02 地味で根暗で電信柱な私だけど、あったかくしてくれますか?(前編)
文字数 2,023文字
寒い日は嫌い。
師走に入り寒さがますます厳しくなってきた。
凍死寸前になりつつ私こと清川ゆかりはリモコンに手を伸ばして部屋の暖房のスイッチをつける。アパートに備え付けの古いエアコンは壊れたかと思えるほどの奇妙な音を鳴らして暖気を吐き出した。
初めは温く、それからゆっくりと時間をかけて暖かく。十分はかかってないはずだが五分以上は寒さと戦わねばならない。
やっと生きていくのに支障のない温度に達すると私はもぞもぞとベッドを抜け出した。
身支度と朝食の用意を流れるようにこなす。
時計代わりにつけていたテレビが天気予報のコーナーを放送し始めたときスマホが鳴った。
*
二回目のコールが終わらぬうちに通話アイコンをタップする。
「やっほー、ゆかちゃん元気?」
朝っぱらからハイテンションな声を聞いて私はげんなりした。
「何? 今日は早番だから時間ないんだけど」
「いやいや、そんな冷たいこと言わないでよ」
電話の向こうで三つ上の姉のあおいが苦く笑むのが思い浮かぶ。私と異なり母に似て丸みはあるが可愛らしい顔の持ち主だ。それはたとえ苦笑しようと少しも損なわれない。
私ははぁっとため息をついた。
「それで? 何なの?」
「わぁ、ゆかちゃん感じ悪い」
そんなの今に始まったことではないはずだ。
「切ってもいい?」
「ええっ、切らないでよ」
酷く慌てた調子で姉が話しだす。
「あのね、今日って草薙教授の『ネットに熱湯をかけてみた』の最新巻の発売日でしょ? 午後にゆかちゃんのお店に買いに行くからとっておいて」
「別にいいけど。でも、本ならわざわざ私のところに来なくても買えるよね」
姉のマンションは吉祥寺にある。職場は新宿の老舗書店だ。
単に本が欲しいなら私の店にくる必要はない。
「あーうん、そうなんだけどさ」
やや歯切れが悪そうに姉が付け足す。
「ほら、ゆかちゃんに彼氏ができたって聞いたもんだからさ。姉としては大事な妹が二十八歳になってようやく捕まえた男がどんな奴か気になる訳で……」
理工書の版元であるあんぺあ出版の営業の佐藤さんと交際していることは姉に秘密にしていた。それなのになぜか彼女にばれている。
「ええっと、それ誰から聞いたの?」
若干の目眩を覚えつつ質問すると姉はあっさりと明かしてくれた。
「技術評論書房の山田さん」
わぁ、山田さん。
何でまたよりにもよって姉さんに教えるかなぁ。
というかちょい待って。
「あれ? 姉さんって児童書の担当だよね? 山田さんって理工書の版元の人だよ」
「うん知ってる。けどさ、あの人の結婚相手ってうちの店の子だし」
「……」
世の中って狭い。
てか、書店員と版元の営業の組み合わせって流行ってるのかな?
ともあれ本当に時間の余裕がないので午後に会うことを約束して通話を切った。そういえば今日は姉の非番の日だ。
今朝は寒さが厳しい。
寒いのは嫌いだ。ただでさえ冷え性なのにそこに気候による寒さが加わるだなんて勘弁してほしい。
お休みのとれる姉が羨ましかった。しかし、羨んでいても寒さは変わらないし時間ももったいない。
私はささっと朝食を済ませるとお気に入りのコートを羽織って出勤した。
*
アパートの最寄り駅に着いたときマナーモードにしておいたスマホが震えた。
そうだよね、お前も寒いよねと無言で語りかけながら画面を確認する。佐藤さんからのメッセージが来ていた。
不思議だ。
佐藤さんからというだけで画面の奥に虹が浮かんで見える。文字だってキラキラだ。
おはようございます。
今日も午後一時半くらいにお店に伺いますね。
別段、甘い言葉が書き連ねてある訳でもない。ごく平凡な挨拶と予定が記されているだけだ。それでも彼のメッセージが来たことが嬉しかった。
もちろんもっと気の利いた文面を期待してなくはない。愛してるとか好きだよとか、それがたとえ文字であっても好きな相手からならそれだけでその日一日を幸せに過ごせそうな気がする。
私は溢れかねない気持ちを抑えてあえて簡単に返信した。
佐藤さん、おはようございます。
今日は特に冷えますから暖かくして外回りをしてくださいね。
佐藤さんが来るのを楽しみに待ってます。
送信してしまってからやはり簡潔すぎたかなと後悔する。長文で返すのは重いと思うものの短文なのもひょっとしたら気分を害してしまうかもしれない。そっけない女だと思われないだろうか。
相手が佐藤さんだということも不安を煽った。
彼に嫌われたくない。
むしろもっと好きになってもらいたい。
私はスマホの画面をじっと見る。
そこにはもう虹はなかった。何の変哲のない表示が映っているだけだ。私の浮かれた心を打ち消すかのような冷徹さがそこにある。
急に自分が虚しくなってきた。
ホームのアナウンスが混雑する人の波に紛れて聞こえてくる。私の乗る列車の到着を報せるアナウンスだ。これに乗り遅れたら遅刻してしまう。
私はスマホを仕舞い、走った。
師走に入り寒さがますます厳しくなってきた。
凍死寸前になりつつ私こと清川ゆかりはリモコンに手を伸ばして部屋の暖房のスイッチをつける。アパートに備え付けの古いエアコンは壊れたかと思えるほどの奇妙な音を鳴らして暖気を吐き出した。
初めは温く、それからゆっくりと時間をかけて暖かく。十分はかかってないはずだが五分以上は寒さと戦わねばならない。
やっと生きていくのに支障のない温度に達すると私はもぞもぞとベッドを抜け出した。
身支度と朝食の用意を流れるようにこなす。
時計代わりにつけていたテレビが天気予報のコーナーを放送し始めたときスマホが鳴った。
*
二回目のコールが終わらぬうちに通話アイコンをタップする。
「やっほー、ゆかちゃん元気?」
朝っぱらからハイテンションな声を聞いて私はげんなりした。
「何? 今日は早番だから時間ないんだけど」
「いやいや、そんな冷たいこと言わないでよ」
電話の向こうで三つ上の姉のあおいが苦く笑むのが思い浮かぶ。私と異なり母に似て丸みはあるが可愛らしい顔の持ち主だ。それはたとえ苦笑しようと少しも損なわれない。
私ははぁっとため息をついた。
「それで? 何なの?」
「わぁ、ゆかちゃん感じ悪い」
そんなの今に始まったことではないはずだ。
「切ってもいい?」
「ええっ、切らないでよ」
酷く慌てた調子で姉が話しだす。
「あのね、今日って草薙教授の『ネットに熱湯をかけてみた』の最新巻の発売日でしょ? 午後にゆかちゃんのお店に買いに行くからとっておいて」
「別にいいけど。でも、本ならわざわざ私のところに来なくても買えるよね」
姉のマンションは吉祥寺にある。職場は新宿の老舗書店だ。
単に本が欲しいなら私の店にくる必要はない。
「あーうん、そうなんだけどさ」
やや歯切れが悪そうに姉が付け足す。
「ほら、ゆかちゃんに彼氏ができたって聞いたもんだからさ。姉としては大事な妹が二十八歳になってようやく捕まえた男がどんな奴か気になる訳で……」
理工書の版元であるあんぺあ出版の営業の佐藤さんと交際していることは姉に秘密にしていた。それなのになぜか彼女にばれている。
「ええっと、それ誰から聞いたの?」
若干の目眩を覚えつつ質問すると姉はあっさりと明かしてくれた。
「技術評論書房の山田さん」
わぁ、山田さん。
何でまたよりにもよって姉さんに教えるかなぁ。
というかちょい待って。
「あれ? 姉さんって児童書の担当だよね? 山田さんって理工書の版元の人だよ」
「うん知ってる。けどさ、あの人の結婚相手ってうちの店の子だし」
「……」
世の中って狭い。
てか、書店員と版元の営業の組み合わせって流行ってるのかな?
ともあれ本当に時間の余裕がないので午後に会うことを約束して通話を切った。そういえば今日は姉の非番の日だ。
今朝は寒さが厳しい。
寒いのは嫌いだ。ただでさえ冷え性なのにそこに気候による寒さが加わるだなんて勘弁してほしい。
お休みのとれる姉が羨ましかった。しかし、羨んでいても寒さは変わらないし時間ももったいない。
私はささっと朝食を済ませるとお気に入りのコートを羽織って出勤した。
*
アパートの最寄り駅に着いたときマナーモードにしておいたスマホが震えた。
そうだよね、お前も寒いよねと無言で語りかけながら画面を確認する。佐藤さんからのメッセージが来ていた。
不思議だ。
佐藤さんからというだけで画面の奥に虹が浮かんで見える。文字だってキラキラだ。
おはようございます。
今日も午後一時半くらいにお店に伺いますね。
別段、甘い言葉が書き連ねてある訳でもない。ごく平凡な挨拶と予定が記されているだけだ。それでも彼のメッセージが来たことが嬉しかった。
もちろんもっと気の利いた文面を期待してなくはない。愛してるとか好きだよとか、それがたとえ文字であっても好きな相手からならそれだけでその日一日を幸せに過ごせそうな気がする。
私は溢れかねない気持ちを抑えてあえて簡単に返信した。
佐藤さん、おはようございます。
今日は特に冷えますから暖かくして外回りをしてくださいね。
佐藤さんが来るのを楽しみに待ってます。
送信してしまってからやはり簡潔すぎたかなと後悔する。長文で返すのは重いと思うものの短文なのもひょっとしたら気分を害してしまうかもしれない。そっけない女だと思われないだろうか。
相手が佐藤さんだということも不安を煽った。
彼に嫌われたくない。
むしろもっと好きになってもらいたい。
私はスマホの画面をじっと見る。
そこにはもう虹はなかった。何の変哲のない表示が映っているだけだ。私の浮かれた心を打ち消すかのような冷徹さがそこにある。
急に自分が虚しくなってきた。
ホームのアナウンスが混雑する人の波に紛れて聞こえてくる。私の乗る列車の到着を報せるアナウンスだ。これに乗り遅れたら遅刻してしまう。
私はスマホを仕舞い、走った。