第9幕

文字数 1,402文字




「では、こちらに来るが良い。足許に気を付けてな」

 やがて届けられた男のその言葉は、取り残されたようにぽつりと響いた。

 ラウレリアは、頭の天辺で団子状にまとめていた黒髪の中から、柘植(つげ)の簪(かんざし)をするりと抜き放った。

 その途端、艶と弾力のある真っ直ぐな黒髪が、滝のように背中へと雪崩(なだ)れ落ちる。

 それから、スピカが舞い飛ぶ暗闇の中を、獣のように密やかな足音を立てながら、男へと近付いていく。

 風使いの男は、扇状の背凭れの付いた籐の椅子に、ゆったりと腰掛けていた。

 その風貌の詳細を、恐る恐る辿っていく。

 仄かな白銀色に煌めいている、柔らかに波打つ髪。

 蒼白く、透き通るような肌色。

 細面(ほそおもて)の彫りの深い顔立ちは、美女と見紛うほどに麗(うるわ)しい。

 てっきり怪物のように、恐ろしげな風貌に出くわすものと思い込んでいたラウレリアは、全身から一気に力が抜けるほど安堵した。

 そして、少々意地悪をしてやりたい気持ちに駆られた。

 風貌のことで、男から大嘘を吐かれた仕返しだ。

 ラウレリアは、男の滑(すべ)らかな頬を撫でながら、囁くように語り掛けた。

「あなた様は、罪なお方。

 この品の良いお顔立ちの何処が、二目とは見られぬおぞましい風貌だと言うのですか。

 傷の一つもないではありませんか」

 その時、男の目の前を、一匹のスピカが横切っていった。

 蕩(とろ)けるような美しい色合いの光が、男の双眸(そうぼう)に映り込んだ瞬間、ラウレリアはハッとなった。

 その瞳は、凍り付いたように動かなかった。

 何となれば、それはただの蒼い硝子玉だったからだ。

 この空間に、明かりが灯っていなかったのは、その必要がないからだったのだ。

「あなた様は、目が…‥」

「そうだ。私には、視力が備わっていない。

 だから、美しいであろうそなたの顔も拝めない。残念だがな」

「それは…‥生まれつき、そうなのですか?」

「…‥そうだとも言えるし、そうでないとも言える。

 風使いとしての能力を発揮するためには、見えない世界で、感覚を研ぎ澄ますことが求められるのだ。

 風使いとして生きていくのなら、視力は必要のない機能なのだよ」

 その言葉は、男の意思とは裏腹に、視力を無理矢理奪われた過去があることを暗示していた。

 そのことを察したラウレリアの胸は、深い悲しみに塞(ふさ)がれた。

「酷(むご)いことを…‥。



 風使いとして生きるあなた様は、この塔から出られることはないのですか?」



「恐らくな…‥。女人と交わる機会も、そなたが最初で最後であろう。

 後は、孤独に朽ちていく身だ」

 風使いの男の指先が、ラウレリアの長い黒髪に触れた。

 これまでの人生の中で、風の扱い方には熟練している指先。

 けれど、それ以外のことは、殆ど知らずに過ごしてきたに違いない、無垢な指先。

 その指先が、黒髪をぎこちなくまさぐっていたが、やがて黒髪ごと、ラウレリアの身体を抱き寄せた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

・・・ 第10幕へと続く ・・・


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