07 地味で根暗で電信柱な私だけど、ちゃんと守ってくれますか?(前編)
文字数 2,375文字
イブの夜はほとんど眠れなかった。
「ふわぁっ」
理工書のフロアのレジカウンターに立っていた私こと清川ゆかりはつい欠伸をしてしまう。それを目ざとく見つけたのか横にいた後輩の長野ちゃんがにやにやしながら声をかけてきた。
「ゆかりさん、昨夜はお楽しみだったみたいですねぇ」
彼女はこちらにいやらしそうな視線を向けてきた。いつもならくりくりお目々の可愛らしい娘なのにどこかの怪しげな魔女のようである。
「いーなー、あんなイケメンが彼氏だなんて羨ましいですよぉ」
「長野ちゃんだって彼氏いるんでしょ?」
「うーん」
彼女はぴっと二本指を立て、交互に指を折ったり伸ばしたりした。
「今は二人のどっちかに絞ろうかなってところですかねぇ。ワイルドな人もいいし、知的な人も捨てがたいんですよぉ」
「えーと」
二股の二文字が浮かんで私は軽く目眩を覚える。頭を振って気を取り直した。
念のため訊いてみる。
「その二人の両方と付き合ってる訳じゃないんだよね?」
「ん? 付き合ってますけどぉ」
「……」
どうしよう。
私、この娘についていけない。
それともモテる女ってこういうものなのかな?
*
お昼のピークが過ぎたころ、階段口からカジュアルなスーツ姿の男の人が現れた。
彼はレジカウンターに一度目をやってから新刊本の置かれた平台へと足を向ける。物色するように雑誌を眺めてからまたレジカウンターに視線を投げてきた。
「すみません」
野太い声で男の人は私にたずねてきた。
「『斎藤さんのサイト管理最初の一歩』ってありませんか?」
「あ、それでしたら」
その本はすでに平台ではなく棚差し扱いになっていた。
私はすぐに件の本がある棚を案内し、男の人は目当ての物を見つけた。
他に欲しいものはなかったようでレジにて精算する。
レジ処理をする私を彼はじいっと見つめていた。何だろう、と引っかかりを抱きつつ本をレジ袋に入れる。
どこか絡みつくような視線に落ち着かなくなりながら私は本の入ったレジ袋を彼に手渡した。
「あの」
男の人が私の左手を見る。何かを気にしているようでもあった。
特に手荒れとかないんだけどなぁ。
冷え性だけど。
「もしかして、清川?」
「はい?」
思わず頓狂な声が出た。
目をパチパチさせていると彼は確信を得たと言わんばかりに大きくうなずく。
「やっぱりそうだ。俺だよ、高校の同級生だった桜井」
「高校の?」
すぐにはわからなかった。
しばし彼を見つめ、脳内で高速検索する。
目の前の男の人にかろうじて似た男子生徒がヒットしたのはどれくらい経ってからだろう。サッカー部に在籍していた黒髪を短くした少年の姿を私は思い出した。ニカッと笑うと左エクボができる男子だ。
「桜井……春樹くん?」
「久しぶりだな」
彼がニカッと笑った。左エクボができる。
私と同い年にしてはやや老けて見え、少々面食らった。いやあなた四十代前半と言っても通じるよ。
「まさかこんなところで清川と再会するとはな」
「うん、私もびっくり」
特にあなたの顔とか、という言葉はどうにか飲み込んだ。
桜井くんはまだ話をしたそうだったけれど他のお客さんに声をかけられ会話はそこで途切れた。
「じゃあ、またな」
後ろ手に振って階段口へと向かう彼を目で追いつつ私はお客さんのお問い合わせに応対する。胸の中で私の書いたラブレターを受け取った高校生の彼が爽やかに笑っていた。
結局、彼にはフラれてしまったけど……。
昔好きだった人に会っちゃった。
そう思うとちょっとだけロマンチックな気分になる。ああでも今は老け顔だしなぁ。
てか、仕事しなくちゃ。
私は意識して営業スマイルを自分に貼り付けた。
*
夜。
仕事を終えた私が店の通用口を出ると佐藤さんが清涼感たっぷりの笑顔で迎えてくれた。
「ゆかりさん、お疲れ様」
「うん、お疲れ様」
私はにっこり微笑んで応じる。
理工系の出版社で営業職に就いている佐藤さんは現在二十三歳。爽やかさをこれでもかってくらい標準装備したイケメンの彼は私より五つ年下の彼氏である。
地味で根暗で電信柱のように背が高くて痩せっぽちな私にはもったいないくらいの好青年の彼と今は一つ屋根の下で暮らしていた。ほぼ毎日彼は店まで私を迎えに来てくれる。一年前は想像もできなかった幸せだ。
そんな彼と昨夜は……。
「ゆかりさん?」
つい頬が緩んでしまった私に佐藤さんが頭に疑問符を並べる。私は何でもないといったふうに手を横に振った。
「ちょっと、ね。さ、帰りましょ」
「あ、はい」
私たちはどちらからともなく手を繋いで歩きだした。
*
駅の構内に入ったとき佐藤さんのスマホが鳴った。
「あ、部長からだ」
画面を確認した佐藤さんが私を見上げる。少し申し訳なさそうに彼は言った。
「すみません、ちょっとだけ待っててください」
「うん」
彼は私に背を向け電話に応答する。聞こえてくる話の内容から新宿に大手書店が新規出店するらしいとわかった。
はい、はい、と相槌を打ってから佐藤さんは通話を切る。振り返った彼はまた申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ゆかりさん、もう五分待ってもらえますか? 部長命令で書店さんに連絡しないといけないんです」
「あ、私は大丈夫だから。もしあれなら離れてよっか?」
場合によっては他店に聞かれたくないものもあるはずだ。
佐藤さんはさらにすまなそうな表情になった。
「できればそうしてもらえますか。どこまでオープンにしていいか俺にもわからないんで」
うん、と私は首肯して彼との距離をとる。
駅構内の柱を背にしながら私は通話をする佐藤さんを眺めた。書店の中で商談する彼も素敵だが外でこうやって仕事をする姿もなかなかに捨て難い。私は自分がうっとりとしているのを自覚した。
とはいえ、あんまり長く私を放置しないでね。
なんて思っていると横から声がかかった。
「ふわぁっ」
理工書のフロアのレジカウンターに立っていた私こと清川ゆかりはつい欠伸をしてしまう。それを目ざとく見つけたのか横にいた後輩の長野ちゃんがにやにやしながら声をかけてきた。
「ゆかりさん、昨夜はお楽しみだったみたいですねぇ」
彼女はこちらにいやらしそうな視線を向けてきた。いつもならくりくりお目々の可愛らしい娘なのにどこかの怪しげな魔女のようである。
「いーなー、あんなイケメンが彼氏だなんて羨ましいですよぉ」
「長野ちゃんだって彼氏いるんでしょ?」
「うーん」
彼女はぴっと二本指を立て、交互に指を折ったり伸ばしたりした。
「今は二人のどっちかに絞ろうかなってところですかねぇ。ワイルドな人もいいし、知的な人も捨てがたいんですよぉ」
「えーと」
二股の二文字が浮かんで私は軽く目眩を覚える。頭を振って気を取り直した。
念のため訊いてみる。
「その二人の両方と付き合ってる訳じゃないんだよね?」
「ん? 付き合ってますけどぉ」
「……」
どうしよう。
私、この娘についていけない。
それともモテる女ってこういうものなのかな?
*
お昼のピークが過ぎたころ、階段口からカジュアルなスーツ姿の男の人が現れた。
彼はレジカウンターに一度目をやってから新刊本の置かれた平台へと足を向ける。物色するように雑誌を眺めてからまたレジカウンターに視線を投げてきた。
「すみません」
野太い声で男の人は私にたずねてきた。
「『斎藤さんのサイト管理最初の一歩』ってありませんか?」
「あ、それでしたら」
その本はすでに平台ではなく棚差し扱いになっていた。
私はすぐに件の本がある棚を案内し、男の人は目当ての物を見つけた。
他に欲しいものはなかったようでレジにて精算する。
レジ処理をする私を彼はじいっと見つめていた。何だろう、と引っかかりを抱きつつ本をレジ袋に入れる。
どこか絡みつくような視線に落ち着かなくなりながら私は本の入ったレジ袋を彼に手渡した。
「あの」
男の人が私の左手を見る。何かを気にしているようでもあった。
特に手荒れとかないんだけどなぁ。
冷え性だけど。
「もしかして、清川?」
「はい?」
思わず頓狂な声が出た。
目をパチパチさせていると彼は確信を得たと言わんばかりに大きくうなずく。
「やっぱりそうだ。俺だよ、高校の同級生だった桜井」
「高校の?」
すぐにはわからなかった。
しばし彼を見つめ、脳内で高速検索する。
目の前の男の人にかろうじて似た男子生徒がヒットしたのはどれくらい経ってからだろう。サッカー部に在籍していた黒髪を短くした少年の姿を私は思い出した。ニカッと笑うと左エクボができる男子だ。
「桜井……春樹くん?」
「久しぶりだな」
彼がニカッと笑った。左エクボができる。
私と同い年にしてはやや老けて見え、少々面食らった。いやあなた四十代前半と言っても通じるよ。
「まさかこんなところで清川と再会するとはな」
「うん、私もびっくり」
特にあなたの顔とか、という言葉はどうにか飲み込んだ。
桜井くんはまだ話をしたそうだったけれど他のお客さんに声をかけられ会話はそこで途切れた。
「じゃあ、またな」
後ろ手に振って階段口へと向かう彼を目で追いつつ私はお客さんのお問い合わせに応対する。胸の中で私の書いたラブレターを受け取った高校生の彼が爽やかに笑っていた。
結局、彼にはフラれてしまったけど……。
昔好きだった人に会っちゃった。
そう思うとちょっとだけロマンチックな気分になる。ああでも今は老け顔だしなぁ。
てか、仕事しなくちゃ。
私は意識して営業スマイルを自分に貼り付けた。
*
夜。
仕事を終えた私が店の通用口を出ると佐藤さんが清涼感たっぷりの笑顔で迎えてくれた。
「ゆかりさん、お疲れ様」
「うん、お疲れ様」
私はにっこり微笑んで応じる。
理工系の出版社で営業職に就いている佐藤さんは現在二十三歳。爽やかさをこれでもかってくらい標準装備したイケメンの彼は私より五つ年下の彼氏である。
地味で根暗で電信柱のように背が高くて痩せっぽちな私にはもったいないくらいの好青年の彼と今は一つ屋根の下で暮らしていた。ほぼ毎日彼は店まで私を迎えに来てくれる。一年前は想像もできなかった幸せだ。
そんな彼と昨夜は……。
「ゆかりさん?」
つい頬が緩んでしまった私に佐藤さんが頭に疑問符を並べる。私は何でもないといったふうに手を横に振った。
「ちょっと、ね。さ、帰りましょ」
「あ、はい」
私たちはどちらからともなく手を繋いで歩きだした。
*
駅の構内に入ったとき佐藤さんのスマホが鳴った。
「あ、部長からだ」
画面を確認した佐藤さんが私を見上げる。少し申し訳なさそうに彼は言った。
「すみません、ちょっとだけ待っててください」
「うん」
彼は私に背を向け電話に応答する。聞こえてくる話の内容から新宿に大手書店が新規出店するらしいとわかった。
はい、はい、と相槌を打ってから佐藤さんは通話を切る。振り返った彼はまた申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ゆかりさん、もう五分待ってもらえますか? 部長命令で書店さんに連絡しないといけないんです」
「あ、私は大丈夫だから。もしあれなら離れてよっか?」
場合によっては他店に聞かれたくないものもあるはずだ。
佐藤さんはさらにすまなそうな表情になった。
「できればそうしてもらえますか。どこまでオープンにしていいか俺にもわからないんで」
うん、と私は首肯して彼との距離をとる。
駅構内の柱を背にしながら私は通話をする佐藤さんを眺めた。書店の中で商談する彼も素敵だが外でこうやって仕事をする姿もなかなかに捨て難い。私は自分がうっとりとしているのを自覚した。
とはいえ、あんまり長く私を放置しないでね。
なんて思っていると横から声がかかった。