第27話
文字数 3,239文字
広はまだ京都から帰宅していない。
あやめはシャワーを浴びるため、自室に戻っていた。
「すごい、都会なのに星が見える」
田舎の山から臨む星空よりは少ないが、暗い夜空にポツポツと明かりが灯っていた。
「中庭の電気消そうか?」
突然の声に振り返ると、咲のすぐ後ろに広が立っていた。
「あれ……おかえり」
気配を感じなかった。
そしていつもの雰囲気が違う。広は庭をチラッと見た後、踵を返す。
「ちょっと待ってて、電気消す」
「あ、大丈夫だよ。ひ、広も星見る?」
急に現れたことでの動揺か、声が上擦ってしまった。
広はすとんと、縁側に腰を落とす。
「今の状態、咲と星を見るのはノーカンかな?」
「え?」
「戦いが終わったら星みようって、あの夜約束したから」
「あ、そうだったね! そうだった!」
立ち上がろうとする咲だが、その腕を広が掴んだ。
再び、広と並んで縁側に座る。
「咲が見るのはいいよ。田舎はもっと星空綺麗?」
「真っ暗だからね、山の中は。でも、夜景も綺麗だったよ」
「人工的な光だけどな」
「それでも綺麗だった、人が作った光。自然なら、空が好きかな」
「空?」
「大切な人は同じ空の下にいる、って言葉聞いたことない?」
咲の言葉に、広は首を横に振って返す。
「空は全世界を繋いでるから。どんなに離れてても生きてる限り、同じ時代にいる限り、大切な人は絶対、同じ空の下にいるって、両親に言われた気がする……たぶん」
「たぶん? 疑問系?」
「私の両親、二歳の時に他界してるから」
「あ、ごめん……」
「正直、誰の言葉かは覚えてないの。でも、小さい頃の私にそんな話をしてくれるのって両親しかいないと思うから」
「……大事にされてたんだな」
「え?」
「咲の両親は本当に、おまえら二人のこと好きだったんだな」
「……ありがとう」
そんなことを言われるとは思っていなかった。
嬉しさを隠しきれない咲は、少しだけ視線を落とした。
覚えているはずがないのに、写真でしか見たことのない父と母と過ごした時の記憶が脳裏に浮かぶ。
「広は……あ、実家でお父さんに会ったんだよね? どうだっ」
「俺の話はいいよ」
ピシャリと、言葉が遮られた。笑みを浮かべたままだが、広の目は笑っていなかった。
「家族について話すことは何もない」
「あ、えっと……そうだよね」
返す言葉が見つからず、俯く咲。
拒絶するような冷たい言葉に、胸が詰まる。
「えっ、あ、ごめん」
だが瞬時に、広が咲の表情に気がついた。
慌てて顔色を窺うが、咲は俯いたまま。
「気が張り詰めてて、当主感覚が抜けてなかった」
「私こそ……神木なのに、広の家族のこと聞こうなんて」
「違う、咲が神木だからとかじゃなくて、俺が……冷たい態度とってごめん」
両手を掴んで顔を突き合わせるが、咲は目を合わせようとしない。
広は項垂れ、両の手のひらを咲に突き出した。
「猫パンチ、する?」
「今のままだと、ライオンパンチになる」
咲の言葉に、広がくすりと笑った。
そして諦めたように、話を始める。
「面倒くさい人なんだ、俺の父親」
「面倒くさい?」
「今日の呼び出しも、メールで送ればいい資料をわざわざ取りに来いって、それだけ。昔の人だから、パソコンの使い方知らないんだと思う」
「…………」
「あ、いや、家族の悪口になってるな。じゃあえっと、弟がいるんだけど」
「弟? 広に?」
「一つ下の学年。京都にいるし、身体弱いからなかなか会えないけど、弟のことは素直に可愛いと思う……なに言ってんだ、俺」
はぁぁと深いため息をついて、広は顔を伏せる。
「家族の話になると愚痴というか本音が出るから、話題にしたくないんだ。こんなに誰かに話したの、初めてかも」
「初めてなの? 織斗くんは?」
「言えるわけない。父親と反りが合わないって事は伝えてたけど」
「あやめちゃんは?」
「そもそも会話しない」
「え、でも、昨日あんなに仲良くご飯食べて……」
「それも初めて。いつもは別々に食事してる、食堂で会うことはあるけど。あんな風に机囲んで、冗談言いながら食べたのは初めて」
「そ、うなんだ……猫パンチは、しないよ」
「ん?」
「広が悪いことしたわけじゃないし、猫パンチもライオンパンチも、今日はしない」
「なんだ、そっか」
再度、ため息を吐いて笑う広。
つられて、咲も顔を綻ばせた。
「そういえば、あやめは?」
「先にお風呂入ってる。味噌汁かぶっちゃって」
「味噌汁かぶった?」
「温める前だったから、火傷は大丈夫だよ」
「いや、どうやったら味噌汁が身体にかかるんだよ」
「違う、頭にかかったの」
「……ますます謎」
ククッ、と口元を押さえて笑う広。いつもの様子に安心し、咲も同じように笑った。
しかしその時、広の視線が玄関に向いた。
つられて咲が振り返ったとき、コンコンっとノックの音がした。
「当主様、当主様!」
扉の向こうにいるのは緋真の家臣だった。
ドアを叩きながらの必死の呼びかけに、広は面倒くさそうに立ち上がって玄関に向かう。
「なに?」
しかし扉は開けず、ドア越しに話しかける。
「離れには近寄るなって、あれほど……」
「じゃあ電話とってくださいよ!」
「……で、なに?」
「侵入者です! 第二の門が越えられました!」
「門を越えた? 何してる、すぐに捕まえて」
「それが、相手は神木の当主のようで」
家臣の言葉に、広と咲は目を合わせた。
神木の当主、織斗のことだ。
「戦いにルールを設けているから、当主様の指示があるまで関わるなとのことだったので、扱いに困ってまして。どう致しましょうか」
「どう致すって……」
軽く舌打ちをした広の目に、明らかな動揺を見せる咲の姿が見えた。
広は咲を自分の後ろに隠し、玄関のドアを明ける。
ドアの前にいたのは広より少し年上の、短髪の小柄な男の子だった。
「門を越えたということは、既に屋敷内にいると?」
「は、はい。見張り番の制止も聞かず、術力を使って門を登ったらしいです」
「わかった、俺が対応する。全員、本棟から出て西棟に避難するように指示を頼む」
「え? なぜ西棟に……」
「俺が一人で対応するって言っただろ。無駄な人員を割きたくない」
「そんな、当主様お一人で」
「俺一人と家臣百人、どっちが強いと思う?」
低い声、射抜くような広の目つきに、家臣の男はヒュッと息を呑んだ。
「二回目になるが、屋敷内にいる全ての緋真一族は西棟に避難。今度はちゃんと、聞こえた?」
「は、はいっ! でも……」
「俺の話聞いてた? 全ての緋真一族って言ったんだけど? もし避難してないやつがいたらそいつは、緋真の人間じゃないってことでいいんだよな?」
にこーっと貼り付けた笑顔。
家臣の男は慌てて後退り、「仰せのままに!」と仰々しく去っていった。
バタバタと廊下を走る家臣の姿が見えなくなったところで、広が自分の前髪を掻き乱す。
「屋敷に侵入して来た? 確かに地図は渡したけどそういうつもりじゃなくて……何考えてんだよ、織斗」
「地図、渡したの?」
「地図っていうか……っ」
広は咲の手を取り、部屋の中を見渡した。
「持ってきた荷物って、服だけだよな?」
「え? ……うん」
「五分もあれば誰もいなくなるだろ。合流できるのは屋敷の中間あたりか……門のところまで行けるか」
「行くって……」
「織斗と話をしに行く」
「はなし……え、待って。だってこんな、急に……」
「咲は俺の後ろ、二メートル以上の距離を空けてついてきて。合図するまでは柱の陰にでも隠れてて」
「でも……」
「俺が言っても聞かないから、後で説教しといて。もう少し考えてから行動しろって」
「……織斗くんに?」
「あぁ」
「……私が?」
くるんと、広が振り返る。
びくっと身体を震わせた先だが、広が穏やかに微笑んだので、胸に手を当てて次の言葉を待った。
「すぐに準備して、荷物も一緒に持って行こうか、咲」
穏やかで優しい、いつも通りの広の表情。
咲はこくんと小さく頷いた。