意味ありませんし」

 彼が耳まで赤くなった。

「俺が買わないと駄目なんです」
「ん?」

 何を買おうとしているんだろう。

 私は彼の耳元に唇を寄せ、今度は艶やかに誘うようにたずねた。

「ねぇ、何を買うの?」
「そ、それはですね」

 彼の心音が数段跳ね上がるのが私にも伝わってくる。とくとく、とくとくとリズムを奏でる鼓動は熱を帯びながら私のそれと重なっていった。

「プロポーズは後でちゃんとしますから、今は指輪だけで我慢してください。とりあえずさっきみたいな奴が現れないようにしないと」
「えっ?」

 その言葉の意味するものを察して、今度は私のほうが赤くなるのであった。
 
 
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